(by 石飛洋司)


(by 品川光太郎)



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400)いやいや、実は岩が一番 投稿者:シタマ 投稿日:13年3月6日(水)23時15分

澤田から3月1日14時30分に395)早速、訂正 の書き込みがある前に、すでにファイナルアンサー岩さんから10時29分に おとことおんな〜あ、あやつりつられ〜 の投稿があってたんですよ。さらに、それに気がついたのは自分が書き込んだ後。で投稿が前後になってしまいました。すまんです。
しかし、澤田はしてやったり顔してるんやろねぇ。なんか、自分の知らなさぶりをさらけ出すようで、この手のクイズは止めちくり〜。
とにかく、キャンパスを開設して400投稿目。2000年11月10日からだから、12年4カ月。途中、凍結してる時もありましたが、最近は澤田クンのヒマのお陰で賑やかになりました。ありがとう。書き込みしているメンバーのおかげで、読んでるだけのメンバーもきっと仲間を近くに感じていると思います。読んでるだけのメンバーも気が向いたら気軽に書き込みしてくださいね。


399)2月27日・「ちょっと息抜きに」の答え 投稿者:澤田 投稿日:13年3月6日(水)15時05分

四つの問題を提案したけれど、誰か答えてくれる人がいるのか?そんな疑問も持ちながら、出しました。キャンパスを開いてみると、一番に答えてくれたのは、以外にも舌間君でした。サングラスをかけ、きざみタバコをキセルで吸っていた変なやつと思ってから、40年余り、その印象からは程遠い真面目な答え、彼一人かと思いきや、岩坂・豊さんからの返答。難解な大江健三郎論の岩坂からは、考えられない軽いノリの答え。豊さんからは以外にも料理論から。皆さん有難う!一人答えをほくそ笑みながら、読んでいました。
早速、答えを述べます。「何〜だ」「嘘ー!」の声が聞こえてきそうです。
◎番外編の「クレパス」、舌間君の言うとうり、「クレヨン」です。「クレパス」は、「サクラクレパス社」独自に開発し、現在も使用されるヒット商品になっています。◎「竹の子」はいつ「竹」になるか?答えは、「葉っぱ」が出たらです。この論でいけば、背だけが伸び、「子」のままで一生を終えることもありえます。◎「海と川の境は何で決めるか?」それは、ヒントで述べたとうり、建築物である「橋梁」つまり「橋」で決まります。塩分云々の説がありましたが、「味覚」は人によって異なります。さらに、二つを線でひくことは出来ません。新しい「橋」ができれば、境も変わることになります。◎名曲「神田川」いつも私が待たされた・・・「なぜ?」答えは「横丁の風呂屋には、実は「池」が有りました。彼は、そこに泳ぐ「鯉」と遊んでいたのです。豊さん論はよく解ります。歌詞には表れてこない事実もあるのです。以上が回答です。答えられて頂いた三人の方に感謝します。私の「暇」に付き合ってくれて、有難うございました!


398)お答えします。 投稿者:TOYO 投稿日:13年3月3日(日)13時45分

◎頂き物の掘りたて竹の子の根元が緑がかって、繊維が口に残るようになったころ、竹の子は大人になる準備ができて、まっすぐ竹になっていくのだと思っています。
◎これは岩坂に同感。川の水がしよっぱくなっていく所でしょう。飲んだことないけど。
◎「いつも私が待たされた」のは、男が優しくないから。
一緒に出ようと言ったのに、洗い髪が芯まで冷えて、小さな石鹸がカタカタ鳴るまで待たせるような男が優しいわけがない。
「あなたは私の身体を抱いて、冷たいねって言ったのよ。」こんな男が優しいわけがない!
そりゃあ、「ただあなたの優しさが怖かった。」につながるよね〜。
優しいふりして、優しくない男を見抜けなかった「若かったあのころ何も怖くなかった。」・・若かりしころ切ない歌だと感じてた私は、もはやひねくれてしまったのかしら?
とにもかくにも「神田川」地元、南海放送ラジオの「心に残るフォークソングNo1」だったよ。それはわかる。

さて、この投稿、このまま無事に届くのかしら?


397)おとことおんな〜あ、あやつりつられ〜 投稿者:ファイナルアンサー岩 投稿日:13年3月1日(金)10時29分

1問目/そりゃ、男といっしょで、皮が剥けた時でしょう。

2問目/そりゃ、女といっしょで、しょっぱくなってきた処でしょう。

3問目/そりゃ、女は待つ、男は待たせるという、男女の性だからでしょう。


396)答えます 投稿者:シタマ 投稿日:13年3月1日(金)23時15分

○竹の子の皮が全て剥がれ落ちた時に竹になる。○海と川の境は河口部の両岸を結ぶ線。○彼女が待たされた理由は、彼氏が彼女より綺麗好きだったので。○24色のクレヨン。
ちゅうか、ふと思い出したけど、大学時代、ナンセンス駄洒落クイズみたいなのが流行っていたよね。
・ポコちゃんが、ペコちゃんが風呂に入っているのをのぞきに行きました。
 気がついたペコちゃんは、ポコちゃんに何て言ったでしょう?
・ケンとメリーの子供の名は?
思い出した?
あのころ「ケンとメリーのスカイライン」てキャッチコピーがはやっていたんやろね。
まだまだあったけど、うぅ〜む、思いだせん。


395)早速、訂正 投稿者:澤田 投稿日:13年3月1日(金)14時30分

先日のクイズ、作者に失礼になりますので、訂正します。「神田川」の作詩者は正しくは、「喜多条 忠」です。まだ、クイズの回答者はまだ、いません。ちょっと難しいかもしれません。ついでに、「神田川」から、もう一問。「二十四色のクレパス買って・・・。」と書いていますが、「紅白歌合戦」では、クレパスを使えず、他の用語に変えられました。その用語とは?「竹の子」の問題は、その高さや太さではありません。さあ、よく考えてみて下さい。海と川の境は、建築物の一種です。ここまで言えば解るでしょう・・・。


394)ちょっと息抜きに 投稿者:澤田 投稿日:13年2月27日(水)12時26分

卒業制作・学生時代については、ちょっと先送りにしてクイズを出します。ちなみに、これは真実です。○「竹の子」は、いつ「竹」になるでしょうか?○海と川の境は何で決めるでしょうか?○「かぐや姫」のヒット曲「神田川」の歌詞に、いつも私が待たされた・・・とありますが、その理由は?(難問です)ちなみに、作詞の喜多條誠が歌詞を電話で読み終わった時、南こうせつの弁では曲は出来上がっていたそうです。(問題とは直接関係ありませんが)正解者は高知の町を案内します。


393)お詫び 投稿者:シタマ 投稿日:13年2月19日(火)14時20分

390)博多漫遊記/2 の書き込みが一時、途中抜けた状態でアップされていました。
いいわ〜さんから指摘がありました。
最初は正しくアップされていたのですが、以後の書き込みでコピペしてるうちに・・・。
これも手作業による不手際です。
このページは301からの書き込みだから、
いらいらするくらい作業動作が重くなっています。
次からは1ページ50投稿にしたいと思います。
それと、文字化けの部分は、
投稿者がその部分だけでよいので、その前後の部分と一緒に送りなおしてください。
お手数ですがよろしくお願いします。


392)考え直します。 投稿者:澤田 投稿日:13年2月18日(月)14時04分

舌間くんからの指摘、確かにそうでしょう。考え直して、自分から始めます。
時間を少し下さい。苦悩に満ちた卒業制作、危うく、卒業延期になるかも知れなかったことを思い出しながら、考えます。


391)今、大阪に居ます。 投稿者:シタマ 投稿日:13年2月16日(土)21時00分

3日前から、娘のところに孫守りに来てます。
2年前に会社を辞めてから、今度で6度目の呼び出しです。
今回はちょっと長く、1カ月位居るようになりました。
孫守りちゅうか、家事ですわ。(笑)
つわりできついそうですが、
甘えてるちゅうか、頼りにされてるちゅうか、
結局ひま人て思われてるんでしょうな。
長逗留ということでパソコンは持ってきてるので、
書き込みは今まで通りでOKですよ。

ところで澤田よ、せっかく書き込み欄が使えるようになったのに、
今まで通りメールで送ってくるのはなんでやねん。
岩坂はちゃんと書き込み欄から送ってきとるで。
でも何でやろ。ところどころ文字化けしてるんよねぇ。
他の人からの書き込みがあれば
どちらに原因があるか分かると思うのでもう少し様子みます。

もうひとつ澤田よ、提案はおもしろいけど、
こんなのは言い出しっぺが最初に書くもんやろ。
確か澤田の卒業制作は点描とレタリングやなかったかいな。
自分は、あのころ家に帰らず泊まりあるいてて、
誰やったかいな?渡辺くんやったかいな?
真夜中、二人で一緒に澤田の下宿に遊びに行ったことがあるんやけど、
3畳位やったかいな、物に囲まれた狭い部屋の真ん中で、
コタツに座ったままB全のパネルをかかえるようにしてレタリングしてたよな。
苦学生を絵にしたような光景やった。
あれに女性でもいたら、『神田川』か『赤ちょうちん』の世界やろね。
三宮とは随分と違う。
あれは印象的やったなぁ。
あくまで、自分の記憶の話しです。間違ってたら悪しからず。

と言う訳で、澤田よ、このテーマの書き込みは
立案者であるお前に栄えあるトップを進呈する。


390)博多漫遊記/2 投稿者:いいわ〜 投稿日:13年2月15日(金)09時08分

4、5人でスタートし20数年後に数百人規模の会社に育て上げた。頑張れば頑張るほど充実し、頑張れば頑張るほど知人は増え、頑張れば頑張るほど富は増え、頑張れば頑張るほど自信と誇りを得た。しかし何故か、頑張れば頑張るほど味方は減り、頑張れば頑張るほど敵は増えていった。「ニンゲン的な」というコート内から「仕事のため、会社のため」というコート外に少しずつOUT OF BOUNDSしていることを薄々感じていたが、感じてない振りをしてプレーを続けていた。しかし、やっぱり自分にウソを付けなくなり自分で作り上げたモノからリタイヤした。もう一度、人を信じ、人に優しく、自分に優しく、そして何よりも自分を信じるために。A氏は凧糸を引いて走って、凧を風に乗せ、高く高く上昇させ、落ちないテクニックを駆使していたが、本当は、振り返って滅多に見上げることのない、高く大きな青空をゆっくりと眺めることが、凧揚げの本質なのだと思い出したのかもしれない。「ニンゲン的な」というコート内で、高く大きな青空をゆっくりと眺めているA氏の佇まいが、OUT OF BOUNDSばかりしていた・u栫A初孫が生まれたばかりの私は嬉しい。

私はお父さんと一緒に「まむし温泉」に来ました。お父さんと一緒に男風呂に入りました。おじさん達は皆、お風呂にはいる時、「ふー」とか言って、その後「ごくらく、ご・く・ら・く」なんて言う。声に出さなくてもおじさん達は顔でそういっている。温泉に慣れたおじさんは、前を洗うとタオルを濡らさないまま頭に載せ滑り落とすことなく絶妙のバランス感覚で湯船に身を沈めます。目をつぶってお湯の感触を味わい、壁に貼ってある〈温泉の効能〉にじっくりと目を通します。自分なりに納得するとやおら立ち上がり、濡れていないタオルで器用に前を隠し、なんのためらいもなく露天風呂へと向かいます。
私はいろいろなお風呂に入りたいから走って移動したいのにお父さんから「走っては駄目」と言われているので、あっちの湯船につかったらこっちの湯船へと歩き回っています。お父さんに「外のお風呂に行ってもいい?」と聞くとお父さんも一緒についてきてくれました。外には普通のお風呂(ゴツゴツとした岩で囲まれた)が入口と一番奥にあります。その間に人(大人)一人が入ると一杯になる水瓶のようなお風呂が3つあります。私は小学校2年生の女子。好奇心一杯。普通のお風呂にはお父さんと入ったけど、どうしてもあの水瓶のような一人用のお風呂に入りたい。3つの内の2つには若いお兄ちゃんが足を外に出して(穴に腰から落ちたような格好で)入っている。高校生くらいで多分友だち。ガマン比べをしているようだから中々空かないと思う。もう一つにはサンタクロースのような髭があるおじいさんが入っている。私は、高校生くらいの人が入っている水瓶のようなお風呂の前を通り、サンタのおじさんの前を3回行ったり来たりして一番奥のお父さんが入っている普通のお風呂に戻った。でもやっぱり、あの小さなお風蓮w)「に入りたい。もしこの普通のお風呂に入っている時、誰かにあのサンタのお風呂を取られたら・・、そう思うとやっぱりここに居てはいけない!!私は普通のお風呂から立ち上がりサンタのお風呂の前を通り過ぎサンタの様子を見ない振りをして見て、そして引き返しました。その時、顔を真っ赤にした(湯で茹で上がった)サンタのおじいさんが手招きして、「変わろ〜、気持ちいいよ〜」と言ってくれた。私は嬉しくてサンタのおじいさんとハイタッチをして水瓶のようなお風呂に飛び込んだ。サンタのおじいさんは濡れていないタオルで身体を拭きなが屋根のあるお風呂の方へ帰って行った。

温泉で身体が温まり幸せな感じになっていると、温泉に入らなかったS:2号氏が急に博多のワイン専門店(川端にある)に行きたいと・・・。A氏、S:1号氏、2人のコンピュータが動き始める。その稼働を横目にS:3号氏の木彫り(木彫りという言葉おかしくない?木の手彫りじゃない?と勝手に自分につっこみを入れて)の看板の話に。S:3号氏のご親族の別荘の看板。ケータイに入れてある写真を見せてくれた。す、す、すごい!!!完成度が・・・。初孫が生まれたばかりの私は、戒名の仕組みを調べ、自分の戒名を作り、桐のまな板を買い、手彫りをしているところ。ストレートにどうすればよいのか具体的な質問攻め。いや〜S:3号氏、すごい。そしてその裏にある良質な時間の使い方に感服。還暦を迎える私たち(特に働き詰めだった男ども)は多分これから先、時間の使い方が上手い人にならなければ人生を楽しめなくなるのだと思う。
まあそんな話をしているとA氏、S:1号氏のフル回転のコンピュータ通り川端に到着。地下2階のその店のショーウィンドウには、ふざけんじゃね〜、というくらいに大きなワインボトルが大きい順に4段階、空の状態で飾ってある。ワインに不作法な初孫が生まれたばかりの私(面倒くさいので「不作法野郎」ということにする)は、ソムリエナンバー3桁のワインソムリエであるS:2号氏(面倒くさいので「3桁ソム氏」ということにする)に「ふざけた店だな〜」と言うと3桁ソム氏は、「あるの、あるの、こういうボトルで売ってるの」と丁寧に用途も込みで教えてくれた。店に入る前から、不作法野郎はシュル・シュル・シュル〜と縮んでいった。

彼とワインを選んでいると、ワインの価値なんか全く解らないというオーラを身体全体で発しているおじさん3人が入ってきた。なぜこの店にこんな人たちが来るのだろう、ちょっと不快。3人のおじさんは後に手を組みワイン1本1本をのぞき込んでいる。3人のおじさんの中の一人、サンタクロースのような髭の人が「シャブリって何?」などと恥ずかしい質問を、3人とは離れてワインを見ていた香港映画に出てくる武術の達人のような風情のおじさんに聞いている。香港映画に出てくる武術の達人のような風情のおじさん(面倒くさいので「武術の達人」ということにする。注:「3桁ソム氏」とは同一人物です)は呆れもせず、丁寧に「不作法野郎」に説明している。おっと、この「武術の達人」はワインを少しは知っているおじさんだ、と私は判断する。すると「不作法野郎」がボトルの話を始める。「武術の達人」はボトルの形で、色で、生産地が分かるんだ、例えば・・・。私は全身を耳にして「武術の達人」の説明を聞く。なるほど、そうなのか、ワイ・u档唐ヘ深いな〜。私は「不作法野郎」と「武術の達人」が店内を移動するのに付かず離れず全身を耳にして付いていった。「武術の達人」は「不作法野郎」から離れると、店の人ともっと専門的な話を始めた。そして有料の試飲をし、店の人とワイン談義に盛り上がっている。この「武術の達人」はただ者ではないぞ。私は聞きかじりのうんちくを彼に語って買おうとして手にしていたワインを静かに元に戻し、彼が選んだワインを素直にニッコリと微笑み「武術の達人」から一番離れたレジで購入した。私は彼の腕を引っ張るようにして、変なおじさん達がいる店をそそくさと後にした。

博多漫遊記、夜の部へ つづく


389)澤田:「卒業制作」の思い出 投稿者:澤田 投稿日:13年2月14日(木)16時40分

「72D」の会のホームぺージを開くと、キャンパス欄に舌間から、「澤田よ、ホームページを作らんか?」の呼びかけがある。そんな事できるわけがない。ワープロ打ちがやっと出来る程度。いかし、考えてみれば、面白い。そこで思いついたのが、九産大時代」の思い出、はるか遠い時代となってしまったが、4年間の思い出は感慨深い。「下宿時代」「寮生活」、そして授業・・・。
上げれば切がない。
そこで、思いついたのはメインテーマは、「卒業制作」、苦労の繰り返しの毎日、忘れることはないだろう。

「卒業制作」とそれに纏わる話、むろん、それぞれの「学生生活」等、どうでしょうか?皆さんこれでどうでしょうか?
投稿順は「学籍番号順」としたいところですが、これは少々、難しそうなので、「自主投稿」、「指名制」を取る。
そこで、指名制を選択を私が選択すれば、「舌間君」、あなたです。栄えあるトップです。期待しています。

皆さんも、今から心の準備をしておいて下さい。むろん、「自主投稿」も歓迎します。勝手な、思いつきですみません。

「舌間君」、面倒かけますがよろしくお願いします。


388)博多漫遊記/1 投稿者:いいわ〜!!! 投稿日:13年2月7日(木)12時25分

2013年1月27日(日曜日)9:45西鉄平尾駅前。ダーク紺のハイエースが、《1月14日バスケット祭の監督で、試合に負けてがっかりしていたが(↓)、体育館を出るとドカ雪で明日15日は羽田から飛行機は飛ばないぞと、案の定15日は欠航だらけで(↑)、16日出発にしていた自分の判断は素晴らしいと自分を褒め(↑)、16日羽田にたどり着いたら乗るはずの飛行機がB787で高松に緊急着陸しており(↓)、欠航になり代替えの狭いプロペラ機(ボンバルディア)で2時間遅れで宮崎に着き(↓)、電車の中で女子高校生に人生で初めて席を譲られた(↓)》私の前に、キュッと止まり初孫が生まれたばかりの私を拾ってくれた。ハリウッド映画のトムクルーズのような運転をする介護食が必要なS氏(登場人物の3人がSであることに今気付き、号数を付ける)いや、S:1号氏(号数は出会った順番です)と、今日1日を綿密にプロデュースし、しかも志村けんのように上手い転び方を修得した現役女子大生のA氏が乗っていた。初孫が生まれたばかりの私を乗せた車は、スリル満点のカーチェイス?をしながら天神で二人のS氏を拾う。一人は香港映画に出てくる武術の達人なのにその素振りも見せず「ヒヒ、ヒ、ヒ」と笑う役者みたいなワインソムリエのS:2号氏、そしてもう一人は同じく香港映画に出てくる人の良い香港マフィアみたいな「だけんよ〜」が口癖のS:3号氏である。5人が揃うとすぐ、一路スンゴク楽しみにしていた[ボストン美術館・日本美術の至宝/特別展]九州国立博物館へ!!!助手席のA氏はドアの上の取っ手を握りっぱなし、後部座席のS:2号氏、S:3号氏、初孫が生まれたばかりの私の3人はフロントガラスから見える情報から目を離すことが出来ない状態で必死で会話し、ひょいと進路が変えられると、スーッと無言になり、フーッと息を吐き、また何かを打ち消すかのように必死で会話を始める。(S:2号氏の「頭の上のおっぱいの話」はお互いに共有する「ダイ・ハード」状態から生まれた癒しの話であった)そして粉雪が舞う中、九州国立博物館に着いた!!!(↑)が、いっぱいその内容を書こうと張り切っていたら[ありまん]に書かれてしまったので・u栫E・・(↓)。 まぁ、曽我蕭白と吉備大臣入唐絵巻は見応えがあったし感動した・・・ね(↓)。

気を取り直して、ここからが凄い!!!A氏のプロデュース通り、加えてタイムスケジュール通り車を走らせるS:1号氏(↑)。頭の中にカーナビが入っている!!!としか思えない自在な運転、まるで自分家の庭を走っているよう。丁度、空腹を覚えた頃、透明でコリコリの触感のイカの活け作りが食べられる「漁師村」に着く(↑)。S:1氏は介護食、A氏は現役女子大生らしく量を減らして・・・。S:2号氏、S:3号氏、初孫が生まれたばかりの私はそりゃそうさのイカの活け作り、S:3号氏・初孫が生まれたばかりの私はもちろん生ビールも付けて(↑)。仕事の話、プーの話、頭の上のおっぱいの話、インプラントの話、介護の話、ワインの話、インターネットの話、友達の消息、大学時代の想い出・・・いや〜、いっぱい話すことはあるものです。活け作りのイカはお色直しの天ぷらになりビールをそそる。テーブルの上にはお代わりのジョッキが・・・。満腹、新福、腹一杯!!!あ〜何と良い気持ちなのだろう!!!A氏、S:1号氏、S:2号氏、S:3号氏、ありがとう!!!(↑)。S:1号氏の運転に・u條オれてきた(ビールのお陰かも・・・)私たちはキレのある運転に身を任せ、ワイン談義に華をさかせる。「カブトムシの香り」・・・初孫が生まれたばかりの私がソムリエナンバー3桁のS:2号氏に「ソムリエ試験の時に、ワインを表すためのあの気恥ずかしい表現の試験は有るの?」という質問の答えの一つ。「カブトムシの香り?どんな香りじゃ〜!」よく覚えてはいないが、郷愁のある懐かしい香りを表現しているみたいな事だったと思う。表現するのに常套句があるそうで、「猫のおしっこの香り」というのもあるそうだ。それがどのような香りを表現しているのか教えて貰ったのだが、言葉のインパクトが強すぎて意味することは忘れてしまった。ホント、楽しいネ〜。

車は里山に入り「まむし温泉」に到着した。ヲォー!温泉じゃ(↑)!!!A氏はみんなの分のタオルまで用意してくれていた(↑)。そしてついに!A氏が修得した自然な転び方を、いよいよ温泉の入口で流れの中で披露してくれました。あまりにも突然のそのパフォーマンスは、完璧すぎて何が起こったのか分からず、一同カエルが潰れたようなその転び姿を唖然として見守っていたのでした。何のオチもなく(オチを付けようという余裕もなく)潰れたカエルを初孫が生まれたばかりの私が抱き起こしました。その直後に撮影されたのが、まむしの顔穴に顔を突っ込んで撮ってる写真です。A氏は笑顔ですが、多分いろんな所に痛みを抱えた上での笑顔だと思います(人生と一緒ですね〜)。


さて、まだまだ続く漫遊記ですが、舌間君のシステムの完成を祝して、早速載っけてみようと思います。


つづく。


PS. 日記を続けるコツは

 1/たくさん書かない(あまり内面には触れない)

 2/数日分まとめて書いてもOK

 3/書かない日があっても気にしない

 だそうです。

 そういえば、私もそんないい加減な感じで書いているな〜、と思い当たりました。


387)何とか、生きています。:澤田 投稿者:澤田 投稿日:13年2月6日(水)20時15分

年が明け、一月「日記代わりの、72Dの会」を開いてみる。何と表れたのは自分の分ばかり。こりゃあ、いかんと思い皆への呼びかけを、格好つけて打ってみたのは良かったけれどホームページに送る。しかし、「72Dの会」の表紙が出てこない。舌間君に電話をかけたり、解決策をメールで送ってもらったりしたけれど、何のことやらさっぱり意味不明。何とかならんかと、試行錯誤で、しつこく挑戦。すると、なぜか突然復活。見てみると、すでに、何人かのメール、ほっとした。しかし、添付の写真を見てビックリ。岩坂も住吉も顎髭真っ白。年から言えば、当然かも・・・・・。二十代から突然タイムスリップした感じがした。頭の中は、昔のままでも、髪の毛は、大きく変わるものだと実感。また会う日を楽しみに。


386)でけたー 投稿者:シタマ 投稿日:13年2月6日(水)20時00分

皆さん、お待たせしました。
やっと、やっと、やっと投稿フォームから送れるようになったよ。
解明するためにどんだけかかったことやら。
最初に送るときは古いデータを探しにいくかしれんけ、
ブラウザの更新ボタン(インターネットエクスプローラーなら、URLの右方にある時計回りの矢印)を
押してから書き込み下され。
まずは、問題なく送れるかテストメールを送った方がいいよ。
※投稿フォーム内に入力している文字は消して送って下さい。


385)岩坂、すまん 投稿者:シタマ 投稿日:13年2月5日(火)10時00分

岩坂すまん。
ありまんから先に投稿があったけ、そっちに動画と写真を付けた。

動画見れたかな?
見れない人はQuickTime(無料)をインストールしてみて下さい。
動画は容量を食うから、ある期間したらはずします。
以後は、フォトアルバムにも入れてますからフォトワールドから見てね。

タカスよ、やきものまつりの案内ありがとう。
ニュースのページにアップしとくね。
はがきの写真も紹介したいけど、スキャナ持ってないもんで
今度から写真をデータでメールくだされ。

サワダから、ホームページのトップのページが見れないちゅう電話がありました。
他に不具合がある人いませんか〜?


384)岩坂が福岡に寄ってくれました 投稿者:ありまん 投稿日:13年2月4日(月)16時15分

1月の末、岩坂が宮崎帰郷の帰りに福岡に寄ってくれて、久しぶりに皆で集まりました。
住吉くんは熊本から、北九州から舌間君、福岡組は新福、あきしゃん、ありまんの計6人。
朝から 岩坂の希望もあって九州国立博物館で開催中の「ボストン美術館」の帰国した日本の美術品を見ました。
書・巻物・絵画・屏風絵・扇面など、海外に流出した国宝級の日本の美の数々が展示されていました。
文明開化、当時顧みられることなく海外へ流出した日本の美術品の数々。
事情がありつつ、美術品を国外へ渡した日本の窓口、受け取った外国の窓口。
双方の人々の美術品に対する深い理解があったのだと思いたいもの。
それはこれまでの保管・維持管理に費やした費用と時間が示していると言いたい。
午後から 少しドライブして唐津へ。透明なイカの活き造りを堪能。
夕方からあきしゃん合流して また一献。それからまた中州へ。
深夜 帰りの新幹線も無くなる頃まで時を忘れて話ました。
住吉くんと岩坂はかなり20何年?会ってなかったというけれど
二人とも昨日も会っていたような感じで、どの話題にも雄弁で、すごい会話の応酬だった。(笑)
聞いている私達は、めちゃ楽しかったよ。もう皆は 日常モードにもどっていることでしょう。

日頃のちょっとした話題を 気づいた事など、このHPに書き込んで、報告し合いましょうや。
舌間くん、HPの管理人ご苦労様。いつもありがとう。

PS. 澤田君!ちゃんと読んでいますよ。日記がわりに。いい案です。
健吾&豊様 酔っぱらって皆で電話してすみませんでした。
新福君。運転ありがとう。疲れたことでしょう。忘れ物はそのうちに。
舌間君!windowsへの移行お疲れ様でした。大変だったことでしょう。
有意義な時間の過ごし方していますね。ご苦労様です。いつも読んでいますよ。
あの手造り看板 HPで皆に披露してくださいよ。味があって素敵だった。
岩坂!北の国は寒いことでしょう。−2℃が君が好きな仙台の温度だと知り、
南国育ちでも 人は環境に適応するもんだと 思うことでした。
住吉君!ワインの講義をもっと聞きたかったです。次回続きをお願いしま〜す。
あきしゃん! お互いに 介護の時間を楽んでやりましょうや。

写真1(九国博)
写真2(漁師村)
写真3(雑魚屋)
写真4(オグニ・ケンズバー)
・他の写真は、フォトアルバムにアップしています
・動画(フォトアルバムにアップしています)


383)ちょっと待った、不具合ありました 投稿者:シタマ 投稿日:13年2月1日(金)00時10分

キャンパスの投稿フォームが使えません。 ???
しばらくは、お手数ですが今まで通りメールで送って下され。

それと、各ページに題字が表示されないようなら、ブラウザの更新ボタンを押して下さい。


382)どうですか〜? 不具合ありませんか〜? 投稿者:シタマ 投稿日:13年2月1日(金)00時00分

この回からホームページはウィンドウズからアップしてま〜す。
いゃ〜随分苦労しました。
変なとこがあったら教えて下さい。

中身はほとんど変わってませんが、少し変わってます。
今まで愛用のマックは、キャンパスのページで調べたら、
ホームページを立ち上げてすぐだから12年前に買ってました。
澤田じゃあないけど、キャンパスは「72Dの会」の日記みたいなもんやね。
ちょっとしたことでも記録に残すというのは今後さらに大切になるね。
何か思い出すときに重宝します。
いろんな面で随分と活躍、頑張ってくれたマックは、
ホームページのウィンドウズへの移行で一応の任務は終了したわけですが、
圧縮してネットにアップしているデータがどうしてもウィンドウズでは解凍できないので
必要になるときまで「ただの箱」状態になります。

【今までと少し変わった点】
◎ホームページの題字の横にお知らせのスーパーが流れます。
◎コンテンツ欄のボタンにカーソルを当てると色が変わります。
◎キャンパスの投稿フォームが使えるようになりました。
  トヨさん、岩坂、澤田、ありまん、正介さん、他の方、今まで苦労をおかけしました。
  試しに送ってみて下さい。
  それと、送信した後、携帯にその旨のメールを頂けると早くアップできます。
◎辿る香椎界隈のページで、地図上の番号から直接、写真にリンクします。
  また、その写真のページ(ポップアップウィンドウ)の下方の矢印をクリックすれば
  直接、写真間を移動します。
  ※写真のページ(ポップアップウィンドウ)から、リンクが張られてる写真を見た場合、
    元のページに戻る時は、写真のバック(薄灰色の部分)を右クリックし、
    「前に戻る」を選択して下さい。
  気がついたら、香椎の写真を撮ってからもう5年経つんですねぇ。
  温かくなったら、新福を誘って今現在の写真を撮ろうと思ってます。お楽しみに〜。

澤田よ、何かテーマを探してホームページ作ってみらんか?
72Dのホームページにリンク張っちゃるぞ。

ところで、岩坂よぉ〜い。
動画の準備出来てるぞぉ。
福岡漫遊記たのむぞぉ〜。


381)澤田「皆の声が聴きたい」 投稿者:澤田 投稿日:13年1月30日(水)20時24分

「72D」の会、年が明けても、皆の声が届かない。それぞれに忙しい日々を送っていることは承知しています。しかし、今自分が期待したいのは、皆が何を考え、どうこれからの人生を考えているのか。子供が出来、孫も出来ている人もたくさんいます。しかし、親として、今日まで自分が如何に歩んできたか、それを伝えていく世代でもあります。混迷する内外情勢、我々が生きて来た時代と大きな変化に変わりはないとも思います。しかし、少しづつの変化のあることも多々あると思います。あの時、我々はどう行動を起こしたか、どうすれば良かったのか、思い起こす時でもないでしょうか?。それを語らい合う時間も大切な時でもあると思います。皆さんの声を寄せて下さい。我々は今、そういう年代に達しています。


380)いい加減に温故知新 投稿者:岩坂 投稿日:13年1月30日(水)09時53分

いわゆる、分厚い大学ノートを5年日記にして21年目になる。
【《コクヨ・B・中横罫・6mm×35行・100枚》ノート1ページ35行を5等分、5年日記に。100枚・200ページだから1月から6月までで1冊、7月から12月までで1冊、1年で2冊。ひと月が終わったらその月の出来事を最後にまとめ、その年が終わったらその年の出来事もまとめている。このノートが8冊。今年の1月から9冊目。】
きっかけは、事業を立ち上げて2年目くらいで忙しくなり始めた頃である。本来、私は人と深く関わり合うことが苦手で、何かきっかけがないと人に向かえない、営業が出来ない。そのきっかけ作りために5年日記という形の事業日記を書き始めたのだ。毎年行われる催事の告知広告の受注時期、仙台という支店経済地特有の転勤という人事に対応するための記録、大規模事業のスケジュールの管理応用等々、おおいに活用できた。そんな折、そういう活用を自分や家族に向けることも何かの役に立つのではないかと、個人日記を書き始めた。そうやって昨年までで8冊ということは、もう20年続いていることになる。同じページに5年間のその日の思いや出来事が記入してある。「あ〜」とその時のその出来事が甦る。時々は読み返して想い出に浸ることもある。もう放映は終わったが味の素のTVCMのコピー「あなたは、あなたが食べたものでできている」みたいな気持ちになってくる。それはそれなりに幸せな時間となる。60歳、還暦=CAN!暦 ということで【温故知新】ふるきをたずねて新しきを知る。な〜んてね!!!!!


379)年頭にあたり(遅くなったが、忘れていた):今年の目標・澤田 投稿者:澤田 投稿日:13年1月21日(月)23時31分

今年の目標:日誌をつける(準備はしていた)今までつけたことはない:ぼつぼつと、思いつくままに。「72Dの会」を借りて。
「生きた証」として、無理をせずに。             
朝の「NHK・連ドラ」、今までにない形をとって。「純と愛」を見ていると、かの「石倉三郎」が出てくる(好演)ふと、あのコント・コンビ、「レオナルド熊」はどうしているか、調べてみると、1994年10月「末期ぼうこう癌」と診断され、同年12月11日、死亡していた。「コント・レオナルド」として、一世を風靡。
「愛」役の待田愛。双子の兄弟役。十年ほど前の映画「シックス・センス」、第六感をもつ名子役を好演とダブル。幼くして弟が死亡。残された兄は、他人の心を読むことが出来る。成績優秀、他の能力も秀でる。好感がもてる役を好演。これからの役柄に期待。


378)高知・澤田・昭和は遠くなりにけり 投稿者:澤田 投稿日:13年1月19日(土)20時49分

一月十九日、全日本卓球選手権の女子の部の決勝の部・決勝、福原・石川の終了後、大相撲にチャンネルを変えると、突然の臨時ニュース、またナイジェリア問題か、と思うと、昭和の大横綱「大鵬」の死亡が報告された。まだ、70を少し超えたばかり、「巨人・大鵬・卵焼き」の時代に育った自分にとって、ショックを受けた。32回の優勝が輝く。横綱時代の趣味であった「プラモデル」であったことを知っているひとは、ほとんどいないだろう。そして、彼と同期生であった、大関「清国」、新大関でいきなり、優勝。二場所で、横綱か、と思いきや首を痛めて残念。長野・御巣鷹山に日航ジャンボ、墜落。坂本九ちゃんも乗っていた。そして「清国」の奥さんも同乗。このことを知っている人はさらにいないだろう。奥さんも死亡。我々の中にそのことを知っているひとはさらにいないだろう。「清国」は名大関であった。・・・・・今はどうしているだろう。同期生「大横綱・大鵬」の死をどうとらえているだろうか?合掌。こんなことを書いている自分は毎日、「自己破産」の準備に追われている。天井まである、本棚。こんなものの入る部屋が、見つかるだろうか?今は、みんなの収めている税金で食べさせてもらっている。まだ年金を支給されるには、あと一年。それも段階的支給。満額支給は65歳・・・・。皆お世話になります。次ぎあうことがあれば、連絡ください。


377)新年明けましておめでとうございます。 投稿者:澤田 投稿日:13年1月1日(火)17時19分

巳年の年をむかえました。

60年近くも生きてきた実感はあまりありません。しかし、1年ごとにじっくり振り返るとやはり多くのことが思い出されます。手つかずの幾つものボール箱を整理していると、多くの「手書き文字・デザイン等」が出てきます、我ながらよく書いたものだと、関心させられます。今ではその意欲さえもわいてきません。今や「レタリング」の意味さえ知らない人が看板屋ができる時代です。イラストレーションのソフトでは、手書きかと見紛うほどにまで進化しています。しかし、このままでいいのかと一方では思います。我々の学生時代には、明朝体・ゴシック体を基本にナールやタイポスが出はじめた頃でした。それが今やパソコンのフォントでは、あの「勘亭流」が出てくるにまで進化しています。自分は高1の時から通信教育で「レタリング」を学んでいたので、余計に思います。
という、自分もパソコンに頼りっきりが実態です。しかし、手作り感をどこかにと思って、ここ数年たまたま趣味のスケッチを使っています。今年のはコピー・印刷が上手くいかず出来上がりがよくありませんでした。悪しからず。原画は恐ろしく細かいです。

せめて、送り先ぐらいは、悪筆でも「手書き」であってほしいものです。

最後に、昨年末「72Dの会」では、多くの方にご心配をおかけしました。今年は何とか、前向きに歩みたいと思っています。


376)「生」を生きる 投稿者:岩坂 投稿日:12年11月28日(水)21時44分

『「生」を生きる、「死」を死ぬ』(大江健三郎の言い回し)
この言葉には生きている者の「意志」がある。だから軸足がどっちに掛かっていてもいい。どちらかに決めた以上、覚悟とパワーは必要だ。
私たちはこれから、上手に死ねるだろうか、幸せに死ねるだろうか・・・。『「死」を死ぬ』ことを積極的に肯定はしないが・・・。《おもて見せ、うら見せながら散るもみじ》
『「生」を生きる』と無意識に選んでいる人が、選んでいない「死」に巡り会った時、愛とか夢とか希望とかが途切れてしまう。その途切れたものは、「死」に巡り会ってしまった人の内なるものと同時に、残された者の内なるものでもある、それは「自死」であっても。人は生きている限り誰かと繋がっているのだから。
私はまだ、残された者として、喪ったことへの折り合いを付けられずにいる。身近な人の「死」、3.11の私にはかかえ切れない数の内なる叫び一つひとつと、まだ折り合いを付けられないでいる。

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声を上げるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても
わかってくれていたかもしれないけど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日がくるのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも
いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないでね」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

だから、おい、残される者の身にもなってくれよ!


375)澤田くん、何しよんっ!! 投稿者:TOYO 投稿日:12年11月27日(火)14時10分

バリィさんがゆるキャラ全国1位になったとノー天気な投稿をしようとしたら、澤田くんの重い投稿が・・・!だめだよ、絶対、自ら命を絶つなんて!本人にしかわからないどんな事情があろうと、死んじゃだめです!
大変だったんだねとしか言えないけれど、人はみんないろんな事をかかえながら生きている。「生きることの大切さ」を胸に前向きに生きていこうよ。
もっともっと生きたかったであろうコーチに怒られるよ!!


374)「生きることの大切さ」を知る。 投稿者:澤田 投稿日:12年11月26日(月)21時23分

六月十四日、午前ふと目を覚ます。何をしようとしてしていたのか、思い出せない。しばらくして、思い出す。ああ、そうか、死ぬのか、何のためらいもなく、風呂場に向かう。包丁を腹にさす。血が流れない。首も切ってみる。夕方までには、出血多量で、終わるだろうと思う。しかし、いくらたっても状態に変化がない。未遂に終わる。自ら、救急車を呼ぶ。救命センターで四日を過ごし、十数年、通う「鬱病棟」へ移動。十月末まで、入院生活を送る。一周忌を迎える「武政さんが、澤田君、何しうが?」の声が聞こえてきた気がする。いわゆる「自己破産」、三十数年にわたった教員生活でため込んだ蔵書の整理と破棄する資料。これから始まる新生活の準備に日々を費やす毎日・・・、「生きることの大切さ」をかみしめながら、、、、。


373)コーチの1周忌 投稿者:ありまん 投稿日:12年11月24日(土)08時25分

振り返れば、あれは50代になっていたのか思う。

突然に、デザインの仕事を方向転換するという。

それまで、医療の話は妹さんの連れあいがお医者さんということ以外

に出なかった。ご両親を看ていたコーチの方が介護の先輩だったから

私が母を看るのにアドバイスをしてもらった。

デザインの仕事がなかなか振るわず 時間ばかり費やして

利がないという。もう医療事務のテストも受かったから・・・と。

それから開業した義弟夫婦の「たむら内科」の裏方として 多忙な日々を過ごして

医療・医薬品のセミナーをよく受けていた。コーチは見事に転身していった。

でも作品の創作活動も並行していた。

昨年の秋も作品を仕上げるのに かなり無理をしていたとは思うけれど

心身ともに充実した時間を過ごしていたと思う。

5日にコーチの妹さんと話して、コーチが1年前に手掛けていた

介護施設が、この10月に完成したとのこと。

コーチの想いがこもった介護施設がスタートし、

きっと向こうで喜んでいるだろうと話すことだった。

後日、弟さんが家族で週末にお墓参りに行くと話しておられた。

コーチ向こうで、元気に作品づくりをやっているのかな。

御両親に再会してお世話をしているのか。

完成した施設にぶちぶち文句をいっているのか?

階段踏み外して、転んでないか?

携帯を忘れて探しているんじゃないかい?

いつかコーチの墓参りに行こうと思う。

ありまん


372)31,622,400秒 投稿者:岩坂 投稿日:12年11月8日(木)11時52分

万歩計を持っていると、距離を歩数で測るようになる。それを元にだいたいの所用時間を割り出す。
先日、ゆっくりのんびり街中の飲み会会場まで歩いた。1時間30分、ワクワクドキドキしながら探検気分で。
忙しい頃は点と点の移動をいかに速くするかが価値だった。今は点と点の間の線を楽しめるようになった。

インターネットで調べると生まれて何日経ったのか解る。還暦を迎える私たちは誕生日の前の日が21,914日目みたいだ。
屁理屈を読むと 「時間の単位は、じつに不規則な進法によって刻まれています。時間の最小の単位は「秒」です。
60秒で1分、60分で1時間、24時間で1日。ここまではいいのです、不変ですから。
この先が実に曖昧な基準になっています。30日もしくは31日もしくは28日もしくは29日で1ヶ月、12ヶ月で1年。
1年には365日と366日の年があります。(引用)」
だから、日にちで人の成長を見た方がいいという理屈になります。
27,000日(73歳くらい)まで生きるとしてまだ約5,000日もある。何をして楽しもうか。 

そしてその大元の1秒の定義 (物差し)が変わるという。
地球の自転、次に地球の公転、それから電磁波から1秒を割り出していたが、
今回、光(「光格子時計」日本が開発をリードするスーパークロック)が新しい1秒という定義(物差し)になるという。

絶対だと思っていた時間も 物差し すら変わるとなれば「曖昧」。絶対はない世の中、人生も・・・。
人生はいろんな事での冗談の連続、冥土に行くまでの暇つぶし。旨い酒、いいモノ・・・それと、いい積み重ねに囲まれた『極上の暇つぶし』を楽しみたい。

さて、私は31,622400秒を経て『極上の暇つぶし』の途中で冥土に行った人の分まで『極上の暇つぶし』をするぞ!!と決意を新たにしています。

『散る桜、残る桜も散る桜』
1年前にコーチの携帯に送った言葉。


371)コーチの一周忌 投稿者:TOYO 投稿日:12年11月7日(水)16時44分

コーチが旅立ってから一年が過ぎました。

薄情者のコーチは、今日まで1回も夢に出てきてくれません。
ケンゴなんか今まで3・4回夢を見たと言うし、おきゃーまはお盆の15日にみんなと一緒にいるコーチの夢をみて、その2日後にもまた夢に出てきたと報告してきてくれた。
なんで? 私も、何回も72Dの会のメンバーのリアルな夢を見たり、女性群全員で合宿している夢を見たりしているのに・・・なんでコーチはいないんだろう。
ケンゴは、私が無意識に拒否しているからだろうと言う。
そうかも知れない。

あの日の衝撃から1年経っても、私はまだ高松に行けません。
高松はコーチとの思い出が多すぎて、『コーチはもう居ないんだ。』と実感するのが辛くて今まで行けなかった。来年は瀬戸内国際芸術祭もあるし、その前に、豊島美術館にも行きたい。前向きに、勇気をだして、娘の住む高松に行こう!

実は、コーチと私とケンゴの幹事で、「72Dの会・番外編 in高知」をやろうと話してたんよ。
高知はアクセスが悪いから、お正月をさけて、みんなが還暦を過ぎて、けっこうフリーに旅行できるようになった頃に・・・コーチがおすすめの場所を考えて、ケンゴが計画をたてて、私が連絡係で・・・実現したい。
澤田くん、協力してね。 落ち着いたころに、みんなでコーチに会いに行きたいと思っています。


370)報告2 投稿者:謙吾 投稿日:12年10月25日(木)20時53分

今年は、愛媛県展にもチャレンジしました。
なんと特選をいただきました。
また写真を撮って来ましたので見てください。

写真1(作品遠景)
写真2(作品と謙吾)


369)報告 投稿者:謙吾 投稿日:12年10月8日(月)21時02分

今年も二科展に入選しました。
息子が、国立新美術館で作品の写真を撮ってくれたので見て下さい。
河地先生、石飛の作品もあります。

写真1(二科展会場)
写真2(謙吾作品遠景)
写真3(謙吾作品)
写真4(河地先生作品遠景)
写真5(河地先生作品)
写真6(石飛作品遠景)
写真7(石飛作品)


368)残暑お見舞い申し上げます。 投稿者:ありまん 投稿日:12年8月26日(日)23時57分

まだまだ暑い夏を涼しく過ごそうよ!

お化けの浮世絵を観に行こう! と住吉君が博多に来ました。

集まったのは住吉君、新福君、舌間君、あきしゃん、ありまんの5人。

福岡市立博物館で丸山応挙の幽霊図や伊藤若冲の付喪神図などの幽霊画や妖怪画など

よくまあこんなに集めたり!! と思える質と量で、怖さと面白さ満載でした。

このオバケ、幽霊、妖怪等を描くようになったのは、江戸中期から。

図柄は圧倒的に女性のオバケが多く、女性を粗末にすると、恨みや怨念をかうということですね。

女性には優しくしましょうね。」

(幽霊・妖怪画大全集は福岡市立博物館2F、9月2日まで)

それから大宰府の九州国立博物館に移動。

「十五人の京絵師 美のワンダーランド」

これまた若冲・応挙・芦雪・蕭白・蕪村など十八世紀の京都が生みだした天才絵師の
作品群を見ることができました。目の保養ができました。

ありまん

写真1(福岡市立博物館/入口)
写真2(九国博/外観)
写真3(九国博/エントランス)
写真4(九国博/飾り山笠)
写真5(九国博)
写真6(味のなかがわ/那珂川町)


367)清々しく、良い天気です。 投稿者:岩坂 投稿日:12年8月10日(金)09時50分

今朝、早朝、“なでしこ”が銀メダルを獲った。
明日、早朝、“さむらい”が銅メダルを獲りに行く!

本当に清々しい朝だ!

『国民の代表なのにこの違い』

こんな川柳を目にして、スポーツマンはやっぱり素晴らしい!!
永田町の高学歴の連中に「爪のアカ」でも・・・、
もったいないか。

ありまんが、学会で仙台に来てくれました。
同窓会で会っているとは言え、独り占めして語り合う時間は初めてでした。
ありまんの【智】への渇望は、美人大学生のころから変わっていないことを確認できました。
ありまんの生真面目さは、震災・津波の現地を見て、心に重みを溜めてしまったかもしれません。
ちょっと肩の向きを変えて、一歩踏み出し、正面からがっちりと向き合えば
その重みは、外へ向けてのエネルギーになります。

私は、被災地に訪れ、被災地を見た人たちの気持ち、思いを知ることが出来ません。
ありまんがそれを教えてくれました。

8月3日、ありまんが72Dにアップした翌日、下記の記事を見つけました。
訪れた人、私たち、両方の思いが書かれているかな〜と。

被災地見学ツアーに参加した
主婦 武井 芙美子(神奈川県平塚市 57)
東日本大震災の被災地を巡るツアーに参加して、宮城県気仙沼市や南三陸町などを訪ねた。ボランティア活動もしないで、団体で見て回るだけということに後ろめたさや申し訳なさも感じたが、実際にいってみると、各地で温かく迎えてもらえた。
現地の方々は被災の実態を知ってもらいたいと強く願っている。そして現地の今の姿を見て感じたことを周りの人に伝えて欲しいと言われた。あの時、街を覆い尽くしたがれきは、少なくとも道路からは撤去され、交通の支障にはなっていない。あちこちでプレハブの仮設店舗でささやかながら商業活動が再開されている。前向きに歩み出した人々を目の前にすると「よくぞここまで立ち直ってこられた」と胸がいっぱいになった。
一方、がれき置き場にはまだいくつもの高い山が並び、分別が手作業で続いているとのこと。津波に襲われたままの建物もたくさん残されている。海岸沿いにバスで移動すると入り江ごとに丸ごと消えてなくなった集落跡が次から次に現れた。
清掃などでお役に立てなくても、被災地を訪れるだけで「忘れていません。共に歩みましょう」の思いは伝わる。事情の許す方は、一人でも多く東北の被災地に足を運んでほしい。

話は変わります。犬好きの人、私が理事をしているNPOの《ドッグラン・サム》のホームページへお越し下さい。
可愛い犬の写真がいっぱいです。人のためではなく、犬のために
そして自然と共に生きていこうと頑張っている親父(友人)に共感しています。
http://www.h7.dion.ne.jp/~sum/

=岩坂=


366)ありまんからのメール 投稿者:シタマ 投稿日:12年8月1日(水)13時20分

ありまんから震災の投稿があった次の日、以下のメールが小生あて届きました。
併せて読んでもらった方がいいかなって思い、本人の了解を得てアップします。

舌間くん、ありまんです。

暑い日が続いてますが お変わりありませんか?

先日 芸術工学会が仙台であり参加しました。

復旧、復興がテーマだったんですが 私などは何もできなくて・・・

ただ話を聞いて、被災地を視察するというものでした。

会場の大学が岩坂の家の近くということで

学会が終わって岩坂と飲みました。

翌日 被災地に行くと言うと 「ありまん、そりゃぁ明日は落ち込むのよ!」

って覚悟がいる事を教えてくれた。

岩坂が1年前に決心して行った現地の話をいろいろしてくれました。

翌日もまた 視察から帰って 立派に落ち込んでしまったありまと飲んでくれました。

なんだか覚悟して行ったんだけど、やっぱり想像していたものとは違い

現実は 何にもなく、フリーズした荒野がどこまでも続いているだけでした。

脱力して言葉を失うって感じで、ひたすらに辛かった。

仕事場を、家(生活の場)を、家族を失っているから 厳しいの三重苦よ。

町が凍りついて時が止まっていた。自分の無力さもつくづく感じた。

被災した人達が平凡な普通の生活をとり戻すまで、我等はずーっと見守っていかなきゃと思う。

誰もが、震災の事実を忘れられてしまうことを極端に心配しておられた。

岩坂は皆に来てほしいと思っていると感じた。

現地へ足を運ぶことは、いくらかでも経済を刺激し、復旧への応援となると思う。

現場を見ていない皆に現状を伝えて欲しいと思っていたと思う。

もしfacebookしている人がいたら、

atsuko arima で探してもらって7月1日の私のfacebookを見てもらったらわかるのだけど。

写真を2枚だけ添付してみます。

写真1
写真2


365)ありまんです。 投稿者:ありまん 投稿日:12年7月30日(月)16時05分

暑中お見舞い申します。皆さまお元気ですか?ありまんです。

7月の初めに宮城県に所用で行ってきました。

仙台福祉大学で震災時の復旧に尽力された方達の御話を聞くチャンスがありました。

河北新社報道部長の今野俊宏氏、民主党衆議院議員の小野寺五典氏、

東北福祉大学准教授看護福祉/ソーシャルワークの阿部正孝准教授

日本赤十字社宮城県支部の菅原情悦氏、石巻市社会福祉協議会の阿部由紀氏、

陸上自衛隊多賀城駐屯地の橋本俊介氏 6人の異なった仕事の方達に、この1年4ケ月の現地の状況を聞きました。

話を聞いている最中にも 地震があり、会場が揺れました。慣れてないので、思わず手すりを握って身構えました。

勉強会の翌日はバスで被災地の視察に参加し、東海岸を北上しました。

名取、石巻市、東松島市、沿岸部の町や村は跡かたもなく消えて、草が生い茂った荒野が広がって それは異様な光景でした。

その日はおりからオホーツク海から吹いて来る山背(やませ)という 冷たい霧雨が降っていました。冷害が起こる原因となるお天気でした。

低い土地は引き潮になっても海水が引かずに、池や沼の様相となっていました。それでも農業者の幾人かは、汐をかぶった農地に

田植えを始めていました。バスの車窓はどこまでも 荒涼とした荒れ地が続いて、ときおり隅の方にがれきの山がありました。

それは車や船や家やビルやなんでもかんでもがその機能を失ってゴミになってビルの2階3階まで積まれていました。

バスを降りて、生命反応がない 生活のノイズがないガランとした町跡を歩きました。 荒れ果てた宅地跡に、井戸の筒が異常にせり上がって

いました。小学校跡も無残に焼けただれて 建物の骨組みだけが痛々しい感じでした。悪寒がし、校庭に足を踏み入れることができませんでした。

墓地だったところも墓石は引き潮に引きずられて散乱し、空っぽになった御骨壺も壊れていました。

草花が咲いているところを観ると庭があった場所だろうと想うことでした。町を見渡す高台の鹿島御子神社に登りました。

見渡す限り、荒れた土地が広がっているだけ、どこかでカラスが神経質に鳴いており 喪失感が襲ってきました。。

街の住人は皆どこに行ってしまったのか?仮設住宅?息子の家?親戚を頼って遠くに?

見渡す限り誰もいない、シーンと静まり返って、音がしない。生活音がない静寂だけがありました。

「ここに自宅がありました」と話す案内人。「東南にズレて地盤沈下してしまった屋敷のあった土地をどう使えというのか?個人の力では

地下のインフラを手を付けられない。水、ガス、電気、排水、地下系のインフラが使えない。」と

こういう状態では個人の力では立て直しは無理だと思った。役所が計画している高台への集団移転は 住民の半数の同意がいるそう。

その住民は離散、分散してしまっているのに どうして、誰が確認を取るのだろうか?

100年に一度?の自然災害なら、しばらくは安全だから、またそこに住めというのか?

働く場所を失い離散してしまった人々に そんなことが現実に可能なのか?

海に流された家の現在進行形の住宅のローンに また新たな移転先の住宅ローンを組めというのか?二重債務をさせるのか?

犠牲者は1万6000人に迫り、今なお行方不明の方が3000人弱、仮設住宅などに避難を余儀なくされている方が35万人以上にも上ります。

本当に現行法で対応できると思っているのだろうか?

特別な法律を作って救済できないものなのか?働く場所を失っている。

政治家は福島の原発問題で人々の視線を自然災害から他へ向けてしまっている。

現地では1年4カ月も経過したのに 深刻な状況が今も続いています。粗末な仮設住宅で、精神的にもかなり追い詰められています。

石巻で川岸の広場に「街なか復興マルシェ」という場所がつくられています。トレーラーを3台くっつけたももので、そこでは地元の農産物、

海産物の販売と レストランが設置されており、外部から訪れた人たちは復興支援の物産を購入していました。

ご自身も被災しておられる案内人の力一杯の明るさが悲しかった。案内人が言われた言葉で「風評被害」より「風化被害」の方が怖いと言って

おられた。「まだ何にも片付いていない事を忘ないでいてください!」ということ「皆さんずーっと被災地の復旧の様子を見守り続けてほしい」と

皆に伝えて欲しいと言われました。

仙台で岩坂に会いました。元気でやっていました。「震災後、仙台に来てくれたのはありまんが最初や!」と歓迎してくれました。

名物の牛タンステーキや北の海の幸をごちそうになりました。ありがとう!岩坂の願いも同じで 「ありまんの見たまま、聞いたままを書いてくれ」でした。岩坂はいつも言葉を選んで書いているでしょう。私はショックでずーっとおち込んでいてどう書いたらよいのか迷い続けました。

当時のメモをそのまま書きました。なにせ前に進んでいない現実を忘れずに、何処にいても、皆でずーっと見守っていくことだと思いました。

ご飯を食べる、友達がいる、眠る住まいがある、仕事がある、なんの変哲もない普通の生活のできる有難さを感じ 感謝しながら。 ありまん


364)行き場を失った「三志士像」。 投稿者:澤田 投稿日:12年5月16日(水)14時37分

空前のヒットとなった、2010年大河ドラマ「龍馬伝」、龍馬を演じた歌手・福山雅治、回を重ねるごとに難しい「土佐弁」も板についいていく。毎回、逃さず楽しんでいた。ところが、昨年「坂本龍馬」「武市半平太」「中岡慎太郎」の「三志士像」のレプリカを桂浜の龍馬像の傍の置くという訳の解らない案が浮上する。横に並べる、後ろに下げる等の案が出るが県民の多くの反対の声により、ついに、桂浜への案は消え去る。レプリカはすでに何百万円かの予算で、既に出来上がっていた。そこで、最後に決まったのが高知駅前である。三志士の目の前に見えるのは、ビル街。彼らは、こんな事を望んでいただろうか。
高知は東西非常に長い県である。交通の便もこれからの県である。先日、室戸岬が世界ジオパークに認定された。二、三度立ち寄ったことがあるが、国道からすぐ南に、太平洋が広がる。
やはり、本物は立地で確かめるのが当然であろう。
もう一つ、「高知龍馬空港」、人名の付くの全国でここだけである。「龍馬」頼みも、いい加減にして欲しい。さらに、今年の高知のテーマは「龍馬の休日」である、開いた口が塞がらないのは自分だけであろうか???


363)連休の残像 投稿者:ケンゴ 投稿日:12年5月11日(金)22時31分

澤田へ あの入試会場には僕もいました。たしか女性はコーチ1人だけだったので印象に残っています。
生前の彼女に何度かその話をしましたが、いつも黙って笑っているだけでした。

舌間が訪ねてくれた日(舌間に喝ッ!) 伊丹十三記念館にも行きました。
俳優、映画監督の印象しかありませんでしたが、最初はグラフィックデザイナーとしてかなり活躍していて、イラストのうまさ、センスのよさに感動しました。
とにかく あらゆる才能の持ち主でした。
建物も展示方法も素晴らしかったので、今度、松山に来た時にぜひ一緒に行きましょう。

次の日(舌間にまた喝ッ!) 大人になって初めて神輿を担ぎました。年齢が一番近い人で、47歳。いかに無謀な事かわかってもらえると思います。でもせっかく若者と繋がった絆を深くするために、来年も参加しようと思っています。

次の日曜日も、地域の恒例の河川掃除に行きます。筋肉痛がまだ一週間続きそうです。


362)舌間君、ごめんなさい。 投稿者:澤田 投稿日:12年5月9日(水)11時36分

電話の件、全く記憶がありません。それにも、関わらず今日は朝から飲んでいます。はっきり言って、完全なアル中です。ちなみに、夜は全く飲みません。ところで、安藤先生て誰?フルネームで教えて下さい。私の連休は(いつも休みですが)4月29日は、20日ぶりに自転車にカメラ一式を積み、牧野植物園へ。今回は少し頑張り三分の二ほど踏み上げる。早く着きすぎ、開園までまだ一時間、見慣れぬ樹木にまっ黄色の花、葉は全くつけない。熱帯性のものか?
まず、温室に入る。すぐ「実をつけました」の表示、天井近くにココナッツの様な実を見つける、「クロバナナ」だそうである。
ここで、少し花の話を。「タンポポ」は誰でもしっているが、ほとんどは「セイヨウタンポポ」である。日本産は「カンサイタンポポ」である。違いは、花びらの反り具合で見分ける。反りかえるのが「セイヨウタンポポ」である。二つめは「ナデシコ」、女子サッカーで一躍有名になったが、正式には「カワラナデシコ」である。
最後に私の好きな花に「オキナグサ」(翁草)がある。この花は、はじめは濃い赤紫の花びらを付ける。その後、花びらを落としたあとは、綿毛に包まれる。最後は日を受けて、光沢に輝く茎だけが放射状に残る。その変貌ぶりに魅せられて久しい。フィルム使用であるので、機会があれば舌間くんに送ります。趣味のコーナーになってしまいました、悪しからず・・・。


361)GWにケンゴん家に寄りました。 投稿者:シタマ 投稿日:12年5月8日(火)19時00分

5月の3日〜6日、兄弟3人で行き当たりばったりの旅に出ました。
山陰は天気が悪いので四国にしようなんてことになり(自分は車に乗るまで九州内だろうと思ってた)、大分・佐賀関からフェリーで四国・佐田岬へ。そこの四国最西端の灯台が見える駐車場でバーベキューしながら1泊。焼酎の5合はさすがにきつかった。(前回の検査で尿酸値が高かったので、この2ヶ月間ビールは一滴も呑んでません)
翌日、北にするか南にするか話し合い、北上に決定。途中、八幡浜の根っこにある舌間という地名の漁村で一休み。その後、白壁の町・内子の河原で昼飯、松山市北条ふるさと館で安藤先生(北九州に縁が深い洋画家)の作品を観賞。今治に程近い鈍川(にぶかわ)温泉に浸かり、近くの山の中でバーベキュー。翌日、五十八番札所の仙遊寺にお参りし(兄貴と弟は巡礼の道具一式を持っており、すでに八十八ヶ所を回った強者なのです)、いざケンゴん家へ。ハハハ、留守でした。砥部に行きよる途中とか。なぜもっと早く連絡せんかったかと、おこられました。(笑)
気を取り直して、しまなみ海道へ。大三島の多々羅大橋をバックに「しあわせの鐘」を鳴らし、本州入り。折角なら昼飯は尾道ラーメンをと目指したものの、どの店も最初から戦意喪失するくらいの長蛇の列で断念。山陰に向かう途中のわき道で、カップラーメンですませました。島根・出雲の近くの多伎(たき)ちゅうところのいちじく温泉に入った後は、荒波寄せる日本海を見ながら砂浜で、またまたバーベキュー。隣にテントを張っていた若者グループは、自分たちよりも早く入眠。今頃の若者はおりこうさんですなぁ。翌日は、九州を目指し海岸沿いを南下。山口・須佐ホルンフェルス、萩、長門を通り九州に帰ってきました。3泊4日、丁度1000キロの旅でした。
ところで、途中、安藤先生の情報をインターネットで調べてもらおうとサワダくんに電話しました。読み通り本人は家にいましたが、会話がチンプンカンプン。サワダ、真昼間から酒呑むなよぉ。


360)思い出と今と 投稿者:澤田 投稿日:12年5月6日(日)13時26分

「武政さん」がこの地を逝き、早、半年。皆から「コーチ」と呼ばれ、親しまれた人でした。さすがに私も「高知」出身で彼女をそう呼ぶことはありませでした。しかし、彼女との出会いは、おそらく私が最初でしょう。それは、「産大入試」当日、昼食時間ベンチが同じでした。私は声をかけることはありませんでしたが、母が一声かけていたような記憶があります。彼女は高知から松山への直行バスで、私は四国山地のど真ん中、旧国鉄を利用、松山で一泊。当日試験会場へ。互いに合格後、産大入学。キャンパスで交わす言葉もなく四年の月日が流れました。彼女は大学四年の時、「高知県展」(当時:商業美術の部)に入選を果たす。私は卒業後、搬入締切日、作品を抱え、バスに乗り高知市へ向かう。何とか入選に紛れ込む。教員採用後、高知市に住むようになり何がきっかけか、すっかり忘れてしまったけれど、彼女の自宅へ伺ったことがある。壁には何枚ものお母さんの作品が立てかけられていた。その後も、彼女は旺盛な創作活動を続けていたようである。私はその後しばらく意欲もなく、「県展」とはとうざかっていた。「美術」の時間に「絵文字」を生徒に教えようかと始めたのがきっかけで、自分がはまってしまった。だが、今年購入したパソコンでは、絵文字が創れない。捨てようかと思っていた古いパソコンはそのままにおいてある。今年はどうなるであろう・・・。


359)鷹巣くん 投稿者:岩坂 投稿日:12年4月23日(月)22時53分

東北に桜前線がやって来た。例年より1週間ほど遅いという。日本人にとって桜は散ることを前提にして愛でる花のようだ。だから桜には死生観が寄り添っている。そういうことに疎い私が最近は桜の花の物語に一喜一憂している。なんてこった!「桜の満開の元には死体が埋まっている」 満開の桜並木の下を歩いていると狂気の破片が心の中に刺さってくる。桜は人を狂わせる。
テレビの画面に濁りのない「白」の肌に上品なピンクの「さくら」が咲いている。それを見ただけで 「あ〜鷹巣くんだ」。 「鷹巣くんのさくら」は漢字の「桜」ではなく、ひらがなの「さくら」のような気がする。「散る桜 残る桜も散る桜」 やっぱり漢字の「桜」は辛い、柔らかさがない。鷹巣くんがライフワークにどうして「さくら」を選んだのか、理解できるはずもないが、この季節、この時期に「鷹巣くんのさくら」を見たら勝手に理解できたような気になってしまう。それくらい「鷹巣くんのさくら」は美しくて優しくて哀しい。手タレだけだと聞いていたので、エンドロールに彼の名前が出るかな〜と思っていたら、案の定、名前が下から上へと流れていった。ふーっと息をついていたら、なんと大河ドラマの後付のように、ロケ地と作品内容の解説がはじまった。「おーーー、た、た、鷹巣くんだー!」 かっこいい〜!「見えないからこそ心を込めて画く」。おー、おー、おー、「笑っていいとも」の 「友達の輪」で 「初めまして」と言ってしまった女優のように、鷹巣君はこのドラマのコンセプトをたったその一言でバラしてしまった。それを含めて映像も語りも、そしてビジュアルも、かっこいい〜!なんちゅうの、勝手に誇らしく思ったりして。明日から「俺の友達」なんて言いふらしたりして。
とにかく、72Dの皆はがんばっちょる。ただそれだけで、パワーをもらって私も子供たちと体育館を走っている。みんな!来年は還暦。(一部の人をのぞいて)明日を、来年を生きられなかった人の分までちゃんとしっかり生きていこうね。鷹巣くんのようにかっこよく、誠実に。


358)花、真っ盛り。 投稿者:澤田 投稿日:12年4月10日(火)18時12分

花見びよりの日々が例年になく続いています。桜満開の日も全国一、しかし明日は雨らしい。それも長くはないらしい。高知では珍しい、この時期は必ず雨が降る。4月1日、地域の人たちと初めて花見の宴を行った。桜と共に、「黄梅」が真っ盛り。それよれりも真昼間の酒はなぜかよく効く。自転車で飲酒運転で帰途。(法律上、違反)1週間後、五台山・牧野植物園に向かった。日頃の運動不足のため、体力限界、ほとんどを押して上がった。昨年改築した温室の熱帯植物から撮影。さすがに暑い。コチョウラン・ブーゲンビリア・ハイビスカスなどが迎えてくれた。外に出ると、土佐の皿鉢料理に似せた樹脂製の皿鉢に様々な花々が開いている。自分にはあまり興味がなく、ひたすら道端の野草を撮り続ける。しかし、ここにも体力・集中力の減退を感じる。何せ、いまだにフィルムカメラ、手動一眼にこだわっている。限界を感じた頃、区切りをつけ帰途につく。行路と違い、30分ほどで帰着。翌日、なぜか両股関節が痛い。昨日のせいかと気付く・・・。高知に来たら、桂浜の「龍馬」もいいけど、「牧野植物園」もおすすめですよ。


357)桜が開花しました。 投稿者:澤田 投稿日:12年3月21日(水)21時36分

22日予定の桜開花日より1日早く「開花宣言」。と言っても、朝夕はまだ寒い。しかし、道端の野草も春を待ちかねたように、花をつけ始めた。甲子園も春の選抜が始まった、石巻工業・主将の選手宣誓に感動、被災地の本当の春はまだまだ時がかかるであろうが、彼の言葉に勇気づけられ人も多かったと思う。
2年前辞職した時から、そのままにしていた荷物を職場から、知り合いの車で自宅まで運んでもらった。写真パネル・書籍・蝶の標本等、軽のボンゴに満杯であった。玄関は山の様に埋まってしまった。さて、これをどう始末するか、頭が痛い・・・。(岩坂論文はなかなか難解である・・・。卒業制作を思い出す。)


356)コロコロ 投稿者:岩坂 投稿日:12年3月17日(土)10時35分

2012年3月16日(金)、吉本隆明が肺炎で死んだというニュースが流れた。私にとって大江健三郎が「良心」なら、吉本隆明は「芯」であった。
ANNE HECHE (アン・ヘッシュ)というハリウッドの女優がいる。とても新鮮で繊細な感じの美しい女優さんだ。ショートカットだと若いころのオードリー・ヘプバーンを彷彿とさせる。その女優さんの人生は(まだ43歳だが)波瀾万丈である。あんなに美しい女性なのに、その人生がどうして顔に出ないのだろうと思ってしまう。そう思ってしまう人生を送っている。強い人だ。
ROLAND KIRK(ローランド・カーク)というジャズマンがいる。42歳で死んだ。演奏形態が奇異だったため「グロテスク・ジャズ」と紹介されていた。その彼が見直されつつある。彼が尊敬していたコルトレーンと同列のジャズマンとして評価されつつある。コルトレーンの「シーツオブサウンド」、カークの循環呼吸での演奏。本気で向き合う人は極める。
セブンイレブンのマーク。有名な話なのかもしれないが、ちょっと変だということを知った時は知ってることを自慢したくなった。そして世の中、一生懸命に意識して生きないと、ただ見ているだけで、本当は何も見ていないのだ、と思った。
一家にひとつだと思っていたので買わなかった「コロコロ」。ついに自分の部屋のために買った。有ると、とにかくコロコロしている。目に捉えてなかった髪の毛がくっつくと、「お、お〜!」と思ってしまう。ちょっとした切れ端やクズを根こそぎひろってくれる。それまでは、柄の付いた「化学ぞうきん」でほこりを拭いていた。しかし成果が目に見えない。「コロコロ」は成果が目に見える。だからつい転がしてしまう。
震災から1年がすぎた。吉本隆明もANNE HECHEもROLAND KIRKもセブンイレブンのマークも被災者にいろんな事を教えてくれる。1年経った。被災地もそろそろ「化学ぞうきん」から「コロコロ」になって欲しい。被災地はまだ1年経っていない。


355)お久しぶりです。澤田です。 投稿者:澤田 投稿日:12年3月13日(火)09時32分

キャンパスに投稿しましたが届かないので、舌間くんに教えてもらった方法を試してみます。教員辞職後、2年が経とうとしています。
橋・神社・街並みをシャーペン一本で描ききること、いまだにフィルムカメラでの植物写真を撮影、ここ数年は昨年亡くなった「武政さん」が常連であった「高知県美術展覧会」(グラフィックデザインの部}にも、挑戦しています。こんな趣味ざんまいの生活を送っています。72Dの会はしばらく御無沙汰しています。次回は、是非参加したいと思います。高知工業高校在職中には、何人かの教え子が「産大」に進学しました。暇ができた方は「土佐の高知」にも足を延ばして下さい。「坂本龍馬もまちゆうぜよ!!」


354)くまモンにはかなわない 投稿者:TOYO 投稿日:12年3月2日(金)23時56分

住所録届きました。アキさん、ケイコ、シタマくんお世話になりました。ありがとう!
シタマくんの表紙を見ただけで、楽しかった熊本の思い出が甦ってきました。
アキさん、ケイコ、ありまんが、夏に下見にまで行って、玉名の観光名所を調べてくれたり、パンフレットをいっぱい送ってくれたりしたのを完全無視して、時間もゴリ押しで、カッパ工房に行ってしまいました。すんまっせ〜ん。
だって、行きたかったんですもん。カッパ先生のおニューのお店も見たかったし、久々に玲子さんにも会いたかったんですもん。
最初の予定は、九州新幹線で、新玉名までぱひゅ〜んの予定だったのに、急遽変更してしまって本当にごめんね。

熊本城は良かったですねー!
特に印象に残ったのは、お姉ちゃんが連れて行ってくれた、市役所の最上階から見降ろした熊本城全体の景色!圧巻でした!さすが、地元の人しか知らない穴場中の穴場。観光客が入れるようになってて、写真をいっぱい撮りました。
しかも、4日だったから市役所の仕事始めで、みなさんがお仕事中なのに、「観光客で〜す。」の私たちがぞろぞろ・・・あれは面白かった。ありがとう、お姉ちゃん。

「しろめぐりん」のバスで偶然乗り合わせた、可愛い忍者のゆかちゃん。
地元の小学生で、観光ガイドボランティアの修行中。ずっと私たちの専属ガイドをしてくれました。いろいろ説明してくれて、とても楽しかったです。
そのボランティアの先生が、「ゆかさん、声が小さいから独り言になっているよ。」とか、「ゆかさん、ここを説明しなくちゃ。」と言いながら、自分がいっぱい説明してくれて、それが、おかしくて、おかしくて、タメになりました♪
雪のちらつくなか、忍者修行も大変だ。あの2人のおかげで、あったかくて、癒される熊本城の思い出になりました。

さて、タイトルの「くまモンにはかなわない」
年末に行われた、「ゆるキャラグランプリ」ネットで投票なんだけど、途中で、「にしこクン」の不正投票があったりして、却って盛り上がった結果、くまモンが堂々のグランプリ!!
第2位は、我が今治の「バリィさん」 私がずっと一緒にPTA活動をしていた会長さんが社長の印刷会社が考案して、今大人気!グッズとかもいっぱい増えて、タクシーにも描かれていて、市をあげて売出し中!2位になった日には、市役所に「バリィさん、全国ゆるキャラ第2位おめでとう!」と、でっかい垂れ幕が降りたもんね。
・・・が、どうやってもくまモンにはかなわない。
だって、くまモンは、あのどうしょうもなく愛らしい体型と、丸くも縦長にも横にも、笑顔にもなるお目目と、どうにでもなる短い手足と・・・いっぱい表現できるんだもの。横向きにも走れるんよ!
バリィさんは、表情は変わらないし、腰をふるか、しゃがむしかできないんだもの。
どことなく他人とは思えない「ぷにぷにくまモン」と、「すーすーす。とっとーと。」のくまモンクリーナーを携帯に付けていたら、「裏切り者〜!バリィさんにせんかい。」と叱られた。だってだってだって、くまモン可愛いかもん。しゃーないやんか。


353)もうすぐ一年 投稿者:岩坂 投稿日:12年2月16日(木)18時03分

昨年末、喪中はがきが例年より多かった。歳と共にその類は増えてゆくのだろうけど、複数の身内を同じ日に喪ったという、喪中はがきが数枚あった。新聞ではまだ3,200人以上の人が行方不明、と数字で示している。砂時計のように行方不明者数が減れば死亡者数が増える。死亡した人の名前と年齢が掲載されるが、以前はお年寄りが多かった。昨日は5人の死亡者が掲載された。40代の方が2人いた。だんだんと、若い人が死亡していく。行方不明という此岸から死亡という彼岸へ“三途の川”を渡らせることにした身内の苦悩が、名前と年齢だけの文字の裏にホルマリン漬けになった標本のように濁って見える。もやもやしている。
今年も「ミニバスケット」の子供達の卒団文集の依頼が来た。
昨年は文集が出来上がったのが夏休みだった。震災で身の回りのことに忙殺されそれどころではなかった。しかし、ご父兄の熱意と子供を思う気持ちが、立派な文集となって出来上がった。
そして今年の子供達、あの震災をどう受け止めて「ミニバス」を頑張ってきたのか。県としての大会は一度だけ、東北の大会は中止になった。そんな目標のない状況の中で、私は子供達に救われた事を思い出す。内向きに、後ろ向きになる心を、明るく前向きにしてくれたのは、紛れもなく子供達の笑顔だった。練習中に揺れたりすると表情が固まり、その後、私に向かって一目散に走ってくる子供達。心に傷と不安を抱えながら、それでもなんの駆け引きもなく笑顔を見せてくれる子供達。今年の子供達に私はなんて書いてあげようか。みんな花丸、二重花丸!
「ずっと予選落ちだったとしても、そのスポーツを通じて、その子が自己実現したり集中力が身についたりしてればいい。数値や表面だけの成果主義に陥ってはいけません。」と言った教育評論家の尾木直樹の言葉は、(本来子供の教育のために発せられたのですが)私のこの一年間を慰めてくれる言葉に衣を変えます。
ありがとう、ありがとう。1年経って、あの時の純粋な思い、県外ナンバーの支援の車が目の前を通りすぎるだけで、涙ぐんでたあの時の感謝の心。どんどん忘れて行く。多分忘れることは良いことなのだと思う。忘れるからこそ次へ進める。しかし、忘れてはいけない事は忘れてはいけない。あの時日本人が感じた純粋な慈悲と感謝。少なくとも私は忘れないように、こだわって生きていこうと思う。
「お金と命、どっちが大切なのですか?」小学生が政治家に質問したそうです。大地震→大津波→放射能。そして、日本経済を破壊する大きな力が、日本を覆っている。ブレーキの付いてないスーパーカーに乗ってきた日本。そろそろブレーキの付いた普通の車に乗り換え、時には停車してまわりを見つめ、自分の位置を確かめる事も大切なのではないだろうか。昨年来日したブータンの国王と后。その時初めて知ったブータンという国が唱えるGNH(国民総幸福度)。2011年が日本にとって大きな変化の年であったからこそ、復興元年の今年はブータンの考える幸せ哲学をちょっと見習うと、日本という国は良い方向に向かうのではないかと思うのです。
(72Dのこの欄に政治的な発言はまずいと思いましたが、お許しください)


352)酒蔵のまち、城島にて 投稿者:SHOU−JI−ROU 投稿日:12年2月13日(月)20時22分

今年で18回目を迎える酒蔵びらきが、2月11日に久留米市城島町で開催された。

このイベントは、年々減っていく日本酒を醸造する業者各社が危機を抱き、一人でも多く、たくさんの人々に日本酒を愛飲してほしいと願い、業者同士が垣根を越えて力合わせて始まったとされる。

一日限りのため、小生は常連の新福くん、新参の舌間くん、3人で酒蔵びらきに訪ねた。

この日は例年になく、快晴そのもので、曇り一つない青い空が澄みきっていた。

それもそのはず、遠方から多くの団体ツアー客が駆け付け、会場をぎっしり占領してしまった。
まるで花見行楽シーズンのようだった。

会場に出ると、広場には三ヶ所のテント張りに「A,B,C」と文字が目についた。
この目印は、酒蔵自慢のお酒の飲み比べが自由に体験できるので、まさに千載一遇ばかり、好都合も悪くなかろう。自在に特級クラスの酒を飲み比べたりするのは、普通の酒屋さんにはまずない。
ここでシタマくんと二人分のチケットを買った。
まず、「A」は にごり酒、「B」は 純米酒、「C」は 大吟醸 という風にコーナー別に仕切っていた。
しかし、人だかりが多く、コーナー前の行列はあきれるほど長く並んでいた。

小生は先に、「A」のにごり酒へ進み、この後に「C」の大吟醸を決めた。

「いっぱい、入れてよ〜」、「たくさん、入れて!」 おばさんにさかずきに酒を注いでもらう。

「ほ〜、うまい!」、「こりゃ、うまか!甘口じゃん」、「こりゃ、おいしかね〜」
口の中にとろり甘口がひろがる。
トロ〜リとなめらかな米の旨み、柔らかな飲み口、味わい深く、そしてさわかな口当たり。
飲んでも飲み飽きない、至福のひとときだ。大吟醸はすごい!旨み十分な芳醇酒だ。もっとも上級酒だと考える。

あれ〜、新福くん、どこさん行った?あいつはパクリ上手だね。ただ喰い、飲みもサービスで。食品のサンプルをつまみ食い、紙コップの茶を飲み、無料のうどんの前に並んでいる。もうほどほどにして。

会場を離れて、「花の露」と「有薫」の酒蔵へ訪ねてみた。
「花の露」では、貯蔵タンクから新鮮な雫しぼりを次々と透明なビンに注入していた。

雫しぼりのサンプルを飲んでみると、濃醇な味がした。低温貯蔵酒のため、熟成した旨みだった。
小生はこの酒を五本買った。

それから、河畔の「有薫」酒蔵にも訪れたが、ここも多くの観光客が来ていた。
露店では、おいしそうな地鶏焼きを売っていた。舌間くんがそれを注文した。
口の中がコリコリと歯ごたえがよく、とても美味しかった。

酒蔵の建物のあいだから、遠くに天山の山々、脊振山のレーダー気象台がよく見えた。山の頂に映える白い雪が青い空とのコントラストが良く似合う。本当に生きる実感というか、生き直しを与えてくれた。

このあと城島酒蔵びらきを去り、小生三人で熊本の平山温泉へ出発した。

写真1(花の露)
写真2(花の露)
写真3(有薫酒造)
写真4(平山温泉/熊本)


351)第18回同窓会 投稿者:あきさん 投稿日:12年2月3日(金)12時41分

まずは、報告遅れました事お詫びいたします。

もう1ヶ月過ぎました。
あの時の温泉のぬくもり・雪のちらつく中歩き回ったこと忘れそうだけどだんだんと思い出します。持参の銘果「あまおう」・「紅マドンナ・オレンジほどのソフティーなみかん」ちょっとした歓声があがりました。

3日は、17時にホテルに全員集合なんですが。
おきゃーま・こうがくぶ・けんご・とよ・舌間君・原さん・ありまん・ちかさん・正二郎君・新福君の10名は、博多集合で、一路有田へ。
鷹巣工房ギャラリーをたずねた面々は、りっぱになったかっぱ師匠を支えた奥様に感謝の礼を述べ、かっぱ殿も引き連れて、会場の玉名の温泉へ・・

後藤君夫妻と住吉君・田中さん・圭子とアキさんは首をながくして、彼らの来るのをまちました。

今回は、新幹線も開通したので利用できる沿線の温泉で!  ということだったので、初新幹線「つばめ」でした。車内のあちこちに九州特産の工夫がこらしてあります。
床は小さなつばめの絵のシート貼り、窓のブラインドは大分竹工芸の竹、壁には博多織で刺繍した絵、売り子さんは久留米絣で出来たベストスーツなど、楽しむことができました。
皆がやっと集まって、ようやく宴会会場へ・・・
宴会は、写真にて想像してください。

よく日、4日は朝食を皆たくさん食べていました。食べれることはいいことです。これから老いていくにあたって、大事なのは、よく食べるってことです。食べられなくなったら呼んでくださいね。皆で食べるとおいしいし、たくさんたべることができますから。
食後、出発です。
ホテルのバスとかっぱ号・新福号・ちかさん号が連なって、熊本駅着。

市内電車で現代美術館へ。美術館にしてはあまりにも街の中心にあり、歩きつづけた人を静かな空間に包み込んでくれるのは、有難く、自慢できる施設と思えました・
その後熊本城へ。まず、観光名所としてつくられた「城彩苑」内で昼食、その後は、城内へ行くグループとプラネタリュウムのグループに別れ存分に満喫したものと思います。
ぜひ熊本城に! と切望した後藤君・とよさん如何でしたか?
このとき雪も降りましたが、気分は学生時代に戻ってしまっているので何のその!寒さなんか感じませんでしたね。食べてる時も市内電車の中でも移動のバスの中でもよーく喋っとりましたなー   (もっとも、喋ってるのは女性軍団ですがな)

そんなこんなしてる内に、熊本駅でのお別れの時間になりました。

次回19回は、福岡にもどります。
幹事は、ちかさんと新福君です。

還暦を迎えたひと迎えるひと、よく続いている同窓会です。
初心に戻って、福岡です。
じっくりと楽しみましょう。



350)送る言葉 武政 Sumiyo さま 投稿者:ありまん 投稿日:11年12月8日(木)02時00分

(11月9日お別れの会でコーチに送った言葉)


349)かけがえのない友達 投稿者:TOYO 投稿日:11年12月8日(木)00時21分

岩坂の投稿の「彼女」はコーチそのものです。
あの日のコーチの行動、思考、パニック状態が私たちには手に取るようにわかります。ケンゴも読んで、ボロボロに泣いたと言ってました。
20年くらい会ってなかったはずなのに、コーチの一番いいところ、私が彼女を大好きなところを、『最善の優しさ』という的確な言葉で表現してくれた岩坂の洞察力と優しさに感動しました。ありがとう!

高松空港に岩坂を迎えに行ってと頼んだとき、コーチは二つ返事だったよ。
何のためらいもとまどいもなく・・・「わかった。」
空港への道も知らないはずなのに・・・「調べる。」
途中でおうどん食べたいんだって・・・「わかった。」
私はね、何度も何度も、岩坂に「免許証、持ってきて」と言おうかと思ったんだけど、ケンゴが、「コーチに任せた方がいい。」・・・で、全面的にお任せしたの。あとから聞いて、「『わら家』まで行ったんかいっ!??」驚いた!
岩坂、あなたが感じたとおり、「わら家」はコーチの最高のおもてなしだよ。二つ返事で、遠方からの友を迎えに行くために、おそらく何度もシュミレーションして、それでもドジって、パニクってたであろう彼女を本当に愛しく思います。

棺の中に、7月に小田和正のコンサートに行った次の日、徳島の脇町で、おきゃーまと3人で撮った最後の写真と柳川の会の集合写真を入れました。
「みんなと一緒だよ。」というケンゴからのメッセージです。
お別れのカードに私が書いたのは、
「何やっとんじゃー!!!一人で黙って逝くなんて、裏切り行為じゃー!許さん!謝りに夢にでてきて!お願いだから、頼むけん、夢にでてきて。」
「ったくもう〜、相変わらず厳しいお言葉。もうちょっと優しくしてよ!!」と言う声が聞こえてきそうです。

一ヶ月が過ぎ、時が少しずつ、少しずつ悲しみを癒してくれるようになったけど、まだ、コーチは夢に出てきてくれません。私はずっと待っています。


348)「最善」という優しさ。 投稿者:岩坂 投稿日:11年11月16日(水)11時29分

2011年11月8日(火)、ありまんの電話からどうも気持ちと意志と行動が一致しない。3月11日以降のあの感覚と似ている。震災後の不一致はやっと訂正されてきていたが、新たな不一致が始まった。そして、とっ散らかった自分の心と向き合う。

2008年11月22日13時55分私は高松空港に降り立った。初めての場所で心細い私を、彼女は人目もはばからず大きく手を振って満面の笑みで迎えてくれた。仙台を立つ前から「本場のさぬきうどんが食べたい」と言う私のリクエストに応えるべく、買ったばかりの真っ赤なベンツで彼女は走り出した。見知らぬ土地、彼女の運転に身を任せ、どこを通っているのかも解らぬまま、大きく看板の出ているさぬきうどん屋を通り過ぎてゆく。「何処でも良いんだよ」と言うと突然「ここが私の働いてる病院よ」と言う。私は慌ててその洒落た造りの病院を見る。彼女はただ前を向いて必死に運転をしている。その病院についての私の感想はどうでも良く、ただただ、彼女がいま日常を送っている場所を私に見せたかったのだろうと思う。そして彼女はボソッ、ボソッと言葉を選ぶようにして喋る。前を向いたまま、ハンドルを握りしめたまま「さぬきうどんを食べるなら一番良い店に連れて行きたいから」と。「あの小高い所で石が取れるんよ、ノグチ・イサムの美術館もある」と薄茶色の丘に目配せして教えてくれた。「その左の山が屋島、今からそこへ行こうと思うんよ」と前を向いたまま喋る。運転でめいっぱいの様子がひしひしと伝わってくる。“栗林公園”の横を過ぎて右折し車を走らせる。この辺りから、彼女の運転が前のめりになってくる。私は話し掛けないようにしていたが、彼女の口から「ん」、「あらっ」、「あれっ」と言う声が漏れてくる。精一杯私のために気を使ってくれている彼女に、私は助手席でのんびりとした雰囲気を作っていた。そして車は細くなる路の途中でとうとう止まった。「どうしたの」「間違えたみたい。ちゃんと昨日予行演習してたのに」必死で何度もハンドルを切り返し今来た道を戻り始める。「おきゃーま の時間何時だっけ?」と焦って聞く。まだまだ時間あるのに彼女は自分の性格から割り出した彼女時間を心配し始めている。私はそれから本気になった。車内にあった地図を見、現在地を探り、何処に行くのかを聴き、勘でナビを始めた。「本家わら家」という釜揚げうどんの店はもう1本先を左折して登ったところにあった。「さぬきうどんを食べるなら一番良い店に連れて行きたいから」と言った彼女の言葉が全てを物語る素晴らしい店構えと美味しさでした。

今、Google mapであの日をたどると、彼女は「たむら内科」見せるために一度東へ進路を変え、西に戻って北進し「栗林公園」を私に見せてくれていました。彼女は「最善」を選びます。しかしその「最善」は自分にとっての「最善」ではなく相手にとっての「最善」です。苦手な運転であったり、前日のシミュレーションであったり、おきゃーま との待ち合わせ時間であったり。伝え聞いた話でも、妹夫婦の医院開業で手伝いをするため、開業の時には医療事務の試験をクリアしていたという。彼女の彼女自身への「最善」は自分に一番厳しくしなくてはならない作品作りの時に使っていたのでしょう。

私は皆より遠くにいる。会った回数も少ないし、そんなに引きずるほどでもないだろう、と思っていました。しかし、余り喋らない車内での無言の会話と、彼女が示してくれた「最善」の優しさをかみ締めながら、お互いの人生の中で唯一の二人だけの思い出として残るこの情景が、濃く深く何度も何度も私の頭の中で繰り返されます。

彼女が作った「たむら内科」のホームページに載っている日常の彼女の写真をあらためて見ています。

合掌


347)悲しいお知らせ 投稿者:TOYO 投稿日:11年11月10日(木)15時24分

11月7日 午前0時(推定)コーチが、脳出血のため永眠されました。

5日土曜日午後1時に仕事を終え、7日月曜日に出勤しなかったため、妹さんが様子を見に行ったところ、自宅マンションで亡くなっていたそうです。

9日高知市でお別れの会があり、舌間くん、ありまん、アキさん、おきゃーま、ケンゴ、私の6人で最後のお別れをしてきました。

あまりにも突然の訃報。
最後のお別れをしてきた私達でさえ、いまだに信じられません。悲しすぎる。
お別れの会には、72Dの会から、一対の生花をさせていただきました。

祭壇には、コーチの数々の作品が飾られていて、生で見た作品のあまりの素晴らしさに感動しました。
二科展や、県展の写真で見るのとは全然違う迫力で、コーチの才能と作品に対する気迫に圧倒され、改めて、「コーチは、全身全霊で生きていた。」と思いました。

純粋で、才能あふれていて、ドジなところや、とぼけたところがあって、一生懸命で、自然体で・・・みんなに愛されていたコーチ。

コーチ!コーチ!コーチ!コーチ!!!
もう一度 あなたの笑顔が見たい。


346)二科展に入選しました。 投稿者:謙吾 投稿日:11年10月18日(火)20時45分

今年の二科展にチャレンジしたところ、入選しました。お知らせします。
去る8/31〜9/12 六本木国立美術館で二科展が開催されました。
息子の光太郎が、写真を撮って来てくれたので見て下さい。

尚、石飛は今回も入選しています。おめでとうございます。
コーチは今回は応募していません。

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345)「72Dの会2012 in 熊本」訂正と簡単なスケジュール予定です 投稿者:村山Keiko 投稿日:11年10月17日(月)16時38分

皆さんへ送りました「72Dの会2012 in 熊本」のご案内で少々変更いたします。

●3日の宿泊先などは変更ありません。玉名温泉「白鷺荘別館」
http://shirasagiso.jp/
●4日の定期観光バス「みずめぐりん」を熊本城周遊バス「しろめぐりん」に変更いたします。
http://www.manyou-kumamoto.jp/contents.cfm?id=602
限られた時間の中、熊本城とその周辺の施設にフォーカスしました。
http://www.manyou-kumamoto.jp/castle/

●簡単なスケジュール予定です
1.4日朝、玉名温泉「白鷺荘別館」からバスを出していただき熊本駅新幹線口西口まで行きます。
 車の方も並走いただいて熊本駅新幹線口「西口」立体駐車場へ止めてください。

2.熊本駅にて荷物を預け市内電車にて「熊本市現代美術館」へ。
http://www.camk.or.jp/

3.昼食後、熊本城周遊バス「しろめぐりん」で「桜の馬場 城彩苑」へ「湧々座」見学30、40分(予定)
 その後自由行動となります。最寄りのバス停を利用して各施設を見学ください。

4.夕方、「桜の馬場 城彩苑」へ集合して熊本城周遊バス「しろめぐりん」にて「熊本駅」へ
 「熊本駅」解散になります。17:30〜18:00解散(予定)

※各自、事前に行きたい施設の下調べお願いします。
※熊本城周遊バス「しろめぐりん」20分間隔で運行。各バス停からもよりの施設へ
※現地で1DAYパスをお渡しします。主なバス、電車の1日乗り放題乗車券(各施設割引券付)
※熊本博物館(プラネタリウム)096-324-3500は観覧時間が決まっています。各自ご注意ください。
http://webkoukai-server.kumamoto-kmm.ed.jp/web/planetalium/what.htm

●3日、早めに玉名到着の方は山鹿まで足を伸ばして(車の方を誘って)みて
1.「八千代座」
 http://www.yachiyoza.com/
2.米粉のパン発祥の道の駅「水辺プラザかもと」0968-46-1126へ
 http://www.mizube-plaza.co.jp/eat-buy.html
3.「石のかざぐるま」
 http://www.ajkj.jp/ajkj/kumamoto/kamoto/kanko/isinokazaguruma/isinokazaguruma.html 
 http://www.youtube.com/watch?v=I6cjSlBnqaw
ルートとしては、1.2.3順がいいかな。お薦めです。

現在、20人ほど参加される予定です。

幹事
小佐井Akiko 09045108562 akihiro@tempo.ocn.ne.jp
村山Keiko 09026716437 keiko115.murayama@gmail.com

以上、よろしくお願いします。


344)季節は巡る。岩坂です。 投稿者:岩坂 投稿日:11年10月17日(月)14時00分

私の部屋から見える木々。夏には緑に覆われ一本の木に見えていましたが、最近手前の木が紅葉を始め、緑のひとかたまりだった木々が3本の木であることを教えてくれます。震災後は桜が咲いたり、若芽が芽吹いたりする自然の巡りが腹立たしくもありました。自然という力に打ちのめされたのに、自然は何事もなかったかのように巡っているのです、しかも美しく、新鮮に。そんな頑なな心が、紅葉の時期になってやっと自然の巡りに心を開けるようになってきました。
昨日宮城県ミニバスケットボール連盟の方から電話をいただきました。実は昨年私のチームの男子は宮城県で優勝し全国大会に出場する予定でした。(震災で全国大会が中止になりバスケットの聖地「代々木体育館」での試合は叶わぬものとなってしまいました。)女子は女川が優勝していました。ご存じのように女川は町ごと津波で無くなりましたので、渡されていた優勝旗等も流され消えて無くなりました。で、昨日の電話です。男子の優勝旗は私のチームで保管しています。そして今年の冬の県大会がそろそろ始まります。男子の優勝旗を見本に女子の優勝旗を再制作したいのでお貸し下さいというお話しでした。あ〜、まだまだ震災は根強く残っていると思った瞬間でした。
さて話は変わりますが、この72Dに送らせていただいた文章を手直ししたものを、新聞広告に出ていた「東日本大震災遭遇記」の原稿募集に応募してみました。72Dの皆さんにこの震災の規模を正確に伝えようと書いた文章でしたので「記録性に優れています」というところで掲載されました。〈発売:星雲社/発行:創栄出版 「東日本大震災99人の声・あの日のわたし」 あの日のわたし編集委員会 編〉全国発売です。ひょっとしたら、皆さんの町の本屋さんで扱っているかも知れません。その時は、立ち読みでもしてください。


343)幹事のあきさん です 投稿者:あきさん 投稿日:11年9月30日(金)10時47分

本日、9月30日。
26名の返信が届きました。14名参加です。今回は、早い御案内だったので、都合がとりにくいだろうし、未定の方が多いことと察します。
部屋の予約は、余裕をもたせてますので、とはいっても、なるべく早い返事をまってます。
郵便受けをみるのが楽しみな毎日です。

ホームページをみている方が、半分ですね。
歴史を積み重ねてるって実感します。舌間君のおかげと、じつに感謝。
返信ハガキを受け取って、その文字や文面をみると、一人一人の顔が思い出されます。それは、50代の顔であったり若い時の顔であったり、このまま歳をかさねていくんだろなー
定年という歳を目の前にして、何か変わるのでしょうか?

ここで、返信ハガキのメッセージを幾つかピックアップして紹介します。

  勇悦*あまり変わりありません。皆さんお元気でお過ごし下さい。
  
  後藤夫妻*前々回、前回2回も欠席しましたが、今回は出席します。熊本城は是非見学したかったので、楽しみです。

  上村さん*地元なのでお手伝いできます。熊本城近くの博物館のプラネタリウムが新しくなり大好評です。観光良し、食べ物良し・・楽しみにね!

  正介さん*私の言動は皆さんに困惑させる事が多いと思います。お詫びします。会社の民事再生も終結して、平常になり、私も来年定年を迎えます。

  岩坂*皆さんに元気な姿を見せたいのですが、来年も、震災にあいながら就職難でも頑張っている子供達とバスケをやる予定が入っています。私は元気です。

  ちかさん*今回こそ出席するぞ!!皆さんとゆっくりお話するのを楽しみにしています。

  住吉*比較的、健康で規則正しい生活を送っています。1月4日は現代美術館までは参加します。早く帰らないと仕事が・・!

      以上

夏休みとるために、玉名温泉に行き、当ホテルに1泊しました。ありまん・圭さん・山鹿出身の後輩と4人でした。温泉質はいいですよ。食事は、満足することでしょう!これでもか・これでもか、というくらいの満足感です。
皆様と、有意義なひと時が過ごせますように楽しみにしております。


342)言葉 投稿者:岩坂 投稿日:11年7月25日(月)16時51分

震災後、福島第一原発が水素爆発を起こし、放射能というものが現実的に私たちを脅かせ始めた頃「正しく恐れる」という言葉をいろいろなメディアで見聞きしました。その言葉にどこか違和感を覚えたのは私だけではないだろうと思います。どういう意味なのかその言葉からはすぐに伝わってきません。そんな時、その言葉の出自が書かれているものに出会いました。「かつて寺田寅彦の書いた「正当におそれる」という一文を、科学者たちは「正しく恐れる」と反対の意味として言い換えている」。言葉とは、ここまで来ると無理矢理ひねり出したようなもので、現実味が無く空虚ですらあります。その文章には「創造的復興」、「絶望の後の希望」、「防災でなくて減災」などという言葉も同列として並べてある。「本当の絶望の深みを知らぬ、軽石にひとしい言葉」だと。
今回の震災でも、マスコミは着飾った言葉で私たち被災者を傷つけました。これからの暮らし、これまでの暮らし、築き上げてきた財産、育て上げてきた仕事、そして何より一緒に生きてきた人を津波は根こそぎ奪っていった。これからどう生きていけばいい?これからどう暮らしていけばいい?テレビでは必ず「今必要な物は?」と聞く。東北の被災者はそういう言葉を有り難く聞いていると思っているのかもしれないが、ふざけんじゃねえ!じゃあそれを言わせて、あんたが汗水垂らして持って来てくれるのかい?いかにも親身に考えているような顔をして、辛いだろうな〜と慮った顔をして、上から目線で。いかにも全体を把握してるかのような口調で「なぜ物資が届かないんだ」などと解った風なことを言い、言葉を並べ立てる。今からまた一から始めましょうと、簡単に言うけど。諦めず、夢を捨てず、頑張ろうと簡単に言うけど。きれいな場所で、きれいな格好をして、解った風に言うなら、じゃあどう頑張ればいいのか、ここへ来て具体的に私たちに見せてくれよ。地震や津波は私たちの夢や希望なんていう上っ面な安っぽい物じゃなくて生きる根源の生き甲斐を、生きる術を根こそぎ持って行ったのだ。

秋田県大仙市の牧師 飯田さん
地震報道を見聞きするに、甚大な被害を受けた方々が本音で話してないのではないか、と気になります。鄙の地域の人々が、テレビカメラなどを向けられてすぐ出るのは表向きの顔で、日ごろ使う方言で話したら全国の人には通じにくいでしょう。他意はなく、「田舎」に引け目を感じやすい東北の人々の性分でもあります。被災者が言う「ありがとう」の言葉にうそ偽りはありません。ただ、ふだん標準語ではない方言で話し、同郷人以外には表せない複雑な思いもあります。そこでしか本当の落胆や苦悩は表せないのでしょうか。当地で聞いたら「岩手の人はなまってないのかと思った」という人がいました。東北人は単に忍耐強いだけではありません。共同体の中では情をさらけ出し、民謡を謡う者がいればすぐに踊り出すノリの良さも持っています。内外をきちんとわきまえており、心情を簡単に表す性分ではないだけです。被災された方々が心に負った傷を内にためず、自分の言葉で泣けることを祈っています。

福島第一原発事故で東京都の水道水に放射性物質を検出した。1歳未満の乳児に対する飲料制限である。母親が飲んでも母乳や胎児への影響はなく、入浴など生活用水としての利用にも問題ない。大人には何の影響もないと厚生労働省は発表した。(3月23日・水)さて、震災直後、有名な司会者が、ライフラインが失われている被災者に対して「水がない、電気がない、ガスがない。大変でしょうが助け合って、希望を持って、決して諦めることなく、頑張って下さい」「今一番何が欲しいですか」「復旧するまでもう少しです。もう少し、頑張って下さい」などと語っていた。で、福島第一原発事故で東京都の水道水に放射性物質を検出したニュース。その有名な司会者は、大の大人なのに、「水道が使えないということは、我々はどうすればいいのでしょうか。風呂は?手は洗っても良いのでしょうか?」と言う。被災地の人は飲む水にも困っているのに、何日も風呂に入れず我慢しているのに。その我慢を被災者に上から目線で強要してきただろう?案の定、翌日のニュースは東京での水のペットボトルの占めが報じられていた。

先日、「不安の日常化」という言葉に出会った。3月11日以降なぜか心が浮遊しているような感覚、落ち着けないでいる感覚、それをスパッと言い当ててくれた言葉である。腑に落ちたのである。心に突き刺さる言葉とはこういう事なのだろう。
今朝4時になろうとする頃、震度5弱の地震があった。私の心と体は以前よりも恐怖が増したように思う。津波という言葉を聞いたり文字を見たりすると、あの映像が頭の中で回り出すし、震災後盛んに流された共同広告機構のコマーシャルを見たり、あの“ポポポポーン”というBGMを耳にしたりすると、あの時の体温と不安と臭いに戻ってしまう。これがあのPTSD(心的外傷後ストレス障害)というものなのか?ぼわーんとしている。
被災した私たちは、やっぱり被災したんだということが、心の奥底にヘドロのように溜まっていて、かき回されると、濁ってしまう。私たちも、日本も「不安の日常化」の中にいて、その「不安の日常化」に慣れていかなければ「不安の日常化」を克服できないのだろう。これはつらい戦いになるのだろうなと思う。


341)博多は のぼせた 投稿者:あきさん 投稿日:11年7月15日(金)13時24分

最近、「あつい」がいっぱいです。
なき始めたセミの合唱があつい
なでしこジャパンの活躍にはあつい
唐津の九電原発問題があつい
なんといっても 夏があつい

けさ、博多の流れ山笠が奉納されました。
早朝の開始なので、これはあくまでも神事奉納であって、観光目的ではない。しかしながら、やっぱ観光客は多い。
観光といえば、
東日本震災直後は、おまつりなんて、観光なんて・・と思っていました。
日本全体が活気づかなくては・・という言葉がすんなりと受け止められずにいました。4ヶ月経ったいま、岩坂はじめ東北のみなさんが新興している。西でも動こう。
今朝の活気ある山笠の流れを見ていて、人間のみなぎる力というものをゾクゾクしながら感じました。皆一体になり、力をふりきり、伝統と歴史を大切にし、いろんな願いを込め、守られるという受け身ではなく守っていこうとする団結・情熱すべてをださなければ。
  山笠熱で私  あつい です。

仙台岩坂の長編記録を読める私たち72Dの会のメンバーは、情報誌にも勝るニュースを手に入れている事になる。
子や孫にのこせる宝物の記録です。

ここで、同窓会幹事からのお知らせです。

  岩坂や勇悦君にはぜひ皆に会いに来てほしい気持ちを持って
  お知らせすることを伝えます。

  平成24年 1月3日火曜・4日水曜
  熊本県玉名市 玉名温泉 白鷺荘別館
  4日は、熊本市内ミニ観光

九州新幹線も開通しております。
予約も早めに取れるよう、9月には案内状出せるようにがんばります。

最近、いろいろ老化現象が出ております。皆さんは い か が??

  パソコン扱ってるのに けしごむ探しました。
  Back Space 押せよっつうの


340)自分のこととして。 投稿者:ありまん 投稿日:11年6月28日(火)00時13分

余震の続く中、忙しい中、変わらずに書いてくれてありがとう。感謝します。

三か月目の投稿を待っていますと書いたような気がしたのだけど、酔っていたのかねぇ。

無理言ってるよね。

この72DのHP上で集う皆で 震災後の人の心のありようを情報を共有でき ありがたく想います。

平穏で変わらぬ暮らしをおくれることを感謝しながら読みました。ありがとう。

何ができるのかわからないけれど 募金をしただけじゃいけない。

復旧し復興まで、皆がもとの生活に戻れるまでの

長い道のりを 日本中どこにいても ちゃんと見つめていなくちゃいけない。

自分のこととしてしっかり見ていかなきゃいけないと思う。

ここにきて 九州電力も15%カットとなりそうな気配です。

古来から日本には涼を呼ぶ夏の過ごし方があったのですよ。

緑のカーテン、風鈴の音、金魚鉢、夕涼み、うちわ、

氷柱、涼しい香り、涼しい衣服、私の場合は体重をちょっと減らすとか 

いろいろ工夫して猛暑を涼しくのりきりましょうねぇ。

嬉しいニュースは、この夏、青葉区で「仙台七夕まつり」をやると福岡の新聞に載ってました!!

あんまり 無理しないで 出来る範囲でやってくださいよ。

お祭りの裏話なども また聞かせてください。

ありまん

339)あれから100日が過ぎて。 投稿者:岩坂 投稿日:11年6月20日(月)17時35分

岩坂です。人生で、地域の人々・職場の人々・見も知らぬ人々と、「お互い励まし合って生きる」という貴重な経験をする人がどれくらいいるのだろうか。確かにこの震災は、震災を受けた人たちに「絶望」を与え「希望」を失わせました。しかし、きれい事を言うんじゃないけれど、「お互い励まし合って生きる」ということを、心の底があるとしたならば、その下(UNDER MY SKIN)で感じることが出来たということに、感謝したいと思う。

■6月18日で100日目震災の時、私の部屋の床に叩き付けられた「デジタルテレビ」。独身時代以来、初めて「私の自由になる」、嬉しくて嬉しくて堪らない「私の自由になる」テレビ。壊れてしまったかな〜と思っていたら、「私の自由になる」テレビは、私の愛情が通じたのか正常に作動してくれる。(が、何が正常なのか使いこなしていないので・・・。私が操作する範囲ではちゃんと動いていると言った方がよいのかも知れない。)私の好きな「映画」を「私の自由になる」テレビの番組表を見て、片っ端から内蔵のHDDに予約録画し、常に雑多な(いろとりどりの)「映画」が HDDの中で私に見られるのを待っている。「私の自由になる」テレビに録画する時間は、午後の早い時間だったり、夜の時間だったり、深夜だったりする。何でこんな事を書くのかというと、楽しみにして見ている「私の自由になる」テレビに録画された「映画」1本に1回、必ず地震情報のテロップが流れているということだ。こういうテロップは、揺れなかった地域でも流れているのだろうか。関東以西の地域では流れているのだろうか?よほど大きい地震だったら当然流れるだろうが、震度1〜2程度の揺れの時は流れていないのではないだろうか。多い時は予約録画を1日に3本ほどするけれど、必ずテロップが流れている。余震は録画している時間帯に各々1回ずつ、その日は最低でも3回は余震があったということだ。つまり、もう余震に慣れっこになっている私たちはいちいち気にしてはいないが、小さな余震がまだまだいっぱい起こっているということなのです。

3月11日から数えて26日後の4月7日大きな余震がありました。仙台在住の作家 佐伯一麦さんは古井由吉さんとの往復書簡で「(略)震災からほぼひと月経った4月7日の深夜の最大余震は、家に留まることができた身にとっても、不安定な日常を生きていく姿勢をどうにか持ちこたえていた心の梯子を外されたような気落ちを覚えました。」と書いています。私も、本当に張り詰めていたものがプッツリと切れたのを覚えています。

さて、人の噂も75日。(何故75日なのだろう・・・?調べてみると・・・ 昔のカレンダーは年によって春夏秋冬の期間が70〜75日あります。さらに現在夏の土用として知られている土用が各季節の始めに18日間ありました。18X4=年間73日  ここから昔の人は体験的に季節は75日ぐらいで移り変わるものだと知っていたようです。つまり、今のように一年を4季節で考えるのではなく、5季節で考えていたという説です。昔の人は一年を5日ごとに区切り72侯と見たり24季節(15日ごと)といってもう少し大きな区切りをしたり、現在とかなり違う季節感を持っていたので、上記の説も説得力があります。いずれにしても噂は3ヶ月も続かず忘れ去られるということです。)震災の翌日から新聞(朝日)の1面の見出しを記録しています。人の噂は75日と言いますが、新聞はどれ位の期間「大震災」を掲載し続けるのだろうかと。まず、75日は続けようと思いました。(ちなみに75日目は、5月24日です)ところが、「26日周期説」や「3ヶ月周期説」がささやかれるようになって、少なくとも6月11日あたりまでは記録しなければならないな〜と、しかし「人の噂も75 日」と日付にこだわるのなら100日まで(6月18日)と、自分の心にオーダーを出し直しました。

あの頃は(もう遠い昔のように思います)「26日周期説」が実しやかにささやかれ、3月11日の大震災から26日後の4月7日大きな余震に見舞われました。(しかし、「26日周期説」は4月7日以降言われ出した後付であると思います。)そして、「26日周期説」だと4月7日の次は、ゴールデンウィークのまっただ中5月4日に大きな余震が来るということです。この説を信じる人はゴールデンウィークのまっただ中というのに、外出を控え家族揃って家で過ごしていたようです。さて、当日はどうだったのか?まだまだ続いている余震はありましたが、大きなものは来ませんでした。そして次の周期は5月の末日ということになります。やはり、小さな余震はありましたが、私たちを再び絶望の淵にたたき込むような大きな地震は来ませんでした。最近は「3ヶ月周期説」がささやかれ始めました。3ヶ月後というと6月11日、つぎの3ヶ月後というと9月11日になります。(9月11日というと12月25日(クリスマス)の次に世界中の人が知っている日だと思います) 6月11日は今回の震災で打ちひしがれた先生や教育委員会の人々が、ほぼ中止が決まりかけていた中総体や高総体を勇気を持って開催すると決めた日です。そしてこの「噂」を実しやかに語る人々の口に上がるのは、「1978年6月12日の宮城県沖地震(M7.4、最大震度5)や2008年6月14日の岩手・宮城内陸地震(M7.2、最大震度6強)が起こった時、やはり中総体や高総体が行われていた時だったよね」というセリフです。何の関連もないのに、なぜか「そうだ、そうだ」と思い出し、不安が上積みされるのです。(ちなみに私は、6月11・12・13日中総体の試合があり、五橋中学校の体育館でベンチに座っていました。)そんなこんなで、最近は「26日周期説」の5月の末日あたり、「3ヶ月周期説」の6月11日あたりを、私達被災者は身を固くして過ごしたのです。あとは「26日周期説」の6月 26日前後に身を固くして過ごさなければなりません。「3カ月周期説」の6月11日はちょいと大きく、確かに揺れました。しかも11・ 12・13日3日連続で震度2〜3の地震でした。ところが、6月18日の夜、震度4の地震がありました。ちょいと、ちょいと根性ある揺れでした。そしてその日は震災から100日目でした。この余震で「100日周期説」なるものが新たに登場するのでしょうか?何の根拠があってそんな時期が特定できるのか、根も葉もない「噂」だと思います。このような「噂」に対して、被災してしまった私達は残念ながら簡単に無視し、笑い飛ばす心構えが、まだまだ出来ていません。そして、こんな「噂」は自分自身の根源的な不安と戦う、ギリギリの恐怖心を懸けた、出来れば参加したくない、ゲームみたいなものです。このゲームはみんなを巻き込むのに何の収穫もありません。ただただ不安を煽るだけのつまらないゲームです。「人の噂も75 日」と言いつつ100日が過ぎたのに、まだ、こんな「噂」に身を固くしてしまう被災してしまった私たちです。


338)がんばろう日本! 投稿者:TOYO 投稿日:11年5月25日(水)20時15分

この大震災は日本全体が被災したと思っています。
岩坂と連絡がとれないので心配しつつ観たテレビの、津波が街を飲み込んでいく映像に、呆然としてへたり込んだ。
『こんなことがあっていいのか。』

岩坂の無事がわかるまでの4日間、ずっとテレビの震災特番を観ていた。青葉区の情報はなかなか出てこなかったけど、津波の被害はなさそうだったので、少し安心した。あのテレビの情報は、岩坂の言うとおり、切り取った画面のほんの1部の情報にすぎなくて・・・それでも日本の三分の一が持っていかれたような喪失感でいっぱいだった。

家も家族も失くし、がれきの中に一人取り残されたとき、私は一人で前を向いて立ち直れるのだろうか?

家族がいる幸せや、日常生活が当たり前に送れている幸せに、多くの人があらためて気づいたことと思います。
自然界には、『想定外』も『絶対』も無く、この大震災もとても他人事ではないと痛感しています。

一日も早く、避難所暮らしの人達が全員、仮設住宅で落ち着いて暮らせること、親を亡くした子供たちが笑顔で暮らせることを願っています。
本当は原発が沈静化するのが一番なんだけど・・・かなり難しそうで、あんなに、いきあたりばったりの対応しか出来ないのかと腹がたってたまりません。放射能の危険は分かっているはずだから、最新の技術で、不測の事態に対処できるのだとばかり思っていたのに!!!
その昔、原発反対運動に参加していたんだけど、「やっぱり、どうしても原発は必要なのかも?」と思って方向転換した自分に腹がたちます。

お笑い番組の中で、「こんな時にお笑いをやってていいのかと思う。」という言葉に、被災者の方が、「どうぞ笑いたい時は笑ってください。私たちは、人が笑顔でいるのを妬むほど、おちぶれてはいませんから。」というコメントを寄せられて感動したという話がありました。
日本はひとつ。西日本の私たちが元気に頑張って、みんなが笑顔になれるようにしなければ!ネ!

岩坂、体験者にしかわからない話をまた伝えてね。
前回の72Dの会の時、三宮くんが「岩坂に一番会いたい。」って言ってたよ。どういう関係?? 三ちゃんのためにも生きてて良かったね。


337)あれから2ヵ月。 投稿者:岩坂 投稿日:11年5月14日(土)11時11分

うるせーなー、また岩坂かよ。解ったから、もういいから。という声が聞こえてきそうです。ごめんね、そうです、明るい被災者の岩坂です。

今日は5月13日です。福島原発のニュースを見ていると「メルトダウン」という言葉がついに飛び出しました。大量の燃料が溶融するというメルトダウン。確か、「ゴジラ」がメルトダウンで死んだ筈だ。その映画を見た時、ゴジラが死ぬくらいだから「メルトダウン」とは地球の最終最悪の兵器なのだろうと思った。それが起こったら、きっと凄いことが起こる。原爆や、水爆が落とされたくらい、大変なことになるのだと思っていた。そして福島原発でメルトダウンが起こった。なんだか拍子抜けするくらいに世の中落ち着いている。新聞の見出しも、トップ扱いではない。こんなんで良いの、こんな事で。「あの、世界最強のゴジラが死んだメルトダウンが起こったのだよ、メルトダウンが!」

「日常に戻る」。こちらは今、ライフラインも回復し、ガソリンも、灯油も、食べ物も、普段通りに供給されるようになりました。震災前と同じという訳にはいきませんが、物資に対しては不自由は感じません。全国の皆さん、本当にありがとうございます。しかし、今、「日常に戻る」という道程の険しさを被災した者は味わっているところです。まだまだ、一日に何度かの余震が呼びもしないのに来てくれます。夜討ち朝駆けです。その度、「身体を硬く」します。この言葉、昔から何気なく使われていますが、本当に的を射る言葉で上手いこと言うな〜とつくづく思います。余震の度に文字通り「身体を硬く」するのです。揺れが来た瞬間身体を硬くして、終わったかな〜と思うと止めていた息を少しずつ、恐る恐る抜いていくのです。結構これが、疲れるのです。そういう直接的な非日常以外に、日常会話の中に震災や津波の陰が見えると言葉が詰まります。周りの人のほとんどが、人であったり、物であったり、何らかの被害を受けています。この日常会話の陰に気を使わなくなるのはいつのことか。 1カ所に人が集まることが出来ません。子供も親もまだまだ怖いのです。揺れた時に逃げ出せないと思うのでしょう。色んなところで、見えない手かせ足かせが、日常に戻ることを邪魔します。時間が解決してくれるのでしょうが、未だ行方不明者が1万人近く、避難している人が11万5千人近くいるのです。この数字が限りなくゼロに近づいた頃に、見えない呪縛から解き放され「日常に戻る」ことが出来るのでしょうか?


336)あれから1ヵ月。 投稿者:岩坂 投稿日:11年4月15日(火)14時13分

「想像を超えた惨状」「言葉が出ない」どうしても理解できない言葉、それを確かめるために、怖くて辛くてどうしても行けなかった津波に襲われた現場に行ってきました。「岩坂さん何でもいい、どんな気持ちでもいい、とにかく現場に行きなさい。今、その現場を見て、目に焼き付けて語り継ぐことが、宮城県にいる俺たちが出来ることじゃないだろうか」
興味本位や野次馬根性で行ってはいけない。そう自分に言ってきた。言い聞かせていた。おい、お前、逃げていなかったか?
言葉が出ませんでした。もう随分復旧したはずなのに、言葉が出ませんでした。涙ぐんでしまいました。延々と続く「がれき」という名の人々の思い出の残骸。あの日から時間が止まってしまった風景が延々と続くのです。多賀城方面。至るところで全体がボコボコになった車がこれでもかこれでもかというくらいに、建物に刺さっています、ひっくり返っています、潰れています、逆立ちしています、重なっています、無造作にあり得ない形で転がっています。閖上方面はだだっ広い茶色の、そしてゴミが沢山落ちているように見える平原。海が遠くに見えます、本当は建物で見えないはずなのに。自販機が田んぼの中に立っています。建物らしき物がかろうじて残っているところでは、まっすぐに建っている家はありません、舟が大きな舟が建物に刺さっています。1階の窓や扉は壊されているのになぜかカーテンだけは残って、流れてきたビニルや漁アミと一緒に風に揺らめいています。垂直の感覚が無くなります。防風林だったはずの松の木が根こそぎ引き抜かれて何本も何本も高速道路の法面に打ち寄せられています。そんな風景が土埃と汚泥の臭いの中、車で走っても走っても続くのです。テレビで見る通りの光景が目の前にあるのです。しかし全く違うのは画面で切り取られた惨状ではなく、その惨状が延々と続くということです。その惨状の広さを見て、そこで暮らした沢山の人々の無念さ、辛さを思うと「想像を超えた惨状」「言葉が出ない」という感覚に陥ってしまうのです。

震災のニュースが世界を駆け巡った時、世界のメディアは「日本人は誠実さ、規律正しさ、人間の誇りを持っている」と驚きと共に賞賛していた。

中野栄(その惨状がテレビで取り上げられていた多賀城の近く)に住んでいた友人の話。仙台港近くにあるキリンビールはまともに津波に襲われ、工場が倒壊し缶ビールが多数流れ出したそうだ。ライフラインが止まり、近所の人たちは自然に集まり、がれきで火を起こし夜を過ごしたという。何処にでも転がっている缶ビールを拾ってきては飲んで夜を明かしたそうだ。女川、気仙沼、南三陸は町を根こそぎ津波に持って行かれ、何にも残っていないから起こらなかったそうだが、石巻や仙台の多賀城あたりでは、津波に襲われたけど残った店舗・量販店の水没しなかった商品はやっぱり盗まれて・・・。朝のワイドショーで、女性レポーターが多賀城のスーパー(出入口が破壊され店内は真っ暗)でその惨状をレポートしている時、店舗の中からスーパーのかごに商品をいっぱい入れて出てきた女性がいた。真っ暗な店内から明るい外に出てきた女性はテレビカメラに気付きかごを足下に落とした。この事の意味を理解できない純粋無垢な女性レポーターが取材のチャンスとばかりに近づくと、その女性はくるりと背を向け「片付けてあげようかと思って」と言って去って行った。女性レポーターはぽかんとしていたが思考が事の真相に行き当り、慌てて次の話題に話を進めた。靴の量販店では津波に襲われた後の足元の悪さから、水をかぶっていない商品は全く残っていなかったという。七ヶ浜の友人の話では、倒れたり流されたりした自販機は真っ先に荒らされたそうだ。ライフラインが止まり飲み水が確保できなかったからだろう。至るところに転がっている車の給油口はガムテープが貼られている。震災後ガソリンが手に入らなくなった時に、給油口をこじ開けガソリンを盗んだ。車を片付ける時にプラプラになった給油口のカバーをガムテープで留めたそうだ。また、玄関先においてある灯油のポリ容器が盗まれることも頻発しました。寒い時期に灯油も手に入らなかったから。北部工業団地にトヨタの工場があり、その車は仙台港から運び出す。震災時船積みする車が何千台と港に駐車してあった。その車が全部津波に呑まれた。産業道路や国道45号線は流されてきた車だらけになった。まわりはボコボコでも中は新車である。中まで海水が入らなかった車はカギがこじ開けられカーナビが盗まれたという。亡くなった方の身元がなかなか分からないのは、圧死や海水漬けでボロボロになっているからばかりではなく、津波にもまれいろんな物にぶつかって(車でさえ全体がボコボコになっている)細いところから折れてしまっている。つまり、首が、腕が、足が無い遺体が多いそうだ。また、津波にもまれずにまともな身体がある遺体は、財布や貴重品が抜き取られて身元が分かりづらくなっているという。

震災・津波に襲われた現場では、実はこのようなことが起こっていたのだ。海外のように暴動が起きなかっただけのことである。東北人の優しさ、我慢強さ、逞しさ、ばかりを美談として伝えるマスコミは、本当の危機や脅威、逆の逞しさを伝えていない。
自然の脅威の後、人間の脅威があることも忘れてはいけないと思います。

しかし、これだけははっきり言える。地震に遭い、津波に遭い、原発で避難しなければならなくなった(関東、特に東京のために電力を送る原発に翻弄され人生を無茶苦茶のされた)福島の人たちは、本当に誠実で、我慢強く、誇り高き人たちだと思う。


335)揺れている真っ直中で。 投稿者:岩坂 投稿日:11年3月22日(火)9時44分

毎日が狩猟民族のように、一日がかりで食料を調達したり、一日がかりで飲み水を調達したり、一日がかりでガソリンを調達したり、半日がかりで火をおこしたり。そんな毎日の空いた時間に、今、私がやれることは?と考える。仕事はストップしてるし、家や会社の片付けはまだ余震が続いている以上片付けても仕方ないし、知人の安否確認は、ただただ心配して待つしかないし。で、この震災にあった当事者として、震災のことをみんなに伝えることは私しかできないことだと思い、空いた時間に寒さに震えながら、キーボードを打ってみました。まだまだ途中ですが早めに少しでも発信しなければと、焦って・・・。舌間君よろしくお願いします。

■本震
3月17日(木)外は狂ったように雪が舞っている。寒い。こんな時にもNTT東日本から請求書が届いた。大したもんだNTT。携帯がちゃんと繋がるように、そちらで大したもんだと言われろよ!なんて、ちょっとした事にも苛つく自分が悲しい。
3月11日(金)私は2階の書斎で順調に企画書を書き進めていた。2時46分iMacが揺れ始めた。前々日震度5、前日の夜中震度3、朝方震度4の地震が2回起きていた。経験上、その地震の流れで震度4くらいで直ぐ納まるだろうと、かるくiMacを抑えていた。ゆら、ゆら、ゆらと揺れていたが、いきなり座っている椅子の下から何ものかがガン、ガン、ガンと突き上げてきた。これはまずい。腰が浮いた。立ち上がれない。足元がふらつく。身体を揺すられながら、部屋のドアへ向かう。買ったばかりの地デジテレビが倒れる、迷って迷って買ったアンプが、やっと探し当てたターンテーブルが音を立てて床に落ちる。家全体がギシ、ギシ、ギシと悲鳴を上げる。柱が揺れる、壁にひびが入る、壁紙が破れる。ドアを開けると本がいっぱい入っている本棚がドン、ドン、ドンと軽くステップを踏みながら私の方に迫ってくる。家の中の家具がまるで生き物のように四方八方に揺れ、そして動き、襲いかかってくる。本棚は私に向かって襲いかかり、両手で押さえた私をあざ笑うかのように、遠慮無く中身をはき出してゆく。大江健三郎が、石川達三が、野間宏が。私の青春の智が、なんの意味も無かったねと床にぶちまけられる。その時、ふっと揺れが小さくなった。本で埋もれた足元を見ながら気を抜いた瞬間、先ほどの揺れよりももっと大きい、足元から突き上げてくる揺れが、本棚を、それを抑えている私を、その私が居る家を、その家を支えている地面を、仙台を、宮城を、東北を、大きく揺さぶった。まるでサスペンションのない乗り物に乗って振り回されているようだ。本棚が倒れる隙間を通って1階にいる嫁に声を懸けながら、嵐の大海に浮かぶ小舟の揺れみたいに無茶苦茶に弄ばれ、左右の壁にふらつきながら手をついて身体を支え、階段を滑り落ちるように走る。「大丈夫か、大丈夫か?」と叫びながら嫁のいる玄関に降り立つ。今降りてきた階段が家の床から浮いたり戻ったりしている。家全体が捻れている。家が泣いている。踏ん張っている。しかし、いつ座り込んでしまうか解らない。嫁の姿を確認して安心したのか、その後のことは良く覚えていない。揺れが納まった時、暫くぼーっとしていたように思う。この揺れは、どれくらい続いたのだろうか。2〜3分?いや私には5分くらいは続いたように思う。不思議なことに恐怖はなかった。途中から生きることを諦めたのかもしれない。直ぐそこに、死があったのだ。

■余震
1978年 6月12日 宮城県沖地震 - M 7.4、宮城県などで最大震度 5、死者28人、
         津波あり。
1994年 12月28日 三陸はるか沖地震 - M 7.6(2001年4月23日改訂・旧M 7.5)、
         青森県で最大震度 6、死者3人。
1998年 9月3日 岩手県内陸北部地震 - M 6.2(旧M 6.1)、最大震度 6弱。
2003年 5月26日 宮城県沖で地震(三陸南地震、東北地震) - 本震は M 7.1、
         岩手県・宮城県で最大震度 6弱。太平洋プレート内の地震。 
    7月26日宮城県北部地震 - 本震は M 6.4、宮城県北部で最大震度 6強
         (このほかにも、前震と余震でそれぞれ1回ずつ震度6弱を記録)。
2005年 8月16日 宮城県南部地震 - M 7.2、宮城県で最大震度 6弱。宮城県沖地震とは
         別の地震。
    11月15日 三陸沖で地震 - M 7.1、北海道〜関東にかけて最大震度 3。大船渡市
         で最大50cmの津波観測。
2008年 6月14日 岩手・宮城内陸地震 - M 7.2、岩手県・宮城県で最大震度 6強。山崩
         れや地滑りが多発。死者・行方不明者23人。
         一関西で観測された4,022ガルがギネス世界記録に認定[6]。
    7月24日 岩手県沿岸北部で地震 - M 6.8、岩手県九戸郡野田村などで最大震度
         6弱。震源の深さ108km。
         なお、岩手・宮城内陸地震との関連性は薄いとされている。
2011年 3月11日 東北地方太平洋沖地震 - M 9.0(日本の地震観測史上最大)。三陸沖
         から茨城県沖にかけて3つの地震が連動。宮城県栗原市で最大震度7。
         北海道から関東地方にかけて大津波。潮位計によって観測された最大
         波高は福島県相馬港の7m30cmだが、実際は各地で10m以上に到達。
         福島第一原子力発電所事故をはじめ、岩手県・宮城県・福島県を中心
         に甚大な被害。死者・行方不明者1万人以上。
    3月9日に前震(M 7.3、最大震度5弱、最大60cmの津波を観測)があり、11日の
         本震以降も余震が多数発生。
         また、11日以降の数日間に震源域から離れた場所で発生した地震につ
         いても、この地震に誘発された可能性が指摘されている。
    3月12日 長野県北部で地震 - M 6.7。長野県栄村で震度6強。
    3月15日 静岡県東部で地震 - M 6.4。静岡県富士宮市で震度6強

私は仙台に来て上記のような大きい地震に遭遇している。そしてその度に、余震に苦しめられた。以前私は「豆腐の上に居るようだ」と表現していたが、今回は「吊り橋の上にいるようだ」。吊り橋の何処でも誰かがちょっと揺すれば真ん中は大きく揺れる。今回の地震は三陸沖、福島県沖、茨城県沖、の3つの断層が揺らしたらしい。その3つの断層が各々別々に余震を引き起こし、同時に宮城県沖や岩手県沖や伊豆半島東方沖まで目を覚まして揺れ始めた。加えて、新潟中部、長野北部、静岡東部でも直下型の地震が誘発されている。宮城県は地理的にそれらの地震の影響を受けやすい場所にあり、その度に揺すられている。つまり、三陸沖、福島県沖、茨城県沖、宮城県沖、岩手県沖、伊豆半島東方沖、新潟中部、長野北部、静岡東部で地震が起きるたびに余震という名の地震が起きている。震度4、震度5、の余震が頻繁に起きている。そして何故か昼間より、夜の方が多く発生しているように思われる。普段だったら大騒ぎするその揺れは、大変な地震であるにもかかわらず、余震だから本震よりも大きい揺れは来ないとタカをくくり、私は布団から起き上がらなくなり、テレビはテロップを流す程度になった。3月18日現在で262回、震度5弱以上15回観測する余震が発生しているという。2階の部屋に寝て背中を布団に付けていると、それは吊り橋の真ん中に寝ているようなもので、本当に些細な揺れでも身体(背中)に感じる。気象庁が言う身体に感じない揺れというのだろうか。遠くの方から揺れがくるのを感じる。来るぞ来るぞと身構える。そしてそのまま小さな揺れだったり、大きく育ってゆく揺れだったり。揺れと、経過する時間で次の自分の行動を決める。この時間で弱くなって行くのか、そこからもう一度ガツンと来るのか。その揺れを感じつつ、この揺れは宮城県沖だな、茨城県沖だなとか、これは震度4だな、マグニチュードは・・・と、地震ソムリエになっている。そして眠れない日々が続く。

■停電
実は、現場の人間が一番知らないのだ。停電が続いた。当事者である私たちは何事が起こっているのか全く解らなかった。電池を入れたラジオから刻々と報じられる出来事が人ごとのようだ。ラジオ局の放送をしている部屋にはモニターがあるらしく、アナウンサーはその模様をみながら声を張り上げている。女川が、志津川が、石巻が。仕事で、バスケットの試合で何度も行った事のある地名が連呼されている。「津波が、津波が、恐ろしいことが起こっています」「こんな事があるのでしょうか」と声を詰まらせている。しかし私はあのスマトラ島沖地震の津波の映像程度を頭に思い浮かべながら聞いている。暫くすると「仙台空港に津波が来ています。あー、滑走路に津波が上がってきました。飛行機を引っ張る車が流されています。滑走路が海になっています」という声が聞こえてきた。私がよく知っている場所が津波に飲み込まれている。頭の中で具体的な映像が結ばれてゆく。ゾクッと身体に震えが走る。空港は海岸線から1キロ以上離れているじゃなかったか?そこまで津波が来るのか?何事が起こっているのか解らないままに4日が過ぎた。眠れない夜を送っていた夜中の1時30分頃、テレビの画面の下の赤いランプが灯った。解らなかった。真っ暗な部屋でただそれだけの光なのに、部屋全体が違う世界になったようだ。電気が回復したとは解らなかった。そしてその光を確認して布団から起き上がり、娘に声を懸け、嫁に伝えた。真夜中、テレビの画面に釘付けとなった。予想を遙かに超えた映像が流されている。こんな事が起こっていたのだと当事者である我々は4日後に知ったのだ。

■マグニチュード
今回の地震ではマグニチュードが8.8から二日後に9.0に変更された。マグニチュードとは何か、地震の強さを示し数字だとは思うが詳しくは知らない。8.8から9.0になったらどれ程違うのか、理解していない。で、調べてみた。
(マグニチュード(magnitude)とは、地震が発するエネルギーの大きさを表した指標値である。和達清夫(1931年)の最大震度と震央までの距離を書き込んだ地図に着想を得て、アメリカの地震学者チャールズ・リクターが考案した。マグニチュードは地震のエネルギーの対数と線形関係にあり、マグニチュードが2増えるとエネルギーは1000倍になる。なお、英語圏ではリクター・スケール(Richter scale)との表記が一般的である。地震学ではモーメント・マグニチュード(Mw)が広く使われる。日本では気象庁マグニチュード(Mj)が広く使われる。このmagnitudeは「大きさ・重要度」という英語(名詞)であり、とりわけ対数スケールを用いた数量の比較の術語として用いられる。天体の等級も英語でマグニチュードと言う。)
良く解らない。しかし、「マグニチュードが2増えるとエネルギーは1000倍になる」ということだから、単純に計算すると0.2増えたわけだからエネルギーは100倍になったということだ。つまり、8.8の地震の100倍のエネルギーの地震があった。でもまだ良く解らない。あの宮城県沖地震がマグニチュード7.4。9.0-7.4=1.6、宮城県沖地震の800倍のエネルギーの地震が、もっと言うと、阪神大震災がマグニチュード7.3。9.0-7.3=1.7、あの阪神大震災の850倍のエネルギーの地震が東北を襲ったということのようである。(2011.3.18) 2011.3.20付の朝日新聞によると「M9.0 世界最大級 阪神の1450倍」という見出しが出ている。やっぱり単純計算ではその規模は推し量れないようだ。ちなみにその記事には、「南北約500キロ、東西約200キロの巨大な断層が、岩手県から茨城県沖の海底で最大20メートル動いた。気象庁は3回の巨大地震が連続したと見る。揺れは約6分続き、最大震度7を観測した」とある。揺れは6分も続いていたのだ・・・。


334)ありし日の町の姿 投稿者:SHOU-JI-ROU 投稿日:11年3月22日(火)00時04分

東北地方太平洋沖大地震に被災された方々にお見舞い申し上げます。

岩坂くん、勇悦くん二人が無事だったと知り、本当に安心しました。
海沿いから遠く離れた丘陵地地帯に住んでいたから、津波を受けずに被害は最小限に抑えられたと思う。
しかし、若林区は太平洋沿岸に位置していたため、住宅、学校、その他施設は壊滅してしまった。
そもそも昔の仙台には港湾、空港施設はなかったようだ。あれだけの破壊力で経済損失はとても計りしきれない。
一日も早く復興を願い、そして被災された方々にとって安心して住みやすい町を早急に復活することを祈る。

まずは、『多摩地区そして日本各地の画像集』を検索してみてください。
岩手県の陸前高田市、大船渡市、釜石市等、宮城県の気仙沼市、石巻市等をクリックして、壊滅、水没以前の町の姿を見ることができます。これは貴重な写真だと大事にすると思います。

あるTV番組で、鉄筋4階建ての無残な骨組み姿の屋上には4人が取り残されていた。一夜あけて恐怖さめないままであったようだが、このあたりが商店街だったとは・・・・・。以前の町の姿があっただなんて信じられなくなるのだ。

※ 岩坂くん、メールアドレスが分からなかったもので、ホントにすみません。


333)ゆうえつから無事の電話 投稿者:シタマ 投稿日:11年3月19日(土)17時10分

先程、仙台のゆうえつくんから電話がありました。仕事は出来てないそうですが、元気そうでした。彼もイワサカと同じく青葉区なので心配してましたが、連絡くれて安心しました。ほんと久しぶりでしたが、大変な時に電話頂いて有り難かったです。取り急ぎ報告です。


332)生きています。 投稿者:岩坂 投稿日:11年3月16日(水)9時44分

とりあえず生きています。ご心配をお掛けしました。取り急ぎ報告です。


331)巨大地震 投稿者:岩坂 投稿日:11年3月14日(月)21時13分

岩坂です。

ご心配をお掛けしまして・・・。

お陰様で生きています。憎まれっ子世にはばかる、です。

いろんな方からご心配のメールを沢山頂戴しましてありがとうございました。

今朝ほど電気が回復しまして、やっと通信が出来るようになりました。

本当に、繋がっていてくれてありがとう。言葉にならないくらい嬉しかったです。

随分な揺れでした。これでもか、これでもか、というくらい揺すってくれました。

何度も何度も大きい余震があるのですが、ハイハイ、またですか。

もうどうでもして下さい、気の済むように。という感じです。

宮城県沖地震、東日本巨大地震、その他大きい地震を経験させていただきました。

だいたい、世の中が停滞している時に、天が警告してくれているようです。

東北の人たちの貴い犠牲を払って、日本という国を一つにしようと天が警告を発したのです。

これから、きっと日本は良い方向に動き出します。

動いてもらわないと、この地震で流した涙は無意味になります。

とにかく、今は途方に暮れていますが、皆さんの温かい気持ちを背に

前を向いて(難しいことですが)歩き始め・・・る・・・時が・・・来る・・・のでしょう。


330)お世話になりました。 投稿者:香 投稿日:10年12月28日(火)10時54分

今年は、黒江先生の退官祝いに際して、多くの方々にお世話を頂きありがとうございました。この場をお借りして御礼申し上げます。今年もあと残り少し、来年は私ことながら、「本卦還り」を迎えます。皆様方とのご縁に感謝して、新たに頑張りたいと思っております。今年の年末・年始は大分市内の春日神社様のライトアップの仕事を予定しています。お正月から神様ですのできっとまたいい年に。
皆様方への御礼とご健康・ご多幸をお祈りして・・・
よいお年をお迎え下さい。
来年も宜しくお願い申し上げます。


329)”クリスマスの約束2010” 投稿者:TOYO 投稿日:10年12月22日(水)23時42分

自分の趣味を押し付けるのもどうかと思うんだけど、今年は10年目にして初めて、クリスマス・イブの深夜に放送予定の

小田和正 ”クリスマスの約束2010” 
12月24日(金) 23:55〜25:55  JNN系列

隠れ小田和正ファンが見過ごしてはかわいそうなのでお知らせしておきます♪

小田さんの新曲”グッバイ”が聴きたくて観てた「獣医ドリトル」。小栗旬があまりに漫画のドリトルにそっくりでカッコよかったので、最後まで楽しみに観てしまった。
テーマ曲が聴きたくてドラマを観るって、ちょっとヘンだけど、面白かったので、得した気分。

それではみなさん、クリスマスの夜を小田さんとともに。ハッピーでありますように☆☆


328)生まれて初めての経験 投稿者:TOYO 投稿日:10年11月10日(水)00時33分

中四国支部改め、瀬戸内5人組+ケイコさんの6人で、10月23〜24日、瀬戸内国際芸術祭に行ってきました。
今回は全員が4年前に一緒に直島に行ってるので、1日目は「犬島」2日目は「豊島」に行く計画で、お宿は「日本のエーゲ海 牛窓」のペンション♪

犬島アートプロジェクト「精錬所」素晴らしかったよ!!作品がどうのこうのじゃなくて、精錬所跡自体が「アート、アート、アート!!」なぜなら、2週間以上経った今でも、いろんな場所の景色が忘れられないくらい感動したから。お気に入りの場所になりました。写真じゃあわからないだろうな。行く価値あり。行かなきゃっ!!

2日目の豊島は大ショック!
ぺンションの270度オーシャンビューの景色を見ながらの朝食、オーナーさんと記念写真など撮って、宇野港から豊島に行くと、お目当ての「豊島美術館」の整理券がもう締め切りだという、「想定外」
知らんやんかぁ〜、聞いてないぞ、整理券発行なんて!!
書いてないぞ〜、どの案内書にも!!・・・どうやら、直島の地中美術館が4時間待ちだのどうだので、急遽「豊島美術館」も整理券になったんじゃないかということに・・・シヨック〜。豊島のメインだったのに〜。
田んぼの中に宇宙船が舞い降りたみたいな流線形の、出来立ての美術館。悔しいから外観だけ見に行った。そのうち、人のいない時にいつか行きたい。

天気予報どおり雨も降ってきて、田んぼや池や古い民家に作られた作品を見ながら、「雨もまた思い出よ」と負け惜しみを言いながら、船の時間に束縛されて、ぎゅうぎゅう詰めの家浦港行き無料バスに乗り込んだ。

そこでまたまた大ショック〜!
次の停留所で2人が降りようと席を立つと、横に立っていたカップルの男性が私に「にっこり」「あれ?愛想のいい子やなぁ。」と思って、私も「にっこり」するとその空いた席に座ろうとした彼女を手で制して、私に手で「どーぞ」見ると優先座席!私「ええぇ〜っ、私、席を譲られる年じゃあないよ!」と思わず大声で言ってしまって見渡すと、どうみても若者だらけ・・・おまけに、2席のひとつに工学部が嬉しそうに座ろうとしているではないか!!「はよ座りや。」という声もしたので、「んじゃあ、ありがとう!」と大きな声で言って座らせていただきました。ハイ。
生まれて初めてでした。譲られた優先座席・・・いまどきの若者の愛を感じました。ハイ。

なんやかやで、「瀬戸内国際芸術祭」は当初の予想をはるかに超えて3倍の93万人以上の来場者で、3年ごとの定期開催が決まりました。
都会的な若者や、外国からの観光客が多く、島の素朴さとアートがマッチしていて人々の心をとらえたと思います。
なんかねー、ご飯を食べるところもなくて、船に乗る前に買ったお弁当とコンビニのおにぎりを食べてすませたんよ。おみやげを売ってる所もないの。
そういう商売っけがない素朴さがいいんだろうね。
3年後、あまり変わらないでいて欲しいような・・・ご飯とお土産と船便は増やして欲しいような・・・また他の島にも行きたいと思える、島と芸術の見事なコラボでした。楽しかった!

写真(フォトアルバムにアップしています)


328)鷹巣君の個展 投稿者:ありまん 投稿日:10年10月21日(木)15時10分

ありまんです。

恒例となった鷹巣君の個展が 

今日20日から天神の「ギャラリーとわーる」

で始まりました。ご連絡遅くなりました。

10月31日までです。

お時間の都合のつく方は是非ともご高覧頂きたく。

お立ち寄り頂けると、2010年秋の新作&楽しい会話も

皆さまをお待ちしております。

福岡市天神2丁目-8-34

住友生命ビル1F

TEL 092−714−376

地下鉄天神2番出口直通


327)便りが無いのは良い便り? 投稿者:岩坂 投稿日:10年10月20日(水)9時53分

すっかり秋らしくなってきました。お元気ですか?世の中、景気の下方修正などと言ってなかなかスカッとしませんが・・・。
仙台は、楽天の監督に星野仙一を迎えるとか。野球といい、サッカーといい、ちょっと負ければ監督の首をすげ替える、金を出さずに口を出すオーナーが、あれも欲しいこれも欲しいという星野を迎えると言うことは、金も口も出すオーナーに変わろうとしているのでしょうか。
さて、今週末の四国の集まりの報告まで待ちきれなくて、近況報告がてらのメールを送ります。

■便りが無いのは良い便り
先日、企画書を書きながらラジオを聴いていると久しぶりに「便りが無いのは良い便り」という言葉が耳に入ってきた。ふと手を休め、そういえば、といろんな人との便りのことを思う。人間を長くやってると、自分の子供や親、親友といった人が掛け替えのない存在になってくる。そんな人達からの便りがちょっとでも無かったりすると、無性に心配になってくる。特に男どもは心配しているくせに、何故だかこちらから連絡を取りたがらない。で、この言葉が浮かび上がってくる。「便りが無いのは良い便り」。心配で心配でたまらない男どもが、自分から連絡を取れない自分に向かって必死で言い聞かせ、自分を安心させる言葉として生まれた言葉なのではないだろうかと。どうも、女房や周りの女性を見ると、女性という生き物はこういう類の連絡を取ることにさほど抵抗がないようにみえる。そこで私もちょいと考えてみた。これからは堂々と、ちょいと恥ずかしいけど、何の抵抗もなく人と連絡を取り合える女性系男子になろうと。「便りが有るのは良い便り」。まあこんなもん禁煙と同じで何度もそう思うのだろうけど、やっぱり自分らしくないやなどと思ってしまって、すぐに元に戻るのだろうけど、ちょいとしばし頑張ってみるか〜。

■老化防止
今日、仙台駅東口のヨドバシカメラで伊坂幸太郎に会った。
(千葉県松戸市出身。千葉県立小金高等学校、東北大学法学部卒業後、システムエンジニアとして働くかたわら文学賞に応募、2000年『オーデュボンの祈り』で新潮ミステリー倶楽部賞を受賞しデビュー。その後作家専業となる。2002年の『ラッシュライフ』で評論家に注目され始め、直木賞候補になった2003年の『重力ピエロ』で一般読者に広く認知されるようになった。それに続く『アヒルと鴨のコインロッカー』が第25回吉川英治文学新人賞を受賞した。ミステリー作家と紹介されることもあるが、その枠に留まらずエンターテインメント性豊かな作品を発表し若い世代を中心に支持を集めている。2003年『重力ピエロ』、2004年『チルドレン』『グラスホッパー』、2005年『死神の精度』、2006年『砂漠』で直木賞候補となる。また本屋大賞において唯一第1回から第4回まですべてにノミネートされ、2008年の第5回に『ゴールデンスランバー』で同賞を受賞した。同作品で第21回山本周五郎賞も受賞した。なお同作で直木賞の選考対象となることを「執筆に専念する」ことを理由に辞退している。 多くの作品で仙台を舞台にしている理由について「(自分が住んでいる町なので)嘘がつきやすいから」と語っている。=Wikipediaより)
女房に「うるさくてあ〜嫌だ!」といわれていた掃除機をヨドバシのポイントを使って買い替えようと、掃除機売場でダイソン(高い!)以外のものを見ていたら、なんと隣に見たことのある男が大きい黒のセカンドバックを抱えて掃除機を見ているではないか。最初は誰だったっけ?という程度で、社長をやってた頃の仕事関係の誰かだろう、などと思っていたが、頭の中でじわりじわりと本の帯に印刷されている伊坂幸太郎の顔とピントが合ってきたわけだ。「おおっ、ああっ!」というタイミングであ、あ、あの伊坂幸太郎が横にいると思ったらピンと背筋が伸びて何も言えず、立ち尽くしていた。もし俺が女なら、「きゃ〜!」とか「あ〜っ」とか声を出すのだろうが(女性は極限状態になると声を出すのだそうだ。色々考えてみると確かに女性はそういうときに声を出す。)私は小心者でそのまま見送ってしまった。私は、ナマの伊坂幸太郎に今日会ったのだ。だから何なのだと聞かれても、だから何なのだと答えられないけど、あのドキドキ感と、何の根拠もない優越感は私の中で「だから、何!なのだ!」なのだ。で、いい年をしてこんな事できゃ〜きゃ〜言ってて良いものだろうかなどと反省しつつ、関係ないけど毎朝私は、こんな事を自分に課している、ということを「便りが有るのは良い便り」ということにしようと思ったわけです。
 朝日新聞の宮城県版(東北版?)は夕刊がない。だから、朝刊にはふたつ新聞小説が載る。(朝刊と夕刊に掲載される新聞小説が朝刊に両方掲載される)朝日新聞の新聞小説と言ったら(一昨年、謙吾が案内してくれて、えらく感動した)司馬遼太郎の「坂の上の雲」、最近では、芥川賞と大江健三郎賞を受賞した長嶋有、同じく芥川賞を獲った吉田修一の「悪人」(映画化された)など、一流作家の読み応えのある作品が多い。今連載されているのは外国人として初めて芥川賞を受賞した楊逸さんが書いている「獅子頭」と川上弘美さんの「七夜物語」である。私は毎朝この小説を読むのを楽しみにしているのですが、そんな偉い作家の作品のことは関係なく、一つ、朝から自分に課している課題があります。先ず、必ず「天声人語」を読む。そしてその右隣にあるインデックスでふたつの小説の掲載ページを確認し記憶する。そして掲載ページの若い方から新聞を開き、そのページの小説をじっくりと、一心不乱に読む。その次である、私が自分に課している課題は。インデックスに戻ることなく、先ほど確認したページを思い出し、ふたつ目の小説が掲載されているページを開きその小説を読むということである。最初の頃は、ひとつ目の小説を読んでしまうと小説の筋に熱中してしまい、ふたつ目の小説が掲載してあるページを忘れてしまう。だから、また新聞を一面に戻し、インデックスでふたつ目の小説のページを確認して、また新聞を捲ってそのページを開くことになる。そういうことをやっていると、だんだんと新聞の製本が崩れてきて、新聞全体がぐじゃぐじゃになってしまう。天声人語の後に見るインデックスを、意識を集中して覚え込んでも、小説を読んでその世界に入り込むと、もう忘れてしまっている。こいつはかなり難しいぞ、とその課題を自分に課すようになった。二年くらい経った今では、頭の中の違う部分を使っているのか、ひとつ目の小説を読み終えてもすんなりと、ふたつ目の小説が掲載されているページを開くことが出来るようになった。自分なりに老化防止の訓練だと思い、成果が出ていると思っているのだが、単に、要領の問題だけなのかもしれない。だから何なのだと聞かれても、だから何なのだと答えられないけど、私の中では「だから、何かになるのさ!」と思っているのだ。


326)9/5 『日曜美術館』 投稿者:TOYO 投稿日:10年9月2日(土)21時45分

記録的な暑さで、バテそうな日々が続いていましたが、皆さん大丈夫ですか? やっと、少しずつ少しずつ「秋の気配」が感じられはじめ、ホッとしています。日本全国、暑かったね〜!!

『日曜美術館』 NHK教育 9月5日(日)AM9:00〜
       「島とアートを巡る冒険 〜瀬戸内国際芸術祭2010〜」
       
        再放送   9月12日(日)PM8:00〜

瀬戸内国際芸術祭の内容が放送されます。
興味のある方は、ぜひ観て下さい。
どの島のどの作品にスポットが当たるのか、私もすごく楽しみにしています。


325)タイさん確認 投稿者:香 投稿日:10年8月7日(土)10時25分

TOYOさんありがとうございました。貫禄のある紳士ワイングラス片手に・・・のタイさん確認できました。


324)瀬戸内国際芸術祭2010 投稿者:TOYO 投稿日:10年8月3日(火)21時54分

黒江先生退官記念inTOKYOもinFUKUOKAも大勢の参加者で、楽しく懐かしい時を過ごされたようで良かったですね。お世話された方々ご苦労さまでした。
黒江先生、本当におめでとうございます。

香さん、タイさんわかりましたか?
もう誰かに聞かれたと思いますが、東京の会で、ケイコ、黒江先生、おきゃーまと5人で椅子に座っている写真の、左端の貫禄のある紳士が、タイさんです。ご確認ください。

さて、もうご存知かと思いますが、7/19〜10/31までの間、瀬戸内の7つの島+高松で行われるアートプロジェクト「瀬戸内国際芸術祭2010」が始まっています。
私達も、このアートをめぐる旅、10/23(土)〜24(日)の1泊2日の短い時間ですが、直島、犬島などに行ってみようと計画しています。
みなさん、一緒に行きませんか?

◎参加したいと思われる方は、8月末までに連絡して下さい。
 10/23(土) お昼ごろ 岡山駅集合
 10/24(日) 夕方   岡山駅解散
 詳細は、参加者のみ後日連絡します。
 大勢のご参加をお待ちしています♪♪


323)度々済みません。 投稿者:香 投稿日:10年7月5日(月)18時26分

度々の投稿で済みません。メカに弱い僕がやっと東京の写真データを開くことが出来ました。知ってる方が少なかったのですが、聞けばタイスケ様が出席してたと聞いたのですが、大変失礼ですがタイスケさんが分かりません。わかったのは、黒江先生御夫婦、ケイコさん、ユッコさん でもタイスケさんが分かりません。どなたか教えてもらっていいですか?(もし御出席なら)


322)黒江先生退官記念in FUKUOKA(2010.07.03) 投稿者:香 投稿日:10年7月4日(日)14時17分

朝9時14分のソニックに乗車して(久しぶりの電車)心地良い揺れに任せて一寝入り、目を覚ませば博多に着いていた。博多駅から始めての地下鉄へ川端まで乗車そのまま地下鉄の駅づたへにリバーレーンのビルへそしてアジア美術館へ アトリエに入れば、おう香ちゃん 香さん 香先輩と昔懐かしい仲間や先輩方がそして黒江先生御夫妻。お祝いに駆けつけた甲斐がありました。皆さんの笑顔をみて「ほっ」御挨拶をして回っている時黒江先生の奥様が寄ってこられて「東京からの伝言よ」と優しく伝言を話してくれました。そして東京でお集まりのメンバーの写真を拝見。伝言嬉しかったです(内緒)長年空いてた胸のつかえが幾分か・・・ありがとうございました。 で皆さん集合で集合写真。その後食事の会場へ。72Dの皆さんとも会え近況報告を聞き、楽しい時間を過ごせました。これもひとえに黒江先生のお陰ですね。河地先生の御参加もあり、69〜74の方々も集まり多いに盛り上がりました。先生とゆっくり(独り占めは出来ませんからね)話しが出来なかったのは残念でしたが。会場を後に5人で西鉄バスに乗って(ほんと何十年ぶり)天神バクへ。河地先生の展示作品を鑑賞 お茶して皆さんとの会話を満喫しました。今回の黒江先生の退官記念式典では田頭にはお世話になりました。素敵な時間を作っていただいたことに「感謝」です。そして相変わらずハニカミBOYの鷹巣さんにもお心遣いをしていただき、有難うございました。アリマン高知にもあえて頑張ってますねぇみんな。今後も72Dの皆さんに負けないよう田頭と悪巧みをして皆さんと(特に東京組みの方々とは)またおあいできる時間ができるとよいなと思ってます。午後8時20分のソニックで大分に帰りました。本当に楽しい大事な一日を頂き有難うございました。大分にお越しの際は是非お声をお掛けくださいね。

大分市新川町2丁目9−9 田中 香
090−9571−5678
silver.0.8.1.8.kaorupapa@docomo.ne.jp

写真(フォトアルバムにアップしています)


321)東京 黒江会 無事終了いたしました。 投稿者:ケイコ 投稿日:10年6月28日(月)15時20分

東京黒江会無事終了いたしました。
皆さんのご協力ありがとうございました。
パーティーでは黒江先生ご夫妻も感無量のご様子でした。
記念品も喜んで頂きました。カッパ殿ありがとうね。
翌日、有志のみでの箱根1泊も30余年ぶりに会えた後輩 (茨木君:www.ibalucky.jp)の参加や
岡山からオキャーマの参加もありおおいに盛り上がり(夜はみんなでWサッカーのオランダ戦を観戦)
翌日はポーラ美術館までご一緒して解散いたしました。
黒江先生から「みんな、鹿児島に遊びに来て」という伝言も頂いています。

写真のURL(下のURLの全体をコピーしてブラウザにペーストしてください。)
http://picasaweb.google.co.jp/keiko115.murayama/2010_06_kuroekai?feat=email#

重ねて、皆様にはご協力ありがとうございました。
ご報告を兼ねお礼を申し上げます。



320)東京 黒江会 電報&協力金のお願い 投稿者:ケイコ 投稿日:10年6月7日(月)13時33分

以前に投稿しました。「黒江先生退官記念パーティ」へのご協力お願いです。

●パーティ会場に電報でのご参加をお願いします!
開催日:平成22年6月18日(金)
場 所:青山ロビンズクラブ(サテライトルーム)
    東京都港区赤坂7-3-38 カナダ大使館ビルB1F
    03-5414-1155 〒107-0052
    http:www.robbins.co.jp
時 間:19時00分〜21時00分
お名前の後に学籍年(72D)を入れて送ってください。

●一口1000円として、一口以上の協力金をお願いしています。
振込先:三菱東京UFJ銀行 三軒茶屋支店(店番700) 普通0037689 
口座名 黒江会代表石橋昌子(クロエカイ ダイヒョウ イシバシマサコ)
お名前の後に学籍年(72D)を入れてお振込ください。

なにとぞご協力のほどよろしくおねがいします。

PS.香さんですね。お久しぶりです。お元気そうでなによりです。福岡 でも「黒江先生退官の会」を開催され、そちらへのご参加されるとか。
きっと先生も大喜びですね!香さんにもいつかお会いできればいいですね。


319)ありまんから至急です。 投稿者:シタマ 投稿日:10年6月4日(金)22時00分

ありまんから至急ということで、下記内容が着いてます。10日締切ということで連絡は、直接田頭兄までとのことです。

黒江研究室卒業生の皆様      平成22 年5 月30 日

黒江先生ご退職お祝い会のご案内
拝啓 黒江研究室(くろけん)卒業生の皆様には益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
さて、皆様にはご存知の方もおられるとは存じますが、我が黒江先生、今年3 月をもちまして九州産業大学を定年ご退職されました。
退職を記念して先生の写真展が福岡アジア美術館にて開催されます。先生の写真を鑑賞方々皆様と共に黒江先生のご退職のお祝いを下記の通り開催致したいと存じます。
卒業生皆様方には、ご多忙中とは存じますが、ご出席いただきたくご案内申し上げます。
日程と時間は下記のとおりです。
ご出席いただけます方は6 月10 日(木)までに同封はがきで返信くださいますようお願いいたします。  敬具

発起人:69D 津山裕一
発起人:69D 中居千里

◆ 日時:2010 年7 月3 日(土)12 時頃〜16 時予定
◆ 集合場所:福岡アジア美術館7F(13:00〜)
〒812-0027 博多区下川端町3-1 リバレインセンタービル7
http://faam.city.fukuoka.lg.jp/use/use_acc.html
☆写真展会場にて記念写真撮影の後、移動して黒江先生を囲んでお祝い会を行います。(13:30〜)

◆ お祝い会:「嵯峨野別邸」tel/092-271-5745
〒812-0027 博多区下川端町3-1 博多リバレイン6F
http://www.hakata-sagano.com/index.html

以上

皆様にお会いできるのを楽しみにいたしております。
事務局:71D 田頭浩


318)おじゃま虫 71D インテリア科 黒江研究室 掃除当番 投稿者:香さん 投稿日:10年6月1日(火)11時40分

泰介さま・ありまんさま・けいこさま・こーちさま・とよさま・ゆっこさま・たかすさま お元気ですか?ホームページを拝見すると何十年ぶりかの皆様も大変お元気そうで懐かしく拝見しました。この度は、黒江先生ご退官の会を東京と福岡で開催される様、僕は、福岡の会に出席させていただこうと思っています。今回このホームページは71Dの田頭さまから教えていただきました。失礼とは思いながら投函させていただきました。それにしても72Dの結束力はすごいですね。よいお友達に恵まれて長〜いお付き合いうらやましく思っています。お仲間を大事にされてください。卒業して随分の年月が経ちますが、青春を思い出させる1ページを拝見できて嬉しく思っています。東京の皆様今後もお元気で・福岡で黒江先生の会に出られる方お会いできるのを楽しみにしております。おじゃま虫でした。では
あっ! 僕のこと覚えていらっしゃいますか〜?(笑)

写真1
写真2
写真3


317)お待たせしました。 投稿者:シタマ 投稿日:10年5月31日(月)15時20分

やっと名簿が出来て昨日送り出しました。
正二郎には、幹事のケンゴんとこからレンタカー代のたしというのが入ってますので気をつけて見て下さい。
まだ、歴史のページの内容を更新してません。しばらくお待ち下さい。


316)またまた、メールアドレスを変更しました。 投稿者:岩坂 投稿日:10年5月8日(土)6時28分

お知らせがてら先日の出来事のご報告です。

先日、仙台出身の井上ひさしさんが亡くなりました。彼の言った言葉は私の心に響いています。
『「むずかしいことをやさしく」と言い、さらに「やさしいことをふかく」とふみこむ。』

仙台に来た当時の4月末、JRで仙台方面へ向かっている時に大河原駅を過ぎると電車が徐行し満開の桜並木を見せてくれました。それはもう感動の一言でした。後で知ったことですがそれは「一目千本桜」と言って、白石川の堤防両岸に8キロも続く桜並木です。もう30年以上前の記憶です。毎年、毎年この季節になると、ニュースで歳時記として取り上げられ「あ〜もうその時期か。見に行きたいな〜」と強く思っていました。そして、仕事に追われて30数年が過ぎましたが、ついにその願いが叶う時が来ました。しかも仕事を辞めたのだから、土日は避け、平日にのんびりと行ける喜びを満喫したい、と花見には絶好の日和を選んで計画しました。4月20日のことです。

ショルダーバックにバスケットを見るために買った単眼鏡と単行本と保温性のあるマイカップにお湯割りの焼酎を入れ準備万端で出かけました。電車の中で焼酎を飲みながら本を読む、お〜!なんと30年以上も憧れていた情景であることか。しか〜し!仙台駅から白石行きの電車は!なんと!じじばばがいっぱい!いや、じじが居ると必ずと言っていいほど夫婦だが(おとなしく、上品)、ばばは徒党を組んでいる。つまり、圧倒的にばばばっかりで(読みづらいな〜)、そしてうるさくて、マナーが悪い。さて、車内に入って空席を探す。3両くらい探した時、窓側が空いているのが目に入った。隣に座っている若い男性に聞くと空いているという。これ幸いに手刀を切るようにして座り込む。これから30年以上頭に描いていた私の時間が始まる。私の前には厚〜い化粧を塗りたくり、今流行の千鳥格子の厚手のコートを着て黒い大きめの縁の帽子をかぶり色の入った大きなレンズの老眼鏡を掛け真っ赤な口紅を塗った貫禄のある押し出しの強い(いかにも傲慢そうな)脂ぎったおばちゃんが座っている。その隣には、つまり通路側には荷物を置いている。車内はどんどん混んできている。と、一人のおばちゃんがその荷物の席を指さして「空いている?」と聞いた。脂ぎったおばちゃんは「来ます」と言う。がっかりしたおばちゃんは次の席を探しに去っていく。席の近くの人はその会話を聞いて、この脂ぎったおばちゃんは一人分の席に自分の荷物を置いて人の迷惑も顧みずなんて図々しいんだろう、から誰かのために席を取っていてあげてるんだ、人に誤解されながらもその誰かさんのためにひとりで頑張っているんだ、と思いを変えた。車内はどんどん混んでいき、後から来た人たちは立ったままその席を見つめるだけで、何か訳があるのだろうと声をかける人はいなかった。車内放送があり、ドアが閉まり、電車が動き始めた。あれれれれ、荷物の席は荷物の席のまま?あれれれれ、おかしいぞ、周りの人は皆、脂ぎったおばちゃんの顔をなんて奴だ!と言う顔で見始める。すぐそばに立っていたおばあちゃん(同じ女性でもこちらは紛らわしいけどおばあちゃんである。「あ」のひと文字が入る)も同じ気持ちなのだろう、「この席、空いてます?」と。「いえ、来ます」。あれれれれ、このばばあ、なんて奴だ、この脂ぎったくそばばあ!電車は動き出したのだぞ、誰が来るって言うんだ!このやり取りに堪りかねた私はよせばいいのに「空いているんじゃないの」と言ってしまった。「いや、南仙台から乗るんです」と毅然として言い返してくる。うーん、えっ、南仙台?一瞬私の頭の中は混乱する。(仙台駅を東北本線で南下すると長町駅、熊堂駅、南仙台駅と続く)南仙台というとあと三つ先の駅名じゃないか、この脂ぎったくそばばあ!しかし三つ先の駅で乗り込んでくる人の為に荷物を置いて席を取っていることに対しての罪悪感はないのだろうか?南仙台から乗り込んで来る人は座れても、その人の気持ちまでこの脂ぎったくそばばあは考えているのだろうか?いやきっとそこまで考えは及んでいないだろう、こんな行動を平気で行う脂ぎったくそばばあなのだから。私は立ち上がり、満員の人々の前で、おばあさんに「こちらの席にどうぞ」と声をかける。空気を読んでちょっとためらっているおばあさんを強引に座らせる。そうしないと私の立場もなくなってしまう。私はわざと脂ぎったくそばばあが置いている荷物席の横に立った。こうしていれば脂ぎったくそばばあも2駅分の時間、居心地が悪いだろう、いろいろと後悔するだろうとプレッシャーをかけるために。ふと前を見ると、私の隣に座っていた若い男性は下を見て顔を上げようとしない。こいつ、私と目が合うのを避けているのだなと思った。私がここに立っていることは、脂ぎったくそばばあにも、この若い男にもプレッシャーをかけているのだと分かった。この席の周りの満員の人々は、事の成り行きを静かに見守っていた。長町駅でまた人が乗り込んできて車内はいっそう混んできた。熊堂駅を過ぎ、いよいよ「南仙台駅」に到着した。脂ぎったくそばばあは窓越しに乗り込んで来るであろう人を探し、見あたらないと立ち上がり車内を見回していた。そして、荷物が置かれたまま電車はゆっくりと動き出した。脂ぎったくそばばあはさすがに、まずいと思ったのだろう。「あれ、来ないな」などと小さい声で、しかしみんなに聞こえるように独り言を言いながら人をかき分けるようにして、乗り込んできたであろう人を探しに行った。入れ替わりに、まるで吉本の舞台みたいに、お腹の大きい婦人と旦那がこの席に来た。脂ぎったくそばばあの席が空いているのを見つけて最愛の女房のために、今までの成り行きを全く知らない旦那は「そこに座って」と最愛の女房を気遣って言った。すると慌てて、若い男が「来るみたいです。今、探しに行ってます」とよく理解できないことを言った。座ろうとしていた妊婦は、よく解らないまま優しい旦那の元に戻り、二人で寄り添うように立ち話をしている。このボケ〜!おめ〜が席を譲ってやるんだよ、おめ〜が!と私は、怒りの矛先をこの情けない若者に向けた。その時、この席の周りのゆったりと座って大きな声で世間話をしていたばあさんたちが、こそこそと喋り始めた。いわく「若いのに変わってあげればいいのに」、「お腹が大きいと立っているのも辛いのよね〜」、「あの人、どこまで探しに行ってるのかしらね〜」。情けない若者は空気が抜けていく風船のように、みるみる小さく萎んでいった。駅を出て、そんなこんながあって、ちょっと間があって、脂ぎったくそばばあが人をかき分けて帰ってきた。「見つからないな〜」と小さい声で、しかしみんなに聞こえるように独り言を言いながら、荷物を抱え窓際の席へ座り込んだ。なんという傲慢な常識のない下品な・・・世の中にあるその類の言葉を瞬時のうちに、脂ぎったくそばばあの上に並べた。そして間髪入れず、私は妊婦さんに「ここにどうぞ」と手で指し示した。成り行きを知らない妊婦さんは素直に席に座ると、最愛の旦那さんと楽しそうに話し始めた。窓際の脂ぎったくそばばあは窓から決して目を離すことなく、向かいの席の情けない若者は縮んだ風船のままだったが、幸せそうな夫婦の周りの空気はふんわりと溶けていった。そして私のぴりぴりした気持ちも和んでいくのを感じた。私は、車窓から時おり見える満開の桜を見ながら、これから30数年来の夢を実現する「一目千本桜」に思いを馳せた。

『一目千本桜』
大河原、柴田両町にまたがる桜の名所。白石川の堤防約8キロメートルに咲き誇るのは、約1200本のソメイヨシノ。1920年代に大河原出身の実業家が寄贈したのが始まり。「日本さくら名所100選」に選ばれている。


315)黒江先生退官記念inTOKYOのお知らせ 投稿者:ケイコ 投稿日:10年4月13日(火)12時25分

黒江先生が今年退官されるので東京在住の卒業生で記念会を企画しております。
6月18日(金)銀座でパーティ、19日(土)〜20日 (日)有志での箱根湯本温泉1泊旅行

退官記念の記念品は我らがホコリ、誇りのカッパ先生肥前赤絵窯元「鷹巣」鷹巣佳之氏に依頼しております。

こちらへお出かけの計画を立てている方&黒江先生ならば・・と いう有志の方あれば参加いただけませんか?

前後の宿泊は私の家(町田市)にどうぞ。

正式な会費等のご案内は来週になると思います。

福岡でも記念会をするとか聞いております。
そちらへ参加される方もあるかとは思いますがよろしくご検討ください。

では、正式なご案内は後日メールにて

PS.他にメールアドレスご存知な方にはこちらを転送していただければ幸いです。
PS.5月2日、アリマン&村山は有田陶器市に行きます。お知 らせまで
とアドレス判る方にはメールしましたが改めてこちらへ投稿します。

ところで、岩坂君こちらタマゴ10個で100円!人が多い分 デフレ率も高い!きびしい!



314)「応援ありがとう」 投稿者:ありまん 投稿日:10年3月23日(火)18時45分

岩坂が女子大生にカンパイと言ってくれたのは私のことですぅ。
私は ゆで卵なんかいな。
4月から 女子大生をやります。アホのありまんです。
昨年会社を退任し、この春受験し、合格しました。
(注:コネは使ってません。夏にネットで調べた先生のところに行って「とし関係ありますか?」って初対面で聞いたら
「年齢は関係ないですよ、何をしたいかだけはっきりしていれば・・・」と言って下さった。
た、た、多分、先生は私と同い年ですぅ。)
合格発表の夜。
「近頃の大学は少子化で学生集めが大変って、おばちゃんまで合格させるんやねえ。」と姉。
「あっちゃん、家が近いから入れてくれとか言ってないでしょうね?」と妹。
「確かに言ったよ。家が近いです。車で15分です。」って最終面接で言った私。
「それは大学を選んだ理由として、確かにポイント高いですよね。あなたにとっては・・・」って先生。
「女子大生は衣装代がかかりますもんね。うちの娘なんかバイト代が全部お洋服に消えますもん」と知人。
「それってやっぱミニとか着ないといかんよねぇ」と私。
「あっちゃん、その腹ひっこめてからにしなさいよ」と姉。
って騒いでいたら、「ありまん キャンパスの地雷を踏まないようにしなさいよ!」とやさしい友人のお言葉。
楽しさ半分、怖さ半分。血圧の薬のみながら なんとか元気にやっています。

PS.随時、合コン受け付けます。ありまん



313)剥きにくい殻を見事に剥いた! 投稿者:岩坂 投稿日:10年3月18日(木)13時19分

やっぱり九州出身は、とんこつラーメンが恋しい。仙台の陸上自衛隊の近くにあるそのとんこつラーメンやさんは、先着100名にゆで卵がサービスされる。なんか、かなり得した気分になる。しかし、考えてみると1パック10個入り150円として100個だと1500円で済む。1500円の投資で私のような客がいっぱい足を運んでくれるとしたら、素晴らしい販売促進である。私はいつもラーメンが運ばれてくる前にゆで卵をキレイに剥き、運ばれてきたラーメンに入れて温めて最後に食べるのが好きだ。しかし今日の卵は剥きづらい。殻が小さく割れ、薄皮が一緒に剥けない。ゆで卵を剥くあの快感にも似たあのペロッ!パコッ!がない。ラーメンが運ばれてきても、まだ剥けていない。博多麺の細麺だからのびてしまう、と気が気じゃない。やっと殻をむき終わり、今度は薄皮を丁寧に剥いてゆく。親指の腹を使って撫でるように剥いてゆく。ツルンツルンの卵肌が姿を現す。麺がのびるのも忘れて熱中している。なんと俺は器用なんだろう、なんと俺は完璧主義者なんだろうと思いながら、丁寧に丁寧に剥いてゆく。ふと思う。日本人ならみんなゆで卵を剥くのは上手かもしれない、外人は不器用だから剥けないかもしれない。そういえば、外国にはゆで卵を食べる習慣はあるのだろうか?うーん、こうやって丁寧に剥いて食べることはないんじゃないかな、外人はスプーンで割って食べてるもんなー、ハードボイルドなんて言葉もあるもんな〜。そういえば、ハードボイルド小説をしばらく読んでないな。誰だっけ、日本人の第一人者、有名な作家の名前は。えーっと、そうそう、北方謙三だ。おーっと、キレイに剥けた、ツルンツルンの白い肌の色っぽいゆで卵がやっと出来た。ラーメンのつゆの中に入れて、紅ショウガを入れて、こしょうをかけて、あ〜っやっと食える。東北で暮らしている九州出身者の至福の時間が始まる。太るからと思っていたが、口を付けてしまうともう、替え玉をしようと堅く思っていたの でした。
剥きにくい殻を剥くようにこつこつと頑張って、来年度からいよい よ至福の時を過ごす女子大生に乾杯!



312)次回72Dの会は、熊本です。 投稿者:TOYO 投稿日:10年1月11日(月)08時53分

肝心なことを書き忘れていました。
次回は、新幹線が通っているはずの、熊本で行われます。
ケイコさんとアキさんに幹事をお願いして、快く引き受けてもらいました。
ケイコさんは東京在住だけど、地元熊本には、心強い助っ人の弓子お姉ちゃんがいます。お姉ちゃん、勝手なお願いですが頼りにしています。
アキさんも、妹さんが住んでおられるとか。
お二人ともよろしくお願いします。



311)みなさん、楽しかったですか? 投稿者:TOYO 投稿日:10年1月8日(金)00時28分

船酔い、車酔いから完全復活のTOYOです。
みなさん、今回の「原点・福岡」の72Dの会はいかがでしたか?
今回はサプライズとハプニング続きの、なかなか面白い会になったと私は思っています。
まず、30日の住吉クンからの「1時から、夜9時までなら参加できる。」という電話でのサプライズ参加決定は、めちゃくちゃ嬉しかったですね。私のケータイにかかってきたんだけど、横でケンゴが大拍手していました♪
コーチやほぼ常連のおきゃーまが来れなくなって、ちょっと淋しいと思っていたところだったので、気持ちがぱあぁ〜っと明るくなりました。
住吉クン、忙しいなかでの参加、ありがとう!珍しいお酒のおみやげもありがとう!

3日のマリンワールド、イワシの大群も圧巻だったけど、イルカショーが最高に良かった!!海をバックに訓練されたイルカのショーは今まで観たどこの水族館より高度で素晴らしいものでした☆☆1頭、クジラが混ざっていて、イルカに必死で付いていっていたのがものすごく可愛かった。ありまんが何度も「あのひと(クジラのユキちゃん)自分をクジラだとは思ってないんやろね〜。」としきりに感心してたのがこれまた面白かった!

チカさんBARでは、イケメン倫太郎くんがお姉さま軍団に大人気♪♪
スマートな接客にも感心しました。チカさんとめぐみちゃんのいいとこどりのカッコいい好青年でした。
みんなで楽しいおしゃべりの合間に、アキさんが「変型脳内メーカー」を図解したり、クイズにしたりして、みんなを盛り上げてくれました。
とても面白かった。ありがとう、アキさん!
あたたかいおもてなしをしてくれたチカさんとめぐみちゃん、ありがとう!!お世話になりました。ホテルもすごく良かったです。

4日はカッパちゃんと唐津で合流して、曳山展示場、七ツ釜、呼子、いろは島展望台へと行ったんだけど・・・唐津神社で初詣をして、おみくじが「大吉」だったので、木にくくりつけようとしたら思いっきりブチッと切れてしまった。
お正月早々縁起が悪いと話していたら、七ツ釜の遊覧船がシケで大揺れで、船に慣れているはずの私が船酔いで顔面蒼白!!みんなはデッキに出て景色を楽しんで、揺れも楽しんでたのに私は立ち上がることもできず・・・あぶなかったぁ〜、冷や汗だらだら。
おかげで、めっちゃ楽しみにしていた「呼子のイカ」も味見くらいしか食べられず・・・くやしい〜。
いろは島展望台への道でも車酔いしてしまい・・・みなさん、本当にご迷惑とご心配をおかけしました。楽しいツアーを計画して、お世話してくれた新福くんと正二郎くんに非常に申し訳なかったです。ごめんなさい。

ブログのごとく長々と書いてしまいました。
今回は久々の福岡で、大都会になった街や、昔のままの屋台でラーメンを食べ、福岡ってホントにいいなぁと福岡在住の仲間たちがうらやましくなってしまった72Dの会でした。



310)あと1週間 投稿者:TOYO 投稿日:09年12月27日(日)23時40分

年の瀬が近づき、ますます気ぜわしい毎日です。毎年この時期は、動き回っているのに、何か忘れ物をしているような不思議な感覚の日々です。
楽しみにしている72Dの会まで、あと1週間となりました。
最終の予定をお知らせします。

3日1時集合組は、海の中道海浜公園のマリンワールド(水族館)に行きます。水族館大好き人間の私はとても楽しみです!!
4日のミニツアーは唐津方面に行きます。詳細は当日のお楽しみ!おいしいお魚料理もありそうですよ♪

残念ながら、おきゃーまが来れなくなったけど、ありまんが3日1時からも参加出来ることになったので、3日も4日も総勢10名で楽しんでこようと思います。
チカさんBARのみ参加のみなさんも、体調に気をつけて、元気に会いましょう!  ではみなさま、今年一年ありがとうございました。よいお年を。



309)会えるのを楽しみにしています。 投稿者:TOYO 投稿日:09年12月17日(木)21時56分

第17回72Dの会、チカさんBAR「LITTLE RED ROOSTER」の会の参加者がほぼ決まりましたので、報告します。

3日 博多駅前 午後1時集合→ケンゴ・トヨ・シタマくん・正二郎くん・工学部・ケイコさん・おきゃーま・原さん・新福くん・アキさん(計10名)

3日 チカさんBAR 午後6時集合→上記10名+ありまん・三宮くん・カッパちゃん・キノさん・石川さん・ヒヨコちゃん(計16名)+チカさん・めぐみちゃん・倫太郎くん

3日 宿泊→ケンゴ・トヨ・シタマくん・正二郎くん・工学部・ケイコさん・おきゃーま・原さん(計8名)

4日ミニツアー→ケンゴ・トヨ・シタマくん・正二郎くん・工学部・ケイコさん・おきゃーま・原さん・新福くん・アキさん・ありまん(計11名)

チカさんに、気兼ねなく楽しめる場所を提供してもらったおかげで、夜だけなら参加できるという人にも会えるチャンスができて本当に良かったです。
「今回は4日から仕事で参加できなくて残念です。」という返事も多かったので、その人達の分まで、楽しい会にしたいですね。
ミニツアーは新福くんが計画してくれています。後日のお楽しみということで♪

PS・ホントに、みなさんにとってはどーでもいいことなんですが・・
   私にとっては、1年で一番大事な日。
   小田和正 ”クリスマスの約束2009”
   12月25日(金) PM23:59〜  TBS系列でO・A

いつか、あの場所で小田さんの声につつまれたい・・・ね、ヒヨコちゃん。



308)ごめんね〜、ごめんね〜2! 投稿者:コーチ 投稿日:09年12月10日(木)18時40分

新インフルエンザが猛威をふるっております。
先日の11月29日(日)は休日当番はなんと!!患者数167名
内新型インフルエンザ80名、ひぃ〜!!
この患者さん一人一人にリレンザ(インフルエンザ治療薬)の説明をするんです。ゴホン、ゴホン咳が私めがけて飛んでくる。
まるで野戦病院でした。
自分自身感染しないのが不思議です。やっぱし、おばさんは感染しないのかな???
と言う訳で何回か大きな津波のようにこのインフの波が押し寄せてくるので、厳戒体制の医院としてはゆっくり正月休みはとれません。
ごめんなさい2であります。
今「JIN・仁」にはまっています。
やっぱりここでふんばってがんばらんといかんろ〜!!!使命感に燃えるコーチでした。


307)ごめんね〜、ごめんね〜。 投稿者:岩坂 投稿日:09年12月8日(火)11時32分

昨日(12月7日)午後3時頃。釜揚げ讃岐うどん「丸亀製麺」(仙台に進出した)でつるつると。二日酔いの時はやっぱり、あっさり、うどんが胃に優しい。
つるつると食べながら、コーチに連れて行ってもらった、本場のうどんを思い出す。うまかったな〜。あれから1年、あっという間に過ぎちゃった。
子供の頃、あんなに1年が長かったのに、歳をとればとるほど1年が短くなってゆく。特に子供たちと毎週毎週接して、子供の成長を見ながら、いろいろな大会を一緒に戦っているとすぐに1年は過ぎていく。
そして一昨日、今年もまた東北大会出場を決めることが出来た。子供は泣くは、親は鼻水を流すは、飛び上がるは、抱き合うは・・・。
ただただ、ひたすら、明るく楽しく子供たちと一緒に遊んでいるチームが、専門的に厳しく教えているチームに勝ってしまう。その指導者には大変申し訳ないが、これが小学生(生涯スポーツの入口)のスポーツだと思う。
で、話は戻り、夜は子供と親と、どんちゃん騒ぎ。それで二日酔いで、昼飯時間には具合が悪くて食えなくて、3時頃に讃岐うどんになって、コーチに連れて行ってもらったうまかったうどんを思い出し そして、1年の時の流れに、気持ちを添わせる。今年は、世の中の流れも、私も、周りの人も、友人たちも、大きく変わった。それこそ、Changeの年だったのだろうな。
ま、こんな感傷はどうでもいい。博多開催の同窓会は、バスケの子供たち(素晴らしい青年、淑女になった)の成人式のため、欠席です。品川ご夫婦様ご苦労様です。ごめんなさい。


306)お返事はなるべく10日まで(必着)でお願いします。 投稿者:TOYO 投稿日:09年12月3日(木)00時33分

仙台とか関東地区を除いて、ほとんどの仲間たちに72Dの会の案内状が届いたことと思います。ちょっとお待たせしてしまいましたが、諸事情により急遽ケンゴ&TOYOが幹事をさせていただくことになりました。
幹事といっても、チカさん夫妻、シタマくん、新福くんの協力のおかげで、スムーズに事が運んでいます。
3日(日)は定休日のチカさんのお店を、快く休日返上で貸切にしてもらえました。ホテルも、めぐみちゃんがその日のうちに予約を入れて押えてくれました。すっごくステキなシティホテルです。お値段もリーズナブル♪
シタマくんは1週間で、完璧で的確な案内状を作成、発送してくれました。(さすが!!)新福くんは4日のミニツアーを計画してくれてます。

ホテルも人数が暫定的だし、ミニツアーも途中で帰る人もいると思うので、みなさんの予定を早く知りたいのです。お返事お早めに!!
なにかと忙しい師走ですが、10日厳守でお願いしますね〜。
さっそく電話やメールで参加を知らせてくれる人も何人かいて、「72Dの会」を楽しみに待っていてくれてたんだなぁと思って嬉しかったですね。

福岡在住のみなさん、大勢の参加を待っています。今まで来られなかった人も来やすいんじゃないかな。
イワサカ、じっくりゆっくり話したいので、思い切ってもう一度福岡に来んね??
原点の福岡、しかも天神ど真ん中!!楽しい会にしたいと思います♪♪


305)只今燃え尽き症候群です。 投稿者:コーチ 投稿日:09年10月26日(月)19時45分

高知県展が昨日で閉幕しました。私の長い半年がやっと終わり、脱力感で一杯。その心の隙間にインフルエンザが忍び込む…
さて今年のテーマは「墨絵」(風)麻生政権の時にいただいた12000円で墨を買いました。本格的な墨絵はかけませんからただ風ですが。だからなるだけ色を抑えて微妙な無彩色な世界を表現してみたかったのですが…
なかなか難しい。これからの課題です。多くの才能ある若い人が登場して、素晴らしい作品を発表していきます。焦りや失望、抑圧された気持ちで「そろそろ限界かな?」と感じ続ける毎日です。でも歳をとってそれがマイナスばかりじゃ無いはず。こんな私しか表現出来ないものがあるはず。???もう少し頑張ってみようと思います。
応援ありがとうございます!

作品1(二科展)
作品2(高知県展)

[追伸] 金魚が3匹いる方は二科で1匹は県展です。この出目金を妹はブサイクなETといいます。


304)コーチ、石飛くん、澤田くん、おめでとう!! 投稿者:TOYO 投稿日:09年10月25日(日)15時55分

コーチ、4回連続「二科展入選」おめでとう!!
ほんとにすごい。才能と努力の賜物ですね。仕事をしながら、夜9時には眠くなるという信じられない生活をしながら結果をだすコーチに、ほんとに頭が下がります。もはや尊敬してるよ♪
そして今回、なんと石飛くんは2点も入選をはたしておられます。すご〜!!2点とも、緻密で美しいイラストです。
高知県展では、澤田くんが入選、コーチは「褒状」に選ばれています。
みんな頑張ってるなぁ・・・っていうか、好きなことを続けていて、結果をだしていてうらやましい限りです。

友達の活躍をみていつも思うんだけど、私の「絵を描くことが好き。」という気持ちは、いったいどこで途絶えてしまったんだろうな。
バレー・マンガ・映画・今年から急にハマッたお笑い・・・好きなことは誰にもじゃまされず人生の大半を過ごしてきたけれど・・・「絵を描く」がない。
私が一番尊敬しているのは、「生きた線で、デッサンが描ける人」
この先、絵を描こうとか、デッサンを習いたいとか、そういう気持ちになるのを期待しながら、マンガと映画とお笑いに明け暮れている毎日です。
みんなの活躍がおおいに刺激になります。三人ともおめでとう!!


303)ちかさんがお店開くよ。 投稿者:シタマ 投稿日:09年8月22日(土)12時00分

ちかさんが8月27日(木)(予定)お店を開きます。
ROCK BAR 『LITTLE RED ROOSTER』
そのプレオープンが8月20日(木)にあったので、仕事が終わって北九州から駆け付けました。
場所は、天神、西鉄グランドホテルの裏、大名小学校、ファミリーマートの真ん前のビルの6階。繁華街です。
博多に着いたのが夜9時過ぎでしたが、さすが博多ですね、人・人・人で溢れてます。
お店に入った時には、タカス夫妻、きのさん親娘は帰ってましたが、
ありまん、あきさん、ひよこちゃん、新福、めぐちゃん、それに、ちかさんの元同僚や知り合いの人が飲んでました。
カウンター内では、ちかさん親子。息子さんは、ちかさんに手ほどきするために来てるそう。
勉強させるのため、この際だと、知らない名のカクテルをいろいろ頼みました。(笑)
「次の72Dの会の3次会はここで決まりやね」。なんて話してました。
アクセスもいいし、気軽に入れる店です。
福岡の方は、待ち合わせ、飲み会、2次会に是非使って下さいね。

写真(プレオープン/店内と72Dのメンバー)(ありまん/シタマ/09.8.20)

地図



302)とよ、電話で言ったべ! 投稿者:岩坂 投稿日:09年8月21日(金)10時56分

>> ところで、キャンパスにアップした今の内容だけでは、
>> オレみたいに思い違いして読んでるやつもおるかしれんね。
>> 追伸として、今回の内容をアップしよ思うんやけどいいかいね?
>
> ちょっと恥ずかしいけど、長いけど・・・。
> 私の真意が伝わるなら・・・・。
> よろしく。

了解しました。
しばらくかかるかもしれんけど。

では。

これが、舌間くんと交わしたメールの内容。

つまり、この追伸は72Dのキャンパスへ乗せるために書いたのではなく 舌間君が腫れ物に触るように心配してくれて・・・、実は違うんだよ ということで仙台で同じように心配してくれてる、この業界の経営者仲間に説明するために作った物を、送ったということ。

この追伸は、現役でこの業界で頑張っている人のために、これからのこの業界の有り様を、これからの方向を、しっかりと見据えて欲しい、と書いたものです。

例えばwebの台頭に対して、広告代理店は何を仕切っていくのか、今までのように、スペースを売るという考えでは成り立っていかないのでは?

印刷屋も印刷自体が減少していくのに、今のビジネスモデルを何処まで維持してゆくの?

そして、その末端に位置している私達(中零細プロダクション)は、どうやって生き残っていけばよいの?

事業というものは、利益を上げなくてはならない。利益の上がらなくなった事業は、事業とはいえない。

時代の流れ、世界の新しい環境に残されていく、利益を生まなくなった事業は、経営者自らがその命をどうするか、判断しなくてはいけない。

ちょっと考えようよ、みんな、3年後、5年後を見据えて。

経営者が絶対に疲弊してはいけない、全てを背負い込んではいけない、スタッフを路頭に迷わせてはいけない。

経営者は次のステップに行ける力を温存しておかなければいけない。

そういう願いを込めて、まあ仙台の経営者仲間と、印刷屋、代理店に解散する経緯と警告を発するという意味で書いたのです。

だから「弁解がましい」のは、私の例を含めて、ちゃんと説明しなければならないからです。


301)ゆるゆるしようよ〜。 投稿者:TOYO 投稿日:09年8月9日(日)23時13分

イワサカ、会社の解散は残念だったね。
追伸を読んだとき、正直「お〜いイワサカ、弁解がましいよ〜。」と思ったし、ノー天気な私には難しすぎて、1回読んだだけでは、理解できなかった。2回、3回と読んで、イワサカが言わんとすることがよく解った。私がイワサカの立場だったら、やっぱりこの追伸を書くだろうなと思った。
解散という方法をとらずに、会社を残すことも出来たのではないかとも思うし、誰よりもイワサカは会社として続けたかったんだろうと・・・気持ち、わかるよ。

私は、友達に何かあった時、「慰めていいのか」「励ましていいのか」「心の中で応援するだけでいいのか」・・・どうしていいのかわからない時がある。何か言っても、上から目線で言っているととられるかも知れないとか、深読みをしてしまって、何を話したらいいのかわからない事が多い。
でも、自分に何かあった時、友達に慰められたり、励まされたり、叱られたりするのは、すべてありがたくて、嬉しくて、「心配してくれてありがとう。」なんだよね。

慰めじゃないけど、イワサカは強気で、前向きで、類まれなるリーダーシップを持っているヒトなので、そのままで、この難局を乗り切ってください。
けど、けど、友達として言いたい・・・たまには走り続けるのをやめて、もっとゆるゆるしようよ〜。



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