瀬谷散歩 ( 矢指市民の森、追分市民の森、上川井市民の森、瀬谷市民の森 標高約 90m ) 2020.6.2



【PHOTO & 記録 瀬谷散歩 1】

新型コロナウイルス禍による ステイホーム生活が長く続いた中、唯一の運動は自宅周辺の散歩であった。
一方、5月25日に緊急事態宣言が解除され、さらに 6月19日より県外への移動自粛要請も解除されはしたものの、まだ体調の方が万全とは言えないことから、 山に行くのはもう少し先と考えているので、今回は山行記録の代わりに 散歩コースの中から、小生が気に入っているコースをご紹介することにしたい。

小生の住む横浜市瀬谷区には自然が多く、色々な散歩コースが楽しめるのであるが、 今回ご紹介するのは、『瀬谷市民の森』『上川井市民の森』『追分市民の森』、そして 『矢指 (やさし) 市民の森』 といった森の中の散歩道を通り、さらに 5年前に米軍から返還された旧上瀬谷通信施設の跡地を抜けるというもので、 早足で 1.5時間程のコースである。

しかも、高低差はそれ程ではないものの、小さなアップダウンが多くあるため、身体を鍛えるにはなかなか理想的であり、 ここをマスクをつけて早足で歩けば、心肺機能は鍛えられるのではないかと思っている。
加えて、途中の森や旧上瀬谷通信施設跡地ではいくつかのバリエーションが楽しめるので、その日の体調に合わせて、ショートカットするなり、 回り道をするなりして負荷をコントロールできるのが良いのである。

なお、広大な 旧上瀬谷通信施設跡地について少し触れておくと、ここは 旧日本海軍、横須賀海軍軍需部の瀬谷火薬庫と 第二海軍航空廠瀬谷補給工場があった場所で、終戦時に一旦 米国海軍に接収されたたものの、使用価値がないとのことで返還されているのである。
しかし、1950 (昭和25) 年の朝鮮戦争勃発によって再接収となり、この場所に米軍の通信基地が設置され、そのまま 2015年に全面返還されるまで在日米軍の海軍基地だったのである。

この通信基地は、東西冷戦時代における 米国情報収集艦 プエブロ号事件 (1968年に米国海軍の情報収集艦 プエブロ号が、 朝鮮民主主義人民共和国に拿捕された事件) の発生に関わる通信を傍受し事態を把握したことで、一躍 「上瀬谷」 の名を全世界に知らしめている。
しかし、これに対応すべく、米軍は韓国の群山 (クンサン) 空軍基地の F−4を発進しようとしたものの、装備の問題から発進に手間取り、 救援に駆けつけることができなかったとのことである (Wikipediaより)

なお、返還された 旧上瀬谷通信施設跡地の広さは 約242ha (内訳は 国有地:約110ha、民有地:約110ha、市有地:約22ha) あり、これは 東京ドームの 51.5個分に相当する。

横浜市ではこの跡地の利用に関し、この広い土地に 『農業振興ゾーン』『観光・賑わいゾーン』『物流ゾーン』『公園・防災ゾーン』 を形成し、 「環境と共生した郊外部の新たな活性化拠点を作り上げる」 としているのだが、果たしてどうなることやら・・・。
そうそう、上記の跡地利用に加えて、横浜市は 2027年の 国際園芸博覧会 (いわゆる 『横浜花博』 をこの土地で開催すべく活動を展開している。

なお、今回は 午後遅くに散策したため、太陽の位置を考慮して、 いつもとは逆回りとなる 旧上瀬谷通信施設跡地の方から回っている。


小生の家から住宅地を 15分程 東の方向に進むと、県営の細谷戸団地があるが、 旧上瀬谷通信施設の跡地は、その細谷戸団地の北側に位置している。

細谷戸団地の北端を東西に走る道路 (写真) に入ると、左手に広い野原が広がっているのが見える。
ここが 旧上瀬谷通信施設の跡地で、少し前まではこの野原に人々が畑や花壇などを作っていたのであるが、今は写真のように 南関東防衛局によって管理柵が巡らされ、 立入できるエリアはかなり限定されている。

写真 右側の塀は、細谷戸団地。

道路を進み (東に進んでいることになる)、右手の細谷戸団地が途切れると、 写真のように右手にも野原が広がるようになり、その広さに圧倒される。
首都圏に属し、日本を代表する港湾都市である横浜に、このような広々とした空き地が残っていることに驚いてしまう。
なお、正面に見えるのは 『瀬谷市民の森』

すぐに舗装道は終わりとなり、ゲートが現れるので、ゲート前を左に折れて草地の中の砂利道に入る。
ゲートにて侵入できない方にも道があり、以前はそこをまっすぐに進むことができて、そのまま 『瀬谷市民の森』 を通って瀬谷高校へと抜けられたのだが、 今はこのゲートのある場所から 『瀬谷市民の森』 に入るにはかなり遠回りせねばならない。

写真は、道の右手に広がる草原。
先の方に 一里山ゴルフセンターのネットが見えている。

この草原も少し前までは畑や家庭菜園 ? が広がっていたのだが、今は立入が禁止され、 草が伸び放題になっている。

ここを管理しているのは 南関東防衛局で、時々 巡回のための車に出会うことがある。

砂利道を進む。
正面に見える森は 程ヶ谷カントリー倶楽部で、よく見るとグリーンの一部が確認できる。
実際は、この砂利道は 丁字路にぶつかり、その先に草地、さらに車道があって、カントリー倶楽部はその車道の向こう側になる。

余談であるが、この程ヶ谷カントリー倶楽部は、1922年に発足した、 日本人用としては国内初となる 18ホールを備えたチャンピオンシップコースなのだそうである。
入退場時にはジャケットまたはこれに類する上着 (ブルゾン・ジャンパー類は不可) の着用が義務づけられており、 小生が若い頃にプレーしていたゴルフ場とは歴史、格式、品位が数段違う名門ゴルフ場なのである。

この砂利道は、この先で丁字路にぶつかると上述したが、そこに行く前に十字路が現れるので、 そこを左に曲がる (どちらも未舗装)
なお、右に進めば、『瀬谷市民の森』 の入口に出ることができる。

左に曲がって少し進むと、前方左手に建物が見えてくる。
旧上瀬谷通信施設の一部と思われるが、柵やフェンスで囲まれていて中に入ることはできない。
この先、その建物の一部を間近に見ることができるが、そちらは倉庫のようである。

さらに道を進むと、左手に奇妙な建造物が見えてくる。
一見してトーチカ (コンクリートなどの掩蓋 (えんがい) によって堅固に保護された機関銃座あるいは小口径の砲座) のように思えてしまうが、 陸上戦が生じるような場所ならともかく (ノルマンディに上陸する連合軍を迎え撃つドイツ軍のトーチカなどのように)、このような場所でのトーチカは考えがたく、 例えトーチカであったとしても 1つだけということはないはずである。

また、ここが旧日本海軍の航空廠瀬谷補給工場だったため、空爆に対する高射砲が設置されていたとも考えられなくはないが、 それにしては小さすぎるし、貧弱である。
ネットで調べても、『謎の構造物』 とあるだけである。

なお、後方に見える建物は 細谷戸団地。



鎌倉散策データ
上記の散策データ 登山日:2020.6.2 天候 : 晴れ 一人 散歩
散策路 : 自宅−細谷戸団地−旧上瀬谷通信隊跡地−横浜やすらぎの郷霊園横−保土ケ谷カントリー倶楽部−野境道路− 旭斎場・横浜メモリアル裏手−妙法院−帷子川支流−矢指市民の森入口−矢指市民の森−カヤ場−追分市民の森−上川井市民の森−瀬谷市民の森−泉川源流−旧上瀬谷通信隊跡地−細谷戸団地−自宅
交通往路:なし (徒歩のみ)
交通復路:なし (徒歩のみ)

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