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536)入院しています 投稿者:大阪のなかお 投稿日:23年4月8日(土)19時46分

今年はサクラの開花が早くすでに大阪は葉桜です。
皆さんいかがお過ごしでしょうか?
病院なんて、生活習慣病の治療と健康診断、人間ドック、予防接種位でしか行ったことが無かったのに、昨年11月14日夜、帰宅して業務報告をPCで書き終えメール送信した直後に突然首にこれまで経験したことのないような激痛が襲い掛かりました。妻は「また、大袈裟なこと言っているわ、横になったら?」と冷たい反応・・・しかし徐々に左側の手足の感覚がなくなっていくのがわかり、妻に「あかん、脳の血管キレたみたい」というと妻も驚き、救急安心センター大阪(♯7119)に連絡、症状を言い近隣の病院を紹介してもらい、タクシーで脳神経外科へ。
即、MRI 入院、緊急手術で結果は「特発性頸椎硬膜下血腫」で首の頸椎に血が溜まって、神経を圧迫していたようです。あと30分病院に来るのが遅く手術が遅れたら左半身不随になっていた聞いて驚きました。2週間の入院治療で退院しました。
その後、12月中旬に右脚が痛くなり、特発性頸椎硬膜下血腫の後遺症かと疑いましたが、実際はこれまたMRIで右膝半月板が損傷し、脚の骨がぶつかり変形している事による「半月板損傷による膝関節変形症」と診断され、手術の順番を待ち、やっと4月3日に、膝関節の半月板縫合と一部の骨を削り、人工関節部品を入れる手術を行いました。お陰様で手術は完了、3週間のリハビリ入院で、痛みに耐えるリハビリを朝夕やっております。
今年70歳の同窓会の計画を拝見し、皆さんに元気に歩いてお会いできるようにそれまで頑張ります。
近況報告でした。


535)日々 投稿者:岩 投稿日:23年3月9日(木)08時25分

70歳になった僕たちは、いろいろな経験を重ね、後悔の中で、日々の大切さを学び続ける。
「散るさくら、残るさくらも散るさくら」
=合掌=
東日本大震災13回忌


534)笑顔が刷り込まれて 投稿者:岩坂 投稿日:23年2月13日(月)13時39分

受け取った葉書、手が震える。二度読む。内容が頭の中で整理できない。
何度も何度も読む。できない、できない、納得できない。
72Dの先頭で走っていた人が、突然のリタイヤ、いやもう逢えなくなった。
何ごとも無かったように、普通にまた逢えると思っていた。
震災時のあの感覚が甦る。
「なんだよ〜、待ってくれよ〜、残された者の身にもなってくれよ〜」

「豊さん、なんしちょん、なに慌てたん。慌てんでもよかったろーに」

豊さんを思うと、前向きな声、笑顔の豊さん。
その声、笑顔が私の頭の中に刷り込まれている。

豊さん、「イワサカ、なんしちょん、早く72D掲示板に乗せにゃ」と、もう一度言ってくれ〜。


533)どうする 同窓会 投稿者:あきさん 投稿日:23年1月16日(月)16時00分 内容追加有り

先月、12月に正二郎さんの裸婦デッサン展 柳川市を訪れた。
いつもの面々、ありまん、新福君、あきさん。正二郎さんの描いたご婦人は、柔らかなからだで、見えるはずの見えないライン。仲間忖度ではなく、ピカ1だった!
これまでの付き合いで知りえた正二郎さんの他面が伺える。

柳川の堀の淵にある文化会館。その川縁で皆に、相談を持ち掛けた。

「同窓会、もうそろそろイイかな?ちょっと考えてるプランがあるから、聞いてもらえる?」

と切り出したのが、『持ち寄り展示会』(仮称)
同窓会の皆さんは、作品作りを続けて、二科展や県展など受賞した人もいると聞いている。そこで、同窓会に箔を付けるため(?)にも、再開の理由付けにもなると思い付いた訳。多分、思い通りにはいかないとは思うものの、一歩踏み出さないと自分が自分でなくなるような気がして。無理に思える事に向かうのが私のはずだから。
思った通り、三人の返事は「いいね」ではなく、不可能・不安・難解とオブラートの部分をしっかりと突き付けてくれた。でも、反対!とは言ってない。

ここで、年末の「おーい、70歳だぞ!」が、背中を押してくれた。ずーっと、選択思考を続けていたから。

1月12日訪問したのは、展示会スタジオを予定している「Wald Art Studio」(ヴォルト アート スタジオ)ここは、森Yuuji君の主宰スタジオです。
あくまでも、予定である内容を説明して、快諾してもらいました。
でも肝心なのは、作品を提供してもらえるかどうか?これから、正二郎さんや、けんごや、出来ればコウチの遺作も、大井出君にもこれから連絡したい。
ここに、書き込みしたのは、当てのあるメンバーを思いついた方は、連絡してもらいたいからである。

1泊の予定なので、1日目に搬入展示、その夜は、博多の博多ならではの旨いもん。
夜は、前回の希望も有り、ジャズ○○など博多の夜に酔ってもらおう。
2日目はスタジオにて鑑賞・談話。
車出しは無しでと決まっているので、タクシー移動で可能なお出掛け・・
これはまだ先の事。

可能であれば、決行するのみ!!
その後、ホテルの確保他に取り掛かるつもり。

時期は、私の都合とスタジオの都合で
   本年 ・10月22日〜10月28日の間
       ・11月20日?12月2日の間
    いずれかで一泊を予定


本来なら、幹事が決めてご案内を出すところだが、みなさんのご意見を是非聞きたいです。

ぜひ、ご協力の程よろしくお願いします。

森Yuuji君のスタジオ(1)  (2)

(名はローマ字表記に変えています)


532)おーい、70歳だぞ! 投稿者:岩 投稿日:22年12月31日(土)10時43分

還暦と言われ、高齢者と国から認定され、そして来年70歳になる。「あの日に帰りたい」と誰かが唄っていた。歳を取ると、日に日に、「あの日に帰りたい」と思う。人生の下山をしている私は足元ばかり見て、登山している頃のように空を見上げない。だから「あの日に帰りたい」と思うのか。九州を離れる時、故郷を遠くにする時、出会った人と別れる時、仕事を決める時、共に歩むと決めた時、そんな分かれ道は幾度もあった。「あの日に帰りたい」。
I took the one less traveled by , And that has made all the difference.(私は人通りの少ないほうの道を選んだ、そして、それがあとあと大きな違いを生んだ)とアメリカの詩人は詩“The Road Not Taken”(選ばなかった道)をこんな風に結んでいる。人生は選択の連続。ある道を選んでも選ばなかった別の道が思い浮かぶ。が、元の分かれ道まで戻ることもできない。Repentance comes too late(後悔はあまりにも遅く来る)。道はいつでもその時に選ばなければならない。あの時の決断が良かったのか? 別の道なら今と違った人生があったのか? 後悔しているのか? ???
「後悔の多い人生こそ充実している。甲乙付けがたい局面、難しい状況にたくさん出会っているということですから」 羽生善治 九段の言葉。
良い年をお迎えください。


531)72D 投稿者:岩 投稿日:22年10月3日(月)14時56分

9月29日(木)。日中国交正常化50周年のニュースが報じられていた。当時の田中首相と中国の周恩来首相の大げさすぎるくらいの固い握手のシーンが何度も映し出された。1972年のこと。
9月30日(金)。三遊亭円楽さんが亡くなった。元気に笑点の舞台に戻ると思っていた。72歳だった。
10月1日(土)。「元気ですかーっ」「1・2・3・ダー!」「闘魂注入ビンタ」燃える闘魂アントニオ猪木さんが亡くなった。昨年NHKで闘病中のドキュメンタリーが放映され、その姿にショックを受けた。彼が「新日本プロレス」を旗揚げしたのは1972年のこと。
真っ白なピチピチの頃、あれから半世紀。あらためて、72Dを思う。


530)ウクライナ 投稿者:岩 投稿日:22年5月18日(水)21時22分

「耳に心地よい言葉」は聞いたことがあるが、以前「口に心地よい言葉」という言い方を目にした。具体的にどういう言葉なのかは忘れたが、「口に心地よい言葉」という言い方が頭に残った。
「エチェバリア」プロ野球ロッテの外人助っ人の名前。最近よく耳にする「国連難民高等弁務官事務所」。
難しそうではあるが、スラスラと言えたり、一度言ったらもう一度言ってみたくなる言葉。わたしは勝手にそう定義した。私にとって「ウクライナ」も「口に心地よい言葉」ではなかったか。
ルソーは、社会契約をして共同体をつくった以上、その共同体が侵略されたら闘うべきだと言っています。それは「ウクライナ」が選んだ道です。自国の政府も全体主義に傾き、個人の人権よりも国益が優先され、個人は国のために命を差し出せということになります。
生命の保全を国家の存立目的とするホッブズは、徴兵されて死にそうになったら逃げていいと言います。
自らの戦争体験にもとづく「火垂るの墓」で知られる作家の野坂昭如は、自分は反戦ではない、もっと利己的な「厭戦」だと言いました。
陸軍二等兵として終戦を迎えた作家の山口瞳は、人を殺すのはいやだ、それで国が滅びても、皆殺しにされてもいいとまで書きました。
今は、「ウクライナ」を口にするほど破壊された街や涙ぐむ老人の映像が目に浮かぶ。「ウクライナ」は「口に心地よい言葉」ではなくなってしまいそうだ。
戦争とは、こんな楽しみまで奪ってしまう。なんと不条理で理不尽なことか。


529)10年ひと昔 投稿者:岩 投稿日:22年3月9日(水)11時34分

10年ひと昔。いろんなことが落着したかのように。東京電力福島第一原発は日本という国の中に住めない場所を作った。住む場所より何倍も広い森林は未除染区域だ。だから、森林に住む動物も、山菜も、キノコも、森林の葉を食べる昆虫も被曝し、それを食べる岩魚や山女魚も被曝している。今度は、処理水を海洋放出するという。もっと叡智を集め、国策として福島以外に処理水を保管できないのか。森林も居住地も、そして海も奪うのか。どこまで被災地をいじめるのか。「区切り」という圧力。
「終わりは、いつも終わらないうちに終わってしまう」
当事者にはやっぱり理不尽なことに思えてしまう。
「歴史の傷口は当事者にとっては一ミリ間違えても痛い」
当事者は生きるため、懸命に何度もこころを立て直してきた。
「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に活かせ」
「楽しく生きたって、バチは当たらない」
やっぱり、時が経って思う。感謝。
「感情もまた能力。愛も恩も義理も、自然と身につくものではない。何度も経験し、教育され、訓練されなければ身につかない」
11年の時を良い方向に向けてゆくこと。
「「経験し、教育され、訓練されたこと」を心の栄養として、普通の「思い出」になると言い聞かせる」
「区切り・圧力」そのあとに生きる意味にたどり着かなければ。
「苦しみを吸い込み、感謝を吐き出す人間に」
そして、もし本当の終わりが始まるとるとしたら、「区切り・圧力」ではなく当事者の内側から。
「歳を取ると人は神様から預かっていた目、耳、足、頭の力を一つずつ返していく」
行方不明者:2526人


528)今年もあと数日で終わろうとしている。 投稿者:謙吾  投稿日:21年12月27日(月)21時23分

今年もあと数日だね

コロナ禍の中どうしてる?

私、今年8月地元のフリーペーパーに紹介記事が載った。

その記事を投稿します。

72Dの会は中止になって残念だけれど
またみんなに会えるのを楽しみにしています。


それでは、よいお年を。

紹介記事


527)命に気をつけて 投稿者:岩 投稿日:21年8月16日(月)12時09分

8月14日から福岡、佐賀、長崎、広島、と豪雨が続いた。本日(16日)からまた豪雨の恐れがあると天気予報が伝えている。同窓会で訪れた地名が文字と数字になってテレビに並んでいる。大丈夫ですか? 避難しなかったら水・土砂が、避難したらコロナが。気が休まらない時間がジリジリと流れる。〈祈るべき天と思えど天の病む〉命に気をつけて。

少しだけ気を休めて欲しいので8月11から15日まで「私の5日間・ジェットコースター」を。

立花隆『最後に語り伝えたいこと』大江健三郎との対話と長崎大学の講演 「どうしても最期に残しておきたい」《知の巨人》が切望した遺作

2021年8月10日(火)新聞に掲載された小さな広告。今年(2021年4月30日)亡くなった立花隆。長崎出身で原子爆弾を通して「不戦」を訴え、自身が患った癌で「死」を追求した。大江健三郎は『沖縄ノート』『広島ノート』等で「不戦」を訴え、子ども〈光〉の生誕で「死」を問うた。私にとってこの二人が並んだ本は“夢のような”宝物。

8月11日。近所の大型書店「未来屋書店」へ。探す喜びを味わうために店内をウロチョロ。「すばる」「群像」「文学界」「新潮」等の文学書は入庫数も少なく、あまり売れないので売り場の隅の本当に目立たないところに置いてあったりする。それを探し出して購入する喜び。私の宝物もこの例に漏れないと確信し隅々まで見て回る。が、探し出せない。不本意ながら店員さんに声を懸ける。アルバイトふうの男性店員さんはデータで調べ売り場へ走る。が、戻ってきて「有りません、お取り寄せできますが・・・」と。私は「いいです」と断る。他の本屋で探してみたい、必ず売れ残っている。そして初版が欲しい。

8月13日。ちょっと離れた「TSUTAYA」へ。店内を探すが、無い。検索器に打ち込んで探す。無いので取り寄せますか?の文字。まだまだ、私は諦めない。私には確信がある。

8月15日。昔、探しまくった本が見つかった本屋、とっておきの「八文字屋書店」まで足を伸ばす。また店内をウロチョロ。あ?探し出せない。残念だが店員さんに。データで調べてくれて「お取り寄せしますか?」の返事。万事休す。とっておきが崩れた。がっくりした気持の中で、再確認のため13日に行った店より大きい別の「TSUTAYA」へ。結果、やっぱり「お取り寄せしますか?」。その文字を確認し遂に諦めた。油断していた自分が残念だ。自分が招いた結果を受け止めよう。この宝物の初版は売り切れてしまったのだ。切り替えよう、入手することが大切だと。
どうせ取り寄せなら、受け取ることを考えて近くの書店で。11日に行った「未来屋書店」へ。「取り寄せお願いします」。カウンター内で調べてくれた女店員さんが「有りますよ、今、持ってきますね」。 えっ? 戻ってきた店員さんの手の中にある四六判の上製本はまさしく恋いこがれて探していた「立花隆『最後に語り伝えたいこと』」。そしてそっと開いた本の後付には“初版”の文字。
人生、誰にでも一日に1回その人にとって良いことがあるそうだ。今日も良いことがあった、それもでっかいことが。


526)国にワクチンを! 投稿者:岩 投稿日:21年7月1日(木)16時43分

行き付け(笑)の「玄徳クリニック」で6月3日、24日で2回の接種完了。1回目は筋肉痛が2、3日。2回目は報道通り1回目より副反応(昔は副作用と言ってたよね?)が出ました。接種翌日に微熱と、ちょとした倦怠感。翌々日がもっと辛いと聞いていたのですが、私は回復・元気ビンビン。練習試合・審判で体育館を走っていました。2回目接種してから2週間後に完全な免疫が付くとか。私は7月8日に何か分からんけど、強い何かに変身するのです。朝起きたらイモ虫になってたりして?
L452R(452番目の遺伝子がLからRに変異した)がゆっくりと、そして急激に東京を侵略し始めている。オリンピック・パラリンピックが始まる。世界中から色々なウィルスを持った人が東京を訪れ、自分の国に帰って行く。日本人ボランティアや観客は東京に集結し、そして地元に帰っていく。いまの強力なコロナウィルスと、何番目かの遺伝子が変異した「五輪株」が日本中に、世界中にまん延したら・・・。 地球上の全ての国から信用を失い、日本の株価は下落し、経済は回らなくなる。信用が回復するまで「失われた20年」くらいの最悪なオリンピック・パラリンピックにならなければ良いが。2021年のオリンピック・パラリンピックで国が衰退していった特異な国になるかも。それは日本の一つの政党の前総裁の個人的メンツと、政党独裁維持のためと、オリンピック・パラリンピック直後の選挙に勝ちたいというだけで、日本国民の命を守るどころか危機にさらしているのだ。 何をもって「安全・安心」と言い続けるのか。たっぷり時間はあったのだから「想定外」は無し! もう許さない。 嘘もごまかしも許さない。(ごめん、政治の話しをしてしまった)
立花隆さんが亡くなった。私たちがいちばん多感な時期に「田中角栄研究」を著し“ペンは剣よりも強し”を教えてくれた。生きていたら「2021・オリンピック・パラリンピック」に対してどう発言し、どう書くだろうか。


525)やっとワクチン予約がとれました 投稿者:シタマ 投稿日:21年6月16日(水)14時05分

なかなかコロナ収まらないね。様子見てたけど、今秋の72Dの会は無理みたいだね。菅総理は11月までにはワクチン接種終わるみたいな事を言ってましたが、来年の春位なら皆が安心して集まれる状態になってるかな。初めての経験だしその時になってみないと分からないね。こういう状況ですが、幹事さまよろしくお願いします。
ところで、皆さんはワクチンの予約とれましか? 自分はネットでしたが、毎回、受付開始日の9時ぴったりにアクセスしても既に×印。久しぶりに秒を争うこの緊張感、締切り時間に追われる現役時代を思い出しました。(笑) で、やっと今回7月7日接種ということでとれました。それでもその日は9時3分には解放日全てで×になってました。こんな事で予定通り希望者全員が接種出来るんやろかねぇ。


524)10年前の余震 投稿者:岩 投稿日:21年3月5日(日)22時05分

「開催しないのは簡単だが、開催するのは簡単ではない」。1年前は「責任は取れない」、だから「責任は取る」と開催を中止。今は「責任を果たす」と開催することを前提で開催を模索する。これは青葉区バスケットボール協会会長の私の思考の変化。1年間の経験から組織としての判断・・・決断は辛い。
感染したら真っ先に重症化する高齢者の集まり。あきさん、オリンピック組織委員会よりは重要な組織ではないのだから、開催して何事かが起こったら「責任は取れない」。だから中止の「責任は取る」で良いのでは?。次の同窓会にみんな笑顔で集まれるように「責任を果たす」という能動的な判断!ブラボー! 岩坂の個人的な意見です。

こちらのローカル放送では、10年という節目に、震災で壊滅した(消滅した)いくつかの町を取り上げて、震災前、震災時、震災5年後、そして10年後の現在の姿を映像で流している。震災前の平和な風景、震災時のショッキングな映像、震災5年後は復興の工事風景。そして現在は建物と人のいない復興した風景、嵩上げと道路だけが目立つ映像。その都度 私は、鼻がツンとしてしまう。

●ちょっとした揺れ
●咲き誇る桜(あの年の春、何事も無かったかのように咲き乱れた。自然のエネルギーの善悪に、腹が立った、悔しかった)
●海岸に寄せる大きな波
●ウォーターフロント高層マンションの映像(高層マンションの無防備さに)
●きれいな星空(あの日の夜、命が星になって)
●垂直が狂った建物、電柱
●風になびくカーテン(春、5月。被災地のバスケチームを訪ね歩いた。地震と津波で建物が無くなった町。土埃と魚介類の腐った臭いの地平に壊れ果てた建物がポツンと。全てが死んだ風景の中で、いびつに口をあけた窓に必死でくっついているカーテンだけが、生き物のように風にたなびいていた)
※こんな状況に出会うと、未だに心臓がバクバクして体が固まる・・・。そんな時はいつも今治の“トトロのバスタオル”が現れて、優しく温めてくれる。

当事者・被害者意識でこんなことを書いていたら(今や日本全国どこで大きな災害は発生していて当事者・被害者意識は共通しているというのに)2月13日23時8分、ガツンとタテ揺れがいきなり。そしてヨコ揺れ。天井が落ちてくることを覚悟、家が倒れることを覚悟。命も諦めた。とった行動は10年前と同じ。ドアを開けテレビをおさえた。何も進歩していない。この揺れは10年前の余震だと。「忘れるなよ!」と念押しに来た。
「未来」は前から来るのではなく、後ろからやって来るのだそうだ。乗り物に進行方向と逆に乗った感じ。だから「未来」は見えない。何が起こるのかも分からない。突然襲ってくる地震に津波に原発破壊に驚く。そして「未来」は現在(見ている本人)を通り過ぎて「過去」になる。どんどん過ぎ去ってゆく「過去」は小さく見えにくくなる。だから、過大に評価したり、美化したり、過小に評価したり、後悔したりする。そして見えなくなる。やはり10年は長い。「過去」を風化させるには十分な時間? などと御託を並べている。 高い所に物を置いてはいけないと身に沁みたはずなのに、10年たって、もう忘れてしまっている。10年前の余震で床に散乱している物は、自己矛盾の残骸。自分が虚しい、悲しい。人に「震災を風化させないように」なんて言えない。
「忘れてええことと、忘れたらあかんことと、ほいから忘れなあかんこと。」
私は何をしているのだろう。10年という時が流れて、それでもやっぱり「忘れたらあかんこと」なのに。

●2020年12月8日現在 死者/15,899人 行方不明者/2,527人


523)ことしは 投稿者:あきさん 投稿日:21年2月21日(日)14時37分

私の回りに、コロナにより感染した人はいない。ただ、コロナ禍による影響で何かと不自由さや想定外の事態には遭遇している。一番困るのは、母の入居している老人施設に、私が自由に世話のための出入りが出来ないことです。

老人を独居(施設の中に入るけれど、個室では独居と変わらない)にするのは、やはり呆けてしまうことが危惧される。母は信仰のお陰で、自分自身を保持している。有難い!
私自身は、高齢者を相手の団体に所属しているので、感染するわけにはいかない。
福岡市や福岡県の委託事業を受ける団体なので、上からの仰せに従い、いろいろ活動中止になることもあり、コロナ禍の外出や活動に気を付けなければならない。
そんなわけで、今後の予定にどうしたものか!と腕を組んでしまう。

今年の秋には、同窓会の予定です。
上記のように、一歩の踏み出しが遅れる私ですので、ここは、皆様に実行するかどうか?お尋ねしたく、本日の書き込みとなった訳です。

一昨年の話は。
★福岡市にて 
★自家用車乗り合いは止めて公共機関利用にする、翌日プランも公共機関で
★ホテルもしくは旅館食ではなく福岡市の美味しい料理屋さんの後で、希望のジャズ喫茶とか他のプランで 

この三点で計画をと思っているところです。
福岡市内のホテルは、ご存じの通り、空室ありです。

さあ、「23回目の同窓会」みなさんのご意見をお聞かせください。


522)エール 投稿者:岩 投稿日:20年12月31日(木)11時33分

今年1年、コロナで始まりコロナで終わろうとしています。コロナと戦い、努力を続け、エールをもらった人、エールを贈った人。素敵なエールが溢れました。
しかし、コロナに敗れ、努力を辞め、エールが届かなくなった人に、あえてエールを贈りたいと思います、がんばれ!

『これらの“ことば”はきれいごとかもしれないけど、そういうことを言うのをやめたらもう全部終わっちゃうんだよ!』
●困難に直面したら【神に問われている】と考えよ。
●心配するな、みんな初めての人生をやっているんだ。人生は手遅れのくり返しです。
●悩むという事は未来があるから。
●時間とともに、起きた出来事の意味は変わる。今を楽しめば過去は変わる。
●大きな壁にぶつかったときに、大切なことはただ一つ。壁の前でちゃんとウロウロしていること。
●忘れてええことと、忘れたらあかんことと、ほいから忘れなあかんこと。
●心を平静に戻す・・・頑張らなくてはいけない時は、そのうちくる。だから、そうでないときは必要以上に頑張らない。
●「善評」に比べて「悪評」がある方が楽に生きられる。
●考えが違うだけで「対立」と言われる。意見が違うからって敵じゃない。ことばを重ねる内に何かが見えてくる。だって敵じゃなくなれば無敵でしょ。
●つらいと思うときは自分のことばかりを考えている。周りのことを考えれば必ず出口は見つかる。
●大ごとじゃったよ 大ごとじゃと思うとったあの頃は。 大ごとじゃと思えた頃がなつかしいわ。
●泣きながらご飯食べたことのある人は、生きていけます。
●生きていることは、誰かに借りをつくること。生きているということは、その借りを返していくということ。
●悲しくても泣けない時がある 腹が立っても怒れない時がある つらくても愚痴のこぼせない時がある そんな思いが 一杯たまり深い悲しみの泉となる その泉の中から優しさが生まれ 強さが生まれ 私の人格が生まれる。
●誰かに何か言われても、気にしなくていいよ。それほどあなたのことがわかって言ってるわけじゃないんだから。
●今日も、明日も、順調に問題だらけ。 山よりでっかい猪は出ん。
●悲観(ネガティブ)主義は感情によるもの。楽観(ポジティブ)主義は意志によるものである。
●人生は敗者復活戦。
●「Impossible」(不可能)に「 ’」を付ければ「I'm possible」(私はできる)。
●生まれてきたことは宿命、切り開くのが運命、生きていくのが人生。
●誰かのために生きることはできる。でも誰かの代わりには生きられない。
●なりたい自分にならなくても、なった自分で生きたらいい。
●自分で変えられることと、変えられないことがあります。未来は自分で変えられる。前向けば道は開く。


521)二人の才能 投稿者:岩 投稿日:20年11月27日(金)10時34分

20年くらい前だろうか。「難しい内容を広告でいかに分かり易く伝えるか」という依頼に「“まんが”で説明すると分かり易く伝わるのでは?」という提案を企画書にして何度か提出した。最初に企画が通ったのは東北六県の「ドネーションキャンペーン」という分かり辛い新聞15段の広告だった。その際、石巻出身の石の森章太郎さんの作品「ホテル」を基にストーリーを展開して、作画を依頼した。が、「忙しい」ということで一番弟子を紹介していただいた。その際、作者名は石の森章太郎さんの名を使わせてくださった。2回目は農協が推し進める「集団営農」のパンフレット。40ページ位の読み物として提案した。作画は「釣りキチ三平」を描いた秋田出身の矢口高雄さんに依頼した。しかし、矢口高雄さんとのスケジュールが合わず、矢口事務所から独立し、子供百科などの仕事をしている方を紹介してくださった。タッチは矢口高雄さんそのものだった。おかげさまで分かり易いと評価を得、何度も増し刷りが行われた。紹介していただいた方々は本当にプロで、つたない私の原作を、コマ割りから台詞まで2度ほどの校正で完璧に仕上げてくださった。「スゲ?ッ」と思った。その二人の先生である石の森章太郎さんや矢口高雄さんはそれ以上に物凄い人なのだと容易に想像ができる。だから素晴らしい作品を世に残してこられたのだろう。プロ中のプロ、そんな人と仕事をしたら周りの人もプロ中のプロになるのだろうな、と思う。石の森章太郎さんも、そして先日、矢口高雄さんも亡くなった。残念で、残念で、なんと凄い才能が年齢という風で散っていくことか。石の森章太郎さんも、矢口高雄さんも直接話したことはありませんが、私にとっては思い出深い仕事でした。


520)早いもので、 投稿者:シタマ 投稿日:20年11月7日(土)17時10分

コーチが亡くなって今日で9年が経ちます。

皆さん元気にしてますか? 今年も残すところ2カ月を切りました。年を取るにつれ毎日が加速をつけて過ぎて行く感じです。同じ1年でも学生時代の1年と全然違いますね。記憶力も減退し、昨日何食べたとか、何したとかなかなか思い出せないんですよね。最近はスマホの行動履歴で確かめてます。(笑)
ところで、毎日のようにフィッシング詐欺のメールが届きます。それもあの手この手で5種類以上。送信元は三井銀行からだったり、アマゾン、楽天からだったり。以前はメールアドレスで判別できてたんだけど、今はメールアドレスもいかにもって感じで送りつけてきます。最近では、第2回特別給付金の件名で来ました。注意喚起をテレビで見てたからよかったけど。一番ドキッとしたのは、注文商品の確認としてきたメール。10何万円するアップルのパソコン。お届け先は東京の住所でありそうなビル宛。皆さん、着信メールには気を付けて、絶対にメール内ではクリックしないように。ホームページのサイトから自分の会員のページで確認してくださいね。
今からどんどん寒くなります。風邪などひかないよう、コロナにも気をつけて毎日をお過ごし下さい。


519)運動不足 投稿者:岩 投稿日:20年8月8日(土)21時48分

広島、長崎、9年前世界に知られた県名に福島が加わった。国内では同じ系列で熊本が加わりそうだ。地震、コロナ、豪雨。本当に大変だ。大丈夫ですか?
コロナで運動不足を感じた。考えた。ウォーキングで人と会わない場所を。!!!近くの仙台市葛丘霊園。外周2キロくらいはある。区画で区切られているから網の目のように道がある。ズンズン歩く。1週間くらいで全路制覇してしまった。どうしよう? 思いついた!!!。区画の中を、つまり墓の間をモップ掛けするように歩こう。墓石の形、色、刻まれた文字、を見ながらズンズン歩く。好奇心が出てくる。デザイン墓が面白い。丸(球)、三角(三角錐)、四角(石版)、自然石、墓石同士で支え合い、まだまだいっぱい! 墓石の横に、犬、野球グローブ、将棋盤、囲碁盤、バスケボール。 ありがとう、和、絆、無、風、眠、心、祈り、ライ麦畑でつかまえて、まだまだいっぱい刻まれている! で、67年生きてきて始めて知った言葉「奥津城」「奥都城」、そして「比翼連理」「都ぞ弥生」。帰宅して調べる。 2週間で全区画制覇。多分、デザイン墓は、故人の希望に添って建立されたのではないかと推察される。故人が生きていた時の人柄が表れている。だから今、私も墓の形、刻む言葉を生きているうちに残しておこう。私の生命保険で葬式と墓石を実現してもらおう(足りるかな?)。
「くわたじろう」。確かふりかけの「のりたま」に入っていた? 今、巨人の監督「原辰徳」が現役時代にそう呼ばれていた。完成度の高い絵だと思っていた。マネをしてノートの端に描いたりしていた。エイトマンの生みの親が亡くなった。あ??、と思った。ふっと年を感じた、やっぱり年を感じた。


518)黒木の大藤 投稿者:SHOU-ji-ROU 投稿日:20年4月28日(火)21時51分

熊本県境に近い、山麓のふもとにある黒木町へ自宅から約一時間くらい車で行ってきた。八女茶や星野茶など温暖な生産地として知られるこの町には、国の天然記念物「黒木の大藤」が全国的に有名で、内外から大勢の観光客が訪れる。
大藤は素戔嗚(スサノオ)神社の境内にあり、樹齢六百年以上超す老大木は南北朝以来経て今もなお広範囲に無数のむらさき色の花々を彩り目を楽しませてくれる。

この時期、新緑彩る森の深い山々、渓流の水清く、澄みきった青い空は私にとってかけがえのないお気に入りの原風景の一つだ。そんな折、佐賀在住のSさんから個展案内状が早く届いていた。Sさんはこの町の出身地で、自分の生家近くの旭松という酒造り土蔵を借りて油絵・水彩など作品が20点展示している。土蔵のそばを流れる水路には多数のニシキゴイが口を大きくパクパク開いて泳いでいた。

神社にいくと数人の絵仲間が集まっていた。3月の桜スケッチ以来、久しぶりに今度も「黒木の大藤」を題材に絵を描くことを予定していた。
皆は思いのまま適した場所を選び、キャンパスやスケッチ帖に描き始めた。
境内には若いカップル、老年夫婦、子供連れ家族やアマチュアカメラマンなど姿が
普段とおりの日常と変わりなく、露天商や土産物店はいない寂しい割にはこの人出が少し活気を感じられた。絵を描いている間に、(その絵を写真撮ってよろしいでしょうか?)と同じこと3度声かけられたことがあった。(下手なんだけどなぁ...)

静寂な時間の流れに身をまかせて、3時間かかって描き終えたが、疲労困憊だった。そんな時Sさんが旭松から甘酒、名物饅頭を取り寄せて私たちにタダでくれた。
これ、参加賞ですよ、と銘打って本当に嬉しかった。

この後日に、連休前にコロナ禍の感染から来場客を守るために大藤の花々を全部刈り取られることになった。ああ?、残念!


517)それだけは避けたい。 投稿者:岩 投稿日:20年4月20日(月)22時21分

2020年。高齢者と呼ばれるようになって、久しぶりに、この年を特別な年として待ちわびた。少なくともこの年までは生きていたいと思うほどに。ところが2020年になって命を脅かせるような事態になるとは、しかも待ちわびた2020年が2021年になってしまった。ひょっとすると、運が悪ければ、2021年に命が間に合わないかもしれない。それだけは避けたい。ほんの2ヵ月前「濃厚接触者」という色っぽい言葉や「クラスター」なる兵器の名前なのかという言葉や「PCR検査」というパシフィックリーグの検査なのかと思える言葉を誰もが知らなかったのに、2ヵ月で誰もが知る言葉になった。青い顔と赤い口でふらふらと上体を揺らしながら近づいてくるゾンビに囲まれていく感じか。さて皆さんお元気ですか?高齢者ですからゾンビに噛まれたら死が近いですぞ。
このご時世、全力疾走をしてきた私たちは、ちょいと車を止めてルームミラー・サイドミラーを、座席を調整し直しましょう。過去を確認し、より良いポジションで未来を推察しましょう。まだまだ私たちのエンジンには馬力があります。
「味わいすぎた哀しみに寄り添ってくれる実直な人、険しい未来へ押し出してくれる人に」


516)『Web有田陶器市』 投稿者:シタマ 投稿日:20年4月18日(土)17時40分

今やあちこちでイベントや祭りが延期されたり中止されたりで関係者は大変ですね。
毎年GWに開かれている有田陶器市も延期するということで心配してましたが、
インターネット上で焼き物を販売する『Web有田陶器市』が開催されるそうです。
昨日の西日本新聞の記事では、

「・・・4月29日午前9時から5月5日午後5時まで、窯元や商社124店が、1万種類を超す陶磁器を売り出す。
有田町などのホームページから特設サイト『Web有田陶器市』に入り、店舗名や地図、お薦め商品からお気に入りの焼き物を探し、ネット上で購入する。1店舗で2000円以上を買うと、国内での送料は町が負担する。・・・」

とありました。
早速、様子見でアクセスしてみましたが、まだ中に入れませんでした。
『Web有田陶器市』て、どんなだろ。『肥前赤絵窯元 鷹巣』はどんな商品を出品するんだろ、楽しみです。


515)こころが沈まないように 投稿者:あきさん 投稿日:20年4月9日(木)17時03分

久しぶりに自転車を走らせた。ここのところ、晴れの日が続き心地よい風をからだいっぱいに受け、そして、ピンクのじゅうたんを敷き詰めた裏道。今だけのご褒美やね。毎日、テレビを点けるとコロナのことばかり。息子に送りたいマスクは無いし、
母は、施設で出ることも迎えることもできない。母は、心の強い女性。
元気印のわたしも、さすがに、気がめいり始めている。

そんな時、シタマくんの手作りマスクの情報。
頂き物のハンカチ。柄がきれいすぎてもったいなくて、しまい込んでたハンカチで早速作って使用してみた。
素敵なマスクねー手作り?周りの反応に、「シタマ君のおかげです」と礼を言った。

女性って、気分次第で口紅の色を変えるんですよ!
でも、マスクしてると見えなーい。むしろ、人前で、マスク外すことないから口紅ささずにいることさえある。

もう、こーなると、己から気分を沈めてるのと一緒!
せっかくピンクのさくらの絨毯を爽快に走るのにねー
今週末までは、さくらをめでることを出来そうです。


514)針糸を使わない手作りマスク 投稿者:シタマ 投稿日:20年4月6日(土)8時30分

コロナ大変ですね。
皆さん、元気でしょうか?
相変わらず、店に行っても使い捨てマスクがありませんが、
今、国が布マスクの配布をしようとしてますね。
ホームページに針、糸を使わない布マスクの作り方があります。
見かけは普通のマスクと変わらないですよ。

北九州市 マスク作り方

で検索かけてみて下さい。
北九州市では、ハンカチでの作り方をレクチャーしてますが、
他の自治体でも同思考の作成法を紹介をしてる所があります。
自分は、同方法で34センチ平方の布を観音開き仕様で内側に折って作った
マスクを義妹からもらいました。
まだ、家に使い捨てがあるからいいけど、
いざとなったら、その手作りマスクの口が当たる内側に
適当なサイズに切ったキッチンペーパーを挟んで使おうと思ってます。

皆さん、高齢者であることを認識して
くれぐれも人込みを避けて、このコロナ禍を乗り切りましょうね。


513)正しく恐れる 投稿者:岩 投稿日:20年3月9日(月)10時18分

牡蠣は美味しかったですか? 男3人女1人で、二組の夫婦とはこれいかに。
新型コロナウィルスで世の中が右往左往している。で、またまた「正しく恐れよ」の登場。
東日本大震災の原発事故の後、放射能汚染で世の中が右往左往していた頃に「正しく恐れよ」と喧伝された。初めて遭遇する私たちは何が何だか分かっていないのに、正しい情報なんてほとんど出てないのに、「正しく恐れよ」と言われる。私は「正しく恐れ」られません。とにかく不安の塊でしかありません。専門家とか、日本の偉い人とか、大規模な放射能汚染のことも、新型コロナウィルスのことも初めて遭遇するのに、「正しいこと」が不思議と分かるらしい。
2019.12.10現在:死亡者数/15,899人 行方不明者数/2,529人。
「生きていましたか」が、あいさつ。そういって抱き合った。でも、それもつかの間、互いの目の奥を見つめるようにして「ご家族は」と聞く。すると、「実は」と返事が返ってくる。行方が分からなくなった人が遺体で見つかると「良かったね」とも言った。残された者たちはあの日、生と死のふちにいた。私も、運が良かっただけだったのかと思う。あれから9年。残された者にとって行方不明者とは、大切な人が生きているのか、死んだのか分からない「宙づり」の状態に追い込まれている。遺体を見つけたい、でも、死を認めたくない。2,529人の人と関わった人たちもまだ「宙づり」で苦しんでいる。
今、日本中が豆腐の上に乗っているようだ。地震には「正しく恐れよ」は通用する言葉だ。地震が来たときのための準備を再度確認しましょう。皆さん「正しく恐れ」ましょう。あれから9年。


512)今年もまた、牡蠣小屋へ 投稿者:あきさん 投稿日:20年3月3日(金)11時37分

2月21日、ちょうど晴れの一日
毎年のことながら、牡蠣小屋デート。
四捨五入すれば70なのに、ずっと、スレンダーなシタマ君。低音の魅力で、細やかにデートコースを散策してくれる新福君。若い頃のモテ感とは違いオジサンなのに、カワモテなチカさん。そして、膝の痛みは歳と体重のせいと認めたくない私あきさん。

牡蠣小屋では毎年、大将に色んな質問をする。昨年は、我々の関係は?想像した通り、2組の夫婦。ざーんねん!でも、そう見えてもおかしくない、はしゃぎぶり。
今年の質問は、チカさんから。
「この中で、一番若い人は?」
大将は真剣に考えてくれている。そこで、答えやすいように質問を変えたチカさん。
「歳はいくつくらいにみえます?」
「60、5,6?」当たり!
チカさんは、「この中で一番若いのは誰でしょう?」と聞く。ここでお決まりの
「このお姉さん」お世辞!こー言わんといかんでしょう。
チカさん的には、じぶんを指さして欲しかったのだとおもう。

前にも述べたように、おじさん化しているチカさんなので、面白いひと時だった。

帰りに、展望の良いところに案内してくれた。
ありまんは、都合で来なかったけど、もし来てたら、文句言って、途中で降りる!と言わんばかりの坂道だった。
四人とも、足腰の弱りを痛感する登山?だった。

眺めのいい、写真はシタマ君からどうぞ

フォトワールドに写真をアップしてます。(200221糸島牡蠣小屋)


511)ユニセフと年賀状とファインプレーと英断で良い年納め。 投稿者:岩 投稿日:19年12月27日(金)11時04分

生まれて20年は自分のために、次の20年は人のために、その後は社会のために。
昔の人の言葉には、納得してしまうものがある。毎年、1年間の小銭貯金をユニセフに募金していたのですが、今年から年賀状制作分も入れようと(終活兼ねて?)。で、今年から年賀状「ごめんなさい」です。
アキさんの「ファインプレー」でこの「キャンパス」も生き残ることになりました。本当に負担をかけていた舌間君、英断ありがとうございます。近況はこの場をお借りします。
冬の県大会:バタバタ、89ERS前座試合:バタバタ 30日まで。
どうぞ皆さん、良いお年をお迎えください。


510)いつからだろー 投稿者:あきさん 投稿日:19年12月24日(火)10時39分

いつからだろ?
怖がらなくなった。怖いといっても、ピンキリだけど。
子供の頃は、人前に立つとブルブルと震えたものだが、ここ50年は心臓に毛が生えてしまったようだ。無理なことはしない、というか、無理難題が私に寄ってこないのだろう。最近は、何でも引き受けてしまうので、都合のいいひとなのかも。
いや、次回の幹事になったことを言っているのではない。
チャレンジと言えば聞こえはいいが、やってみたら?と、もう一人の私が言う。
今、突発性難聴で聞こえが悪い。ここ数年、年に二回はその様な症状が出てくる。
ストレスからと言うが、ストレスは感じていない。ストレスを感じないことがストレスらしい。専業主婦で、ちょっとだけ認知症の人と家族の会に関わっているだけなんですけど。
人生の選択、考えることがある。多分、私の性格は、どんなことでも引き受ける人なんだろー。

実は、シタマ君の書き込みを読んだ正二郎さんが、あきさんも書き込みしてよ!と、メールくれた。それはいいけど、カレンダーを見て焦った!
もう、年の暮れ、「年末記」は、岩坂でなくては。

何を言わんとしたか、皆様、風邪ひかないように新しい年を迎えて下さい。
                    あきさんこと 旧姓飯山明子でした


509)あきさんの一言と新しいパソコン 投稿者:シタマ 投稿日:19年12月19日(木)17時40分

先日、福岡で次回の会計引継ぎがありました。自分も誘われたので北九州から参加。
その時ホームページの『キャンパス』欄の更新を止める話をしたら、あきさんが「楽しみにしてるのに〜」とポツリ。
実は、自分が使っているパソコンはWindows7で来年1月にサポートが終わるのです。ウィルス感染とかの心配があるので新しいパソコンにした方がいいのは分かるけど、今更パソコンを買ってもなぁ。設定やソフトの事を考えると面倒だしなぁ。メールやホームページはタブレットで見れるしなぁ。時々しかパソコンを立ち上げないしなぁ。それに最近書き込みも少ないしなぁ。で、手っ取り早い話しネットを切ろうと考えていたのです。
でも結局はあきさんの一言で新しいパソコンを買うことになりました。セキュリティソフトやホームページ作成ソフトは追加という形になったので料金も安く、操作も同様なので助かりました。しかし、新しいパソコンはいいですなぁ。ディスプレイサイズは11.6インチと小ぶりなノートですが、立ち上がりも早くサクサク動きます。
と言う訳でこの書き込みは新しいパソコンからのテストアップです。
ところで、新福クンから名簿届いたでしょうか。返信ハガキをくれた方に送ってます。今回はマリちゃんの職場が変わった位で大きな変更はありません。年齢とともにだんだん住所も変わらなくなってきましたね。

では皆様よいお年を。


508)72D-167の中尾Shinyaです 投稿者:中尾 Shinya ナカオ シンヤ 投稿日:19年11月12日(火)10時50分

72D-167 インダストリアルデザイン専攻(飯岡研究室)の中尾Shinya(大阪)です。
後輩が、「先輩こんな会ありますよ」と紹介してくれました。
大学卒業後、照明器具専業メーカーの大光電機に就職、照明デザイナーとして30年、
その後広報の責任者として12年7か月、昨年10月末に、65歳で定年退職いたしました。
今は、年金生活+個人事務所を開設・デザイン全般のプロデュース業+デザイン専門学校の照明デザイン担当講師+業界新聞記者としてジャーナリスト活動もしています。
最近は照明デザイナーも少ししながら、大阪府内の各商工会議所主催の店づくりセミナーで店舗照明についての講師などもしています。
毎週木曜日週一回、大阪の北浜でショットバーのマスターもしています。
私の事、記憶にある方がいらしゃればと思い連絡させていただきました。近況はfacebookで毎日のように投稿していますので、名前で検索してください。 では、よろしくお願いいたします。

※漢字フルネームでの投稿でしたが、諸般の事情により名はローマ字に変えさせて頂きました。


507)素晴らしい旅行・平戸・生月島 投稿者:SHOU-JI-ROU 投稿日:19年10月17日(木)22時38分

素晴らしい旅行でした。さながらジュラシックパーク、さながら天国のように、お陰さまで楽しむ事が出来ました。
2年前は悪天候のせいで、散々な記憶しか残っていなかった。
今年も、また台風接近がやってきて、天気の崩れをハラハラして心配した。
しかし、天気回復が見通したため、ホッと胸を撫で下ろしたところだった。

       *   *   *   *   *

初日、牧のうどん食堂内でオキャーマの隣にいたアキさんは、首まで長く伸ばした僕の髪をみつめ、「正二郎さん、オンナの気持ちがわかるでしょう〜」 と髪を撫でるしぐさをみせた。
「そ〜ぉ、オネェっぽいでしょう〜」 とオスの視線でそっと答えた。
後方で、チカさんが叫んだ。「オキャーマと同じや!?」 髪談義が始まった。
オキャーマの白髪とそれほど似ていない僕に対して、他の人たちは 「変わったね」
「学者みたい」  「髪切れ!」 意見が割れた。
”皆と違っていい”主義をモットーにする自分なんだけど、ここで言っておこう。
昨年、うまれた初孫のために、自分の大切な補聴器を紛失させないように、また、いじらないように対策を考えて長い髪で耳を隠しただけよ。
ただ、髪の毛先がしばしば目をかすめるので実に不愉快。

さて、40数年ぶりに訪れた平戸大橋。今も昔と変わらぬ懐かしいつり橋の雄姿だ。
新たに化粧し直したばかりの赤胴色の鮮やかさは、青い空や周囲の景観にひときわ映えて、私達をあたかも歓迎するようだった。
皆は童心に帰り、歓声があがったりする。カメラやスマホを思いのまま撮影する姿が微笑ましい。

そして、それから車で生月島のサンセットウェイに移動し、海岸づたいの道路が続いた。

あるトンネル内を抜けると、特異な景観に驚いた。壮観な風景だ。
さらに、前に進むと左側は崖下の海、右側は海抜150メートル以上高さの岸壁山容が迫ってくる。
まさに、さながらジュラシックパークの世界だ。思わず足がすくむ。帰路の途中、記念撮影する。

サンセットウェイ続き塩俵断崖から大バエ灯台に到着した。
入口付近の駐車場は狭く車を停めるのにひと苦労する。
大バエ灯台は海抜100メートル断崖の上に立ち、展望台から雄大な東シナ海を楽しめる。
雲の間から光の帯が射しこみ海が白く輝いていた。
灯台周辺は危険防止のため柵が設けられていたが、低木帯の空いている所から断崖下の荒々しい海のしぶきを眺める事が出来た。
そこは強い風が吹き、体が吸い込まれそうで危険を感じ引き返した。
でも、ありまんは危険にもかかわらずスマホ撮りに夢中している。恐ろしい。

生月島を去り、平戸港近くの高台にある旗松亭ホテルに無事到着した。
玄関から数人のスタッフが私達を迎え、温かいおもてなしを受けた。
感じの良い家族的な旅館だ。

大浴場で体の疲れを癒し心がなごみ、いい湯だった。

御膳の時間になると、天国の門が開く!?
案内された宴会場を通すとズラリ並べた会席料理が私達を待っていた。
新鮮な海の幸、山の幸、味覚の幸など素晴らしい御馳走が出たのだ。
おもてなしの料理を満喫しながら、後で分かったことだが大石さんは酒豪だったんだね。
ビールに限らず、日本酒を何杯もお代わりして 「辛口は温めにするとうまかよ」とアドバイスを受け、その通りに呑んだら美味かった。

その後の余韻は深夜遅くまで続いた。

翌朝、バイキング料理をすませ、旗松亭に別れを告げた。
それからザビエル記念堂に向かった。
狭い路地の中を歩み寄ると教会堂がそびえ立っていた。
デイズニーランド風おとぎの城みたいな教会堂がザビエル記念堂とは....?
40年前の頃は古色蒼然だったはずだったのに失望した。
人寄せ、客寄せの観光振興の愚策か?黙っていくよりあきれる他なかった。

再び港の近くまで来ると、商店街が江戸情緒たっぷり町家並みに変え統一されていた。散策が楽しい。

なかでも平戸瀬戸市場はとても面白かった。
沖合でとれたばかりの新鮮な魚や海産物をじかに見るのは初めてではない。
感覚的にも心身的にも健康に良いから知っている。だから、気持ちが弾んだり、購買欲が高まるのはそのせいかもしれない。
家族のためにお土産に、と幾つか買った。
また、11月中旬頃に個人的なグループでもう一度ここに訪れるつもりだ。

平戸を離れて約10キロ先に田平天主堂を訪れた。隠れキリシタンのシンボルの一つだ。
ちょうど100年前に日本人の手で建立された教会堂はまさに僕の感覚にマッチしている。
レンガ造りの教会堂として外観、内観とともに美しかった。
世界遺産登録にふさわしく古色蒼然の形容にぴったりだった。ザビエルよりこちらの方が好きだった。
この教会のすぐ十字架墓地が見え、その中に一人の老いた女性が墓碑の前で手を合わせ祈っていた。

やがて福岡方面に帰る途中、伊万里市郊外にあるレストランに入った。
この店が 「豪華昼食 ご期待ください」 名前の通り、名物肉料理がとても美味しかった。
しかし、皆が冷たいビールやワインをゴクゴク喉を潤しているのをみて、
隣席のありまんに 「ねぇ〜、ビール一杯くらい飲んでも大丈夫から、絶対に酔わんから大丈夫!」 と言ったら、憤怒形相でにらみつけられた。
(はい、すみません、これからも飲酒運転しませんように誓います。はい。)
ここで皆さんとお別れ。僕は手を振りながら最後まで見送りした。(終)


2日間、平戸、生月島を体験して、本当に行って来て良かったと思います。
最後になりましたが、チカさん、新福くん幹事ご苦労さまでした。
さらに運転をした新福、チカさん、アキさん、ありまんご苦労さまです。
そして、遠路はるばるの皆さんもお疲れ様ですね。また、2年後に元気な姿で再会しましょう。


506)お疲れさまでした! 投稿者:しんぷくトリオ 投稿日:19年10月14日(月)19時17分

みなさん、お疲れ様でした。
天気にもめぐまれ、大したトラブルもなく幹事としてホッとしています。
楽しんでいただけましたか?
今回は年のせいか帰り着いたらぐったりしていました。
(ひとりでバイクで行った時は何ともなかった。)
チカさん、アキさん、ありまん、サンキューでした。
次回、アキさん、大石さんよろしくお願いします。
ところで3人のお嬢様に少女像と言ったのは誰だ?


505)8年の成長 投稿者:岩 投稿日:19年2月28日(木)12時14分

グランディ21(2011年、震災時に何百という遺体が安置され、その後すぐ、桑田佳祐が癌を克服して初のコンサートをした会場)。我がチームは準々決勝でずっと負け続けていたチームに勝利し、決勝ではシーソーゲームの末、最後に僅差で逃げ切った。宮城県大会を勝ち抜き優勝したのだ。子どもの気持ち、保護者の気持、そして指導者の気持ちが一つになって成し得た夢のような初優勝だった。そして2011年3月に開催される全国大会への切符を手にした。

2011年3月11日14時46分
東北を中心に関東まで大地が大きく揺れた・・・。津波が東北を襲い、メルトダウンした原発は、福島に今でも人が住めないゴーストタウンを作った。

2019年1月2日
今年も恒例の『はたちの会』を開いた。体育館のかぎを開けていると一人の若者が黙って近づいてきて、私の手伝いを始めた。“こいつ、だれ?”頭の中では子どもの名前がクルクル回る。「岩坂さん、明けましておめでとうございます」え、あ〜「おめでとう・・・、おまえ、だれ?」ニコッと笑った顔は子どもの頃の面影がある。でも名前は出てこない。「こうへいです」「あ〜、こうへいか」と言いながらまだ頭はクルクル回る。名前と顔がしっかりとリンクしない。今日という日はこんな頭の体操が何度もくり返される。午後2時からバスケットボールで汗を流し、午後7時からは保護者と一緒に酒を飲む。その頃には小学生時代の子どもが目の前にいて、保護者と一緒に盛り上がる。『はたちの会』の今年の子供たちは、震災のために全国大会に行けなかった(開催されなかった)時の子供たちだ。あれから8年という時が流れたのだ。
飲みながら「震災で全国大会に行けなかったこと、悔しかったね」と立派に成長した子どもの心を傷つけないよう、優しい口調で問うと、「あんまり覚えてないし・・・」とアッケラカン。心に傷を刻んでいるのは大人、指導者だけなのかもしれない。「でも、夜寒くて、雪が降っているのに星がとても綺麗だったことは覚えています」。“ああー、そうだった、本当に綺麗な星空だった。そうだ、そうだった。”あの夜、地上の明かりが消え、恐怖や不安の中で、立派に成長した子どもたちや私も含めて、あの星空を見上げた人が多かったのだ。そして私たちは、フッとあの星空を思い浮かべている。そういえばあの頃、こう言われていた。「あの夜の星空は、亡くなった人が道に迷わず天国へ行けるようにと導く明かりだったのではないか」と。
あれから8年、立派に成長した子どもたちが目の前にいる。8年という時間は(心の中は見えないが)人をこんなにも成長させるのだ。今、この時、私の心の中には震災後の時間が優しくそして頼もしく流れていた。

2019年3月11日
あれから8年。風化しないように・・・9年目が始まる。


504)いま話題の大野君ではありません。 投稿者:謙吾 投稿日:19年2月4日(月)21時18分

72Dの仲間大野Hideyuki君の「生絵路 炎(いくえじほのお)展」が

姫路文学館北館2階特別展示室にて2019年3月5日〜10日

(AM10:00〜PM5:00)までの期間開催されます。お近くの方、

時間のある方は、ぜひ立ち寄って見てあげて下さい。

※「生絵路 炎(いくえじほのお)展」パンフ表紙

ついでに

私の二科展出品作が福岡の巡回展に展示されます。(3月19日〜24日/福岡県美術館)

こちらの方もご観覧いただければ嬉しく思います。

※文中、フルネームは個人情報で、検索されることがありますのでローマ字に変えています/シタマ


503)牡蠣小屋でみた クセがすごい 投稿者:あきさん 投稿日:19年1月28日(月)14時56分

「混沌」の続きには、書きづらい内容ですが・・

1月19日土曜日に、五人で恒例の牡蠣小屋に行った。シタマ君は遠路北九州から来てくれる。ありまんは寒いから!と、いっぱい着込んで前か後ろか横かさえも分からないくらいに丸まっていた。あきさんは、以前より伸びた髪が「風でこんなにも邪魔なのか」と初めてのなびく髪経験にしきりに手を掻き上げる。新福君はいつもの車出し。

今年は、ちかさんが来てくれた。
そこで、クセがすごい!連発。
牡蠣の焼き具合は?  レア? ミディアム?
私は牡蠣は苦手なので、焼き方へたなんだけど、さすがに分かるよ!

ちかさん、すごい!
もっと焼く、皿に渡した牡蠣を網に戻してもっと焼く。
話に夢中になって焦げ目の付いた牡蠣もちかさんの皿に。
クセがすごいと言われながらも、皆の注目がちかさんに集まり、ちかさん、まんざらでもなさそう。
すきに食べさせて、という事で、一時間ほどで店を出る。
この辺りは、広葉樹の山が多く、しかも、川が短いので、うまい水が豊富で牡蠣もうまく育っているのでしょう。

今年の牡蠣は元気がよく、殻は弾くし汁はこぼすし、ひとっ風呂浴びに行く。
西に向かって、「まむしの湯」
ここにも、わざわざ市内から美味しい水を汲みに来る人が多い。

湯上りの休憩室でシタマ君が、じっくりわたしの顔を覗き込む。
ちょっと恥じらいもありながら、「む?化粧?」と舌間君。「あー、顔は洗ってないよ。よそのご主人方の前で素顔はなんだから・・・」とあきさん。

まむしの湯を出るともう薄暗いので、市内に向かって、まずあきさんを送ってもらった。
また三月に、秋の同窓会の下見にでも一緒に行こうと約束して、本日のお楽しみは終わった。

フォトワールドに写真をアップしてます。(190119糸島牡蠣小屋)


502)混沌 投稿者:岩 投稿日:19年1月16日(水)16時13分

看板や電線で「ぐちゃぐちゃ」。都市の表も裏も、人も混沌としている。そんな「ぐちゃぐちゃ」の中のガード下。そこに組み込まれたような安酒呑み屋。電車が通るたびに店は揺れる。電車の音で酔客は沈黙する。呑み屋のオヤジも黙ってしまう。理不尽なことが過ぎ去っていくのを頭を下げて待つ。喋ることをあきらめ、自分を主張することをあきらめる。黙って酒を呑む。アテをつまむ。混沌としたセピア色の空間。ここには、何かをあきらめたり、忘れてしまいたい「ため息」が「ぐちゃぐちゃ」のまま沈殿している。
あまり考えるな。考えると人生、ロクなことがない、あきらめろ、忘れてしまえ!
「忘れない」。ふと「忘れた」時の罪悪感の沼に引きずり込まれないように、「忘れない」ようにと自らを戒めている。私だ。ただ、「忘れない」と自分に言い聞かせるうちに、身の内が固くなり、悲壮感が分泌され、過去に向かって前進している「こころ」が重くて、ポキッと折れやすくなるのも確か。「ど〜でもいいこと」と、ファイティングポーズは崩さずに、したたかに、しなやかに、鼻歌を口ずさむような感じで記憶との戦い方を見つけたい。私は、その「ど〜でもいいこと」にこれからもこだわり続ける。「風化」をしないように、たとえ孤立無援であっても。
考え続ける。考えることは、生きることだ。私はあきらめない!


501)開設18年。書き込み500件 投稿者:シタマ 投稿日:18年12月26日(水)17時00分

2000年11月にホームページを開設してから18年が経ちました。
まあ、書き込みもなく凍結してた時期もありましたが、どうにか皆のお陰で更新を続けてこれました。
書き込みしてくれる友もほぼ決まってますが、時にはケンゴみたいのがいていいね。
また、大井手クンやユウジクンなどこのホームページが再会のきっかけになったり、
72Dの会の常連になってくれてるのは嬉しいことです。
これからも皆を繋ぐひとつのツールとして少しでも役に立てるように続けて行きます。

さてさて、記念?すべき501回の書き込みは新しいページからのスタートになります。
新しいページ作りは5年半ぶりの作業だったのでいろいろ忘れていました。
どこかリンクが変だったりしたら連絡下さい。


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