わたしの羊はわたしの声を聞き分ける

ヨハネ10・27

 

主は聖言を通して語られる識別

あなたがたは、何が正しいかを、どうして自分で判断しないのか(ルカ12・57)

善の中にいる者・善の中にいない者

『然り、然り』『否、否』とのみ言いなさい(マタイ5・37)

 

 

 

 

1.聖書

2.スウェーデンボルグ

3.マリア・ワルトルタ

4.ヴァッスーラ

 

 

 

1.聖書

 

 

ヨハネ8・43−47

 

わたしの言っていることが、なぜ分からないのか。それは、わたしの言葉を聞くことができないからだ。あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。しかし、わたしが真理を語るから、あなたたちはわたしを信じない。あなたたちのうち、いったいだれが、わたしに罪があると責めることができるのか。わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか。神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。

 

 

 

ヨハネ10・26−28

 

わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。

 

 

 

 

ヨハネ3・29−30

 

花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。

 

 

 

ヨハネ7・17−18

 

この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。 自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。

 

 

 

 

ヨハネ8・45−47

 

 しかし、わたしが真理を語るから、あなたたちはわたしを信じない。 あなたたちのうち、いったいだれが、わたしに罪があると責めることができるのか。 わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか。 神に属する者は神の言葉を聞く。 あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。

 

 

 

ヨハネ18・37

 

真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。

 

 

 

Tテサロニケ5・20−21

 

預言を軽んじてはいけません。
すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。

 

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

 

黙示録講解261(2)

 

 ヨハネ伝には―

 

 その者は羊の羊飼い〔牧者〕である、その者に門番は開き、羊はその者の声を聞く。他の者〔見知らぬ者〕には彼らはついて行かない、彼らは見知らぬ者らの声を知らないからである。わたしは他の羊を持っている、それらはこの囲いのものではない。彼らもまたわたしは連れて来なくてはならない、彼らはわたしの声を聞くであろう。しかし、あなたらはわたしの羊のものではない、わたしの羊はわたしの声を聞く、わたしは彼らを知り、彼らはわたしに従う(ヨハネ10・2−5、16、26、27)。

 

『羊』は聖言では善から真理の中にいる者たちを、かくて仁慈から信仰の中にいる者たちを意味し、ここの『声』は声を意味しないで、神的真理であるところの、発出している神的なものを意味している。これは仁慈の善の中にいる者たちのもとに流れ入って、その者たちに理知を与え、その者たちが善の中にいる限り、その者たちに知恵を与え、理知は真理のものであり、知恵は善から発した真理のものである。

 

 

 

 

啓示による黙示録解説621

 

「これらは小羊が行かれる所には何処へでも小羊に従って行く者たちである」は、彼らは主の戒めに従って生きているために、主に対する愛と信仰とを通して主と連結していることを意味している。これがその意義であることは、主の以下の御言葉から明白である―

 

 わたしの戒めを行う者はわたしを愛する者である、わたしはその者を愛して、その者のもとへ来て、そのもとに住むであろう(ヨハネ14・20−23)。

 

また他の所には―

 

 羊の羊飼いは、その者自身の羊を出すと、その前に行き、羊はその後について行く、彼らはその声を知っているからである、わたしの羊はわたしの声を聞き、わたしは彼らを知り、彼らはわたしについてくる(ヨハネ10・4、5、27)。

 

 

 

 

天界の秘義6806

 

「神は知られた」(出エジプト2・25)。

 

これは主が仁慈を与えられたことを意味していることは、『知ること』の意義から明白であり、それは神、すなわち主について述べられているときは、仁慈を与えることである、なぜなら主を人間に連結させ、また主を人間のもとに現存させ、従って、主に人間を知らさせるものは仁慈であるからである。主は実に宇宙の凡てのものを知られてはいるが、しかし愛と仁慈との善の中にいる者をのぞいては、父がその息子を知るようには知られはしないのである。

 

 

 

 

天界の秘義6806[]

 

それで主は善の中にいる者たちについては以下のように言われ、彼らをその『羊』と呼ばれているのである―

 

わたしは善い羊飼いである、わたしはわたしの者たちを知り、またわたしの者たちからも知られている。わたしの羊はわたしの声を聞く。わたしは彼らを知り、彼らはわたしについてくる(ヨハネ10・14,27)。

 

しかし悪の中にいる者らについては、主は以下の記事で、自分は『彼らを知らない』と言われている―

 

多くの者はその日わたしに言うであろう、主よ、主よ、わたしたちはあなたの名を通して予言したではありませんか、あなたの名を通して魔鬼どもを追い出したではありませんか、あなたの御名において多くの力ある業を為したではありませんか。しかしそのときわたしは彼らにはっきりと言おう、わたしはあなたらを知らない、不法を働く者らよ、わたしのもとから去りなさい、と(マタイ7・22,23)。

 

 

 

 

天界の秘義6806[]

 

『知ること』は連結を意味し、人間は主と連結している限り、主から『知られている』と言われている。主はまた連結していない者らを知られ、否、そうした各々の人間の中の極微な事柄そのものさえも知られているが(ヨハネ2・24,25)、しかしこれらの人間は悪の中にいるため、一種異なった種類の臨在に接しており、それはいわば主はその場におられはしないといったものであり、主はその場におられはしないことはないけれど、悪の中にいるその人間と霊とがその場にいないのであり、その時主は彼らを『知らない』と言われるのである。こうした事情に似たことが天使たちや霊たちの間に現れている、すなわち、生命の状態の方面で似ている者たちは互いに他の近くに現れ、かくて相互に他を知り合ってはいるが、しかし生命の状態の方面で似ていない者たちは遠く離れているように互いに相手に見え、同じく相互に他を知りもしていないのである。約言すると、他生では状態が類似していないことによってその場にいないように見え、また知られもしないのである。

 

 

 

 

2.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P244

 

私はこの世が偶像崇拝とならないように、何時までも話し続ける。そのために選んだ人々に、私のことばを繰り返せと言い残す。神の霊が話されるから、知恵ある者は、人間に理解できないことをも理解する。また学者は私のことば、構文、場所、道具などを研究するだろうが、“選ばれた人々”は、このような研究に時を費やさず、ただ愛に満たされて、みことばを聞く。

そして彼らは、話すのが愛であると理解するであろう。彼らは学者たちの美辞麗句、あるいは偽予言者、または自分で実行してもいない教えを教える偽教師の教えを、私から与えられる単純な真理のことばと区別できるだろう。世間は愛を行う彼らを憎むだろう。世間は光である私を憎み、光の子らを憎み、同時に自分の罪を受け入れてくれる闇を好んでいるからである。

私の羊たちは私を知る。未来の羊も私を知る。私が先達として歩む血と苦しみにも従い、私の後を歩む。それは人間の霊魂を知恵へ導く道である。それは正義を教え、世間とサタンの闇を照らし、探し求める人を道と、真理と、命へ導く血と涙の道である。霊魂は何よりも自分たちを命、真理、正しい道へ導いてくれる人を必要とする。

 

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P244

 

私の羊は愛を知り、私の声を聞き分ける。私の声を知るとは、どんなことか。天から来る真理の声を、偽りの預言者のいろいろな声の中から聞き分けられることだ。今だけではなく、何時までもそうだ。知恵に富むと言われる人々の中でも、神について話す声の中から、私の声を聞き分けられる人は少ないだろう。

 

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P317

 

『天の歌を聞かせる竪琴』、つまり愛の徳だけあれば足ります。人の心が愛に生きていれば、その心は静かで、神の声を聞き分け、それを悟ります。

 

 

 

 

3.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P80

‘87・12・23

 

わが神よ、プロテスタントの人たちにはショックでしょう!(私はまだそのことを思っていました。)

 

♡ ヴァッスーラ 私は彼らが変わるように何年も待っていた、もうこの願いを自由に書き下ろさせてもらいたい ♡

 

でも ショックでしょう!

 

無礼と感じるであろう ♡ 聞きなさい。 都合のよい時しか私の言葉を聞かないで、自分に合わない時は耳を塞ぐことができようか?

 

この全てを頭から否定するでしょう! 部分的に選ぶわけにはいかないのですから。―これがあなたからではないと主張します。

 

もしそうするなら 私を神として否定することになる ♡

 

主よ、これは彼らにとっては きついことだと敢えて言わせて下さい。あなたを否定しているとは感じないでしょうし、結局はあなたを愛し、主として本当に礼拝しているのですから 主よ。

 

ヴァッスーラ 私はあなた方皆を一致させに来た ジェームズ神父は私の訴えを拒むであろうか?(*) そうはしない、私の弟子なら誰であろうと私の訴えを拒まないであろう?

 

  ジェームズ神父を誠実の模範となさっています。

 

 

はい、誠実なら、主よ。

 

あなたのくれたこの言葉で、すべては言い尽くされた。 「誠実なら」、耳を貸すであろう ♡♡♡ 一致を可能とするよう 皆の上に輝き 光を与えに来た、しかし ヴァッスーラ 非常に悲しいことに 光よりも闇を好む者がいるであろう その行為が悪に染まっているため、自分たちの行為が露にされるのを恐れて光のもとに来るのを拒む、しかし献身的な者たち 私のわざを真実に認め 従う者たちは 我が光のもとにやって来て 恐れなく自分の行為を表す、神である私のうちに行われた行為だと証して みことばのうちに住む人は、確かに私の弟子となり、真理を知り 真理はあなたを自由にすると私は言った、そしてこのたびは、こう言う:もし今日の我が言葉を認めるなら、確かに私の弟子となる、真理にたいする誠実さを学び 真理はあなたを自由にし 愛のうちの一致を可能とさせ 私に栄光を与えよう ♡ 私は手に我が心をのせ、与えようと、皆のところにやって来た、しかし訴えても多くの者は私を拒む、神として認めてはくれない 心を頑なにして もし私を愛するなら訴えに耳をかすはずであり、聞くのを拒むのは、もう子として私のものではないから、彼らの知恵が盲(めしい)にさせてしまった、しかし真に言う、私の羊たちは声を聞き分け、私の声を聞き分けない者たちは私の羊ではなく 我が全能を信じていない 私の仔羊がなぜ散らされ 私のからだが不具であるかを知っているか、教会の中になぜ不調和があるか知っているか? 夜導く灯を持たないで歩いていたからだ ♡ 光である私を探し求めなさい そうするならあなた方を導く、偽善と頑なさを捨て去り、柔和 謙遜であるように、心を開いて 私のいのちの雫に満たされなさい、私は良い羊飼いで あなた方を愛している ♡♡♡ ヴァッスーラ 私に話しかけなさい、聖なる仲間として接してくれるように ♡ 

 

そういたします わが神、お愛しします 主よ、み名を讃えたいと願っています 主よ。

 

♡ 愛する者よ 私は 我が名に栄光を帰した そして再びそうする、私の支配は永遠に続く、 ♡ 来なさい、勇気を 娘よ、ともにいる ♡♡

 

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P83

‘87・12・26

 

私の声を聞き分けなさい、私の用いる道具に驚かないように ♡ 私はつまらない、無知な者 何も描かれていないカンバスを選んだ、これを覆う作品が私によるものだと 明らかとなるために、そしてこのたびは語っているのが神の愛する子、私イエスであることを信じるように ♡ 私の王国はあなた方のさ中に在る。 我がアベルたちよ、あなた方なら今度も私を見分けるであろう、ああ 愛する者たちよ どのように大切に思っているか! ♡ 間もなく私の計画を明らかにする ♡

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P85

‘87・12・28

 

ああ ヴァッスーラ! 我がアベルは このたびは生きる ♡ 誠実さは悪を取り除くであろう(*) みことばを広める者たちは幸い、私の声を聞き分ける羊は幸い、

 

 *「誠実さは悪を取り除くであろう」とはこうも言い換えられそうです、「アベルはカインに勝利する」と。

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P124

‘88・1・29

 

そうです ヴァッスーラ、(聖マリア)霊を込め 精神と力を込めて 神を愛するように、あなたを限りなく愛しておられます、そうです 子よ、いかに悪の手から救い出して下さったか 決して忘れないように、主は休まれません、扉から扉へとみ手に聖心を持って 霊魂がお声を聞くようにと望み 恋い焦がれながら、歩かれます、ああ、わずかな者しかお声を聞きません・・・

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P151

‘88・3・8

 

ペトロよ! 今まさにあなたの戸口に立っている。 私のからだに栄光を与えなさい、仔羊たちを一致させる、この群でない者にも呼びかけ、彼らは羊飼いの声を聞き分けよう、時がなくなり 私の再臨は今や非常に近い、愛は愛としてあなた方のところに戻って来て 地上の我が王国は天のみ国と同じようになる、義、愛と平和が あなた方被造物の上に天から降り注ぐであろうから!

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P60

‘89・12・6

 

♡ ああ 我が子よ! あなたの世代に謙遜が欠けているため わずかな人しか私の声を聞かないであろう。 弱い器を通して我が子たちに近づくたびに、私自身の者たち、私自身の者たちの多くは、我が声を覆い隠してしまう。 娘よ 彼らの賢明さは不賢明となっている 私の神的わざの果実を認めないで 信じようとしないために。 しかし以前にも言ったように、彼らは私の羊でないために信じない、私の羊は我が声を聴く、私は彼らを知っており 彼らも私を知っていて後について来る。 そこで彼らの場合これらの預言が成就している: 「終わりの時に、宗教を嘲る者たちが現れて、不信仰な欲望のままに生活するであろう。 彼らは分派を作り、この世のいのちだけに生き、霊を持たない者たちです(*)。♡」そして「あなたが生きているというのは名ばかりで、じつは死んでいる。」言っておくが、「目を覚ましなさい」「残りの者を力づけなさい:死にかけている。」彼らは死んでいるだけでなく倒れた今 天からのパンを我が子どもたちが食べるのを 阻止したがってもいる、私が彼らを治めているとも 望む者に我が恵みの霊を注いで人類の中の最も低い者を高く揚げるということも忘れている。 極悪のさ中 彼らは私を前にして戸を閉ざした。 この世代からすべての希望(のぞみ)を一掃し 我が天使たちを憤慨させる、ファリサイ派の人たちが私を地上であしらったと同じように 恵みの聖霊をあしらっている。 我がヴァッスーラ、我が霊魂に愛された者よ、勇気を出しなさい、教えてあげよう: 私の平和と愛の十字架を分かち合うように あなた方皆を(**)私の道筋においた。 

 

 

  ユダ書1・18−19

  *何らかの方法でこのメッセージをひろめることに加わっているすべての人びと。

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P79

 

91.2.24

イギリス、スコットランド、アイルランド旅行の前に。

 

我がヴァッスーラ、この句をそれぞれの国で最初に紹介しなさい(ヨハネ福音書10・14−16をイエスは示されました)

彼らにあなたを送っているのは私、主であると伝えなさい。私に属する羊たちは 我が声を聞こう。真理に立ち帰るよう 多くにとって知られていない道を 連れに訪れた。故郷へと、愛する者たちよ、道案内するために 愛の燃える火を持って訪れた。我が聖心はあなた方の憩い。

 

 

 

 

ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・7巻P17

‘93・6・30

 

♡ ヴァッスーラ、あなた方の司祭のために祈りなさい(*)。霊魂を引き上げ 私のうち、私の愛のうちに生きなさい。 私の愛を感じるように。 牧者が今日 呼びかけている。 失われて散らされた自分の羊たちを 牧者は今日探し求めている。 その声は多くに聞こえているが、皆が聞き分けてはいない(*1)、その声に憤慨する者たちさえいる。 私の者たちは皆 私のもとに戻ってくる。 私に属する羊たちは皆 声を聞いて 私の足音に歓喜する。 私の声を聞き分けない者たちは私の羊でない。 戻って来るまで檻の世話をするようにと 私は人を雇った、しかし立ち去ってほどなく、出て行ったばかりなのに 雇われ人たちは高い席を求めて 町に向った。 読まなかったか(*2)?

 「災いだ、羊を見捨てる無用の羊飼いたちは!」

 

 *ヨハネ福音書10・26  *ゼカリア書11・17

 

 

 

 

ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・7巻P144

‘94・7・22

 

主よ、弱い者を救い出し、この世のみじめな者たちを救ってください。

 

平安を。 あなたは恵みを得ている。 娘よ、心から私は絶え間なく 溜息がもれる。 小さな、みじめな者たちや心の無垢な者たちは 私の声を聞き分け 慰め主の慰め手となってくれた。皆のさ中には 忠実な−愛がいる しかし誰もが 私を見えてはいない。 私はこの(*)愛の讃歌に 心血を注いでいる、善人も悪人も、あなた方皆を愛するがゆえ 心のすべてを それぞれの讃歌に注いできた。

 

  「神のうちの真のいのち」。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/8巻P110

95,11,15

 

聖書ではこう言っています:「耳は言葉を聞き分け 口は食べ物を味わう。」(ヨブ記34・3)

どうして彼らには あなたのお声が分からないのでしょう、あなたの食べ物はどうして彼らにはありがたくも 美味しくもないのでしょうか? どうして私の場合はみことばでないと 拒まれるのでしょう? ユダヤ人たちが咎めだてて あなたを、イエスよ、神から送られ、神の独り子で あなたご自身が神だとは信じなかったときに、こうおっしゃいました:「私は、父から与えられた数多くの善いわざをあなたたちに示した。 その中のどのわざのために、石を投げつけて私を殺そうとするのか?・・・私が父のわざを行っていないなら、私を信じなくてもよい。しかし、行っているなら、たとえ私を信じなくても、わざを信じなさい。」

―ではどうして、主よ、み名によって成された御わざを見てくれないのでしょうか、これも証しとなるでしょうに?

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P68

‘00・2・12

 

そう この眠っている世代に 神がここに在(おわ)すと伝えなさい。 私のわざは崇高であり これらのメッセージの中で私の声を聞き分けた者たちは 祝福されている。 それを悦びとする者たちが メッセージに注目するのは正しい、我が慈悲深い手によるどんなわざも 栄光と荘厳に満ちているゆえ。 預言は 私が揮(ふる)う能力に由来するものゆえに生きている と私は民に思い出させている、それなのに 国たみは何ゆえこのように尊大なのか? 私が直接介入して 個人的に彼らに貢いでいるとは聞いていないのか?

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P241

‘02・8・7

 

人びとの心のうちに混乱を引き起こす者は誰であっても 私には由来しない。 すなわち飢饉や災難ばかりを予告する預言を主張する者は誰であっても、私に由来しない。 しかし私の警告、平和、悔い改めを預言し その言葉が実現するなら 真に私より遣わされた者として認めてよい。 そう、実に、励ましと、慰めを預言し 共同体をいっそう良くしていく者は誰であっても、私が 真に送った者と知るように。

その言葉だけで人を信用したり 私からの言葉を受けたと主張する者が、たとえ死から人を甦らせるような、奇跡や不思議を行おうと その人を簡単に信じてはいけないと警告してきた。 むしろ信仰の秘跡に矛盾するような議論を引き起こすことのない人びとに 耳を貸しなさい、我が選びの者たちに与えた聖霊の恵みは耳傾ける人たちを歓びで満たす。 その言葉は霊魂を引き上げ、我が天使たちや諸聖人に近づける。 実際は我が言葉である彼らの言葉は、あなたをカテドラルに変えよう。 我が言葉は権威と力があるだけでなく霊魂を燃え立たせて炎で包み 同時にあなたの霊を啓発する ♡

 

何よりも、我が選びの霊魂たちによって あなた方に現された神の真実は、ほかの何にもよらず 聖書と伝統を基に表現される。 私が語っていると どうやって分かるであろうか? 得られる健全な知識によって それと分かる。 そしてすっかり死に絶え 死の谷に腐敗して横たわっていたあなたは、目覚めたあかつきには 誰が恵みによってあなたを引き上げたかに気づこう。 今生きている世界は、我が子よ、少なくとも、悪に染まっており、日ごと罪はいや増している、そこで私が心配するのも当然であろう?