人生は感謝して生きるに値する

 

 

摂理宇宙創造の目的感謝

 

 

 

1.マリア・ワルトルタ

2.ヴァッスーラ

 

 

 

 

1.マリア・ワルトルタ・・・人生は感謝して生きるに値する

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩上P40

 

それほどの、神のみ業の贈り物に対し人生は感謝して生きるに値する。また生きるものであることを感謝すべきである。

 

世の終わりにならなければ、あがなわれなかったにしても、その感謝を表すべきであった。なぜならあなたたちの最初の人間から始まって、今に至るまで個々の人は違反者で、傲慢で、淫乱で人殺しであるにもかかわらず、神は宇宙の美しさ、宇宙の恵みで楽しむことを今でもゆるしてくれるばかりか、あなたたちがよい子供たちであるかのように、生活をより楽しくするために、すべてを与える。

 

あなたたちが知っていることのすべては、神の光による。発見することも神の指定による。

よいことは皆、神より出る。悪の場合は、そのしるしをもっている他の知識、発見あるいは発明が、最高の悪であるサタンからくるのである。すべてご存知の、いとも高き知恵は、人間が存在する前から、人間は泥棒と人殺しになるだろうと知っていた。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々1/P189

 

「そうです、あわれな人間よ、おまえたちはただの子供です。先生の私がここにいるのは、おまえたちを、真と偽り、善と悪、より良いことを単なる良いことと区別できるような大人にするためにここにいます。聞きなさい。生きるとは何でしょう。神なる父が、おまえたちが本当に良い子であるかどうか、その心を試すために与える時間であり、おまえたちの業によっても終わることがなく、試すことのない未来を与えるためです。そうしたら、ちょっと考えてみなさい。ある人は、神に特によく仕えるために稀な恵みをいただいていたために、一生涯にわたって何の不幸も起きないというのは良いことですか。人間生活においては、あまり幸せではなくても、いままでいただいた多くの恵みのために十分幸せであると考えてもよいのではないですか。心に神の啓示の光を受け、同時に賛成する良心のほほえみをもっているのに、この世でまた余分に光栄とか豊かな財産とかをいただくのは不正ではないでしょうか。その上、不賢明なことでもあり得ます」

 

 

 

 

2.ヴァッスーラ

 

 

天使館/ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P114

‘00・8・5

 

ああ 是非!

主よ、この感謝を知らない世代を 哀れんで下さい。

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P141

‘00・12・31

 

我が高貴なテーマ(*)の初期に、御父は、混迷に陥っている地上を見て 大変気を悪くされ、「あなた方は気むずかしく(*1)なった、時代よ・・・」と言われた。

 

 *これらのメッセージ。

 *1「気むずかしい」とは、容易には喜ばず、すぐあら探しをすることを意味します。

 

 

 

天使館/ヴァッスーラ/花むこから花嫁への呼びかけ ヴァッスーラの証しの記録/天使館/P55

 

感謝を知らない現代人

 

 そして特に申しますが、私どもが無視している恵み一つあります。それは神を本当に深く悲しませているのです。一生どれほど神にたいする感謝が足りなかったかを表していますから。

 初めの頃でしたが、御父はにがにがしい言い方というよりは、悲しみに満ちてこうおっしゃいました。

「なんと“fastidious”になったか、世代よ」と。生まれて初めて聞く言葉で、私は意味が分からなくて辞書を引きました。それは「感謝がない」という意味です。こせこせする、満足しない、扱いにくい、いつももっともっとと欲しがる、ぜんぜん満足しようとしない、などということはすべて、この“fastidious”という形容詞に含まれています。「“fastidious”に、あなたの時代はなってしまった」と神はこの形容詞を強調して、文頭に持ってきながら、おっしゃったのです。

 私たちは確かに“fastidious”ですが、たとえばよく無視する恵みの一つに触れてみましょう。神は毎日毎日あふれるほどの祝福を与えて下さっています。こうした祝福は有形ではなく、目には見えないのですが、私たちが光と闇を区別するに十分な理解だけは下さっています。

 私たちに与えられているものはすべて善いもので、これらは皆神から与えられているのです。健康もそうでしょう、しかし神に十分感謝はしていません。着ている衣服も、健康でなければ、衣服を買うお金もありませんから、やはり神からのものです。皆の健康や衣服や住宅、冷蔵庫、そして帰宅してお腹が空いた時に開けた冷蔵庫の中の食物や飲物、家族や家庭など、すべて神からの恵み、祝福なのです。でもそれを神には感謝していません。なぜでしょう? 当たり前と思っているからです。このすべては自分がした結果だと思っているのです。

 しかし私たちが持っている力はすべて神からいただいたもので、いのちも、まさに神からいただいたものです。もし神がお望みなら、私たちからあらゆるものを取り上げることもおできになるはずです。聖書の中でヨブになさったように。ヨブは裸になり、病を得て、孤独の中に捨て置かれました。神は彼を試されたのです。しかしヨブは神への熱烈な忠実さを表しました。このすべてにもかかわらず、神に信頼をおいたのです。そして神にすがり、一瞬も背を向けることなく、「神はこんなひどいことをされた」と愚痴も言いませんでした。そのために、以前よりもはるかに多くを、神はヨブに与えられました。ですから、神への讃美を忘れないで下さい。そして持てるすべてに感謝して下さい。