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←ザルツブルグ・・ミラベル庭園チェコ~オーストリアの国境をこえザルツブルクへとやってきた。 今日で4日めが始まる。ザルツブルグとは「塩の城」と言う意味らしい。 ここも世界遺産である。新市街のミラベル庭園とミラベル宮殿を見学する。 「サウンド・オブ・ミュジック」の「ドレミの歌」の舞台だ。 とても美しい眺めだ。石像、噴水、花壇、庭木が美しく配置されている。 日本庭園とは対極にある風景である。ミラベル宮殿は大司教ボォルフ・デート リッヒが愛人サロメ・アルトと子供達のために1606年に建てた。 |
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ザルツブルグ・・お幸せに→今では市長公邸になっている。演奏会や結婚式も使われている。結婚式を終わったばかりの幸せそうなカップルにであった。 |
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←ザルツブルグ・・ミラベル宮殿
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ホーエンザルツブルグ城→旧市街のシンボルであるホーエンザルツブルグ城塞の近くに来たが 外部から見るだけで中には入らなかった。 この城塞は、ドイツ皇帝とローマ法王の叙任闘争のさなかの1077年に 大司教ゲープハルトによって建築が開始され、完成をみたのは17世紀 だそうである。 |
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←ザルツブルグ・・レジデンツ宮殿旧市街で最大のレジデンツ広場にレジデンツ宮殿がある。 この宮殿は約1000年に亘ってザルツブルグを支配して来た歴代の大司教達の宮殿である。 1619年に完成している。約180もの部屋があるそうである。 観光用だろうか、馬車が走っていた。 ここも外観をみて内部には入らない。 |
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ザルツブルグ・・大聖堂→ザルツブルグ大聖堂に到着する。 ここのパイプオルガンはヨーロッパ最大級で6000本のパイプが使用されて いるそうだ。774年に聖ヴィルギルが創建し、1181~1200年に後期 ロマネスク様式に改築された。そのご火災や第二次世界大戦で被災したりし、 1956年に修築された。 内部をつぶさに見学する。 |
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←ザルツブルグ・・モーツアルト生家ザルツブルグ市民の誇りであるモーツアルトの生家を訪れる。 外壁が黄色の建物で赤白赤の細長いオーストリア国旗が下がっている。 1756年1月27日にここの4階で、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは誕生した。モーツァルトの使用した楽器、自筆の楽譜があった。 内部は撮影禁止である。 |
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サンクト・ヴォルフガング・・「白馬亭にて」→ザルツブルクを発って56km、約1時間15分でザンクト・ヴォルフガングに 到着した。昼食は、オペレッタ「白馬亭にて」の舞台となった「ホテルバイセンレッスル」でとった。昼食後ヴォルフガング湖の周辺を散策する。 小さな湖畔の町だが美しい町並みが続く。 |
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←ヴォルフガング湖薄っすらと雲がたなびきとても美しい風景である。 |
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湖畔の町→
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←ハルシュタット・・ハルシュタット湖ウィーンへ300Km、約5時間30分の旅である。 途中、世界遺産になっているハルシュタットに立ち寄る。 世界の湖岸の町で最も美しいそうである。 ここには塩坑がある。世界最古の塩坑でありながら、現役である。 ここの塩を求めて、探していた方がいた。 |
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ハルシュタット・・マルクト広場→暫く歩くとマルクト広場に出る。本当に美しい町だ。 この風景はよく旅行ガイドの写真に使われている。 湖畔を散策して、ウィーンに向かった。 4日目が終了し、ホテルに到着した。 |
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←ウィーン・・シェーンブルン宮殿5日目ウィーンのホテルを8時30分に出発して、世界遺産のシェーンブルン宮殿 を見学する。女帝マリア・テレジアや15歳でフランス王家に嫁いだ末娘の マリー・アントワネットが夏の宮殿としていた。ハプスブルク家の権力を誇示 するために、ブルボン家のベルサイユ宮殿を意識して計画されたが、費用がかさみ 第2案が出された。この案も頓挫すが、大改修をしたのはマリア・テレジアで ある。会議は踊るの「ウィーン会議」、ケネディ・フルチョフの「ホットライン」 条約もここで行われた。 |
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ウィーン・・グロリエッテ→ 絢爛豪華なシェーブルン宮殿の内部は撮影禁止である。
宮殿の庭園の向こうの小高い丘の上に、高さ20m、幅80mほどの建造物
がある。これがグロリエッテである。
多くの戦いで死んだ臣下を忘れないために建てたとか。 |
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←ウィーン・・ホーフブルグ宮殿ホーフブルグ宮殿に来た。 ハックスブルグ家が1918年まで600年間居城としていた。 豪華な宮殿の全容の写真がない。 内部には皇妃エリザベートの使用したドレス、衣装、その他の物が展示され 宮殿内部にシシィ博物館となっている。 昼食後68km、約1時間30分、オーストリアとスロバキアの国境を 超え、スロバキアのプラチスラバ市内観光に向かう。 |