札幌市狸小路10丁目ひょうたん横丁つれづれ日録
            

     2001年10月

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 10月30日(火)
 会期最終日の尾形香三夫展へ(大同ギャラリー=中央区北3西3、大同生命ビル3階)。
 相変わらず、精緻な練上げ文様にはため息が漏れる。
 とくに「練上幻化陶板 眩暈」は、陶のオプアートとでもいうべきおもしろさ。と思ったら、ほんとにたわんでました。
 尾形さんは石狩管内新篠津村在住。

 訃報です。
 空知管内栗山町の陶芸家、石坂勝美さんが亡くなりました。62歳でした。
 近年、栗山にはさまざまな方がアトリエを開いてますが、そのはしりともいえる方でした。
 「樹林文」を基調にした、やさしい風合いの器を作っていました。ご冥福をお祈りします。

 畑俊明展について「よくわからん」と書いたら(23日)、畑さんからメールが届いたので紹介したいと思います(ほんとはメールじゃなくて、掲示板に書き込んでほしかったんだけど、まあそれはそれとして)。原文どおりです。

〈水盤はフラットでその中に水を高さ5cmほど入れてあり、写真を沈めてました。写真が浮いたり沈んだりしてたので、端ッこが高くなっているように見えたかもしれません。それから水の中に沈んでいたのは布ではなく、鉛の板なのです。
 スライド写真はニューヨークのものが多く、それに中米、南米、東南アジアのものが含まれています。ただ自分が行った所の人を並べたのではなく、いろいろな人種がランダムに映るようにしています。 僕のコンセプトの一つとしてボーダレスというのがあり、人種や文化というのは今後加速度的にミックスしていくだろうというのがあります。そしてその混合の度合いがこれからのその国の個性になっていくと思っています。
 地球上には人、自然(動物を含)、人工物というものがあって、今回は人と人工物の関係を表現できればと思いました。対比して表現するというのが僕の表現の特徴です。いろいろな人種の顔140名余とプラントの巨大写真を対比的に表現しようと考えました。ギャラリーにある椅子に座った時にプラント写真の水面にスライドの顔が反射するように設置しました。その関係性を見る人がそれぞれに感じ取ってもらえればというのがありました。 
 私としては作者の意図した一端でも感じ取ってもらえればというのがあります。美術作品は感覚的なものであり、作者から説明を聞かない限りコンセプトを正確に読み取ることは難しいと思います。説明的な作品や物語りのある作品はファインアートとしてはつらいものがありますし。
 それ以前に、コンセプトがわからなくても視覚的に強く訴えかける何かがないと視覚芸術としてはつらいものがあるのですが。
 美術作品におけるコンセプトとの関係の難しさをいつも感じています。
 今回の展覧会では写真をやっている人たちが興味をしめされたケースが多く、こういう展開の仕方もあるのかと何人かの写真家に言われました。
 これからも精力的に制作を展開していくつもりです。〉

 10月29日(月)
 藤田真理展を、クレセール・アートバーグ(中央区大通西9 札幌デザイナー学院)で見ました。
 1996年、多摩美大卒ですから、若い作家です。どこに住んでいるのかは分かりませんが。
 作品は、どれも抽象画です。
 DMに写真が載っていた屏風状の作品は、じつはサイズがかなり小さめでびっくりしました。
 「あまだれ」と題された、高さ1・8メートル、幅0・9メートルのキャンバス3枚からなる作品は、緑の地の上に激しいタッチの赤い線が縦に何本も走っているもの。濃い緑の線も影のように走っていて、補色関係にある赤と緑がぶつかりあうとともに、前進色の赤と後退色の濃い緑が、微妙なイリュージョンを画面上でつくっていました。
 9日まで。
 ところで、デザイナー学院のエントランスには「オットマンカフェ」なるおしゃれなカフェがあるのですが、まだ一度も利用していません。画集とか、けっこうありそうなんだけど。

 「東京ばたばた日記」、長内さゆみさんの名前、一部の言い回しなどちょこちょこ手直ししました。「表紙に戻る」リンクも貼りました。
 なにせあれだけの分量ですので、まだおかしなところがありそう。読んだ方は遠慮なくおっしゃっていただけると助かります。

 けさの朝日新聞、アラブ文学者の岡真理さんの「なぜ遠いパレスチナ人の死」を読んで、感動しました。
 パレスチナ人は、1976年にはベイルート郊外のタッル・ザアタル難民キャンプで4000人が殺され、82年にはサブラーとシャティーラの両キャンプで、イスラエルに支持されたレバノン右派に2000人が殺害されている。にもかかわらず、それらは今回の米国でのテロのように、世界の人々に記憶されることがない。この、圧倒的な不均衡。
 「パレスチナ人の経験が、あくまでも「彼らの」出来事として、私たちが記憶すべき人間の歴史の外部に、闇のなかに暴力的にとどめおかれるかぎり、その暴力は別の形で私たちのもとに必ずや再帰してくるだろう」

 10月28日(日)
 大寝坊。完全休養日とさせていただきました。
 なにせ、1日ゆっくり家にいたのは9月16日以来。「来客なし」となると、8月にさかのぼるのです。
 まあ、自分の好きなことやってるんだから文句は言えないけれど…
 しかし、見に行けずじまいの展覧会が大量にあり、心苦しい限りであります。
 フルタイムで働いているんだから−と、自分に言い訳してみるのですが…。

 「東京ばたばた日記」は、村上隆展などの3ページ目に続き、横浜トリエンナーレなどを書いた4ページ目でいちおう完結です。
 10月27日(土)
 子どもを小児科に連れて行ったり、来客があったりで、とうとう「佐藤武展」「中谷有逸展 大地の神シリーズ」「盛本学史展」は見に行けずじまい。DMを下さった作家のみなさん、どうもすいませんでした。
 最近は、ギャラリー回りの記事なら、アートスペース201の掲示板の方が詳しいような気がするな。akaさん、筆者の代わりにがんばってくだせい。

 「東京ばたばた日記」は、2ページ目を終え、3ページ目に突入です。
 10月26日(金)
 「東京ばたばた日記」は、ようやく土曜の午後2時まできました。やはりウイークデーにたくさん書くのはむずかしい。この週末に何とかやっつけるつもりです。
 10月25日(木)
 きのうは、仕事などで遅くなり更新をさぼっちゃいました。すいません。

 さいとうギャラリー(中央区南1西3、ラ・ガレリア5階)で、渡會純价「音のメモワール」展が開かれています。
 1998年1月から昨年6月まで、月刊誌「道新TODAY」の表紙を飾った、カラフルかつリズミカルな作品です。
 渡會さんといえば、銅版画ですが、これは孔版画。ようするに、プリントゴッコです。
 ハープをひく女性、弦楽四重奏など、音楽を題材にしたものが多いですが、いろんな要素をちらばめた、楽しい絵になっています。
 「表紙、ということを意識して、明るくなるように気をつけましたね」
 ま、ニュース雑誌だから上半分には「スクープ!」なんて文字が躍っているわけで、そのぶん明るく華やかな絵柄にしなくては…ということなんでしょう。渡會さんのプロ意識を見た思いです。
 道新から、5作ずつ5セットにして各6万円だかで売り出すそうです。お早めに。

 同ギャラリーでは、元木弘子・雪ノ浦裕一 陶二人展も開催中。
 元木さんは空知管内南幌町在住。ユーモラスな形のオブジェが目を引きました。雪ノ浦さんは盛岡在住で、粉引の器など。
 
 お隣のスカイホール(中央区南1西3、大丸藤井セントラル7階)では釧里窯 高橋義信作陶展
 タンチョウの絵付けが特徴です。皿にも壷にも書かれていて、分かりやすいです。

 いずれも、28日まで。

 きょうの道新の夕刊「まど」は、D.HISAKOさんの話でした。
 「D」とは、死別した「ダーリン」の頭文字だったんですね。
 彼女の絵はどこか寂しい死の影を引きずっているように思っていましたが、うーん、人にはいろんなドラマがあるものです。

 10月23日(火)
 きょうで終わりの橘井裕 鉄の彫刻展を見に、大同ギャラリー(中央区北3西3、大同生命ビル3階)へ。
 6、7月の全道展では、巨大なインスタレーションふう作品が会場入り口に置かれ、来場者を驚かせたものですが、今回はそれに比べると小さめの彫刻が20点あまり。入って左側のほうには、錆びかかった鉄材で作った「人」のシリーズや、「H・Tの壁」などがあります。てんびんを手にして目隠しをした人の形に見える「テミス」は、ギリシャ神話か何かに由来しているのでしょうか。
 右側の方には、トンボの形をした作品が並びます。アートスペース201のHPの掲示板でakaさんが書いていた通り、ちょっとババッチさんの作品に似ているかも。

 this is gallery(南3東1)では、畑俊明展
 床に、3メートル×2メートルはあろうかという、巨大な写真が置かれています。工場のプラントを、裏焼きしたモノクロ。端っこがやや高くなっているようで、水がたまっています。会場が暗くてよく分かりませんが、ガラス板や布なども置かれているようです。
 いっぽう、ギャラリーの壁には、以前南米を旅行したときに撮影したという人々のスナップ写真がスライドで2枚ずつ、何秒かおきにカシャカシャと投影され続けています。モノクロのスライドフィルムというのは存在しませんから、ネガフィルムからスライドをこしらえたのでしょう。
 しかし…。何が言いたいのかはよく分かりません。でかい裏焼き写真はなかなか迫力がありますが。
 27日まで。

 「東京ばたばた日記」の執筆を始めたのはいいけれど、12・3キロバイト書いてまだ二紀と自由美術のみ。1日目の午前11時にもなっていない。先が思いやられます。
 きのうは、表紙の更新の日付を間違うし…。やれやれ。

 10月22日(月)
 ふつうのサラリーマンに近い勤務時間の筆者にとって、ギャラリーが午後6時で閉まるのか、それとも7時まで開いているのかは、非常に重要な問題です。さいきん、ギャラリーたぴお(中央区北2西2、林教司個展道特会館)が、7時閉廊の場合が多くて助かります。
 たぴおで始まった林教司−FGOPPE−は、林さんが油彩に取り組んでいた時代の1975年に描いた「FGOPPE」と、今年の新道展に出した同じ題の立体を、会場に並べています。
 今年の立体は、炭住を解体して出た木材を三本束ねて鉄板で巻き、腐食させたもの。古びた表面が、時の海を行く小舟のようです。
 四半世紀を隔てた作品を並置したことについて林さんは
「求めていることは昔から変わらないなあって思いました」。
 床には白い紙が敷かれているため、新道展のときとは変わった雰囲気。ほかに、鉛筆のような黒鉛を塗りこめた、円形の立体作品などが出品され、会場はモノクロームを主体にした重厚な感じです。
 27日まで。

 丸井今井(南1西2)の大通館8階アートサロンでは、高橋英生個展が開かれています。
 28点が展示されていました。会場が百貨店とあって、大半が小品です。
 今回の出品作は、大きく3つの系列に分けることができると思います。
 1つは、従来どおりの静物画。花や花瓶などを、平面的に配置しています。黒でかなりの面積を覆い、ほかには赤、白、黄など少ない色数を効果的に置いています。
 2つめは、9月にギャラリー市田で開いた個展の作品のように、野の草や花をモティーフにした、静謐さをたたえたもの。日本画を思わせる白っぽい緑が特徴です。
 そして3つめが、パリや南仏の風景画です。
 これまでも高橋さんの静物画には、フランス語の落書きのある壁などが導入され、そこはかとないパリの薫りを漂わせていることがありました。しかし、今回は、比較的、現実の風景に近いようなのです。「赤のある風景」では、近景に数本の幹を配し、「リュクサンブル公園」では黄葉の並木が画面奥へと続く構図をとるなど、これまであまり見られなかった、遠近法の大胆な導入が目立ちます。
 たしかに、色彩にはこれまでの高橋さんらしさがあります。人も車も描かれていない画面は、「本物のパリよりもパリ的」という形容があたっている画面です。が、構図的には、ふつうの絵に近づいてきたということがいえるのかもしれません。
 札幌在住。24日まで。

 となりでは、古家智子(ふるや・さとこ)作陶展が開かれています。
 古家さんは帯広在住、北海道陶芸会の会員です。
 会場が百貨店なので、出品作は器が中心ですが、灰釉が軽快な印象を与えます。
 「オブジェ(春の息吹)」と題された作品は、貫入のような表面の模様と、萌黄色のグラデーションが、かつて全道展に出品していたころを想起させます。

 あー、きょうは疲れたので、まだ東京日記はアップしません。ごめんなさい。

 10月21日(日)
 突然、東京・横浜に行ってきました。
 ひたすら美術展を見る(さいきんの言葉で「見倒す」)旅でしたので、首都圏方面の方には義理を欠いたことを、この場を借りておわびしておきます。
 脚が棒になって、ぞうきんのようにくたびれておりますので、詳しくは明日から少しずつ書いていきます。
 いちおう予告しておくと、
 ▼二紀展▼自由美術展▼独立展▼創画展▼MOMA展▼小川マリ▼安田侃▼カラバッジオ展▼手探りのキッス―日本の現代写真▼川俣正▼高橋三太郎▼イタリア美術の100年▼村上隆
 ▼キリンアートアワード▼横浜トリエンナーレ

 10月18日(木)
 時計台ギャラリー(中央区北1西3)のB室で、12th DON/呑展を見ました。
 札幌の大林雅、小林敏美、桜庭恒彌の3氏によるこの展覧会、毎年秋に開かれています。
 桜庭さんは、茶系の地に丸みを帯びたフォルムの半抽象画「土偶」など。やわらかみのある絵です。
 小林さんは、「ヤマトタケルの凱旋」が目をひきました。左半身に緋の布をまとった裸の男が、能などの面を左右につけ、さらに腰にも三つぶら下げて、歩いてきます。その意図するところはよく分かりませんが、日本神話をどこか皮肉っぽい手つきで表現した絵というのは、意外とほとんどないように思います。
「肖像権シンドローム」は、小泉首相とおぼしき人のシルエットがモティーフで、実際に首相をめぐって肖像権の話題があったようには聞いてはいませんが、風刺的なにおいの漂う作品です。
大林雅「憤」 さて、大林さんですが、となりのC室で、個展が開かれていたので、まとめて書きます。
 大林さんの絵は、人体とも宇宙生物ともつかぬ不思議な物体に満ちています。いや、皺のよった鍾乳洞というか、干からびた腸管の拡大写真というか、ことばではうまく言いあらわせないので、左の写真をご覧ください。これは「憤」と題された小品です。
 ほかにも「有象無象」「沈溺」といった作品があります。
 「わりと一気に書いてしまわないと、最初のイメージが逃げちゃうのでダメですね」
と言いながら、最初のイメージはかいているうちにどんどん変わってしまうのだそうです。
 いずれも20日まで。

 仕事が終わって、タクシーで(!)札幌市写真ライブラリー(中央区北2東4、サッポロファクトリー・レンガ館3階)で、AZUMA組写真展を駆け足で見ました。やっぱり良かった!
 毎年、東川で行われている写真フェスティバルをきっかけに誕生したグループ展ですが、意欲的な作品が多く、楽しめました。詳しくはこちら

 19、20日は、更新を休む予定です。たぶん。

 昨日の北海道新聞夕刊にのった辺見庸さんの文章(東京、中日、西日本の各紙にも掲載されたはず)は、米国のアフガニスタン空爆を非難して激越でした。たしかに、米国といえど、無差別に爆撃していい権利はどこにもないはずで、一度これくらいのことをきちんと主張する人がいなくてはならなかった−と思います。

 
 10月16日(火)
 札幌芸術の森の紅葉秋ですね。
 通勤のバスの車窓からも、秋の気配が伝わってきて、なぜか、画家・伏木田光夫さんの口癖「地上は去り難く美しい」が思い出されるのです。

 昼食をとらないまま、気が付いたら夕方になっていました。
 札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3)で開催中の、森弘志展を見に行ったら、伏木田さんと、今年の独立展で奨励賞になった木村富秋さん夫妻がおられました。
 森さんは、十勝管内新得町在住。ものすごい腕っこきですが、それだけではない、とてもとらえどころのない画家だと思います。それと同時に、「絵画とは何か」「この時代に平面をかく意味とは何なのか」を、道内ではもっとも根源的に考えて森弘志展の会場風景いる画家のひとりであることが確実だという予感は、はじめて作品に接したときからあったのです(ぜんぜん根拠なんてないんだけど)。
 ただ、1998年、道立帯広美術館の企画「十勝の新時代」で個展を開いたときには分からなかったことで、今回の個展で気が付いたことがあります。森さんの絵は、いつも途中経過で、完成しないのです。
 それは、もちろん、踏ん切りが悪いとか、そういうことではなくて、絵が、思索の過程そのものであるのです。
 たとえば、今回出品されている「川の中のもう一本の川」という、三つの部分からなる作品は、97年からかき始められています。添えられたキャプションによると、テーマは「垂直、水平、直線を一切入れない」ことの由。金箔や緑など、同じ色彩配分で、どうしてルネッサンス調に見えたり、桃山時代ふうに見えたりするのか。この絵は、その思索の実験場でもあります。
 テンペラの小品もいくつか出品されています。そのうち1点は、描かれてからじつに15年も屋外に放置され、風化したものです。画面は、ルネッサンス時代のもののように、古びています。
 伏木田さんはしばし黙って森さんの絵を眺めていました。ふたりは、ともに、時間というものに関心があるのだと、筆者は思います。ただし、そのベクトルは逆です。ともすればすぐに移ろってしまう時間に伏木田さんは急いで追いつこうとするのに対し、森さんは長い時間、絵とともにあるのです。
 この文章も、森さんの絵のように未完ですが、しかし、98年の展覧会のときには情けない批評の文章しか書けなかったので、これがリベンジというか再挑戦への一里塚になれば−と、ひそかに念じています。つまり、to be continued!
 20日まで。

 竹村亭舟遺作展を、スカイホール(南1西3、大丸藤井セントラル7階)で見ました。
 竹村さんは、金田心象(1907−90年)に師事した札幌の書家ですが、亡くなられたのは存じませんでした。
 晩年は万葉集(白文)の書写に取り組んでおられました。会場の机の上には、びっしりと万葉仮名が書かれた巻紙が置かれています。第20巻の末尾があるので、全巻の書写は完了したのでしょう。
 ほかの作品はみな、額装された小品。やわらかい筆遣いとすこしだけ淡い墨色には、やさしさが感じられます。万葉仮名という対象から推して、竹村さんには、漢字とかなに橋を架けたいという思いがあったのかもしれません。
 会場入り口に「回帰」という作品がありました。わたしたちは、どこかへと帰っていく存在であることを、深く感じました。
 21日まで。

 あしたは更新しません。
 とにかく週内に、呑展と、AZUMA組写真展を見に行く時間がつくれるかどうか…
 
 10月15日(月)
 ギャラリーめぐりはなし。

 宇佐美承「池袋モンパルナス」(集英社文庫)を読了しました。600ページに及ぶ長編記録文学です。小熊秀雄、寺田政明、靉光、麻生三郎、長谷川利行、丸木俊と位里、松本竣介、小川原脩、難波田龍起…といった貧乏画家たちと、彼らをめぐる人々が織り成す昭和初期の青春物語です。酒を飲んで絵を語り、女好きでといったはちゃめちゃさと個性を発揮しながら、画家たちが戦争体制に巻き込まれていく様子もきっちりと描かれています。
 小熊と小川原は重要人物ですので、興味のある方はぜひ読んでください。
 ところで、道内関連でいえば、287ページにこんなくだりがあります。
 〈キキを俊子に紹介したのは、旭川高女で俊子に絵を教えた若い絵かきであった。その人は唯物論研究会の設立者戸坂潤の甥で、美校の卒業生。〉
 キキとは、ほんもののパリのモンパルナスに倣ってそう呼ばれていた色の白いモデルで、俊子とは、赤松俊子、のちの丸木俊です。この「若い絵かき」ってだれなのか、ご存知の方はいらっしゃいますか。
 いまの引用部分のすこし前にはこんな文もあります。
 〈キキは俊子の髷を切り、和服を洋服に着がえさせ、口紅をつけて”さあ、これから女絵かきになるのよ。二科に出すのよ。熊谷守一先生のところへつれてってあげるわ。藤田嗣治先生のところもよ”といって背中をぽんと叩き、あぐらをかいてアハハと笑った〉
 153ページには、上野山清貢が出てきます。
 〈日本のゴーギャンともいわれた上野山清貢がシナ服を着て住んでいて、ゴーギャンがすごしたタヒチへいくべく、のちの外相広田弘毅に鶴の大作を献上して旅費をせしめたが飲んでしまい、空想で「とかげを弄び夢みる島の少女」を描いて帝展で特選をとった。その後、上野山は胸を病んで金にこまり、何番目かの女としょんぼり暮らしているとき、やはり奈良[引用者註。貸しアトリエの大家]のアトリエにいた古沢岩美が上野山の「魚」を四十円で売ってやった。上野山は感動して古沢に二十円戻し、古沢はそのなかから十円を上野山にかえした〉
 たいへん興味深く読みました。戦前の画家群像を知るには欠かせない一冊だと思います。

 
 10月14日(日)
 東京富士美術館コレクションによるヨーロッパ絵画 伝統の300年に関する文章をやっと書きました。まあ、読んでも、作品の理解にはあまり役に立たないかもしれませんけど。来週末で終わりなので、まだ見ていない方はぜひどうぞ。

 10月13日(土)
 12月8日から16日まで道立近代美術館(中央区北1西17)で開かれるグループ展「HIGH TIDE」の打ち合わせのため午前10時から午後5時半近くまでカンヅメ。どうしてだか、筆者も加わっています(まだ具体的には何もしてない)。みなさん、見に来てくださいね。
 
 さて、最終日の春木香利作品展を、this is gallery(中央区南3東1)で見ました。
 全体の半数は、わずかな水彩の筆の跡といくつかの英単語を組み合わせた抽象画の小品。空白の多さは、李禹煥を思わせました。
 残りの半数は、童謡詩人・金子みすヾの英訳などと淡彩の模様の組み合わせ。これも一種の詩画、というべきなんでしょうか。

 アートスペース(南2西1、山口中央ビル5階)で開催中の第11回美瑛・富良野の風景三人展は、札幌に住む綿谷憲昭さん、原田富弥さん、日下康夫さんの絵仲間が、4回に亘るスケッチ旅行の成果を油彩で披露しています。この数年は、「積丹」など、テーマを決めて出かけているとか。熱心ですねえ。
 みなさん、絵がとても好きなんだなー、ということがつたわってくる絵です。
 日下さんは絵の具をたっぷり含ませた太目の筆で「安政火口」「深山峠より」などをかいています。筆遣いに迷いがなく、安心して見られます。
 原田さんは、色彩をたくみに組み合わせて輝かしい画面を構成します(1月の大洋会道支部展はこちら)。今回は、「十勝岳錦秋」では、粗いタッチと、まばゆいオレンジといった非現実的な空の色などで、強さのある画面を作り出す一方、「コスモスの丘の少女」では細い筆を全面的に用いるなど、さまざまな試みをしています。
 綿谷さんは、淡いタッチが水彩やパステルを思わせます。「もえる落日」は、白金牧場から見た日没を描き、感動が伝わってきます。
 加賀幸子さんと植野徳子さんが賛助出品しています。
 16日まで。

 あとは駆け足で。
 第18回北海道テキスタイル協会作品展。スカイホール(中央区南1西3、大丸藤井セントラル7階)。毎年行われている染織の創作展。戸坂恵美子さん「光彩」が文句なしの美しさ。油が水面に浮かぶと美しい模様をつくりますが、あれを思わせる淡く美しい模様です。
 三上公一・三上えり子展。さいとうギャラリー(同、ラ・ガレリア5階)。公一さんの、北大構内を写実的に描いた連作が良かった。逆光の美学とでもいうのか、ほの明るい色調が心地よい。
 いずれも、あす14日まで。
 ケイト・ポムフレット作陶展。丸井今井(南1西2)大通館8階美術工芸サロン。たしか空知管内長沼町在住。偏見かもしれないけどさすが西洋人は、日本人ならためらってしまいそうな洋画風の意匠をどんどん陶器に付けていきます。見ているだけで、心がうきうきしてくる楽しい器が多いです。
 17日まで。

 旭川の彫刻家、山谷圭司さんにお聞きしたら、駅の横にある3つの屋外作品は、いずれ移設する計画があるそうです。はやく、終の棲家がきまればいいですね。

 10月12日(金)
 わずかのあき時間に会社を抜け出して、札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3)で伏木田光夫油絵個展に行きました。札幌では38回目の個展です。
 今年も2階のA、B、C室を借り切り、それでも飾り切れずに入り口にも絵をかけ、実に80点余りを展示しています。とにかく毎年、点数が多い!
 テーブルや花などをあれこれ配置してみた静物画、裸婦、それにDMにもつづられていた函館の風景画など。イーゼルを立てたはいいけれど、あまり天気がよくなかったようで、灰色の光が全編に漂っています。ただ、人物や静物は、ますます色彩でフォルムを浮かび上がらせるのではなく、輪郭の黒い線でモティーフを示すようになってきているように思われ、それが気にならないでもありません。
 伏木田さんは、急いでいるんだと思います。焦っているのとはちょっと違う。美しい形と色に満ちた世界に相対峙するとき、それが刻々と移り行くことを知っているので、移ろう前にカンバスに定着しようとして急いでいるのではないか。そんな印象をもちました。
 札幌在住、全道展会員。
 13日まで。

 狩野さんからメールがきて、ロスコの件などいろいろ教えていただいたのですが、その内容ってここであきらかにしていいものなのかなあ。
 
 いろいろ忙しくて、せっかくDMもらっても見に行けないかもしれませんが、なにとぞご容赦ください。

 
 10月11日(木)
 なんだか「つれづれ隔日録」と化してますな。
 日本画家の秋野不矩(ふく)さんが亡くなりました。全国紙に比べると道新の扱いはかなり冷たいですが、これは小生に責任の一端があります。あまり詳しく内実は書けないけど。

 大地康雄さんが独立賞を受賞したそうです。おめでとうございます。
 公募展の賞の中でもかなり難しい賞だと思います。とにかく研究熱心なところが実を結んだのではないでしょうか。
 8月末に開いた個展のようすはこちら

 閉店間際の三越(中央区南1西3)で第1回大絵画展を見ました。ようするに売り絵オンパレードの催事であります。
 筆者のような人間から見ると、あらためて「絵って高いよなー」と思います。とくに平山郁夫。同じ大きさでどうして前田青邨の倍以上するのか、まったくわかりません。
 号あたりで一番高いのはユトリロの3000万円。もっと大きい絵で、ビュッフェの油彩もけっこうなお値段でした。
 めずらしいところでは、三岸好太郎の油彩が2点あったこと。うち1点は「ポプラ並木」。札幌に帰省した折に描いたものでしょうか。

 いただいたメールから。
 2日に書いたKANO RYOKO展。ご本人はロスコをご存じないとか。それじゃ、筆者の書いた「真似うんぬん」は誤りですね。でも、それはそれでマズイんじゃないかって気もしますけど。
 同じ日の吉田茂作品展。ギャラリー主宰の中森さんと吉田さんが粘土を画廊の壁に塗ったら、原因不明のひび割れができて日々変化しつつあるというメールをある方からいただきました。会期終了日あたりに行くと、その変化が見られるかもしれません。筆者はたぶんいけないと思いますが。

 「展覧会のスケジュール」欄、かなり追加があります。みなさん、DMありがとうございます。

 10月9日(火)
 きのうは更新をさぼってしまいましたが、芸術の森美術館へ「東京富士美術館コレクションによるヨーロッパ絵画 伝統の300年」展を見に行きました。
 詳細は後日書くかもしれませんが、一言でいって、大変充実した展覧会でした。これだけの古典絵画を見られる機会が、そうそう道内であるとは思われません。
 八王子市にある東京富士美術館は、開館してから20年ほどの、わりあい新しい美術館。印象派以前の、マスターピースとよばれる絵画は、あまり市場に出ないはずですし、出てもかなり高いはず。いったいどうやって収集したのか、気になってしまいます。
 芸術の森も、旭川ほどではないにせよ雪虫が舞っていました。

 芸術の森の入り口の向かい側にある喫茶店フェルマータ(南区常盤4の2)で中橋修展が開かれています。店が繁盛していたのでゆっくり見ることができませんでしたが、今年初めの「三岸好太郎・三岸節子賞」に入選した平面作品と同じ傾向の、ごくシンプルな絵画が何点か壁に掛かっていました。
 おもしろかったのは、丸く形を整えて黒く塗った木材を、半透明の立方体で囲った立体作品が、床に置いてあったのですが、どうやら店にいた人たちは作品だと思っていなくて、ウエートレスさんがうっかり蹴っ飛ばしていました。これは、98年に門馬よ宇子さんのアトリエで開いた個展で発表したインスタレーションの一部だと思いますが、たしかに、インテリアみたいに店の空間にとけこんでいるなあ。

 「追憶 旭川の作家たち」の感想をアップしました。

 今週はギャラリー回りの時間を確保するのがしんどそうです。

 
 10月7日(日)
 あたたかな秋の一日。紅葉が進んできています。
 旭川へ行きました。
 彫刻美術館の前にある「春光園」では、はやくも雪虫が舞っていました。

 その前に、札幌のギャラリーをいくつか。
 アートスペース201(中央区南2西1、山口中央ビル5、6階)のもみじ窯 香西信行作陶展は、5階の2部屋のうち、1部屋を焼き締めに、もう1部屋を萩焼の器に当てたところがユニークです。
 焼き締めのほうは、備前に似ていて景色が豊かですが、それほど押し付けがましくはありません。
 いっぽう、萩焼は、少女の白い肌に赤みがさしたような色合いが特徴的。食卓にも似合いそうです。

 6階では、「加藤兼雄作品展 街角で、海辺で」と、金田キヌ油彩展が開かれています。
 前者は2部屋のうち1部屋を「漂着物語」と題し、和歌山・潮の岬で拾った王冠や網などの屑をコラージュして作品にしています。
 いずれも9日まで。

 市川義一展(ギャラリーたぴお=北2西2、道特会館)と、さいとうギャラリーは省略。

 旭川では、駆け足で、道立旭川美術館(常盤公園)で「追憶・旭川の作家たち展」と「戦後木彫の動向」を、中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館(4区1の1)で「加藤昭男展」を見ました。

 「戦後木彫の動向」は、道立旭川美術館が所蔵する木彫17点による展覧会です。
 戦後、といっても、植木茂「トルソ」と、最上壽之「ダンダンダ」が、1960年代初頭なのをのぞけば、すべて80年代以降の作品です。
 ただし、木彫に限らず日本の現代美術の重要な作家の作品があるので、見ておいて損はないと思います。
 たとえば、戸谷茂雄「森」。亀裂を加えられ、バーナーで表面を焦がされた木は、原初の植物のようにも、都市の廃墟の象徴のようにも見え、見る者を深い思索に誘います。ほんとは、もっと大きな彼の作品を見たいところですが、この高さ2・19メートルの作品でも充分です。
 土谷公雄「目を閉じて CLOSE YOUR EYES」は、使用済みマッチ20000本を束ねて接着剤で固めた、バームクーヘン状の小品。1本1本がそれぞれの物語を宿しているようです。
 ベニヤ板をわずかに加工した「枝に沿ってある」菅木志雄は、70年前後にあらわれ戦後日本美術の最も重要な動きの一つとされる「もの派」を代表する作家です。
 自分で意外だったのは、豊福知徳「漂流-97」でした。時の中を進む舟みたいで、カッコイイ。
 彼は、イタリア在住ですが、1997年に本郷新賞を受けており、そのときに札幌彫刻美術館で展覧会を開いているのです。この「漂流-97」も展示されていたのに、あまり何も感じなかったなあ。オレって、感受性鈍かったのかなあ…。
 大平実「起源」は、96年、旭川美術館で開かれた全国木の彫刻フェスティバルで最高賞を受賞した作品。
 ほかに、江口週「北方の鳥−砂澤ビッキに捧ぐ」、笠原たけし「無題」、神山明「たしかこのあたりだと思う」、川越悟「corps 8903」、砂澤ビッキ「ニツネカムイ」、澄川喜一「そりのあるかたち-94」、建畠覚造「CLOUD-36」、富松孝侑「木に−1995」、深井隆「逃れゆく思念−青空または瞑想」、舟越桂「午後にはガンター・グローブにいる」が出品されています。
 12月9日まで。ただし、今月16−19日は休みです。

 あとの二つの展覧会は後日、別項で書きます。(「追憶」はこちら

 旭川市・宮下通りの彫刻旭川駅の横の空き地で昨年行われた彫刻フェスタの跡を見に行き、ちょっとびっくりしました。
 筆者の記憶によると藤井忠行、寺田栄、山谷圭司の3氏が参加して石の彫刻を公開制作しました。その後も同じ場所に作品は残されています。
 しかし、現地は、柵で囲まれて近づけないばかりか、彫刻の存在を示す看板ひとつなく、3作のうちどれがだれの作品かすら分かりません。
 旭川は、「彫刻のまち」を標榜しているはずです。催しのあと、作品を1年以上も放置しているのでは「彫刻のまち」が泣きます。公園にする予算が無くても、せめて看板くらい立てて鑑賞できるようにするべきではないでしょうか。

 
 10月6日(土)
 丸井今井札幌本店(中央区南1西3)8階ギャラリーで新田志津男日本画展を見ました。
 新田さんは札幌の日本画家で、道展で以前入選していました。新興美術院展という公募展では会員だそうです。
 細かい筆致と明るく濁りの無い色彩で、風景や花を描いた約30点が展示されています。
 なんといっても、150号の大作「秋壁」が目を引きます。
 晩秋の層雲峡がモティーフです。斜面にそそりたついくつもの岩の塊が夕日を浴びて黄金色に輝いています。急峻な山の両脇には、白い滝が落ちています。おそらく、今頃の季節、あるいはもう少し後のころでしょう。厳しい冬を目前に控え、一瞬きらめく自然の姿を丁寧に描いています。
 構図に注目してみますと、画面の大半を占めるかたちは、岩の塊の長方形のような形であることが分かります。それに加え、ふたつの滝が目立つところに配されていますから、縦に走る直線がかなり重要な役割を果たしています。
 しかし、それだけでは堅苦しい絵になってしまいます。よく見ると、木や岩は、斜めの線を描くようにに配置されています。また、斜面をかなりの程度まで埋めているエゾ松の枝も同じような角度で斜めになって、響き合っています。
 さらに、手前の近景には、丸い形の広葉樹が並んで、画面にやわらかさを与えています。
 画竜点睛ともいうべきなのは、山の中腹附近にたなびく霞です。うっすらと真横の線が加えられ、さらに、山の遠くで夕映えに光る雲と、対応しています。
 細心の注意が払われた作品といえると思います。
 9日まで。

 10月5日(金)
 ようやく、平山郁夫展について文章をアップしました。かなり、悪口になってしまいました。

 10月4日(木)
 花鳥風月という小さな中古家具屋さんが、中央区南2西7のM’s SPACEにあり、そこで民野博之、飯田キリコ、森迫暁夫3人展が開かれていることを知り、3日、見に行きました。狸小路7丁目の東側入り口のちょっと北側、小さな居酒屋などが並んでいる一角で、シアターキノなども近く、若者の多い界隈です。
 もっとも、DMにはローマ字で名前が書いてあったので、森迫くんしか分からなかったんだけど。
 彼は、近年、道都大で版画を学んだ人では最も活発に制作、発表活動を続けている一人です。明るく、装飾的で、かわいらしいイラストレーションは、一度見ると忘れられません。
 すごく小さな店の壁に、3人の小さな絵がびっしりと隙間なく飾られていました。
 森迫さんの絵は、おもにクレヨンで描いているということでした。
 葉書大のシルクスクリーン作品が1000円で売られていました。彼の絵は、3人展以外の期間も、展示・販売しているとのことです。
 民野さんは札幌在住ですが、林真理子などの本の装丁などで大活躍しています。今回は、絵に見えますが、じつは、身の回りのものを写真に撮って額装しています。
 飯田さんは札幌出身で、現在は東京(だったと思う)。文字の入った、ユニークな人物画を油彩でかいています。
 
 道立文学館(中島公園1)で特別企画展「100年目の小熊秀雄」が開かれています。
 小熊秀雄は、樺太に生まれ、旭川で育ち、戦前は風刺詩や美術批評や童話やマンガ原作など、八面六臂の活躍をしながら、軍国主義の高まりの中で、1940年に39歳で没した詩人です。
 自ら絵筆も執り、今回の展覧会にも「喫茶店」「けんかする人」といった、かなりの量のデッサンや淡彩画が出品されています。
 もっとも、彼の詩が、慎重にことばを練ってつくりあげるものとは正反対の、平易なことばでどんどん行を続けていくタイプのものであったのと同様、絵もさっさっと、町の風景や人々を観察して早がきしたものばかりです。あまり、絵をかくひとの参考にはならないでしょうね、たぶん。
 彼は貧乏だったからカメラが買えなかっただけで、もし手に入れていたらデッサンの代わりに街角をぱしゃぱしゃと写していたに違いないと思います。
 あふれる才能でどしどし詩を書き飛ばしていた小熊のことはいままであまり好きになれなかったのですが、アイヌ民族や朝鮮人にあたたかい目を注ぎ、軍国主義礼讃に走らなかった彼の人となりにはちょっと興味がわいてきました。
 で、いま、彼が頻繁に登場する「池袋モンパルナス」(宇佐美承著、集英社文庫)を読んでいます。戦前、東京の池袋にあったアトリエ村をめぐる若いえかきたちを追った長編のルポで、この一帯を冗談まじりに「池袋モンパルナス」と名付けたのもどうやら小熊らしいのです。
 展覧会は8日まで。

 
 10月2日(火)
 きょうは、かなり分量があるので、「絵画など美術」と、「写真」とに大別して話を進めたいと思います。絵画の話に入る前に、あす3日で会期が終わってしまう竹内敏信写真展(富士フォトサロン札幌、中央区北2西4、三井ビル1階)がすばらしかったということを、書いておきます。詳しくはこちら

 まず、「絵画など美術」から。
北海道抽象派作家協会秋季展の会場風景 札幌時計台ギャラリー(北1西3)では、第二十五回北海道抽象派作家協会秋季展
 このグループは、毎年ゴールデンウイークごろに、招待作家を交えた大規模な展覧会を札幌市民ギャラリーで開き、秋には同人(現在は10人)だけで秋季展を開いています。道展や新道展とのかけもち組もいますから、けっこう忙しいんじゃないかと思います。
 現在の同人は、あべくによし、近宮彦彌(以上旭川)、今荘義男、林教司(以上空知管内栗沢町)、神谷ふじ子、後藤和司、佐々木美枝子(以上札幌)、外山欽平(函館)、服部憲治(苫小牧)、三浦恭三(小樽)の各氏。
 近年は、さまざまなスタイルの立体をつくることが多かった林教司さんが、平面を出品しています(上北海道抽象派作家協会秋季展の会場風景の写真では右)。板の表面を青く着色した後、黒く塗りつぶし、さらに黒鉛を塗り重ねて、ところどころ切り込みを入れています。黒い画面に走る群青の線が、画面に緊張感を生むとともに、黒鉛が光沢と重厚感をたたえています。
 ベテラン今荘義男さんの絵画のシリーズ「古里」(左の写真の右)。二つないし三つの形態を横に並べることが多かったのですが、今回は5つの形を配しています。
 三浦恭三さん(写真の2点)は、新道展でも指摘したとおり、フォルムに丸さが感じられるようになってきています。
 神谷ふじ子さん(上の写真の手前)の立体は、七宝の緑と、重々しい鉄が、鮮やかなコントラストをなしています。
 
 B室では山本昇展
 象や人間をモティーフにした油彩。なんだか、空気の抜けた風船のようなユーモラスな絵です。
 濁った色彩、自信のない描線、乏しい陰影…といった性質が、なぜかことごとく個性に転じているのが面白いと思いました。

 C室の34th土曜会展は、札幌の画家・豊島輝彦さんの教室展。
 岩崎實さん「樽前の風景」は、構図のしっかりした絵画。嵯峨瑛子さん、野呂一夫さんの絵も目を引きました。

 3階全室はSCCパステル画展。札幌の美術作家・中橋修さんの指導する会です。
 23人が出品していますが、古い人は10年近く前から、近作までを順番に数点並べているので、上達の度合いがわかります。
 パステルの特性を生かした、「朦朧体」の静物画や風景画がおおいなか、シュルレアリスムふうの山下晶子さん「夢の道」、抽象の川上利子さん「ハーモニー」「ステージ」、福本晴子さん「気配」などの絵が目を引きました。表現したいものをもってるんだなー、という感じです。

 いずれも6日まで。

 スカイホール(南1西3、大丸藤井セントラル7階)では、佐藤潤子個展が始まりました。
 油彩25点、水彩3点が展示されています。
 佐藤さん、といえば、きちっと構築された鮮烈な青系の抽象画―というイメージがありましたが、今回はかなり変わってます。
 「これまではエスキースをかっちりかいていたんだけど、今回は夜中、キャンバスに向かって、ぶっつけ本番でかいたんです」
佐藤潤子「漁村」 なるほど、100号の近作「漁村」(題を、海に関するものから採るのは、変わってませんね)は、緑を地に、さまざまな色斑や線や点が自由奔放に加えられた抽象で、最後にはクレパスで黒い線が、まるでいたずら書きのように画面を走り回っています。
 全体的なまとまりは欠くぶん、いろんな要素がちらばっているので、いつまでも見飽きません。画面を読む楽しさがあります。
 ほかに「凪日」はレモンイエローと濃い紫が中心だし、「朝日」は灰色とピンクの対照など、従来の計算され尽くした美とはすっかり様相を変えた佐藤さんの世界が広がっています。
 「リキテックス(アクリル絵の具)を使ってかなりたつけど、ようやっと絵の具を扱う楽しさが分かってきたみたい」
 札幌在住、道展会員。
 7日まで。スカイホールは通常午後7時までですが、佐藤さんの個展は6時までなので注意。

 this is gallery(南3東1)のKANO RYUKO展”LIGHT”は、120号の大作「太陽」をはじめ抽象の油彩が数点。
 うーん、「明るいマーク・ロスコ」です。
 でも「若いうちはどんどん真似して真似して真似したおして、28歳くらいになったら自分独自のものが出てくるかもしれない」と、山下達郎氏は言ってたし、いーんじゃない?
 6日まで。

 吉田茂作品展―壁の記録は、テンポラリースペース(北4西27)の企画展。
 北海道立体表現展などで金属の立体を発表してきましたが、今回は「シンクロニシティー」をテーマにした現代美術のようです。でもよくわからん。壁に白や赤のペンキか何かを塗り込めて、その変化を記録するとともに、会期終了後には20センチくらいにペンキを切り分けて作品として頒布する−というプロジェクトのようです。
 でもねー、「作品に参加してください」って書いてあってもねえ。1日のオープニングパーティーではそれなりの説明があったのかもしれないけど、こうやっていきなり来ても、30000円も払って参加する理由がないよ。「作者と時を共有する」ってたって、作者はそういうコンセプトのつもりなのかもしれないけど、見てる側は共有できるとっかかりがこの会場にぜんぜんないんだもん。「あー、すばらしいなー、作者と時を共有したいナー」って思わせる何かが。
 なんか、すごく厳しい書き方になってしまった。
 13日まで。日曜休み。

 久守浩司さんの指導する久彩会第20回展は、オーソドックスな絵が多くて、なんだかホッとします。
 前景をうまく空けて奥行き感を出した露口睦子さん「北2条教会」と、ひし形の構図がきまっている高島美代子さん「赤い屋根の教会」は、雪景色としてよくまとまっていると思いました。
 らいらっくぎゃらりい(大通西4、道銀本店)。6日まで。
 期間中は午後5時まで。

 「写真」に入る前にもうひとつ。建築の展覧会を。
 懐かしい円山界隈の住宅 田上義也・小島与市展は、昭和初期に、札幌・円山地区などに建てられた住宅を、北海道を代表する建築家、田上(たのうえ)と、大工の棟梁・小島が携わった作品を中心に、写真パネルなどで紹介するもの。
 たとえば「大原邸」とだけ言われても分からないでしょうが、ギャラリーミヤシタ(南5西20)のすぐ南側にある、すごーくでっかいお屋敷と言えば、分かる人は分かるんじゃないかな。あれも小島与市の手になるものなのです。
 古い家っていいですよね。最近の建て売り住宅にはない、作り手の心意気が伝わってきます。
 丸善南一条店(南1西3)3階で、4日まで。

 雨竜沼湿原の写真で知られる岡本洋典さんの主宰で結成されたグループが、北海道Nature Photo Masters。第1回NPM展〜黎明〜が、クリエイトフォトギャラリー札幌(南1西9、トラストビル)で開かれています。
 名前の通り、ネイチャーフォトが並びます。力作が多いのですが、緑のさざなみの上の小さな飛沫をとらえた久保田亜矢さん「予感」や、葉の裏からかたつむりを写した岩本喜美子さん「シルエット」のような、ささやかな一瞬をとらえた作品のほうに共感を覚えました。
 6日まで。作品を入れ替えて、第2部を9日から20日まで開催(13、14日休み)。

 イーストウエストフォトギャラリー(南3西8、大洋ビル2階)では、宮内英而写真展
 残念ながら、きょうで終了です。
 老後の趣味として写真を撮っているアマチュアですが、街角をむりのない視線でとらえていて、なんだかホッとします。壁に展示してあるもののほか、テーマ別に1冊の手作りのアルバムに仕立てているのが面白かったです。
 個人的に興味のあったのは「豊平界隈」。ここに収められている古い工場なども現在はなくなっており、「懐かしい街並み」もきちんと記録しておかないとどんどん変わっていってしまう−という感慨を抱きました。

 ギャラリー大通美術館、コンチネンタルギャラリー、市札幌市資料館(以上絵画)、キヤノンサロン(写真)は省略します。

 最後は、南3西28、カフェ&ギャラリーShiRdi(シルディ)で開催中の「ヒカリ 蛯谷孔美子写真箱」です。
 白く塗った壁に、あちこちに扉がついていて、あけると中に写真が展示されているという仕組みです。
 そのほか、手作り本仕立てになっている写真と詩の本が3冊、さらに、友人にあてた手作り本(といっても4ページ)が10冊ほどありました。
 友人にあてた本がそんなにあるくらいですから、全体として受ける印象は、すごく個人的な写真展だなあということでした。
 ただ、それはそれで正直で、まっすぐな表現だから、見る人も心穏やかになれたのだろうなと思いました。
 扉の中の写真のうち、1枚は、荒野に置かれた椅子に黒衣の女性が物憂げに座っているさまをロングショットでとらえているものです。空は薄黄色をしており、夢の中のような、あるいは世界が終わってしまったあとのような、不思議な感じです。
 そこで使われた椅子が、ギャラリー内に置かれていました。
 夢の一部がふいに現実界に結晶して出てきたような、これまた不思議な感じがしました。
 13日まで。水曜休み。午後3時から12時まで。
 シルディは、地下鉄東西線を円山公園駅で下り、環状通を南へ歩き、宮越屋珈琲本店(リラベル教会の西となり)の右側の小道を入って道なりにずーっと行くと、あります。民家を改装したお店で、ハーブティーなどが300円で飲める、なぜか落ち着ける空間です。カレーなんかもあります。徒歩7分。

 10月1日(月)
 そごうが昨年暮れに閉店した後、初めてエスタのビルに行きました。現在は、ビックカメラ、ユニクロ、アカチャンホンポなどがテナントとして入っています。
 4階のエスカレーター附近の吹き抜けに設置されていた伊藤隆道さんの彫刻「北海道の幻想」は、やはりというべきか、跡形もなくなっていました。クリスタルガラスやステンレス、大理石を使い、原始林、氷、雪などをイメージして作られた、きらびやかな高さ6・7メートルの大作でした。いまはどこに行ったのかなあ。

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