守護の天使

 

ミカエル天使天使との交流霊との交流

天使たちは各々の人間のもとにその情愛の中に住んでいる

 

 

1.聖書

2.天使たちは人間のもとにいる

3.主から天使たちは人間を導き守る、それは一瞬の一瞬毎に行われている

4.ヴァッスーラ

5.ドレックス教授

6.天使たちは人間の中の誤った悪いものを守りさえしている

 

 

 

1.聖書

 

 

詩篇34・8

 

主の使いはその周りに陣を敷き

主を畏れる人を守り助けてくださった。

 

 

 

 

 

2.天使たちは人間のもとにいる

 

 

天界の秘義784[]

 

そしてその時以来天界はそれが最古代教会の人間に開かれていたようには決して開かれていないのである。多くの者がその後霊たちや天使たちと語ったことは真である、例えばモーセ、アロンその他の者が語ったのであるが、しかしそれは全く異なった方法によったのである、それについては、主の神的慈悲の下に後に記すことにしよう。天界が閉じられた理由は深く隠されている、また人間は自分のもとに霊たちがいることを知りさえもしておらず、まして天使のいることは知っておらず、自分が世で友も無くいる時は、また自分が只独りで考えごとをしている時は、自分は全く独りぽっちであると考えている程にも、天界が今日閉じられている理由も深く隠されている。それでも人間は絶えず霊たちの間に居り、霊たちはその人間が考えていることを、その意図し、考案していることを、恰もそれが世界の凡ての者の前に明らかに示されているかのように充分に、また明らかに観察し、認めているのである。このことをその人間は知っていない、それ程に天界は彼に閉じられているのである、しかしそれは極めて真である。その理由は彼が信仰の中にいない中に、まして信仰の真理の中にいない中に、ましてや仁慈の中にいない中に、天界がそれほどその者に閉じられていないならば、それは彼に非常に危険であるということである。このこともまた以下の言葉により意味されている―

 

神エホバはその人を追い出され、エデンの園の東にケルビムをおかれ、また自らまわる剣の焔をおかれて、生命の木の道を守られた(3・24、また301−303番の記事を参照)。

 

 

 

天界の秘義904

 

「神はノアに語られた。」これはこの教会の人間のもとに主が現在[臨在]されたことを意味していることは聖言の内意から明らかである。主は人間各々のものと話されている、なぜなら人間が意志し[欲し]考える善い真のものはことごとく主から発しているからである。人間各々のもとには少なくとも二人の悪霊と二人の天使がいる。悪霊どもは彼のいくたの悪を刺激するが、天使たちは善い、真のものを吹き入れる。天使達により吹き込まれる善い、真のものはことごとく主のものであり、かくて主は絶えず人間のもとに語られているが、しかしそれは人間各々により全く異なっている。自分自身が悪霊どもにより導き去られるのに甘んじる者らのもとでは、主は恰も在したまわないかのように、または遠くから、語られるため、それで主は語られつつあるとは殆ど言われることは出来ないが、しかし主によって導かれつつある者たちのもとでは、さらに近く現存されているものとして語られるのであり、このことは何人も主から善い真のことを考えない限り、善い真のことは一つとして決して考えることは出来ないという事実から充分に明らかとなるであろう。

 

 

 

天界の秘義904[2]

 

主の臨在はその人間がその中に置かれている隣人に対する愛と信仰の状態に応じてその人間について述べられる。主は善の凡ての中におられるため、隣人に対する愛の中に主は現存[臨在]されているが、しかし主は、愛のない、信仰と言われているものの中にはそれ程現存されてはいない。愛と仁慈のない信仰は分離した、または結合していないものである。連結の在る所には凡て連結させる媒介物がなくてはならないのであって、それは愛と仁慈以外の何ものでもない、このことは主はたれにも慈悲深くあられ、たれをも愛され、たれをも永遠に幸福にしようと欲しておられるという事実から凡ての者に明白であるに違いない。それ故他の者に慈悲深くあり、その者を愛し、その者を幸福にしようと欲するといった愛を持っていない者は、主に似ていないし、また些かも主の映像を宿していないため、主に連結することは出来ない。 彼らが言っているように、主を見上げて、しかもそれと同時に隣人を憎むことは単に遥か彼方に立つことであるのみでなく、自分自身と主との間に地獄の深淵を持つことであって、もし彼らが万が一にもさらに近づきでもするなら、その深淵に落込んでしまうであろう。なぜなら隣人に対する憎悪は間に介在する奈落の深淵であるからである。

 

 

 

天界の秘義904[3]

 

人間が隣人を愛する時始めてその者の許に主の現存[臨在]が可能となる。主は愛の中におられ、人間が愛の中にいるに比例して、主は現存[臨在]され、主が臨在されるに比例して主は人間のもとに語られるのである。人間は自分は自分自身から考えているとしか考えてはいないが、事実は人間は人間自身からは只一つの観念[考え]さえも得ておらず、一つの観念の最小のかけらさえも得ていないのであって、悪い誤ったものは地獄から悪霊等を通して得ており、主からは天使たちを通して善い、真のものを得ているのである。かくのごときが人間における流入であり、その流入から彼の生命が発し、彼の霊魂と身体との交流が発しているのである。これらの事から『神はノアに話された』という言葉の意義が明らかである。彼がたれかに『言われること』の意味と(例えば創世記1・29,3・13、14、17、4・6、9、15、6・13、7・1)彼が『話されること』との意義は異なっている。ここでは、彼がノアに話されたことは現存[臨在]を意味している、なぜなら仁慈を与えられた再生した人間が今主題となっているからである。

 

 

 

天界の秘義968

 

 また更に人間は身体の中に生活している間はその人間のもとには少なくとも天界から二人の天使がいるのみでなく、また地獄からも二人の霊がおり、この奈落の霊は悪い者を支配しているが、善良な者のもとでは征服されて、仕えることを強いられているのである。

 

 

 

天界の秘義1645

 

これらのものの中に彼らは主により留め置かれている、なぜなら主の王国は単に目的と用との王国であるからであり、こうした理由からまた人間のもとにいる天使たちは目的と用以外には何ごとにも心をとめないのであり、またその人間の思考からは他の何ものをも選びはしないのである。観念的な、物質的なものである他のものはことごとく彼らは意に介しはしない、なぜならそうしたものは彼らのスフィアの遥か下にあるからである。

 

 

 

天界の秘義3464

 

天使たちは各々の人間のもとにその情愛の中に住んでいる。

 

 

 

真の基督教118

 

一方彼等はもし人間が彼等から引き離されるならば生存することが出来ないのである。

 

 

 

 

3.主から天使たちは人間を導き守る、それは一瞬の一瞬毎に行われている

 

 

天界の秘義5980

 

 天使たちはその悪い霊と魔鬼とが人間のもとで意図し、企てていることを注意深く絶えず観察しており、その人間がそれに堪えるに応じ、悪をたわめて善にかえ、または善に、または善の方へ向わせている。

 

 

 

天界の秘義5992

 

 主が人間を導き、また守られる手段となっている天使たちはその人間の頭の近くにいる。仁慈と信仰とを吹き込み、その人間の歓喜はどの方向に向いているかを観察し、為しうる限り、その人間の自由を妨げないで、その歓喜を和らげ、それを善に向けることが彼らの任務である。彼らは暴力を働かせて行動し、そのようにしてその人間の欲念と主義とを破壊することを禁じられており、穏やかに行動するように命じられている。地獄から来ている悪霊らを支配することもまた彼らの任務であって、それは無数の方法で行われているが、その中で以下のことのみ記してよいであろう。悪霊らが悪と誤謬とを注ぎ入れるとき、天使たちは真理と善とを入り込ませるのであり、その真理と善は、もしそれらが受け入れられないにしても、和らげる手段となっているのである。奈落の霊は絶えず攻撃するが、天使たちは守るのである、これが秩序である。

 

 

 

天界の秘義5992[2]

 

 天使たちは特に情愛を規正している、なぜなら情愛がその人間の生命を作り、またその自由を作っているからである。天使たちはまた以前開かれていなかった地獄が何か開かれているか否かを観察しているが、その開かれた地獄から人間のもとへ流入が起っており、それはその人間が何か新しい悪へ自分自身を引き入れるとき見られるのである。これらの地獄を天使たちはその人間が堪えうる限り閉じ込め、そこから現れ出ようと企てる霊どもを遠ざけている。彼らはまた悪い情愛を生み出す奇妙な新しい流入を消散させている。

 

 

 

天界の秘義5992[3]

 

特に天使たちは人間のもとに在る善と真理とを呼び出し、それらを悪霊らのかき立てる悪と誤謬とに対立させている。かくてその人間はその真中におかれて、悪も善も認めはしない、また真中にいるため、自分自身を悪にも善にも向ける自由を持っている。このような手段によって主から天使たちは人間を導き、守っており、しかもそれは一瞬毎に行われ、実に一瞬の一瞬毎に行われているのである。なぜならもし天使たちが万が一一瞬でもその庇護を中断するなら、その人間は悪へ真逆様に投げ落とされ、そこからその後は決して引き出されることは出来ないからである。これらの事柄を天使たちは主から得ている愛から行っている、なぜなら彼らは人間から悪を遠ざけて、彼を天界へ導くことにまさって歓ばしい、幸福なことを何一つ認めはしないからである。そのことが彼らの喜びであることについてはルカ15章7節を参照されたい。主は人間をこのように守られており、しかもそれがその者の生命の最初の糸からその最後の糸までも、後には永遠に至るまでも絶えず行われていることをほとんどたれも信じてはいないのである。

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/第3巻中/P150/

172・5−7

 

 あなたたちはどのように祈らねばならないかを聞きなさい。唇をもって、仕事をもって、あなたたち自身のすべてをもって、を、そうです、その祈りを聞いておられるを愛する心の衝動に駆られて、しかし、創造主は誰であり、被造物とは何かをも常に思い出し、祈っていようが商いをしていようが、歩いていようが休息していようが、稼いでいようが人助けをしていようが、常にの御前に畏敬をこめた愛を抱いて止まることです。

 

 心の衝動に駆られて、とわたしは言いました。これは第一のそして本質的な資質です。なぜならすべては心から生まれ、心がそうであるように理性がそうであり、言葉が、視線が、行為がそうであります。正しい人はその正しい心から善を外に引き出し、引き出せば引き出すほど善を見出します。なされた善は、ちょうど血液の循環において新しくなり、吸収された酸素から、また消化された食物の液から引き出した常に新鮮な要素で豊になった心臓に戻る血のように、新しい善を産むからです。それに反して、邪な行為と毒で一杯のその暗黒の心からは、正しい心のうちに積み重ねられるの祝福とは逆に、積み重ねられる罪によって力づけられてますます増える邪な行為と毒しか引き出すことが出来ません。唇から溢れ出し、行為に示されるそれは、心の旺盛さでもあることを信じなさい。

 

 あなたたちは謙遜で、清く、愛深く、信頼に満ちた誠実な心の人となりなさい。花婿の前で慎ましく恥らう処女の愛をもってを愛しなさい。真実にあなたたちに言いますが、どの霊魂も永遠の愛する御者(アマト―レ)、われらのなるに嫁いだ一人の処女なのです。この地球は婚約時代であり、そこで一人ひとりに与えられる守護の天使は、わたしたちの人生の全時間を通して花婿の家へ案内する霊的付き添い人であり、また臨終の時に婚礼衣裳を整える侍女でもあるのです。死の時は完結した婚礼の時であり、その時、認識、抱擁、融合がなされ、霊魂は完結した花嫁の資格でそのベールを上げ、そのの腕の中に身を投じることが出来るのです。このように花婿を愛するために、他者をスキャンダルに誘うことも無く。

 

 しかし今は、おお、まだとの婚約関係に置かれている霊魂よ、花婿に語りかけたい時には、あなたたちの住まいの平和のうちに、また何にもましてあなたたちの内奥の住まいに身を置き、守護の天使に付き添われた肉の天使よ、天使たちのに話しなさい。あなたたちの心の、あなたたちの内面の部屋で密かにあなたたちのと語りなさい。世である一切のもの、すなわち注目を引こうとする切望、お手本になろうとする下心、言葉、言葉、言葉で埋められる単調で生温く、また愛の血の気の失せた冗長な祈りに対する小心翼々とした観念など、すべて外に放っておきなさい。

 

 

 

 

4.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・9巻P192

‘98・8・29

 

あなたの傍らには 一人の護り手(*)をおいた、その使命を妨害する侵入者が入ってこないよう 心の入り口に立つ見張り番を。

 *特別の天使、と理解しました。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P19

‘99・2・5

 

娘よ、あなたは特別に護られ世話されていることを 覚えておくように。 あなたの上に私の面影を見る恵みを与えられ、私の出現で鼓舞された人びと(*)の証言を聞いたであろう? だから私の聖なる力を見くびらないように。 これからもあなたの上に私自身を現し、私の面影であなたを飾ろう それが御父をお喜ばせするゆえ。

 

 *キリストの聖なるみ顔が私の顔に現れたと さまざまな国で多くの人が証言しています。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/第10巻/P49

‘99・7・30

 

平静でいるように、我が花嫁よ、そして仕事を負い過ぎないように。あなたのうちに 薔薇が一輪育って、生き生きと花咲かせた、そして沈黙のうちに黙想して坐り、私どもを観想し、あなた自身を私どもと一致させるときは、その薔薇のかおりが 最も優美な香気を放って、私どもを包む、その間私どもはあなたを見護り、あなたのうちに私どもの光を放ち、生き生きと花咲かせている。私どもの観想をやめてしまうなら、あなたの薔薇は色褪せて 美しさを失う・・・そこで神なる花婿は言っておく:

 

我が抱擁から引き離すもろもろのことに気を取られ、私を観想するのをやめないように。 まこと愛する者よ、あなたの言うことすべてに異議を唱える者たちが、自分たちの気まぐれによって指図するのを許してはならない、あなたを私のもとに連れて来るよう 我が天使の位階中の最も高貴な天使たちの一人を あなたに送ったゆえ。 この天より遣わされた君子は あなたが我が独り子と共に、天の王宮に入れるように この世からあなたを引き離した。

人間の心は 私があなたに働きかけてきたすべてを理解するには小さ過ぎる、特におびただしい知識人が賢者を装う このあまりに汚悪な時代には。

 

我が選びの者たちには大抵そうしているが、私は、先にも言った通り、天の君子と つき従う他の天軍を、あなたの使命に伴わせて送った。 天の王宮に入ったあなたを、詩歌と信仰をもって誘い、我が竪琴とした。 私が一瞥を注いだ時の悦びを体験させ、それをあなたに送って 眼に金の輝きを添え、私の光で満たした。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P52

‘99・7・30

 

甘美な神の流れに乗って 私のために、北から南へ 東から西へと、共に旅するようにと頼んだ。 そして以前にも言ったが、その使命につき添うよう 天使の大軍と大天使たち、最も高位の君子たちを あなたの護りとして与えた。私の種子が播かれた場所にとどまり 播かれたものを護るようにと命じて。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P110

‘00・6・6

 

しかし私どもは 偽りの言葉とよこしまな心を見抜くよう 彼女の脇に、護り手として 天の王宮より最高位の君子を一人 配置する。 友人たちも、反逆者たちも罪人も 共に呼ばれて露わにされ 私どもの黄金の流れが それぞれの輪に注がれよう。

 

 

 

 

5.ドレックス教授

 

 

天使館/天使のパン16号P28

『信仰は従順より偉大である』ドレックス教授への救い主の御言葉 

1972年10月6日早朝の主の御言葉

 

多くの聖堂で、たくさんの人々が祈っている。こうした場所から、祈りの声が父と子と聖霊へと立ち昇っているのである。すべての善良で忠実な者たちには目に見えない霊、即ち天使たちが傍に居り、聖人たちが友となり、道を照らす光となっていることに気付くであろう。それというのは、新しい異端者、無神論者、真の教会と信仰からの逸脱者などが天使の存在と影響を否定することで災厄を引き起こすからである。霊的被造物としての天使は、人間のために恵みの賜物として、また人々を助けるために御父により人間に与えられているのである。そのため、大きな力がこうした天使たちに与えられている。天使たちは聖ミカエルの指揮下にある目に見えない軍団である。従って、『聖なる天使の言葉』(注:ドレックス神父の著書の一つ)は、今の時代及びこれからの時代にとって重要性が高まるであろう。

 

 

 

 

5.天使たちは人間の中の誤った悪いものを守りさえしている

 

 

天界の秘義761

 

 人間の中の霊的な試練はその者のもとにいる天使たちと悪霊らの争闘であり、この争闘は彼の良心の内に普通感じられることは前に述べたところであるが、この争闘についてはまた以下のことを知っておかなくてはならない、即ち、天使たちは絶えず人間を守っていて、悪霊どもが彼に加えようと努力している幾多の悪を外らしているのである。天使たちは人間の中の誤った悪いものを守りさえしている、なぜなら彼らは彼の幾多の誤謬と悪とは何処から発しているかを、即ち、悪い霊らと鬼どもから発していることを充分に知っているからである。人間は自分自身からは誤った悪いものを一つとして生み出しはしない、それを生み出すと同時にその人間にその人間が自分自身からそれを行っているのであると信じ込ませるものこそ人間のもとにいる悪霊らである。かくの如きが彼らの悪意である。更に、私は多くの経験から確認することが出来るのであるが、彼らはこの信念を注ぎ入れ、強制していると同時に人間を訴え、罪に定めるのである。主に対する信仰を持っていない者は自分は自分自身で悪を行っていると信じないように明るくされることは出来ない、それで悪を自分自身のものとし、自分と共にいる悪霊共のようなものになる。これが人間の実情である。天使たちはこのことを知っているため、再生の試練においては彼らは人間の幾多の誤謬と悪をまた守るのである、なぜならもしそれらを守らないなら人間は屈服するからである。なぜなら人間の中には悪とそこから発した誤謬以外には何ものもなく、かくて人間は諸々の悪とその諸々の誤謬の集合体、合成体そのものに過ぎないからである。