レトロな町並み3−江田島・呉

大講堂 大講堂と
幹部候補生学校
幹部候補生学校
教育参考館 第一術科学校の校内 海軍カレー

【2012年9月更新】[NEW]
 8年ぶりに広島・江田島を訪れ、海上自衛隊の第一術科学校(旧海軍兵学校)を見学しました。今回も設定されている一般見学ツアーで校内を見学しました。見学後、館内のレストランで海軍カレーの昼食をいただきました。
昨年末に公開された映画「山本五十六」を鑑賞し、太平洋戦争に関する振り返りがされている時期だけで、新たな気持ちで見学し、往年の姿に思いをはせるとともに、風光明媚な江田島の海と自然に触れて帰路につきました。


江田島・旧海軍兵学校(幹部候補生学校)

江田島・旧海軍兵学校(幹部候補生学校)

江田島・旧海軍兵学校(大講堂)

呉入船山記念館

旧海軍兵学校(幹部候補生学校) 旧海軍兵学校
(大講堂)

呉・入船山記念館

 呉は戦前まで鎮守府が置かれ、江田島は海軍兵学校が置かれ、いずれも海軍の重要拠点であった町です。この2つの町を訪れました。広島からフェリーで 江田島へ渡り、旧海軍兵学校を見学した後、車で音戸大橋を渡り、呉へ戻り、呉市内を見学し、広島へ戻るというルートを日帰りで回りました。

[江田島]
 広島・宇品港からフェリーで約30分(高速船で約15分)の江田島町は、瀬戸内海に 浮かぶ風光明媚な小さな町です。ここには、海軍兵学校の往年の建物がそのまま保存され、現在もは海上自衛隊の第一術科学校、幹部候補生学校として現役で活躍しています。 1日3回[10:30,13:00,15:00](土日祝日は4回[10:00,11:00,13:00,15:00])一般見学が設定されており、 開始時間の30分前から見学を受け付けており、この見学に参加しました。夏休み中と あって、子供連れの家族参加が多く、とても賑やかな中、現役自衛隊員の方が丁寧に案内をされました。広い敷地内にある以下の3つの建物を約1時間30分 かけて回ります。敷地内には見学者も利用できる土産物売店やレストランもあり、このレストランで、ボリュームある洋風の「海軍定食」を昼食として食べました。

(海軍兵学校の歴史)
海軍兵学校は明治21年(1888年)8月、東京の築地から江田島へ移転しました。以来、世界3大兵学校として世界に名を知られ、太平洋戦争 終戦により1945年12月に歴史を閉じるまで、約60年に亘り人材を輩出してきました。戦後は昭和31年(1956年)に連合軍から返還されて以降、海上自衛隊の術科学校、 幹部候補生学校として、施設は継続使用されてきました。
(大講堂)
1917年建築の煉瓦石造の大講堂。瀬戸内産の御影石で造られています。見学コースになっている広い館内は、大変重厚で荘厳な雰囲気です。 かって卒業式により、ここから巣立っていった海軍将校達の姿が偲ばれます。現在も入学式・卒業式等で使われているとのことです。

(幹部候補生学校)
1893年に海軍兵学校生徒館として造られた赤煉瓦の建物は、現在は海上自衛隊の幹部候補生学校として活躍しています。赤煉瓦がとても美しく、 往時そのままの重厚な建物は、大変美しく、その前にいるとタイムスリップした気分になります。

(教育参考館)
1936年に建築された鉄筋コンクリート造りの教育参考館は、東郷平八郎元帥、ネルソン提督、山本五十六元帥の御遺髪、海軍将校の書、特攻隊員の遺書や1万点 を超える歴史的資料が保存されています。御遺髪室へつながる館内の階段には赤絨毯が敷かれ、非常に厳粛な雰囲気に包まれています。館外の敷地内には、真珠湾攻撃で使用された特殊潜航艇、戦艦「大和」 の主砲砲弾、戦艦「陸奥」の主砲が展示されています。

[呉]
 広島から車で約40分、瀬戸内海に面した呉市は、現在でも造船所が立ち並び、 重厚な雰囲気の港湾都市ですが、かっての軍港の町の足跡は、市内にある入船山公園に残っていました。往年の鎮守府司令長官の官舎が入船山記念館として 小高い山の上に保存されています。正面が英国の邸宅のような美しい欧風建築、その奥が日本の昔ながらの木造民家のような美しい和風建築と、洋と和のそれぞれ の美しさが見事に調和した、美しい建物です。公園内は緑も多く、往年の海軍幹部がこの地で何を考え、どのような生活を送っていたのかに思いを馳せてみました。




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