第46回
新道展

札幌市民ギャラリー(中央区南2東6)
8月29日(水)〜9月9日(日)

見出し的にいうと、
なお新しい試みに挑む会員
ユニークなドローイング
一般入選は新しい才能に乏しい

てなところでしょうか。

 道展(新北海道美術協会)は、道展、全道展に次ぐ第三の歴史を誇る公募展として、道内の美術ファンには親しまれている。
 場に入って目につくのが、巨大なドローイングである。
 これは、昨年12月に、大同ギャラリーで会員たちが共同作業で作り上げたもの。
 個人作業という性格の強い美術業界に、コラボレーションを持ち込んだユニークな試みであった。

 ころで、新道展は1990年代から、インスタレーションという部門に力を入れているらしいが、実際のところ、それほど出品数が増えたわけでもなく、依然として絵画が圧倒的多数を占めてきた。
 今年の協会賞(最高賞)は、堀部江一の「ホーン・ボン」。陶でこしらえた、突起のある球やサボテンのような形体を床に並べたインスタレーションで、どこかとぼけた味わいがある。ただし、図録の「審査をふり返って、期待するもの」に、同部門から初めてとあるが、96年には阿智信美智が、続く97年には林教司が協会賞を受けている。 

 新道展の会場風景中まゆみ「MEMENTO-MORI」=写真手前=は、生命の象徴である卵に紙を巻いておびただしく床に転がした作品。一昨年までのビデオを利用した一連の作品よりもより厳粛さのようなものを増している。
 いつの間にか栗沢に移り住んでいた野又圭司「天国ブロック」は、立方体の石膏ブロックをして積み上げたもので、「砲台」「兵舎」「工房」「僧坊」などと題されたユニットがブロックの上に乗っかっている。
 それぞれの立方体や部品が再利用可能で、小さい頃遊んだブロックに似ている。作品には、なぜか、家の中で積み上げた時のモノクロ写真まで添えられていて、それを見るとシュヴィッタースの「メルツバウ」を思い出してしまう。
 林教司「SOU'S FGOPE」は、錆びた金属や木によって作られた、小舟を思わせる立体。どこか、死の影を宿しているところが、林らしいところだ。人によっては「文学的」なにおいが強すぎるという向きもあるかもしれないが、背後に豊かな物語を抱えているようにみえることは作品にとってプラスでこそあれ、マイナスではないと思う。

 画の会員では、作風のおおもとは変えないものの、何らかの新しい試みをしている作家が目立ったように思う。
 シュールレアリスティックで不気味な人物像を描かせたら右に出る者のない阿部国利は、画面から地平線が消えた。
 鈴木秀明は、彫像の壊れる瞬間をリアルな筆致で描いているのは変わりないが、斜め上から見た構図をとることによって、動きのある画面になっている。
 縦長のキャンバスを用いて、白など色の重なりに工夫を凝らした抽象をかく永井美智子は、正方形の画面で、新しい比例に取り組んでいる。
 採石現場などなかなかふつうの人が取り上げない題材を風景画に仕立てる中村哲泰は、こんどは小さな泉がモティーフ。超広角レンズで撮影したかのような不思議な構図で、小さな自然世界を切り取っている。
 水彩部門をリードする古田瑩子は、ますます画肌が緻密になってきた。白い肌の横たわる少年(人形)を中心に、静謐な世界を構築している。
 黄色い有機体のような不思議な物体を題材にしてきた古川康子は、赤いカーブなどを導入することで、画面が活性化しつつあるようだ。
 今荘義男は、日本的な情緒を漂わせる色遣いこそ変わっていないが、中央の色面に引っかき傷のような細かい線を多数走らせ、動き始めた、という印象を受ける。
 そして、西川孝。道東の大自然に材を得ているのは変わらないが、相原求一朗ばりの、色数を抑えた表現から一変、微妙な階調の青緑や緑をほぼ全面に配して、リアルではあるがどこかこの世のものではないような不思議な光景を現出させている。

 「変わらない組」では、藤野千鶴子、工藤悦子、坂本順子、佐井秀子、後藤和司、白鳥洋一、比志恵司ら抽象画家が、水準の高い作品を発表している。
 西田靖郎、佐藤万寿夫、丸山恵敬ら、心象を微妙な色の重ね具合で表現する作家も健在。
 黒田孝
は、岩でできた大きな灰色の建物を描き、漠然とした時代の不安感を醸し出すことに成功している。
 比較的少ない具象では、田中進、中矢勝善、山口大、山本家弘といったベテラン勢が、描きすぎることなく、味のある風景画を出品している。
 ただし気になるのは、不出品者が多いこと。園田郁夫、菅原勇ら、姿の見えない会員は20人にも上っている。

 らに気にかかるのは、はっとするような新しい才能の出現がなかったことだ。
 はっきり言うと角が立つかもしれないが、会員と、会友・一般入選の差は、歴然としている。
 船を陸に引き上げる「巻胴」を描き続けている飯田辰夫が、さらに進境を深めて新会員に推挙されたが、昨年会友になったばかりである。これは裏を返せば、いまの会友で、すぐにでも会員に推挙したい人材があまりいないということを示している。
 印象に残った会友について述べよう。飯田とともに春陽展のメンバーであり、やはり粘り強く焼却炉をモティーフにしてきた大塚富雄は、色の表現に幅が出てきている。赤茶色の上に水色を重ねて画肌に厚みを持たせ、一部に緑や朱をアクセントとして走らせるなど、工夫がみられる。
 膨大な数の写真のコラージュに取り組んできた遠藤厚子は、今回はモノクロ写真に絞ることによって画面がすっきりした。
 98年に協会賞を得て劇的なデビューを果たしながら、昨年は不出品だった高橋孝が復活したのは喜ばしい。例によって、人類絶滅後とおぼしき都会を、リアルな、しかも明るいタッチで描いている。道路標識がかかしになっていたり、せみの幼虫が踊っていたり、ユーモア精神も相変わらず。倒壊した建材が、よく見ると「迅速」「無常」の文字になっているのも面白い。念入りにも、空には希望のシンボル、虹までかかっているのだ。
 また、以前から「師の影響が強すぎる」と筆者が批判していた細木博子(会員)、福島靖代(新会員)、池田宇衣子、藤田恵といった女性たちに、かなりの独自性が芽生えてきていることは喜ばしいことだと思う。

 ま会友について書いたが、一般入選となると、なかなか突出した存在が少ない。
 地道に写生に励み、木の質感を豊かに描く河合キヨ子をはじめ、写実の山口京子、ユニークなペン画の西尾栄司が新会友になった。
 ほか、永野曜一、山本洋子、田中祥子、田崎和子といったところが印象に残った。
 水彩も、数では活況を呈しているが、古田ら「グルーピング5人展」と、それに続く出品者との差は大きい。
 99年に協会賞を得た牧みか子、佳作賞の出田郷らの不在が惜しまれる。
 若い作家に登場してほしいと切に思う。