ミカエル

守護の天使天使

 

1.聖書

2.スウェーデンボルグ

3.ヴァッスーラ

4.マリア・ワルトルタ

 

1.聖書

 

ダニエル10・13−14

 

ペルシャの王国の天使長が二十一日間わたしに抵抗したが、大天使長のひとりミカエルが助けに来てくれたので、わたしはペルシャの王たちのところにいる必要がなくなった。それで、お前の民に将来起るであろうことを知らせるために来たのだ。この幻はその時に関するものだ。

 

 

黙示録12・7−11

 

 さて、天で戦いが起った。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。

 

「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。

神のメシアの権威が現れた。

我々の兄弟たちを告発する者、

昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者が、

投げ落とされたからである。

兄弟たちは、小羊の血と

自分たちの証しの言葉とで、

彼に打ち勝った。彼らは、死に至るまで命を惜しまなかった。

このゆえに、もろもろの天と、

その中に住む者たちよ、喜べ。地と海とは不幸である。

悪魔は怒りに燃えて、

お前たちのところへ降って行った。

残された時が少ないのを知ったからである。」

 

竜は、自分が地上へ投げ落とされたと分かると、男の子を産んだ女の後を追った。しかし、女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒れ野にある自分の場所へ飛んで行くためである。女はここで、蛇から逃れて、一年、その後二年、またその後半年の間、養われることになっていた。蛇は、口から川のように水を女の後ろに吐き出して、女を押し流そうとした。しかし、大地は女を助け、口を開けて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。竜は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、イエスの証しを守りとおしている者たちと戦おうとして出て行った。そして、竜は海辺の砂の上に立った。

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

啓示による黙示録解説

黙示録12・18

『そして私は海の砂の上に立った』は、彼の状態は今は霊的自然的なものであることを意味している(565番イ)。

 

 

黙示録講解735

 

「ミカエルとその天使たちとは竜と戦い、竜とその使いらとは戦った」は、愛と仁慈との生命を支持し、主の人間的なものにおける主の神的なものを支持する者たちと、信仰のみを、分離した信仰を支持し、主の人間的なものにおける主の神的なものに反抗する者らとの間の争闘を意味している。これは以下から明白である、すなわち、『ミカエルとその天使たち』の意義は主の人間的なものにおける主の神的なものを支持し、愛と仁慈との生命[生活]を支持する者たちであり、(そのことについては間もなく述べよう)、また『竜』の意義は、信仰のみを、愛と仁慈との生命からは分離した信仰を支持し、また主の人間的なものにおける主の神的なものに反抗する者らである。仁慈から分離した信仰の中にいる者らは―その信仰は信仰のみと呼ばれているが―『竜』により意味されていることは前に示された(714、715、716番)。(中略)

このことからその竜と戦った『ミカエルとその天使たち』により意味されていることが明らかである、すなわち、主の人間的なものを承認し、愛と仁慈との生命を支持する者たちである、なぜならそうした者たちは主の神的な人間的なものを承認しないわけにはいかないからであり、もし認めないなら彼らは主に対しいかような愛の中にもいることが出来ないし、そこから隣人に対しいかような仁慈の中にもいることが出来ない理由のためである、なぜならこの仁慈と愛とはひとえに主の人間的なものから発していて、主の人間的なものから分離した神的なものからは発してはおらず、また主の神的なものから分離した人間的なものからも発しておらず、従ってまた竜がその使いの者らとともに地獄に投げ落とされた後は天から声が言ったのである―

 今や私たちの神の救いと力と王国が、そのキリストの権威が来た(10節)。

 このことから『ミカエルとその天使たち』により意味されていることが明らかである。

 

 

黙示録講解735[2]

 

特にミカエルについては、文字の意味からミカエルは首天使の一人であると信じられているが、諸天界には首天使は一人としていないのである。実に、高い天使と低い天使とがおり、また賢い天使とそれほど賢くない天使がおり、天使たちの諸社会には他の者の上に遍く置かれている総督[治める者]がいるが、それでも何らかの権威により他の者たちが服従するように義務ずけられている首天使はいないのである、なぜならそこのたれ一人主のみを除いてはいかような者をも自分自身よりは上にあるものとしては承認しないからであり、このことがマタイ伝における主の御言葉により意味されていることである―

 

 あなたらは教師と呼ばれてはならない、なぜならあなたらの教師は一人であり、キリストであるが、あなたらは凡て兄弟であるからである。地上ではいかような人間もあなたらの父と呼んではならない、なぜならあなたらの父は一人であり、諸天界の中におられるからである。あなたらは教師と呼ばれてもならない、あなたらの教師は、キリストは一人であるからである。あなたたちの間で最大の者はあなたらに仕える者とならねばならない(23・8−11)。

 

(中略)

ミカエルの名は、それがヘブル語から派生していることから、「その者は神に似ている」を意味しており、それゆえミカエルはかの神的真理に関連した主を意味し、すなわち、主から主に対する愛の中に、隣人に対する愛の中に生きなくてはならないという神的真理に関連した主を意味している、ミカエルはまたダニエル書に言われており(10・13、21、12・1)、そこではここと同じように、聖言から発した純粋な真理を意味しており、それは主により設立されることになっている教会に属している者たちのために存在するものである、なぜなら『ミカエル』は新しいエルサレムの教義を支持する者たちを意味しているからであり、その教義の本質的なものは、主の人間的なものは神的なものであり、愛と仁慈との生命が存在しなくてはならないということである。

 

 

真の基督教300

 

ガブリエルとミカエルとは天界の二人の人物の名ではなく、天界で主にかかわる知恵を享受し、主を礼拝する凡ての者を意味する。

 

 

天界の秘義1705

 

天使たちはこれらの善と真理から名をつけられているのである。いかような場合にも天界の天使はいかような名も持っていない。彼らに名が述べられる源泉は善と真理である。例えば、聖言に記されている『ミカエル』やその他の天使たちはそうした名を持った天使ではなく、彼らはその果たしている務めから―それがいかようなものであっても、そこから―こうした名を得ているのである。

 

 

スウェーデンボルグ/霊界日記5747/角川文庫P204

 

主の神性のために、すなわち主と父[なる神]とは一つであるがゆえに神は一人であるという真理のために戦い、また、信仰の生命のために、すなわち仁愛と呼ばれる生命のために戦った者たちは、すべて「ミカエル」と呼ばれている。

 

 

霊界日記5747

 

主の神性のために戦い、主と父とは一つのものであられ、かくて神は一人であるとの真理のために戦い、信仰の生命[生活]、または仁慈と呼ばれる生命のために戦った者たちはミカエルと呼ばれている。なぜなら主の神性を承認はしない者らはことごとく、心では、霊的な事柄を、または天界に属する事柄を無視してしまうからである。彼らは神について話しはするが、神を意に介しはしないで、いかようなものであれ、たれか悪霊のいかような見解にも加担してしまい、主として、最初の試練で、加担してしまうのである。ミカエルであった者らは主として、古代諸教会から来ており、彼らは凡て確乎としてとどまったのであり、また彼らの間の異教徒から来ている者らであり、また凡ゆる所の幼児たち―その時は成人となっていた者たちであった。

 

 

最後の審判・遺稿168

 

竜とミカエルとの争闘は後には以下のようなものであった、なぜならそれは幾日も続いたからである、すなわち、一本の手が主により諸天界の上の方に遍く伸ばされているのが見えた。(後略)

 

 

 

啓示による黙示録解説548

 

七節。「天に戦いが起こり、ミカエルとその天使たちは竜と戦い、竜も、その使いらも戦った」は、前の教会の誤謬が新しい教会の諸真理と戦うことを意味している。『戦』により、真理に対する誤謬の、誤謬に対する真理の戦いである霊的な戦いが意味されている(500番)、なぜなら戦いが起こったと言われている天界には、他の戦いは起り得ないからであり、またそれは天界にも、それがひとたび天使たちから形作られた時は、起り得ないのであり、それは(黙示録21・1に言われている)『過ぎ去った前の天界』の中で行われたのである。その天界についてはそこに記した説明を参照されたい。なぜならその天界は竜とその使いらに対する最後の審判により過ぎ去り、そのことがまた、以下の記事から明らかなように、『竜は投げ落とされて、天には最早彼の所は見出されなかった』により意味されているからである。『竜』により意味され、新しい教会の真理と戦おうとしている誤謬のいかようなものであるかは、前に見ることができよう(537番)。『ミカエル』によりいかような首天使も意味されず、『ガブリエルとラファエル』によっても意味されないで、天界における職能が意味され、『ミカエル』により意味されている職能は、主が天と地の神であられ、父なる神と主とは、霊魂と身体とが一つであるように、一人であられ、人間は十戒の戒めに従って生きなくてはならず、その戒めに従って生きるとき、仁慈と信仰とを得ることを聖言から確認する者たちにより遂行されている。ミカエルはまたダニエル書(10・13、21、12・1)に記され、彼により、9、10、11章から明らかなように、また12章の最後の節から明らかなように、同じような職能が意味されている。しかし『ガブリエル』により、エホバが世に来られて、そこで取られた人間的なものが神の子であり、神的なものであることを聖言から教える者たちの職能が意味され、そうした理由から、そのことをマリヤに告げた天使はガブリエルと呼ばれている(ルカ1・19、26−35)。そうした職能に当っている者たちもまた天界では『ミカエル』、『ガブリエル』と呼ばれている。『天使』により、その最高の意義では、主が意味され、それに関連した意義では、天使たちの天界が、同じくまた天使たちの社会が意味されているが―そのことは前に見ることが出来よう(5、65、258、342、344、415、465番)―しかしここでは、天使たちの名が記されているため、職能が意味されており、ダニエル書には、ミカエルは『君』と呼ばれていて、聖言では『君』により主要な真理が意味され、『主』によっては、真理そのものが意味されている(20番)。

 

 

 

 

3.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P212

88・5・4

 

ここにイエスが毎日祈るように勧めておられる二つ目の祈りがあります。

 

 

大天使ミカエルに向う祈り

 

大天使ミカエル、戦いにおいて我らを護り

悪魔の兇悪なる謀計に勝たしめ給え。

天主のかれに命を下し給わんことを伏して願い奉る。

ああ 天軍の総帥、霊魂をそこなわんとて

この世を徘徊するサタン及びその他の悪魔を、

天主の御力によりて地獄に閉じ込め給え。

アーメン。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P40

‘88・9・29 ラファエル? ガブリエルとミカエルの祝日

 

至高者に栄光、(聖ミカエルに祈ったのです)あなたを死者の中から甦らせて下さった。 いつもサタンに警戒していなさい、主の御前で潜心しているように。 私に向かって祈りなさい。

 

聖ミカエルの祈りは悪霊を追い払う祈りですか?

 

そうです、神に造られた者たちがこの祈りを通してどのように悪と戦うことができるかを知ったなら、毎日唱えるでしょう。いつも主のお言葉に心を開いていなさい、永遠の御方はあなたを愛しておられます、主に讃美!

 

ああ、聖ミカエル、私たちを守り、戦って下さってありがとう。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/8巻P201

‘96・7・17

 

そして楽園があなたの住まいとなる。 今すぐ私のもとに来なさい そうするならその貧しさを通して、あなたを豊かにする。 その弱さを通して、強くする。 そのみじめさを通して、熱意ある忠実な者とする。 無なるあなたをもって、聖なる私ども三位一体の 生ける祭壇とする。 畏敬にうち震えながら私のもとに来なさい そうするならあなたを 今の時代に 恐れ知らずの勇士として、聖ミカエルとその軍勢(*)とともにこの時代の大いなる戦いを戦わせる。 ― 私は あなたのうちなる絶え間ない祈り 欠けているところを、満たす者、貧しく 単純な者たちの手には いつでも届く。 来て 私を捕らえなさい・・・・来て 私を所有しなさい そうするならあなたを聖性(*1)のうちに形造り 計りがたい賜を与える、こうしてあなたを私ども(*2)の一部として一致させ 聖所を廃墟から再建しに遣わす。 ― 砂漠からやって来た者たちよ、私の深い水に足を踏み入れなさい そうするなら波をかぶって生き返ろう。 私をこわがらないように、乾いた土地を 私が海に変えると、我が友よ、聞いていたであろう?

 

  同時に:「天使たち」とも聞こえました。  *1同時に「神性」とも聞こえました。 *2聖三位。

 

 

 

 

4.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ヴァルトルタ/「手記」抜粋/天使館/P79

‘44.1.25

 

マリアよ、しかし、を垣間見るために目覚めさせられ、導かれる必要のある人びとに、その様々な顕示によって、わたしの神性を広める役割のために貴女を選んだのだから、貴女が見ていることを繰り返すに当っては、極度に用意周到であることを思い出しなさい。どんなくだらない一句にも或る価値があるし、しかも貴女の一句ではなく、わたしの一句なのだ。だからそれをあなたが押さえておくのは正当ではない。不誠実であり利己的だといえよう。貴女は、皆がその水を汲みに来るためにそこに流れ込む神聖な水の貯水槽だということを思い出しなさい。