耳を塞ぐ者は災い

ファリサイ派再臨光の子識別

多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが(マタイ13・17)

わたしの羊はわたしの声を聞き分ける(ヨハネ10・27)

 

1.聖書

2.スウェーデンボルグ

3.マリア・ワルトルタ

4.ヴァッスーラ

 

 

1.聖書

 

ルカ18・6−8

 

それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

 

天界の秘義9807[]

 

人の子が来るとき、かれは地上に信仰を見るでしょうか(ルカ18・8)。

 

すなわち、真理の神的なものが天界から啓示されるとき、それは信じられないであろう。ここの『人の子』もまた真理の神的なものを、すなわち、主から発出している真理の神的なものを意味しているのである。『主が来られること』は教会の終わりにおける真理の神的なものの啓示を意味している。

 

 

黙示録講解624ロ(7)

 

同書に―

 

多くの予言者と義しい人とはあなたらが見ているものを見ようと望んだが、見はしていない、あなたらが聞くことを聞こうと欲したが、聞いてはいないのでる(マタイ13・17)

 

『予言者と義しい人』は霊的な意味においては教義の諸真理の中におり、諸真理に従って生命の善の中にいる凡ての者を意味し、『見、聞くこと』は理解し、認めることを、ここでは主から発出している内的諸真理を理解し、認めることを意味している、なぜなら人間はこれらのものを理解し、認め、また行うときは、かれは改良されるからである。主から発出している内的諸真理が意味されているのは、主は、世におられたとき、そうした諸真理を明らさまに示されたためである。文字の意味においては、このことは主を見、聞くことを意味しているが、しかし主は天界における、また教会における神的真理そのものであられるように、その結果神的諸真理はことごとく主から発出しており、主御自身はそれらを教えられ、絶えず聖言により教えられているように、『主を見、聞くこと』はそれらのものを理解し、認めることを意味している。

 

 

 

真の基督教380

 

これは如何なるサタンも聖言から真理を聞くに堪えず、実にイエスの御名をすら聞くに堪え得ないからである。もし、これを聞くならば、彼らは狂暴になり、彼方此方と駈け廻って、涜言を吐き散らし、そのとき、もし、天界から光が射し入るならば、彼らは暗い洞穴に飛び込み、そこで地下室で鼠を狩り立てる猫、あるいは梟の光によって見るのである。かくのごときが情と智とをもって主の神性と聖言の聖さとを否定するすべての者たちの死後の運命である。またこれが彼らの外なる人が如何に偽善を行い、基督教徒らしく佯り装うとも、その内なる人の状態である。私はこれを見、かつ聞いている故、それが真理であることを知っている。

 

 

 

 

3.マリア・ワルトルタ

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P58

 

 しかし彼らは私を憎んでいます。私はこの世にとって一つの“危険”だからです。世間の偽り、欲望、暴力に対する危険そのものだからです。私は光で世間を照らすが、世間は光を愛しません。光は世間の俗悪さを、はっきり見せつけるから、世間は私を愛さない・・・私を愛することはできません。私が人間の心に打ち勝つために、つまり、人間を迷わせる闇の王に打ち勝つために来たと知っているからです。世間は私が医者であり、薬であることを認めようとせず、治療を拒んで狂ったように私を殺したいのです。

世間は私が主であるということに納得しない。私の言うことが世間の常識に背いているからです。そのために世間は、罪悪である自分の本性をあばこうとする私の声を、神の声を、押しつぶそうとしています。私と世間との間には、淵があります。それは私の責任ではありません。私はこの世に光と道を、真理と命を与えるために来たのに、世間は私を迎えようとしない。私の光は、その世間にとって闇に変わる。それは私を望まない人々の罰になるからです。

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P98

 

 しかし、善について語る御言葉の声を始めとして、世紀を通じて孤立した声を受け入れなかったように人々は聞く耳をもたず、常にもたないであろう―わたしの刻印を捺された人々、わたしに従った愛する友人たちを除いて―多くの霊魂たちの声、諸国民を光へ、とりわけわたし永遠の御言葉へと導くため、新しい讃歌を歌うであろう多くの水のせせらぎに似た声を聞く耳をもたないだろう。平和の最終的な試みが終息するとき、サタンはこれが最後とやって来て、大地の四隅にその信奉者たちを見出すだろう。彼らの数は浜の真砂よりもおびただしいだろう。

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P146

 

 その息が続く間だけ持続するあの動物のもつ命の他は何も無いがゆえに、この獣に優らぬ多くの人間たちがいる。のために創られた霊魂は死に絶えている。したがって、霊魂で生きる代わりに鼻孔で息をしているだけの人間たちがいる、と言うのは正しい。彼らからは霊的に遠のいている方がよろしい。サタンの息と、彼らから出る獣性があなたたちの人間性に触れないように、またそれがあなたたちを彼らに似た者としないように。

 

あなたたち、祝福された者よ、彼らのために祈りさない。それは愛徳の行為だ。それだけで充分だ。御言葉に対して自分を閉じている者に言葉は役に立たない。また、怒り狂う獣のような鼻孔からその横暴と傲慢を燻(くゆ)らせ、吹きつける者たちを最高だと思ってはならない。最高なのは生きた霊魂の所有者、すなわちの子のみである。その他の者は惨めなもので、見かけ倒しの高さは大崩壊に運命づけられており、その記憶はスキャンダルと恐怖の記憶としてしか残らない。

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/7卷下P188/493・4

 

神も人間に知性と意識という番人を与えました。そして、人間の霊魂が意識的にも、無意識的にも堕落することがないよう、戒律と、天使の助言によって保護を与えました。しかし、人間は良心や知性が堕落すると、天からの啓示に耳を貸しません。まるで井戸の見張りから離れる番人、垣根を取り外す狂人のように、掟を踏みにじります。悪魔のような敵、この世と肉への欲、誘惑へと、地所を開け渡すことになります。それらの誘惑に負けないよう、用心して退けなければならないのですが。

 

 

 

 

4.ヴァッスーラ

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P17

‘87・10・22

 

非常に悲しいことに 耳を塞いでしまう人たちもいる! 聞くことを拒む人たちをこのたびは容赦しない

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P18

‘87・10・23

 

今朝は、ファリサイ派の人びとが決して主を信じようとしなかった時、イエスはどうお感じになったでしょう、と思っていました。そして、まことに神の子であると説得するのは、どんなに困難だったかと。主はいかに誤解されていらしたか、あの時代にそんなことがあり得ることを理解するのは、人間の能力を越えていたのです。そのような奇跡を、どうしても呑み込むことができず、受け入れられなかったのです。

 

♡ そして今でも 我がメッセージを完全に理解し また信じる人がどれほどいるであろうか?

 

かなりたくさんおります、信じない人よりは多いと思います。

 

教えてほしい、メッセージに耳を傾け完全に信じて理解する人たちの中で、どちらの数のほうが多いか? 私の羊たち、それとも仔羊たち(*)か? どちらのほうに聞く用意があるか?

    羊:聖職者。 仔羊:一般の人。

 

今までに経験した感じでは、あなたの仔羊たちのほうが、聞く耳をもっています。

 

今日は昨日と同じようだ、 ♡ 娘よ 時代は変わっていない。 ♡ 今日は昨日と同じようだ ♡ 肉のうちに地上にいた時と、新たな預言者として信じた者もいた、ほんのわずかな人しか救世主として信じようとしなかった、ファリサイ派の者たちは聞くなり急いで 冒涜の罪を犯したと言って石殺しにしようとした、そして今 ヴァッスーラ、人が何を信じるかで なぜ驚いたりするか? あなたは私から遣わされ 今日は平和と愛のメッセージを担う者としてあなたを送り出している、私は教会を一致させに来た、しかし今日も昨日と変わっていない ♡ 言っておくが。権威者たちは当惑し 多くの人はこのメッセージが私からじきじきに降っていることを完全には信じようとしないであろう、あなたは馬鹿にもされる。 不躾にじろじろと見る人たちもいれば、煩わしがって一分たりとも耳をかそうとしない者もいるであろう、メッセージを誤解する者も出てくる、またもや彼らの知恵を超えたものだから ♡ 私はやって来た、心を手に乗せ これを与えに、慈しみに満ちて、弱くみじめなあなたを我が道具として用い、あなたを通して私自身を現し 地上に降り 一致させに来た、しかし真に言う、我が愛するヨハネス(*)の霊感をよく調べたなら、すべて私から出たものだが、時の近いことを理解するであろう、彼の言葉を追い求めなさい、その預言は全て真に私から出ている。 小さな者よ、私がどう行うかを皆で見ているように ♡

 *故ヨハネス二十三世『わが祈りの日々』のことを指す(訳者)。

 

わが神 そして愛するお父さま、 ときどき拒絶や嘲り、無視、拒否反応に直面するのが恐いのです、これが真にあなたからだと信じますから。無限の慈しみと愛ゆえに あなたが降ってこられ 再び助けて下さると、本気で信じたなら、どんなにか大きな喜びをいただくことでしょうに、私たちを一致させ!! 贖い!! 教会を刷新するために来られたと!

 

我が形見よ、恐れることはない。 あなたを嘲るなら、私を嘲っているのだ、拒むなら、私を拒んだことになる、あなたにすることはすべて、私にしたことになる(*)

 *神は私の全ての悲しみと苦しみを分かち合っておられるのを思い出させて下さり、それは私にとっての慰めです。

 

♡ そのように識別できるあなたの霊魂は幸せ、なぜなら 私が高く評価している多くの霊魂も、あなたのように識別したいと思いながらできなかった、聞きたくても、感じたくても、決してそのようにできなかった ♡ ヴァッスーラ 我が恵みがあなたの上にある ♡

 

お父さま、創造された中で最もみじめな者に目をかけ そのようなすべての恵みを注いで下さいましたことを讃美します。私の上に輝いておられる全能の神に 栄光がありますように。

 

♡ 近くに寄り添っていなさい、まだこれからも多くの試練に直面するであろう ♡ 「私たち」?

 

はい主よ、「私たち」。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P80

‘87・12・23

 

わが神よ、プロテスタントの人たちにはショックでしょう!(私はまだそのことを思っていました。)

 

♡ ヴァッスーラ 私は彼らが変わるように何年も待っていた、もうこの願いを自由に書き下ろさせてもらいたい ♡

 

でも ショックでしょう!

 

無礼と感じるであろう ♡ 聞きなさい。 都合のよい時しか私の言葉を聞かないで、自分に合わない時は耳を塞ぐことができようか?

 

この全てを頭から否定するでしょう! 部分的に選ぶわけにはいかないのですから。―これがあなたからではないと主張します。

 

もしそうするなら 私を神として否定することになる ♡

 

主よ、これは彼らにとっては きついことだと敢えて言わせて下さい。あなたを否定しているとは感じないでしょうし、結局はあなたを愛し、主として本当に礼拝しているのですから 主よ。

 

ヴァッスーラ 私はあなた方皆を一致させに来た ジェームズ神父は私の訴えを拒むであろうか?(*) そうはしない、私の弟子なら誰であろうと私の訴えを拒まないであろう?

  ジェームズ神父を誠実の模範となさっています。

 

はい、誠実なら、主よ。

 

あなたのくれたこの言葉で、すべては言い尽くされた。 「誠実なら」、耳を貸すであろう ♡♡♡ 一致を可能とするよう 皆の上に輝き 光を与えに来た、しかし ヴァッスーラ 非常に悲しいことに 光よりも闇を好む者がいるであろう その行為が悪に染まっているため、自分たちの行為が露にされるのを恐れて光のもとに来るのを拒む、しかし献身的な者たち 私のわざを真実に認め 従う者たちは 我が光のもとにやって来て 恐れなく自分の行為を表す、神である私のうちに行われた行為だと証して みことばのうちに住む人は、確かに私の弟子となり、真理を知り 真理はあなたを自由にすると私は言った、そしてこのたびは、こう言う:もし今日の我が言葉を認めるなら、確かに私の弟子となる、真理にたいする誠実さを学び 真理はあなたを自由にし 愛のうちの一致を可能とさせ 私に栄光を与えよう ♡ 私は手に我が心をのせ、与えようと、皆のところにやって来た、しかし訴えても多くの者は私を拒む、神として認めてはくれない 心を頑なにして もし私を愛するなら訴えに耳をかすはずであり、聞くのを拒むのは、もう子として私のものではないから、彼らの知恵が盲(めしい)にさせてしまった、しかし真に言う、私の羊たちは声を聞き分け、私の声を聞き分けない者たちは私の羊ではなく 我が全能を信じていない 私の仔羊がなぜ散らされ 私のからだが不具であるかを知っているか、教会の中になぜ不調和があるか知っているか? 夜導く灯を持たないで歩いていたからだ ♡ 光である私を探し求めなさい そうするならあなた方を導く、偽善と頑なさを捨て去り、柔和 謙遜であるように、心を開いて 私のいのちの雫に満たされなさい、私は良い羊飼いで あなた方を愛している ♡♡♡ ヴァッスーラ 私に話しかけなさい、聖なる仲間として接してくれるように ♡ 

 

そういたします わが神、お愛しします 主よ、み名を讃えたいと願っています 主よ。

 

♡ 愛する者よ 私は 我が名に栄光を帰した そして再びそうする、私の支配は永遠に続く、 ♡ 来なさい、勇気を 娘よ、ともにいる ♡♡

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P30

‘88・9・14 十字架崇敬の祝日

 

イエス?

 

♡ 私です、我が声を聞きなさい、この荒野に大声で呼びかけている、聞く者は皆高く上げ その罪は流れる水のように 洗い流され 忘れられよう ♡ 耳を塞ぐ者は災い! しかし悲しいかな! あなた方の多くは過ちを犯しながら 道である私の声を聞こうとしない、あなた方は私を見捨て、もうあまりにも長く、サタンの煙だけを吸い込んで、誤りを犯している。 そして私の名は もう無意味となり、地上のあなた方は影のような存在である、しかも、サタンに助けられ、その極悪さから 真実をねじ曲げた。 進化論によって 私を見えなくさせた。 私は非常に多くの警告を与え、この日々を予告し、計り知れない慈しみにより 印を示してきた、しかし、あなた方は我が慈しみに対し 目を閉じるほうを選んだ。 道案内人よ! みことばを知り 私に仕え 時の終わりが見えていて、それが迫っていると気づいていながら、人の前で名誉を先におき、全くの臆病さから あなたに示す恵みを傍観している、理解しようと願って 我が譬えの隠された奥義を もう一度調べなさい、知識をより深く悟るよう 理解の霊を乞い求めなさいと 厳かに言う。 日数も あなた方の寿命も数えられている、心を整え、敵が目においたこの覆いを 取り除きなさい、なぜなら、虚栄心が残る限り、罪悪の責任も残るからだ、身を低くし 私のやり方を受け入れなさい、この荒野で悶えながら叫ぶ 私の声に応えてほしい(*) ♡

  イエスがこう言われた時、私にもお苦しみを味わうようにされました。イエスは非常にお苦しみです・・・

 

来なさい 我が子よ、私によりかかっていなさい、ともに・・・ ともに、苦しみを分かち合おう、

 

はい わが主よ、分かち合いたいです

 

「私たち」

 

永遠に ♡

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P31

‘88・9・15 悲しみの聖母の祝日

 

主よ?

 

私です、

 

どうして多くの聖職者たちは、最近お与え下さっている憐れみ深い印が分からないのでしょう? 主よ、なんて皆が言っているか、ご存じですか? これを本当の信仰ではないと、言い換えると:「印がなくても、すでに私たちは改心している、だから印など私たちは要らない、だから神よ、もうこれで私たちは沢山です、こういった特別なことには興味がないのです」と。顔を地に伏せ ひれ伏して、「限りない慈しみにより神に栄光! 主に讃美! 真に聖書を成就されています!」と主に叫んで言うかわりに。本当の信仰といっても、聖霊を追いやってしまったら何になるでしょう? 彼らの議論はこうです:「イエスがトマに、<見ないで信じた者は幸い・・・>と言われたではないですか」と。聖書では:「決して霊を抑えてはならない、預言の賜物を軽くあしらうことも許されない」とも書かれてあるのを忘れたのでしょうか。― そして聖霊は気ままに吹かれます・・・― この人びとが議論する時、実はあなたと議論しているのだと気がついていないようです、わが主よ。

 

我が子よ、諸国民に向かって大声で叫びなさい 皆に聞こえるように、叫びなさい!:「あなた方の神はここです! 神はともにおられ、決して見捨てられたのではなく、牧者として 群れを養い み腕の中に仔羊を集めに来られました、み国が近いからです」と。 私の小さな群れを養い、大きな愛をもって 皆を集めよう、我が腕の中に。

 

彼らはあなたの印には関心がなく、それについて聞いてもファイルに閉じてしまいます。印をおやめになるようにと言いたげです。

 

誰の助言も私は必要としない、こういった助言者は一人もいらない、その知恵は私にとって恥ずべきもの、あなた方を測り 養えないとでもいうのか? 悲しいかな! 我が霊を喜んで迎える者は ほんの一握りに過ぎない。 私に反対する精神を持てば裏切ることになると理解しているだろうか? そして裏切るなら真理を見落とすと ♡ 陶土は陶芸家に、「何を作っているか」と尋ねるだろうか? 霊の与えるものを謙虚に受けなさい、我がわざとその神秘を受け入れて、今の時代に印を増やしているのは、私の意思による そこで聖霊の賜るものを 歓んで受け取りなさい、背を向けるかわりに 喜んで感謝しなさい、顔を向け、私だと気づきなさい! 我が霊を抑えてしまわないように、むしろ喜んで迎え入れなさい! 我が霊を抑えてしまう者たちは災い、あなた方 目の見えない案内人は災い、虚栄心でふくれ上がり、我が聖なる教会を荒廃させてしまった! 自らを調べ 真実を求め 真の信仰に立っているかを確かめなさい! 祭壇よ! 私、主は最後まで あなたの炎を燃え立たせておく、我がわざはまだ完了していない、さあ来なさい、「私たち」?

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P123

‘00・9・28

 

英知によって建てられ、尊い聖血で買い取られた家があった。 突然 サタンが復讐に立ち上がって それを壊そうとした。「この破壊のわざを行うために誰を送ろうか? もちろん、野獣とその手下を送って 破壊し 分裂させ、聖なるものを瀆(けが)して取り壊そう・・・」

 

災禍が訪れたとき、私が救い出しに来た、しかし教会の高官たちは、誰も まじめに、聞こうとはしなかった。「それは単なる 個人的啓示にすぎない、耳をかさなくともよい。」彼らはこう言った。

 

私の声を隠すのは 大罪。 私をとことん篩(ふる)いにかけて こと細かく調べるのは 私の眼差しには 忌むべき罪。 あなたの猜疑心は いつの日かこう言うだろう、「しかしごらん下さい、私たちは知りませんでした。」実に 私の慈悲に あなたは背いた。我が慈悲に背いただけでなく、その懐疑によって、悪の力に地歩を与え 我が独り子が自らの尊い聖血で 買い取った家を荒廃させた。 そして何と!その猜疑心を正当化するために 我が言葉を何と巧みにあやつることか!

 

私の玉座を あなた方は奪ったことに気づかないのか? 人類全体の敵になろうとしているのが分かっているのか? 我が預言者たちを通して与えている言葉の価値を阻害し 減じているあなた方は 預言者たちが私の意思を我が民に宣言し 我が独り子の家を一つに集めて 一致させる障害となっているではないか?

 

「ヴィジョンがなければ 民は堕落する。 教えを守る人びとは 幸い。」(*)

 

*箴言の書29・18。「ヴィジョン」とは恐らく預言の賜、「教え」とは預言者たちの教え、あるいは掟のことでしょう・・・

 

  あなたにこう呼ばわった方のために 祈っています:

  「太陽のもとに費やした

 あらゆる努力に絶望し果てた・・・」

 

では こう彼に言う、「あなたの労苦は 無駄とはならない。 重い罪であるこの分裂を 私は喜んでいない、だが一致の実現は手が届かなくはない。」 たくさんの歪んだ言葉が 多くの心から発せられよう、しかしその間 私も呼びかけているではないか? 気落ちしたときは、私のほうを向きなさい・・・

 

「私の僕たちは み言葉をもって形造られる」と我が霊は ダビデに語った。 そして彼らの話と口にする言葉によって あなたは彼らを見分けよう。 この時代は やせ衰えている、そこで これほどの背教に私が介入しないでいられようか? 略奪者が 聖書を好き勝手にして、私どものぶどう畑を荒廃させている それはあなたも知っていよう。 わたしは介入しないでいられようか? 見よ! 我がアベルたちは 沙漠で嘆き悲しんでいる。 どの預言者をも迫害する、エルサレムの、頑な心に 我が独り子が激しく泣いたように 我が平和の使者たちも あなた方の頑な心に 激しく泣いている・・・

 

  いつまでですか、主よ?

 

彼らがこう叫ぶようになるまで:

「主の名によって来られる者に 祝福があるように!」と(*)

 

 *マタイ福音書23・39

 

そしてあなたには、ヴァッスーラ、言っておく、あなたを形造り あなたを通してほかの者たちをも形造った我が言葉を忘れず 大切にするなら 私はあなたのうちに悦びを見いだす。 我が計り知れない宝と 我が言葉の驚くべき不思議を 観想できるよう 目を見開いていなさい。 私の栄光を 観想することは、我がヴァッスーラ、あらゆる神学にまさると 言ってきた。 ああ、この世で 神のうちに分け入り その現存をたのしむ以上のことがあろうか?至高の神なる、私を見る以上に 素晴らしいことがこの世にあろうか? 荘厳と権威をまとう者が あなたに語りかけている。 私は超越し 栄光の高みで君臨するゆえ永久に眼差しを高くあげていなさい そうするなら救われよう。

 

今の世代に このことを教えつづけるのです。 行って 私のわざを宣べ伝えなさい この世代が私に心を開き、私もまた、この世代に向って美徳の門を 開けるよう。 教会を護る羊飼いに叫んで こう尋ねなさい、「私たちの主の甘美と全善を どなたか 味わった方はいらっしゃいますか? 教会に 神の知識に秀でた方が どなたかいらっしゃいますか?」

もし最初の質問に「はい」と答え 二つ目の質問に「いない」と答えるなら、では、どうして私を迫害するのか? 私が懇願すると あなた方は非難した。 私はあなた方の上に慈しみを輝かせながら 訪れた、しかしあなた方が私に差し出したのは 尊大さと敵意だった。 私は扉を叩いたが、あなたは戸を開けないばかりか 窓の錠がかかっているかどうかを確かめた。 あなた方は主に いかなる場所も割(さ)かなかった。我が集会でしたあなた方の説教や 私に捧げた流れるような言葉を 私は今讃えるべきか? これらの言葉はすべて空の空であるがゆえ。 あなたは 何の目的に仕えているのか? 病いに倒れないうちに 身を低くしなさい。 我が言葉を あなたの教育係り、助言者 そして悦びとしなさい。

そうするなら 生きよう・・・