展覧会の紹介

AZUMA組札幌展 2001年10月17日(水)〜21日(日)
札幌市写真ライブラリー(中央区北2東4、サッポロファクトリー・レンガ館3階)

 毎年8月に開かれる旭川近郊、東川町の写真フェスティバル。
 ことしは、参議院選挙と同じ日だったから筆者は行けなかったけど、小さなマチに全国から有名人や写真愛好家がどっさり集まってなかなか楽しい催しだ。
 夕張在住の写真家、風間健介たちが毎年、フェスティバルの会場近くにテントを張って、自主的に写真展なんかをやっている。今回のこの写真展は、そのテントから誕生したみたいだが、あまりきちっとした由来や来歴があるわけでもないようだ。
 とにかく、全国各地から若手写真家11人が参加、見ごたえのある展覧会になった。
 少なくてもここには、よくある風景写真や、カメラ雑誌の投稿欄の後ろの方にあふれているモデル撮影会の写真はありません。 

 個人的にいちばん楽しかったのは、谷口雅彦「日々の旅」だなあ。
 どうしてかはうまく言えないけど。
 モノクロの膨大な組写真が壁を埋め尽くしている。
 。女性の何気ない表情。風景。車窓。牛。電車内。東京の地下鉄。人形。そういった日常的な写真の中に、ヌードや、ブランコに乗る女性など、作為を感じさせる写真がふいにまじる。
 アラーキーのようには感傷的でなく、しかし、ここには、どんどん積み重なっていく日常のかなしさみたいAZUMA組写真展の会場風景なものがあると思う。それは、たぶん、セレクトの巧さにもよるのだと思う。

 わりと似た路線なのかもしれないなーという感じがしたのが、村上正次「PIX他己相(たこあい)」
 こちらはカラーとモノクロが混在。日常的なスナップとヌードなどが交じっている点では谷口雅彦と似ている。かなり古い作品から近作までがばらばらに並んでいるし。ただ、大通公園のプロレス大会とか、妙な写真が少なくない分、よけい都会の孤独感みたいなものが感じられるのだ。うまく言えないけれど、村上さんの写真は、さびしいのだ。
 都会といえば、江成琢也「東京」は、その名の通り、64枚のモノクロ写真をびっしりと並べた。
 台場の新しいビル街、薄汚れた路地裏、超高層マンションと漁船が同じショットに写る佃地区、歩くサラリーマンなど、何でもあり。面白いのは、富山県の物産展ののぼりがはためく横で携帯電話をかける女性の写真。そう、ここには、「全国がある」のです。

 都会の写真はまだある。
 佐々木郁夫「風塵の記憶U」は、デジカメのカラープリント。まるで、初めて札幌を見たかのようなういういしい視線でとらえた大通公園や中心街である。とくに、建設中の札幌駅舎をバックに二人のスチュワーデスがこちらに歩いてくる一瞬をとらえた写真は新鮮に感じました。
 前辻浩「Double Vision3」は、その名の通り、相異なるイメージを縦に二つずつ並べた組写真。
 また、仙北慎次「白糠」は、写っているのは、イタドリなどがはえる荒地だが、それがかえって、都会と自然の境界部分のあいまいさを表しているようだ。たぶんこれはネガカラー。

 添野和幸「mindscape」は、あえて逆光で都市や公園の風景を写すことで、心象風景みたいなものをとらえている。とくに、マンホールの列を撮影した1枚が印象深かった。
 同じ作者の「airscape」は、廃墟や、荒れ放題の公園がモティーフ。コンパクトカメラのパノラマモードで撮ったものを引き伸ばしたらしく、眠たい、ぼけたような仕上がりが、廃墟にふさわしいものとなっているのが面白い。

 道内の自然を対象にしたのは門間敬行「Voice」くらいだが、これもいわゆるネイチャーフォトとはちがう。
 いや、2列に並んだカラー写真のうち、上の列だけ見ていると
「わー、鹿だ、ナキウサギだ、かわいいなあ」
っていう感じだけど、下の列は、車にひかれて道路に転がっている鹿や鳥やウサギの屍骸なのだ。
 いっけん、自然が豊かに見える北海道でも、スピードの出しすぎによって殺されている動物がいっぱいいる―。メッセージは明確だ。上川管内占冠村在住、という地の利を生かした写真といえるかもしれない。
 原一夫「海へ向かう電柱群」は、ハッセルブラッド?のカラーという珍しい作品。風景美、というよりは、シンプルな造形美がねらいか。

 物議をかもしそうなのが、大阪在住の桑島秀樹「THE LIFE」。
 3枚組みのカラー。教室の机の上には、金魚を詰めたミキサーが1台ずつ置いてあり、黒板には教育勅語が書かれている。2枚目、3枚目に進むにつれ、ミキサー内はジュースになり、教育勅語は消されていく。
 共通しているのは、教室の隅に置かれた星条旗。そして、写真というよりはむしろフォトリアリズムの絵画を思わせるような、鮮やか過ぎる色調である。
 衝撃的な表現で、画一的な、各人の個性をミキサーで均一化してしまうような学校教育を批判しているのかもしれない。
 ただ、もしほんとうに金魚を十数台のミキサーにかけたのだとしたら、不必要に残酷な気がするのだが…

 おっと、最後になってしまったが、風間健介「FORESUT」「SEA」と題した連作で、海を抽象画のような撮りかたでフィルムにおさめている。静かなロマンチシズムをたたえた作品だと思いました。

(敬称略)

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