宇宙創造の目的

1.宇宙創造の目的

2.神はよいものだけを造られた

3.神に対する感謝をもって使わねばならない

4.現世は来世への準備の場

5.人生は感謝して生きるに値する

6.ルイザ・ピッカレータ

7.アグレダのマリア

 

 

 

 

1.    宇宙創造の目的

 

 

天界の秘義6697

 

神的なものは、人類が生まれ、そこから天界が生まれるというただそれだけの目的から宇宙を創造されたことを人はことごとく信じなくてはならない。

 

 

 

天界の秘義6698

 

創造の究極の目的とは神的なものがその中に住むことのできる天国である。

 

 

 

真の基督教13

 

我々が宇宙と呼ぶこの偉大な組織は、神はそれを創造するに当ってただ一つの目的を―人類による天使的天界を目標とし、世が由って以って成立する凡ての物はその目的に対する手段である故、始めから終わりまで調和のある統一体である。何故なら、目的を欲する者はまたその手段をも欲するからである。

 

それ故、世界をその目的に適合した手段を持つものとして認める者は宇宙を調和のある統一体として認め、それは天使的天界が由って以って由来する人類に奉仕するために継続的な秩序をもった用の複合体であることを認めるであろう。何故なら、神的愛はそれ自らの神的なものによって、人間の永遠の幸福以外には何物をもその目的とすることは出来ず、神的智慧はその目的に対する手段として、用以外のものを産み出すことが出来ないからである。

 

世界についてこの広い見解をもつ賢人は凡て、宇宙の創造者は一人であり、彼の本質は愛と智慧であり、従ってその中には人間に仕えるための、ある隠れた用を―その仕えるまでの隔たりに相違はあるが―含まないものは一つとしてないことを知ることが出来よう。彼は食物を果実と動物から得、衣服をその同じ源から得、而して驚くべきことは、かの卑賤な動物の蚕は王と王妃より下男下女に至る男女に絹を着せ、美しくこれを飾り、かの平凡な昆虫の蜂は彼に神殿と宮殿を照らす蝋を供給している。

 

 創造の個別的な部分を観察するだけで全体を目的、間接的原因、結果をもつ一連の関連性のあるものとして眺めず、創造を神的智慧を手段とした神的愛から発するものとして認めない者は、宇宙は一人の神の業であり、而して神は目的の中に存在する故、凡ての細目の中に存在することを認めることが出来ない。何故なら、目的は凡ての手段の最深部に在って、これを動かし、支配する故、目的の中に在るものはすべてまた手段の中にも在るからである。

 

宇宙を神の業として、その愛と智慧との住居として認めないで、自然の業として、単に太陽の光と熱とを受ける器として認める者は、その心の高部を神に抗って閉じ込め、その低部を悪魔に対して開き、かくして人間の性質を捨て去り、動物の性質を着ける。而して、彼らは自らを動物に似た者であると信ずるのみでなく、またそのような者になるのである。何故なら、彼らはその狡猾さに於いて狐に、凶暴さに於いて狼に、反逆性に於いて豹に、残虐に於いて虎に、その他の悪い性質に於いて鰐に、蛇に、梟に、蝙蝠に、夜鳥になるからである。霊界ではこのような人間はまた、遠方に、このような動物のように現れるが、悪を愛することがそのような外観を取っているのである。

 

 

 

神の摂理27

 

私は天使と霊と共に長期間話し合うことにより以下のことを明らかにされ、また証明されたのである。即ち、天界は最初から天使として造られた天使から成るのでなく、地獄も光の天使として造られたが、天界から投げ落とされた悪魔の住み家でもない。天界も地獄も人類から成り、天界は善の愛に居りそれ故真理を認める者たちから成り、地獄は悪の愛におり、それ故誤謬を認める者から成っている。このことについては更に天界と地獄を扱った著作(311−316)、「最後の審判」を扱った著作(14−27)、「続最後の審判と霊界」の始めから終わりまでを参照されよ。

さて、天界は人類からおこり、永遠に主と共に住むことが天界であるゆえ、主はこのことを創造の目的として定められ、かくて天界は創造の目的であるゆえ、それはまた神的摂理の目的であることが生まれてくる。主は宇宙を御自身のために創造されたのでなく、御自身と共に天界に住むことの出来る者たちのために創造されたのである。なぜなら霊的愛はその持っている一切を他に与えようと願い、そしてその願いを満たすことが出来るならば、その平安を、その祝福を得るからである。霊的愛はそのような性質を無限度に持たれている主の神的愛からその性質を得ている、このことから以下のことが生まれる。すなわち、神的愛は、ひいては神的摂理は、天使となった人々また天使になりつつある人々から成る天界をその目的としており、主はこの者たちの中に居られることによって、これに主の賜物として愛と知恵の凡ての祝福と幸福とを与えることが出来るのである。

 

 

 

真の基督教773

 

宇宙創造の目的そのものは、神を信ずる凡ゆる者が永遠の祝福の中に生活することの出来る天使的な天界を形成することであった。

 

 

 

真の基督教786

 

何故なら神の神的愛は世を創造するに当って人間との相互的な交わりの中に住むという目的以外には如何なる目的も持ち給わなかったからである。

 

 

 

結婚愛85

 

それで創造者で神であられる主は愛それ自身、知恵それ自身であられ、宇宙は主によって創造された以上は―それでそれは主から発した業として存在しているが―創造された一切の物の中には主から発している何らかの善と何らかの真理とが存在せざるをえないのである。なぜならたれであれ、その者から為され、その者から発している物は、その者に類似したものを持つからである。理性もそれがそうであることを、宇宙の一切の物がよって以て創造された秩序から認めることが出来るのであり、その秩序とは一つの物は他の一つの物のために存在しており、それで一つの物は他の一つの物にくさりの環のように依存しているということである。なぜならそれらは凡て人類のために存在しており、人類から天使たちの天界が生まれ、その天使たちの天界を通して、創造[創造されたもの]がその創造の源泉であられる創造者御自身に帰るという目的の下に存在しているからである。

 

 

 

神の愛と知恵329

 

宇宙の創造の目的は用とは何であるかを明らかに示している。宇宙の創造の目的は天使的天界の存在であり、そして天使的天界が目的であるため、人間もまた或いは人類もその目的である、何故なら天界はそこから発しているから。このことから凡て創造された物は間接的な目的であり、これらはかの秩序、度、関連を持った用であって、その秩序、度、関連により人間に関係し、また人間を通して主に関係していることが推論される。

 

 

 

神の愛と知恵330

 

創造の目的は人類から発する天使的天界であり、かくて人類そのものであるため、他のすべての創造された物は間接的な目的であり、これらの物は主と人間との連結を目標として、人間に関係を持つものとして、人間の以下の三つの物、即ち、彼の身体、彼の合理的なもの、彼の霊的なものを目標としている。何故なら人間は霊的でない限り、主に連結することは出来ず、また合理的でない限り、霊的になることは出来ず、またその身体は健全な状態にいない限り、合理的になることは出来ないから。この三つのものは家に似ている、即ち、身体は基礎に、合理的なものは上部の建物に、霊的なものは家の中に在る物に、主との連結はその中に住むことに似ている。このことから創造の間接的な目的であるところの用が如何ような秩序、度、関係により人間に関係しているかを、即ち、[1]彼の身体を維持するために、[2]彼の合理的なものを完成するために、[3]主から霊的なものを受けるために関係しているかを認めることが出来よう。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P334

 

神は創造の世界から何の利益を得られるでしょうか。何もありません。創造の御業は神を偉大にし、聖にし、富を与えるものですか。神は無限の御者です。創造の御業が無かったにしても、神には何の変わりもありません。しかし愛である神は、愛を求めておられました。愛を受けるために創造されたこの世の大きな祭壇から、賛美と愛の祈願を言わなくなったら、この世の存在は終わります。愛が無ければ、償いも消え、神の怒りは地獄になったこの世を破壊されます。この世が存在を続けるためには、愛が要ります。この世は人間の理性をもって愛し祈る神殿でなければなりません。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩上P39

 

それなら、なぜ人間を創ったのか。確かに多くの人々は、これを疑問に思っている。では、人間たちが存在しない方がいいと思うのか。今のような貧しい、あなたたちの悪さによって辛いものとなった人間の一生を、神が宇宙にまいた無限の美を知り感嘆するために、生きるに値しないと思うのか。

 

 それなら、無限の空間を矢のように流れる、あの天体と惑星とを、だれのために創ったか。それらはあなたたちに、光と季節を与え、変わることのないものとして毎晩、毎月、毎年、青い空に読むことができる新しいページを与える。

 

 

 

コンソラータP90

 

−イエズス−

このような不信頼によって私の心を痛める代わりに、あなたたちはもう少し天国について考えなさい! 私はあなたたちを地獄へ行くため、悪魔の仲間に入れるために創ったのではなく、天国へ行くため、永遠の愛の中で私と一致して楽しむために創ったのである! わかりましたか?

 

 

 

 

2.神はよいものだけを造られた

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P196

 

「主よ、なぜそのように徹夜なさったのですか。体を壊しますよ」

「この世の現象は人の子に害を与えません。神が造られたものはよいものだけ・・・“人間”を憎んでいるものは人間です」

 

 

 

 

3.神に対する感謝をもって使わねばならない

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P266

 

動物と植物、また人間の便利のために造られたものは、創造主の愛の賜物であり、御父が子らに遺産として与えられたものであるから、子らは自分たちの利益のために、すべてを与えてくださった神に対する感謝をもって、それらを使わねばなりません。父親が子供に、服、家具、金、畑、家を与えて『これをおまえと、おまえの後継者に与える。これによって幸せになれ。おまえたちに与える愛の記念を、愛をもって取り扱え』と望んだとします。それなのに子供が、それを悪用するなら、父はどう言うと思いますか? 子は父を尊ばず、父とその贈り物を愛さなかったと言うでしょう。それと同じように人間は摂理によって与えられたすべてのものを慈しまねばなりません。慈しむとは、偶像崇拝や動物、植物その他どんなものに対しても、過度の愛情を注ぐ意味ではなく、我々に役立ってくれて、それぞれの命、すなわち感覚を持っている小さなものに対して、あわれみと感謝の心を持つという意味です。

 

創世の書が話している小さい魂とは、人間の霊魂という意味ではなく、それは命である。単なる命で、物質的なもの、愛情を感じるものであり、感覚的な存在です。動物は死んだら、無感覚になり、死は全くの終りです。動物には未来はない。しかし生きている間は、飢え、寒さ、疲れで苦しむこともあり、傷つけられれば痛みを感じ、苦しむこと、愛すること、憎むことも知り、病気になり、死ぬ運命をたどります。人間は、この世における生活をそれほど苦しくないように手段を与えてくださった神を考え、小さい下僕である動物には優しくしなければなりません。モーゼの本には、動物、飛ぶもの、四つ足のものに対して、慈悲を持てと命じられています。真に創造主の御業は正義の目をもって見なければなりません。そうすれば、神の御業はすべて“よいもの”と分かり、よいものであるなら、常に大事にしなければなりません。それらは、よい目的のために愛によって与えられました。我々はそれを愛することができるし、愛さねばなりません。そのものの彼方に我々のために造ってくださった無限の御者、神を見、それらを役に立つものとして大切にせねばなりません。実に宇宙には目的なしに造られたものは、一つもありません。神は、ご自分の完全な力を、無用なことのために費やされるはずはありません。

 

 この草一本が我々の避難場所となっている大きな幹よりも、役に立たないとは言えません。露の一滴、宝石のような霜が巨大な海に劣るとも言えません。ユスリカ、ブヨなども、大きなゾウより役に立たないとは言えません。堀の泥の中にいるうじ虫さえ、便利さとして鯨に劣るものではない。創造の世界には役に立たないものは一つもありません。神はすべてをよい目的をもって、人間に対する愛をもって造られました。人間はすべてを正しい目的に沿って用い、そして、この世にあるすべてを与えてくださった神への愛をもって、使用しなければなりません。マナエン、動物はしばしば人間よりも忠実に人間に仕えると、あなたは言いました。動物、植物、鉱物などはすべて人間に服従し、創造の法則を守り、あるいは創造主から受けた本能に従って積極的に人間に奉仕します。被造物の宝玉であるべき人間だけが、あまりにしばしば汚れたものとなります。神を褒めたたえるには、天使のコーラスに適した音節が必要なのに、人間はそこに不協和音を差し挟む。呪い、冒涜、反逆はもとより、創造主よりも被造物を盲愛する歌などの不協和音です。偶像崇拝は、神を侮辱する罪です。だからマナエン、心配することはありません。あなたに奉仕して、汗だらけになった一頭の馬をあわれむことは罪ではありません。罪とは隣人に涙を流させることであり、人間のすべての愛にふさわしい神を侮辱する汚れた情欲です。

 

 

 

 

4.現世は来世への準備の場

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書P220

 

 人が世俗生活での出来事を霊的生活に生かすという目的のために、神は世界をお造りになったのだが、この世に呑まれてはならないのだ。そうなれば祈りの呼吸は停止し、霊的に滅びるより他ない。

 

 

 

 

5.人生は感謝して生きるに値する

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩上P40

 

それほどの、神のみ業の贈り物に対し人生は感謝して生きるに値する。また生きるものであることを感謝すべきである。

 

世の終わりにならなければ、あがなわれなかったにしても、その感謝を表すべきであった。なぜならあなたたちの最初の人間から始まって、今に至るまで個々の人は違反者で、傲慢で、淫乱で人殺しであるにもかかわらず、神は宇宙の美しさ、宇宙の恵みで楽しむことを今でもゆるしてくれるばかりか、あなたたちがよい子供たちであるかのように、生活をより楽しくするために、すべてを与える。

 

あなたたちが知っていることのすべては、神の光による。発見することも神の指定による。

よいことは皆、神より出る。悪の場合は、そのしるしをもっている他の知識、発見あるいは発明が、最高の悪であるサタンからくるのである。すべてご存知の、いとも高き知恵は、人間が存在する前から、人間は泥棒と人殺しになるだろうと知っていた。

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/4巻P149

 

「優しくよきお方よ、おっしゃってください。私を続けて愛してくださっていますか?」

「そうだ、しかし私は妬み深い恋人である。妬み深く、そして愛する者。むしろあなたに言おう。完全であるためには、その愛は三重の愛でなければならないが、私の中にはこの愛の三重の条件が存在している。

 第一:私はあなたを、創造主、救い主、そして恋人として愛している。 第二:私の全能の力をもって、私はあなたを愛している。この全能の力があなたを創造し、あなたへの愛のために空気、水、火、その他すべての被造物があなたに「あなたを愛します」と言うように、それらのすべてを創造した。あなたへの愛のために、私はすべてを創造した。私はあなたを私の似姿として愛し、あなたを世話することを通してあなたを愛している。 第三:永遠からあなたを愛し、時間においてあなたを愛し、これからも永遠にあなたを愛する。これは、私の愛から外へ出た息吹以外のなにものでもない。想像してみなさい。私自身のうちに含有している愛とは何であるかを。

 あなたは、このような三重の愛を私に返報する義務がある。私をあなたの神として愛することによってあなた自身のすべてを固定し、私への愛でないものは、何もあなたから出てはならない。あなたが考えつく世話と善意を通して私を愛し、全ての人のため、全ての人のうちで私を愛することである。」

 

 

 

 

6.ルイザ・ピッカレータ

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/4巻P242

 

「我が娘よ、私は地のためではなく、天のために人間を創った。人の頭、心、その内面が含むすべてのことは、天のために存在しなければならなかった。もしそうであったなら、人間は自分の中に複写されている三位一体の力の注入を保って、その三つの権能のうちに生きたことだろう。しかし地上のことで心がいっぱいなので、地が含んでいる泥土、腐敗物、悪癖の掃き溜めのすべてを受けるのである。」

 

 

 

 

7.アグレダのマリア

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P350

元后の御言葉

 

 私の娘よ、人々が永遠の光栄を無視し、忘れてしまうのは嘆かわしく言い訳できないのです。人々の悪性の忘却をあなたが嘆き悲しむように私は望みます。永遠の光栄や幸福をわざと忘れる人は、誰でもそれを失う明らかな危険にさらされています。人々はこの幸福の記憶を求め、保つために労働も努力もしないだけでなく、人々の創造の目的を忘れさせるようなことに血道を上げていますから、決してこの罪がないとは言えません。疑いもなく、この忘却は生活の誇りとか、目の貪欲や肉欲に自分たちを絡ませることから来るのです。永遠の幸福について考える暇も気遣いも全くないのです。人々は盲目の情熱に駆られ、名誉、物欲や一時的な楽しみを追い求めますが、このようなものはこの世の生命と共に終りますし、多くの人々はどんなに苦労しても入手できません。これほど悲しいことはありません。比較になるものがないくらいの不幸で、この不幸から救えません。私の御子の御血により償われた多くの霊魂が滅びることについて、何の慰めも得られず、苦しみ、嘆き、悲しみなさい。私は世界中にメッセ―ジを送りたいと思います、「死ぬべき騙された人々よ、何をしていますか。何のために生きていますか。私たちの人生の目的は神に面と向かって会うこと、神の永遠の光栄および神との交わりであることを実感していますか。何を考えていますか。誰があなたの判断を邪魔したり励ましたりしていますか。もし、あなたがこの本当の祝福と幸福を逃すなら、何を求めますか。この世の苦しみは短く、その報いは無限の栄光です。罰は永遠です。」