ブタペスト→スロバキアから190km、約3時間30分のバスの旅である。
スロバキア~ハンガリーの国境の検問所で停止される。
係官が乗車してきて、パスポートを集めもって行く、暫くしてスタンプ
の押されてパスポートを配る。
夕食をとり、22時ころホテルへ、今日のホテルはずばりホテルブタペスト
今日で5日目が終わる。 |
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←ブタペスト・・英雄広場(1) 6日めが始まる。
ブタペストの観光である。ブタペストはドナウ川を挟んで、西側をブタ、東側をペストと呼んでいる。
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英雄広場(2)→まずは英雄広場にゆく。ここはハンガリー建国1000年を紀念して作られた ハンガリー史に残る歴代の国王や芸術家の彫刻がある。かってはハプスブル家 の像も並んでいたが、1948年独立戦争の指導者の像にすげ替えられた。。 |
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←英雄広場(3)・・大天使ガブリエルローマ法王の夢に現れ、イシュトヴァーンに王冠を 与えるように告げたという天使だそうだ。1986年にハンガリー建国1000年を記念して造られた広場。中央にそびえる高さ36mの塔が、建国1000年記念のモニュメント。最頂部には大天使ガブリエルの像が立ち、下には7にんの族長の騎馬像が並んでいる。後ろにはモニュメントの周りを囲むように半円形の列柱が建てられ、その柱の間には、聖イシュトヴァーンなど、歴代の王と政治家14人の像が並ぶ。 |
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英雄広場(4)→その足元にはマジャル族の首長アールパードを中心に左右3人づつの部族長が並んでいる。 |
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←漁夫の砦漁夫の砦というおもしろい名前の由来は、このあたりに魚市場があったからとも、ドナウの漁師ギルドがこのあたりを守っていたからともいわれている。砦は白い石造りのネオ・ロマネスク回廊式の建物で、三角のとんがり屋根をもつ丸塔がなかなか愛らしい雰囲気だ。回廊の上部は展望台になっていて、ドナウ川や川越しに広がるペスト地区が望める絶好のポイント。砦が造られたのは20世紀初頭とかなり新しいが、今やすっかりブダペストの名所のひとつになっている。マーチャーシュ教会 の設計をしたシュレックの手になるもの。 |
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マーチャーシュ教会(1)→マーチャーシュ教会の遠景である。 |
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←マーチャーシュ教会(2)マーチーャシュ教会を見学する。 13世紀にべラ4世のもとゴシック様式として建設された。 教会の名前は1470年にマーチャーシュ王の命で88mの尖塔が増築され ことに由来すると言われている。 | |
マーチャーシュ教会(3)→歴代の王の戴冠式に使われたので「戴冠教会」ともいわれる。正式名は 「聖処女マリアの教会」。1541年ブタがオスマン朝に占領されると モスクに改装されたが、1686年オスマン朝撤退後にカトリック教会に 戻った。18世紀にバロック様式に改築された。 1874~96年に今日のゴシック様式になった。 | |
←マーチャーシュ教会(4)マーチャーシュ教会の内部、祭壇近くである。 |
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マーチャーシュ教会(5))→同じくマーチャーシュ教会の内部である。イタリアなどの大聖堂 は石積みだけの場合が多いが、この教会は鉄の部材が使われているよだ。 |
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←マーチャーシュ教会(6)マーチャーシュ教会の内部のステンドグラスで、大変美しい。 |
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マーチャーシュ教会(7)→マーチャーシュ教会の正面で、「マリアの扉」と言われている 扉がある。 |
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←ゲレルトの丘ゲレルトの丘は標高235mである。
ゲレルトはハンガリー初代国王イシュトバーン1世に
よってイタリアから招かれた伝道師しで、ハンガリー
のキリスト教化を進めた。 |
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鎖橋→有名な鎖橋の全景である。写真が大きいと素敵なのだが・・ 英国のT・W・クラークとアダム・クラークにより1849年に完成。 |
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←国会議事堂前景が国会議事堂で1885~1902年にシュテインドル・イムレ
が建設した。その内部の豪華さは過日NHKで紹介された。 |
ケーブルカー→ゲレルトの丘に登るためのケーブルカーのようである。 |
←最後の晩餐東欧のたびもいよいよ終わりである。 ブタペストのレストランでの最後の晩餐となった。 6日目が終わる。大分はしょってあるが、東欧と言っても中欧も入って いる。下戸の私がトカイワインを1本買った。6プトニュオン の高級貴腐ワインである。非常に甘い。デザートワインと言うそうである。 明日は7、8日でなつかしの日本に帰る。 |