黄金時代

 

 

 

 

 

 

天界の秘義10355[2]

最古代では人間は、天界の事柄または永遠の生命に属した事柄については、天界の天使たちと直接に交わることにより知らされたのである、なぜならそのとき天界は教会の人間とは一つのものとなって活動したからである、なぜなら天界はかれらの内なる人を通してその外なる人の中へ流れ入り、そこからかれらは明るくされ、認識したのみでなく、また天使たちと話しもしたからである。人間はそのとき主に対する愛の全の中にいたため、この時代は黄金時代と呼ばれたのである、なぜなら『金』はこの善を意味しているからである。

 

 

[3]その後天界の事柄と永遠の生命の事柄については相応したものと表象しているものとにより教えられたが、その相応したものと表象しているものの知識は天界の天使たちと直接に交わっていた最古代の人間から得られたのである。この相応したものと表象しているもとの中へ天界はそのとき人間のもとに流れ入って、かれらを明るくしたのである。なぜなら相応しているものと表象しているものとは天界の事柄の外なる物であり、人間が当時愛の、また仁慈の善の中にいる度に応じて明るくされたからである。なぜなら天界から発する神的な流入はことごとく人間における善へ注がれ、善を通して諸真理へ注がれるからであり、当時教会の人間は霊的な善の中にいて、その善はその本質では真理であるため、それでその時代は銀時代と呼ばれたのである、なぜなら『銀』はそうした善を意味しているからである。

 

[4]しかし相応しているものと表象しているものとの科学が魔法に変わったとき、その教会は死滅し、第三の教会がそれに続いて起り、その教会では実際礼拝はほとんど凡て同じような行事により守られはしたが、しかしなおその行事の意味することは知られはしなかった。この教会はイスラエルとユダ民族のもとに設立されたのである。しかし天界の事柄、または永遠の生命の事柄については、この教会の人間にその内部に流入し、かくて明るくすることにより、教えることは不可能であったため、それで天界から天使たちがかれらの中の或る者と生きた声をもって語り、かれらに外なる事柄について教えはしたが、しかし内なる事柄については、殆ど教えはしなかったのである、それはかれらはその内なる事柄を把握することができなかったためである。自然的な善の中にいた者たちはその者たちに教えられた事柄を恭々しく受け入れたのであり、その者たちに因んでこの時代は銅[真ちゅう]時代と呼ばれたのである、なぜなら『銅[真ちゅう]』はそうした善を意味しているからである。

 

 

[5]しかし自然的な善さえもその教会の人間のもとに残らなくなったとき、主は世に来られて、諸天界と諸々の地獄の凡ゆるものを秩序づけられたが、そのことは、人間が主から天界を経て流入を受け、明るくされ、地獄が妨害し、暗闇を注ぎ入れることができなくなるようにとの目的のためであった。かくて基督教会と呼ばれる第四の教会が始まったのである。この教会では天界の事柄については、または永遠の生命の事柄については、かれらはもっぱら聖言により教えられたのである。聖言により人間は流入を受け、明るくされるのである、なぜなら聖言は天界の事柄を意味しているところの相応したものそのものにより、また表象しているものそのものにより記されているからである。この相応しているものと表象しているものの中へ天界の天使たちは教会の人間が聖言を読んでいるとき入って来るのであり、従って聖言を通して天界と教会とが連結し、または天界の天使たちが教会の人間と連結するが、しかし愛の、また仁慈の善の中にいる教会内の者たちとのみ連結するのである。しかしこの教会の人間もまたこの善を消滅させてしまったため、それでかれもまたいかような流入によっても流入から明るくされることによっては、若干の真理を除いては、いかような真理についても教えられることはできないのであり、その教えられる若干の真理さえも善とも密着はしてはいないのである。それゆえこの時代は鉄と呼ばれるものである、なぜなら『鉄』は秩序の究極的なものにおける真理を意味しているからである。しかし真理がこうした性質のものとなると、そのときはそれはダニエル書に記されている底のものとなるのである―

 

あなたが鉄の泥のねば土と混ざっているのを見たように、それらは人間の種[精]により自らを混合するであろう、しかし鉄がねば土と混合しないように、それらは互いに密着はしないであろう(2・43)。