多くの預言者や正しい人たちは、
あなたがたが見ているものを見たかったが
(マタイ13・17)
識別/
マタイ13・16−17
しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたがったが、聞けなかったのである。
黙示録講解624ロ(7)
同書に―
多くの予言者と義しい人とはあなたらが見ているものを見ようと望んだが、見はしていない、あなたらが聞くことを聞こうと欲したが、聞いてはいないのでる(マタイ13・17)
『予言者と義しい人』は霊的な意味においては教義の諸真理の中におり、諸真理に従って生命の善の中にいる凡ての者を意味し、『見、聞くこと』は理解し、認めることを、ここでは主から発出している内的諸真理を理解し、認めることを意味している、なぜなら人間はこれらのものを理解し、認め、また行うときは、かれは改良されるからである。主から発出している内的諸真理が意味されているのは、主は、世におられたとき、そうした諸真理を明らさまに示されたためである。文字の意味においては、このことは主を見、聞くことを意味しているが、しかし主は天界における、また教会における神的真理そのものであられるように、その結果神的諸真理はことごとく主から発出しており、主御自身はそれらを教えられ、絶えず聖言により教えられているように、『主を見、聞くこと』はそれらのものを理解し、認めることを意味している。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P7
‘88・8・16
最愛の霊魂よ、もう一つ覚えておくように、私は誰をも必要としない、私のわざを達成するのに 自分自身で充足している、しかし我がわざを 被造物と分かち合うのを喜びと感じている、そこで私のほうを向いて 選ばれたことを歓びなさい 霊魂よ、あなたが見ているものを見たいと憧れながら 見ることのできない者は多い、あなたが聞いたものを聞きたいと憧れても 聞いたことがない者は多い、あなたが感じることを感じたいと憧れても そのように感じたことのない者は多い、だから歓びなさい 霊魂よ! 歓びなさい! 私を讃美で覆いなさい、愛の花輪で我が頭を飾りなさい、香で私を包むように、あなたの子どもっぽい愛の言葉で 私を飾りなさい、あなたの主なる私を祝福し 礼拝しなさい 愛する者よ ♡ パンを私からいつも受け取るであろう、しかも豊かに、私はあなたの霊魂を養う、あなたの救い主である 終わりの日までいつもこの特別な仕方で あなたのそばにいると約束する ♡ 知恵は正しい者だけでなく、不正な者にたいしてもその豊かな蓄えを与える・・・ ♡ 来なさい ♡