人生の目的
1.聖書
2.スウェーデンボルグ
3.アグレダのマリア
4.マリア・ワルトルタ
5.ヨゼファ・メネンデス
6.パラマハンサ・ヨガナンダ
1.聖書
ヨハネ1・12
しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
ヨハネ17・2−3
あなたは子にすべての人を支配する権能をお与えになりました。そのために、子はあなたからゆだねられた人すべてに、永遠の命を与えることができるのです。永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。
2.スウェーデンボルグ
結婚愛230
(21)「結婚愛が欠け、失われるに応じて、人間は獣の性質に近づいて行く」。その理由は、人間は結婚愛にいるに応じて霊的なものとなり、そして霊的なものとなる応じて人間になる、ということである。なぜなら人間は死後の生命のために生まれており、彼の中に霊的な霊魂が在るため、その生命に到達し、また人間はその理解の能力を通してそれへ高揚されることが出来るからである。もしそのとき同時に、彼の意志がそれにもまた与えられている能力により高揚されるなら、死後彼は天界の生活を送るのである。もし彼が結婚愛に反した愛の中にいるなら、その反対のことが起ってくる、なぜなら彼はその中にいる限り、色欲、食欲については単に自然的な人間となり、その歓びは獣のようになり、ただ彼には、理解を知恵の光の中へ高揚する能力と、また意志を天界の愛の熱の中へ高揚する能力があるという相違があるにすぎない。これらの能力はいかような人間からも決して取り去られはしない。それで単に自然的な人間も、色欲、食欲については自然的であり、その歓喜は動物に似てはいるが、それでも尚死後も生き続けるが、しかしそれは彼の過去の生活に相応した状態にあって生きるのである。これらの考察から人間は結婚愛が欠けるに応じて獣の性質へ近づくことが明らかである。このことは矛盾をはらんでいるように見えるかもしれない、なぜならその人間には結婚愛が欠けて、失われているにも拘わらず、尚その者は人間であるから。しかし姦通愛から結婚愛を軽視し、そうした理由からそれを欠いている者のことがここに考えられているのである。
3.アグレダのマリア
アグレダのマリア/神の都市/P350
元后の御言葉
私は世界中にメッセ―ジを送りたいと思います、「死ぬべき騙された人々よ、何をしていますか。何のために生きていますか。私たちの人生の目的は神に面と向かって会うこと、神の永遠の光栄および神との交わりであることを実感していますか。何を考えていますか。誰があなたの判断を邪魔したり励ましたりしていますか。もし、あなたがこの本当の祝福と幸福を逃すなら、何を求めますか。この世の苦しみは短く、その報いは無限の栄光です。罰は永遠です。」
4.マリア・ワルトルタ
マリア・ヴァルトルタ29・10/私に啓示された福音/1巻P240
わたしは、神が私に知らせようとなさったことのみを一途に知ろうとし、自分自身に、あるいは神に対して、自分に言われたこと以外何一つ尋ねず、暴飲暴食、知識欲、所有欲に打ち勝ちました。何やかやと詮索せずに、わたしは信じました。わたしが快楽の暴飲暴食に打ち勝ったのは、味覚に耽溺することを一切拒否したからです。わたしは自分の肉を足の下に置きました。サタンの道具である肉を、天に上る階段とするために、わたしはサタン諸共踵で踏みつけました。 天! それはわたしの目的です。神が在したのはあそこです。わたしの唯一の渇望です。食い意地ではなく、神に祝福される必然の飢えであり、彼はわたしたちが彼に飢え渇くことを望んでおられます。
マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/2卷P561/132・2
イスラエル史上のあらゆる言葉は、選民のものとして霊的な意味を含むものであるから、この物語を考察し、適用しましょう。人生は常に教えです。イスラエルの人生は、地上での日々のためのみならず、永遠の日々を征服するための教えです。
マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/5巻上314.6/P184
人生において重要であると思われる唯一のことは、犠牲を払い徳を獲得して死に至ることです。
5.ヨゼファ・メネンデス
ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P487
人はいつまでも地上に止まるものではない。永遠のために創られている。人が不死ならば、死すべきもののためにではなく、永遠に残るもののために生きねばならない。青春、富、智慧、人間的光栄すべては過ぎ去る。ただ主のみ永遠に在したもう。
パラマハンサ・ヨガナンダ講話集/人間の永遠の探求/P440
昨年のクリスマスにわれわれといっしょにいた人の多くは、今ここにはいません。そして、来年のクリスマスにはだれがここにいるか、だれにもわかりません。人生とはこのようなもので、今後も同じように続いてゆくでしょう。人生は、しばらくの間いっしょに旅をするキャラバンのようなものです。ある仲間は、愚かな遊びや無知の溝にはまりますが、その苦い経験に懲りると、キャラバンの隊長に安全な進み方の指示を求めるようになります。このキャラバンの隊長とは、ほかならぬ地球キャラバンの長である天の父です。われわれがこのキャラバンの途中で別れ別れになっても、また、旅の始めと終りがやみに包まれていても、なおわれわれの人生には深い意味があります。すなわち、人生はわれわれに、真剣に神を求めるよう教えているのです。