レトロな町並み32−宮島・広島


[2018年5月更新]
 出張で広島市内を訪れ、久しぶりに散策しました。広島駅から広島市電で約10分、紙屋町西駅で下車し、原爆ドームや相生橋、太田川沿いの平和公園対岸を散策しました。欧米系の外国人観光客が団体、個人含めて相当数おられるのが印象的でした。また、これまで訪れたことのなかった2つの建造物を発見し、立ち寄ることができました。
 また、夜は広島市電で少し足を延ばして、
宇品の日帰り温泉に立ち寄りました。

     広島市電  平和公園
   原爆ドーム    袋町小学校平和資料館
  
 袋町小学校平和資料館     旧日銀広島支店

【袋町小学校平和資料館】
 広島市電の本通駅に近い、市内中心部の袋町小学校には平和資料館があります。爆心地から460メートルの位置にある袋町尋常高等小学校は、原爆によって木造校舎はすべて倒壊・全焼し、唯一鉄筋コンクリート造だった西校舎だけが外郭のみ原型をとどめたと言われています。この被爆した西校舎の一部が保存されているもので、往時の資料やパネルが展示されています。

【旧日銀広島支店】
 袋町小学校から原爆ドームへ向かう途中、広島市電の袋町駅近くに昔ながらの重厚な建造物を発見しました。原爆を乗り越えて保存されている建造物がここにあることを知りませんでした。昭和11年(1936年)9月に、現在地である中区袋町に新築された旧広島支店の建物は、昭和初期を代表する希少な歴史的建築物です。爆心地からわずか380mという近距離でありながら、建設当時の姿を現在もほぼ残しています。被爆時に1階と2階はよろい戸を閉じていたため、内部の大破を免れたが、3階は開けていたため全焼し、多くの方々が亡くなったと言われています。被爆当日は、食堂などが負傷者の収容所となり、翌々日には、早くも銀行の支払い業務が開始され、被災した市内金融機関の仮営業所が設置されたと言われています。
 その後、日銀広島支店が移転した後、旧広島支店は、平成5年(1993年)6月に、「旧日本銀行広島支店」として被爆建物台帳に登録され、平成12年(2000年)7月に、広島市の重要有形文化財に指定され、現在一般公開されています。


[2017年2月更新]
 数年ぶりに広島を訪ねました。

縮景園       広島城からの眺望
   広島城 広島城・大本営跡    原爆ドーム
  
原爆ドーム   相生橋と市電    広島市電

【縮景園】
 1620年に広島藩主浅野氏により別邸として造られ、以降拡張していったと言われています。原爆により荒廃した後、復興して現在に至っており、大正時代からは一般公開されているとのことです。広島駅と広島城の中間にあり、広島駅から徒歩10分強、広島城へも徒歩圏内の場所にあります。紅葉の名所としても知られ、ちょうど11月下旬のもみじまつりの時期に訪れました。紅葉が見頃の美しい園内を散策しました。七五三や婚礼の記念撮影のため、着飾って園内でカメラマン同行で撮影中のグループが複数見られました。

【広島城】
 1589年に毛利輝元により築城開始し、1599年に完成したと言われています。その後、福島正則が整備し、徳川幕府へ事前無届けで普請したとして改易された後、浅野氏が入城し、その後12代にわたる統治の本拠となり、広島は城下町として発展しました。明治以降は軍事拠点として、師団司令部等の施設が置かれ、日清戦争時には大本営も設置されたとのことです。太平洋戦争時まで現存した天守閣等が、残念ながら原爆により倒壊炎上した後、1958年に現在の天守閣が再建されています。敷地の一番北西に天守閣があり、一番南には二の丸があり、天守閣の近くには旧大本営跡があります。天守閣内には、広島の歴史等が展示陳列されており、最上階からは市内を眺望することができます。

また、再び原爆ドームを訪ねました。

【原爆ドーム】
 原爆ドームは、1945年8月6日に米軍により、広島市に投下された原子爆弾の惨禍を今に伝える被爆建造物です。この建物は、1915年(大正4年)に広島県物産陳列館として竣工したと言われています。煉瓦造りの3階建て、正面中央部分は5階建て、その上に銅板の楕円形ドームのある欧風建築で、広島の名所となっていたとのことです。1921年(大正10年)には広島県立商品陳列所、1933年(昭和8年)からは広島県産業奨励館と改称されました。

【平和記念公園】
 江戸時代から交通の要衝として栄えていた広島の中心・中島地区が、1945年8月6日の米軍による原爆投下により、一瞬にして消失したと言われています。その後に1954年(昭和29年)に平和記念公園が造られました。公園の南端には、広島平和記念資料館、広島国際会議場があります。

【広島市電】
 6つの市内路線と宮島線があり、総延長35キロと輸送人員では路面電車日本一と言われています。宮島、宇品港や平和公園等、市内主要エリア殆どに市電で行くことができます。市中心部の紙屋町東から広島駅に近い稲荷町までと、広島駅から広島宇品港までの2回市電に乗車しました。原爆による戦災にも負けず、市民の足として活躍し続けた広島市電は、現在も重要な交通手段として活躍しています。


 日本三景としても知られ、1,400年の歴史ある厳島神社がある宮島と、広島を訪ねました。


宮島・厳島神社
夜の厳島神社 宮島・紅葉谷公園 宮島ロープウェイ
宮島・弥山からの眺望 宮島・千畳閣と五重塔 広島・原爆ドーム

【厳島神社】
 
厳島神社は、6世紀に創建され、12世紀に平清盛の援助により、廻廊で結ばれた海上社殿が造営され、広く知られるようになったと言われています。約275mの廻廊が結ぶ社殿は、平安時代の寝殿造りの様式を取り入れ、荘厳で美しい姿を今に伝えています。また、海の干潮により、鳥居まで歩いて行ける時間帯と、満潮により神殿や鳥居が海に浮かぶように見える時間帯があり、自然との何とも言えない調和が感じられます。さらに夜はライトアップして、幻想的な雰囲気になります。1996年に世界文化遺産に登録されています。

【紅葉谷公園】
 弥山の麓、紅葉谷川に沿って、紅葉谷公園という美しい庭園が広がっています。公園内には鹿が多数おり、宮島の美しい自然を味わいながら散策ができます。厳島神社から歩いてすぐのエリアにあります。この公園エリアにある、昔ながらの和風建築の老舗旅館「岩惣」の離れに宿泊しました。
→レトロな日本旅館のある温泉「宮島の温泉」へのリンク


【弥山(みせん)】
 紅葉谷公園から徒歩で
宮島ロープウェーの紅葉谷駅まで行き、ロープウェイで弥山へ登ることにしました。紅葉谷駅から榧谷(かやたに)駅までは、循環式のゴンドラで約10分、ここで大きな交走式のゴンドラに乗り換えて、獅子岩駅まで約5分の空中散歩になります。獅子岩駅からも瀬戸内海の美しい眺望を楽しむことができますが、ここからさらに、歩いて30分、標高535mの弥山の山頂まで登りました。結構ハードな登りになりますが、山頂からの眺望はさらに素晴らしく、瀬戸内海の島々を眺めました。また、弥山のあたりの原始林は天然記念物に指定されており、原始的な植物を自然のまま見ることができるエリアのようです。


【千畳閣(豊国神社)】
 豊臣秀吉が戦没者のために、安国寺恵瓊に建立を命じたが、秀吉の死により未完成のまま現在にいたっている木造の大経堂と言われています。 明治時代に秀吉と加藤清正が祀られ、豊国神社となったと言われています。未完成とは言え、桃山時代の雰囲気が偲ばれる重厚な木造建築となっています。また、千畳閣の隣に建つ
五重塔は、高さ27.6m、15世紀に建立されたと言われている美しい和様・唐様折衷の建築様式の建物です。


【原爆ドーム】
 宮島からの帰路、広島の
平和祈念公園と、原爆ドームを訪ねました。原爆ドームは、1996年に世界文化遺産に登録されており、1915年に開館した広島県物産陳列館(のち広島県商品陳列所、産業奨励館)が1945年8月6日の原子爆弾被爆を経て、平和のシンボルとして保存されています。平和祈念公園の中にある、広島平和記念資料館を見学し、戦争・原爆の悲惨さと平和の大切さを改めて強く感じました。


なお、宮島・広島と併せて、江田島・呉も訪れていますので、併せてご参照ください。
→レトロな町並み「江田島・呉」へのリンク

また、行き帰りは、東京から岡山まで寝台特急サンライズ瀬戸・出雲に乗りました。
→レトロな列車旅「夜汽車への誘いPART4」へのリンク



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