瀬谷散歩 ( 矢指市民の森、追分市民の森、上川井市民の森、瀬谷市民の森 約 90m ) 2020.6.2



【PHOTO & 記録 瀬谷散歩 8】

和泉川に沿ってさらに先へと進む。
左手上部を見れば、柵に囲まれた道が見える。
この道は、先ほどの十字路からまっすぐ進んだ道である。
この他、森の中には多くの道が作られている。

やがて、和泉川にかかる橋が現れるので、右に曲がって橋を渡る。
緩やかに登っていくと、先の方が明るくなってくる。
旧上瀬谷通信施設跡地の縁が近づいてきたようである。

やがて、森と旧上瀬谷通信施設跡地との境を通る道に飛び出す。
先ほどの 『野境みち』 を横切った十字路からは 5分程。
これで 『瀬谷市民の森』 も終了だが、先の 『追分市民の森』 と同様、 『瀬谷市民の森』 の一部を通ったに過ぎない。

さらには、『瀬谷市民の森』 は、 瀬谷高校の横を通っている車道を挟んで反対側もその範囲内なのである。

なお、今飛び出した道を左に進めば、一里山ゴルフセンター方面、そして細谷戸の商店街に通じており、 右は旧上瀬谷通信施設跡地経由で細谷度団地に通じている。
ここは右に進む。

暫く進むと、十字路に出る。
右は先ほどの 『野境みち』 で、まっすぐは先ほど横断した、いくつかの霊園や三育小学校、特別養護老人ホームを経て八王子街道へと続く道である。

ここは左の道 (写真) に入るのだが、 その前に少し 『野境みち』 方面に進んでみる。

少し進むと、瀬谷区役所が立てた 『中丸山古戦場跡』 と書かれた案内板が出てくる (写真)

内容は見ての通りであるが、しかし、以前ここには 『瀬谷の原』 と書かれた案内板が立っており、
(1) 新田義貞の鎌倉攻め1333年、この場所にて新田軍に陸奥国の 石川義光が合流し、翌日 稲村崎を経て鎌倉に攻め入る

(2) 上杉禅秀の乱1416年、 前関東管領の上杉禅秀が鎌倉公方足利持氏に対して反乱を起こし、この地で戦う
といったことが書かれていたのだが、全く違う内容になってしまったのは何故であろう。

如何にも “農道” という感じの道を進む。
左手を見れば、広い草原が広がっている。

先ほど触れた、和泉川の源流の残り 2つは、この原の中にあるようである。
一見 真っ平らのように見えるが、一里山ゴルフセンター近くは窪地になっているのである。

なお、草原の後方に立つ建物は 細谷戸団地。

道は畑の中を稲妻状に進み、やがて十字路にぶつかる。

ここは、旧上瀬谷通信施設跡地に入って最初に左折した十字路で、このまま まっすぐ進めばトーチカもどきが見えてくるのである。
細谷戸団地に戻るにはここを左折で、ゆっくりと進めばやがて出発点となった細谷戸団地北側の道路である。

ここまでの所要時間は 1時間半ほど。
少し負荷のキツい散歩という感じであるが、実際は 今回のような立ち寄りはしないので 1時間強といったところであり、自宅 to 自宅 で 1時間半というのが正しい。

なかなか歩き甲斐があり、変化に富んでいて楽しいコースである。



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