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後は順調に往路を戻る。
日曜日のため、関越自動車道が渋滞になるのは必至なので、あまり早く下山しても渋滞に巻き込まれるだけと考え、
ユックリ下ることにする。
明日は月曜日であるが、仕事のこと、帰宅時間のことを考えないで済むのがありがたい。
写真は前駒付近より、小倉山へと続く尾根を見下ろしたもの。
小倉山は写真 中央の高みで、小倉山から右に延びる尾根は、道行山、明神峠を経て、枝折峠への道となっている。
駒の湯山荘への下山道である小倉尾根は、小倉山の後方にあるため見えない。 |
写真は、
駒ノ小屋が建つ高みの右下にある雪渓に アルファベットの 『 D 』 の文字が見えていたのを撮ったものである。
この 『 D 』 の文字は、越後駒ヶ岳への登りの時から気になっていたため、先程の小屋番の方に確かめたのだが、
自然にできたものであろうとのことであった。
写真では 雪渓が急斜面になっていることが分かりにくいが、実際はかなりの傾斜地であり、
雪渓上部にロープを固定しない限り人為的に作成することは難しいと思われる。
偶然とは言え、自然の為せる技に大いに感心させられたのであった。 | |
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下山時、かなりの晴天になったこと、また太陽の位置が南になったことにより、今朝ほどは見えなかった (あるいは見えていても霞んでいた) 東側の山が、
良く見えるようになってきた。
荒沢岳の他、未丈が岳 (写真) も良く見える。
未丈が岳は越後駒ヶ岳山頂からも見えていたのだが、
バックにある山の方が高く見えて、その山に紛れ気味であった。
こちらの高度が下がると、写真のように未丈が岳がせり上がり、その姿がよく見えるようになる。 |
反対に、
越後駒ヶ岳の方は逆光気味である (写真は 小倉山手前にて)。
雪渓を登り、小倉山を 14時3分に通過する。
小倉山から見る越後駒ヶ岳は、逆光気味の中、雪の斜面が日の光に輝いて、一層眩しく見えたのだった。
小倉山からの下りは、結構キツイ。
濡れた岩で足下が滑る鎖場では、鎖にしがみつくようにして下る。
鎖が泥だらけになっているので、握るのが少々躊躇われたが、滑る岩場で足場を探しながら下るなので、
贅沢は言っていられない。 | |
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下る途中、今度は後方にあった浅草岳が隠れるようになったため、毛猛山塊がよく見えるようになってきた。
写真のように毛猛山 (写真 中央) はなかなか魅力的な形をした山である。
この山は無雪期に登るのは藪漕ぎ等で少々面倒なようで、残雪期にチャレンジされていることが多いようである。
14時38分、今朝ほど休んだ場所に到着する。
この後 あまり良い休憩場所はないことから、ここで休憩とする。
先程も述べたように、天候の状態、太陽の位置関係から、周囲の山々は今朝ほどよりもハッキリ見え、大湯温泉街も良く確認できる。
10分程休んで下山開始。 |
その後も結構長い下りが続き、
よくもまあこんなところを登ってきたものだと感心する。
途中、左手樹林越しに越後駒ヶ岳方面が何回か見えたのだが、
見る度に背景の雲の量が増え、最終的には今朝ほど同じく、
その山頂付近は雲に囲まれてしまったのであった。
モリアオガエルの生息地を 16時13分に通過。
そして吊橋を 16時36分に渡り、登山口および駐車スペースには 16時37分に戻りついたのだった。 | |
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登る際、駐車スペースには 7〜8台の車が駐まっていたが、今は小生の車のみである。
駒ノ小屋に数名が泊まるようであったが、その人達の車はどこにあるのであろう。駒の湯山荘であろうか。
本日は快晴の確信を得て久々に
越後駒ヶ岳に登ったものの、
最初は雲が上空ならびに越後駒ヶ岳を覆い、裏切られた気分になったのだった。
しかし、最終的に山頂では快晴となり、 大いに楽しめた山行であった。
道間違いをしてしまい、下調べを怠たってはいけないこと、
思い込みで行動してはいけないこと等 を改めて学んだ山行でもあった。
道間違いでロスした 30分余りの時間が登山に影響せず、本当に良かったとつくづく思う。 |