あとがき 珠音 (じゅね)へ 2010年1月12日
あなたが去って23年が過ぎました。 お手紙が遅くなりましたことお許しください。
あなたが旅立った翌日でした。いつもの新聞を開いたとき、あなたの強い視線を感じ
ました。そんな訳はない。と思って視線を凝らしました。興福寺の「阿修羅像」の写真
が載っていたのでした。思春期の子の悲しみをたたえてじっとこちらを見ているのが
あなたの視線と同じものでした。あなたの残したメモには「だれも悪くないのです」と
書いてありましたが、その言葉は「ママは私を見ていなかったね。私を分かっていなか
ったね」と同じ言葉でした。その日からあなたを「阿修羅像」と思い、いつか本物を側
で見てみたい、と思ってきました。
2009年3月31日から6月7日まで国立博物館で「国宝阿修羅展」が開かれる事を知りました。
5月15日に埼玉のあなたのお墓によって、翌日「国宝阿修羅展」の会場に向かいました。
小学生からおじいさんおばあさんまで沢山の人々が並んでいましたよ。門から入り口まで
に二時間以上かかりました。しかし会場に入った時息をのみました。天井の高い暗い部屋
の真ん中に、台に安置された「阿修羅像」が静かに立っていました。多数の方向からスポ
ットライトが像に当たっていて、影ができないように照明されていました。人々は無言の
ままゆるい螺旋状の斜面を、像をひとめぐりするようにすすみました。ま正面のお顔も左側
のお顔も、右側のお顔も見る事が出来ました。背の高さもきゃしゃなほっそりとした
体つきも、本当にあなたそっくりでした。ひとめぐりして思いました。悲しみだけでなく
怒りも表現している、思春期の何とも言いようのないもどかしさがこの像に集約されてい
ると思いました。きっとモデルになった少年もあなたと同じような思いの人だったのでし
ょう。モデルの名前も製作者の名前も記録されていません。命じた光明子の名が記録され
ているだけです。
あなたを育てる事ができませんでした。
私に残された時間は、子どもたちの心を育てるお手伝いをするために、使いたいと思って
います。 では。
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