宮 古 医 師 会 立 高 等 看 護 学 院 が  閉 校 と な り ま し た
宮古医師会立高等看護学院
      閉校式

          2008/3/31 new
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平成20年(2008年)3月5日、宮古医師会立高等看護学院は閉校となりました。
「学院歌」だけでも 残りますように。 
音楽を担当されていた佐々木良恵先生のPC用のアレンジです。


  宮古医師会立高等看護学院   学院歌     楽譜
作詞 佐和新介
作曲 野崎哲郎
 

 
1.八重潮の 平らひろごる
  紺碧の 海はま近く
  燈台の ともす夕べの
  あかき灯を 愛の光と
  若きらは こぞりて学ぶ
2、渚うつ 波の如くに
 たゆるなく 業の新し
 勤しみの 高く深かる
 希ひつつ 愛を灯すと
 若きらは ひたすら磨く
3.潮路ゆく 船にもにたる
人の世の 重き未来ぞ
自が 選べる道は
かりそめの 愛の灯ならず
若き日の ほこりぞ遂げん





    


 平成20年(2008年)3月5日、宮古医師会立高等看護学院の閉校式が行われました。
 すでに2年前に宮古医師会立准看護学院は閉校となっています。
宮古医師会立准看護学院が昭和39年に設立され、さらに宮古医師会立高等看護学院が
昭和49年に設立されました。准看護学院は医療機関で働きながら2年間の勉強の後、県の
資格試験を受けます。その後医療機関で働きながら3年間の勉強の後国家試験を受けます。
准看の入学資格はは当初、中学卒でしたが次第に高卒となり、ここ数年は専門学校卒、大学卒
他の職業からの入学もありました。准看護学院は約30人、高等看護学院は約20人の卒業生を
輩出します。
 昭和、平成にかけて、この地方の看護師の充足にどんなに役立ってきたか分かりません。
現在のS病院の総師長さん、Y病院の総師長さんもこの道筋をたどってこられた方々です。
人生を苦労しながらトップの立場に立たれた方々で、心から尊敬できる素晴しい方々です。
 しかし時代とともにいろんな事情が変わりました。
ひとつは、国が、看護師は大学卒としよう。准看2年+高看3年の道は廃止としよう。という方針
としたことです。したがって国庫補助金をどんどん減らし、選任教師の人数、教室の条件を厳
しくしてきました。設立当初から医師会員は全く無報酬で講師を務めてきましたが、限界でした。
さらに国の方針で、学院に在籍していて、医療機関には所属し無くても良い事になりました。
従って、准看護師及び看護師の地元への就職は減少しています。しかし0ではありません。
最終的に看護師の道を選択するとしても、いろんな道があった方が良いのではないでしょうか。
青春は迷うものです。途中から看護師の道を選択しようと思ったとき、働きながら獲得できる道
があった方が良いと思います。社会に弾力性を持たせてくれます。
医師会立の看護学院が閉鎖となり、やがて宮古病院の医師が講師を勤める県立高看も閉鎖に
追い込まれることが予想されます。何故なら国は大学一本にしようとしているからです。
つまり岩手県では、看護師になる道は盛岡市以外には無い事になります。医師会立看護学院は
現在盛岡市と一関市だけに残っていますが、やがてそれも消滅の道をたどるでしょう。
これで良いのでしょうか。 地方から医師が消え、看護師も消えていこうとしています。 
   
最後の卒業生の進路   卒業生24名(内 国家試験合格者 20名)
   宮古市 18名、山田 、岩泉町、釜石市、盛岡市 各1名、未定 2 名 

宮古医師会立宮古高等看護学院・学院長式辞  木澤健一
卒業生代表挨拶 田代大吉
MKさんの場合
閉校式の写真