みじめ

 

死者の裁かれる時(11・18)

無となる恵み

みじめな者

 

 

 

1.聖書

2.トマス・ア・ケンピス

3.ヴァッスーラ

4.スウェーデンボルグ

5.アヴィラのテレサ

6.ヨゼファ・メネンデス

 

 

 

 

1.聖書

 

詩篇49・21

 

人間は栄華のうちに悟りを得ることはない。

屠られる獣に等しい。

 

 

 

2.トマス・ア・ケンピス

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・24・6

 

見よ、この世では楽しみを味わい、のちの世ではキリストとともに王となるというふうに二重に喜びを得ることは決してできないのである。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・7

 

[]自分の住居(すまい)を天にこしらえた者は、この世では貧しく、みじめな境遇のうちに捨ておかれた。これはかれらが卑しい貧しい者とされ、自分の翼で飛ぼうとせず、信頼をもってわたしの翼の下に隠れることを学ぶためであった。

 

 

 

[]誇ることのできるものは、たくさん持つより少なく持つ方が、あなたのためによい。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・22・4

 

ですから、私の主なる神よ、私は、表面(うわべ)から見て、また世人の考えによって、賞賛すべきもの、名誉とすべきものとされているところのものを、多く持たないことを、大なるおん恵みと考えます。人は自分の貧しさ卑しさを思いめぐらして、憂鬱や悲しみに沈んだり、落胆したりすべきではありません。かえってむしろ大なる慰めや喜びを感ずべきであります。というのは、ああ神よ、主が貧しい者、卑しい者、この世に軽蔑されている者を選んで、主の親友、主の家人としてくださったからであります。

 主が「全地に君とし」(詩篇44・17)たもうた使徒方自身その証拠であります。

 しかもかれらは、不平を言わずに世を渡り、謙遜、純真で、なんの悪意も詐欺(いつわり)もなかったので、主の「み名のために恥辱を受けるに足る者とされれば喜び」(使徒言行録5・41)、世人の忌み嫌うものを深い愛をもって迎えたのであります。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・23・1−3

 

わたしの子よ、わたしはいまあなたに、平和と真の自由の道を教えよう。

 

主よ、仰せの通りにしてください、それをお聞きすることは、私にとって楽しいからでございます。

 

わたしの子よ、あなたの意志よりも、むしろ他人の意志を行うように努めよ。

つねに多く持つより、少なく持つほうがよい。

つねに末席について、人の下に立つようにせよ。

神のみ旨が、あなたにおいてまったく成就されるように、つねにねがい、かつ祈るがよい。

見よ、かような人こそ、平和安心の域にはいるのである。

 

 

 

 

3.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P85

‘87.3.1

 

来なさい、あなたを教える、私が言葉を守らなかったことが一度でもあったであろうか? 我が子よ、私はあなたの師であり、あらゆることを私から学ぶであろう。 進歩させよう。

 

お与えくださるすべてにたいして、私はふさわしくない者です。謙遜な、そして非常に献身的な方たちと自分を比べた時に、それが事実だと分かります。最もみじめな者として、それに、はるか劣った者として、この導きをいただくのに選ばれたことを、決して誇りに思っていません。私の持っている善さのために選ばれたのではなく、むしろ、自分のみじめさのために選ばれたのです。主よ、あなたは、それをはっきりと確認しておっしゃいました!

 

我が平和を受けなさい ヴァッスーラ、あなたはみじめです、だがとにかくあなたを愛している。 そのみじめさをすっかり与えなさい そうするなら我が慈悲がそれを焼き尽くそう、私に愛されていると感じていなさい、さあ、依りかかりなさい、私の声を聞いて、相手をしてくれるように、私はあなたの聖なる仲間だと 忘れないでもらいたい。

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P38

‘87・11・10

 

「人類の上に私の種を蒔く時が来た、私のメッセージを推し進めなさい、あなたの引き受ける全てを助ける、みことばを知らせ、我が被造物にこの大きな愛を、限りない慈しみを 知らせなさい、 ♡ 私の支配は平和、愛と一致によるものとなろう、私は 無力でみじめな者、役立たずで言葉も出せないようなヴァッスーラを選んだ、 ♡ これも書くように(*)、

 

 

  次の分を仰しゃるのを聞いて、当惑と躊躇の思いで主のほうを見つめました。

 

 

そう、我が教会にたいする基本的な知識をなんら持たないため、白紙のカンバスのように、主である私が私だけのもので埋め尽くすことが自由にできた、書かれたものが全て私の口から出ていることが明らかとなるために、全てのわざは私によって成される、彼女を通して、私は彼女を通して話し、彼女を通して行動する ♡ 私は彼女を形造り、このメッセージを担うことができるように 私の全てのわざを注いだ、そしてそれはいずれ知られよう ♡ 私のメッセージを推し進めてくれるか? 私のためにそうしてくれるか? 思い出すように、私イエス、神の愛する子、全人類の救い主、そしてみことばが あなたを祝福している、あなたの仕事を祝福する ♡ 喜びに出会おうと 悲しみに出会おうと安心しているように、賛意を与える、いつも前を進み 導きながら ♡ 我が教会の一致は 私の栄光となろう! 血を流している私のからだの内奥にまであなたを導く、棘を指し示し、あなたはそれらを見分けるであろう ♡♡ 私の栄光のほかは関心を持たないように、私のわざを決して疑ってはならない、愛があなたの上に輝いている 愛する者よ、私を喜ばせるように努力しなさい、さあ、あなたの横に私はいる(I Am)」 ♡♡

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/6巻P84

‘92・6・5

 

ときには誘惑に陥らないよう 自分のみじめさを見なさい。 決して自分に満足を感じてはならない。 みじめな自分を見て 自ら警戒し目覚めていなさい、自分を軽蔑し へりくだりなさい そうするならいつでも 私のもとに引き上げ 完全な者にしよう。 サタンの力は大きいが、もう長くはない。 希望をもって、我がヴァッスーラ、私を讃え 我が誉れとなりなさい。 あなたのうちて語っているのは、私、キリスト。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P129

‘00・10・16

 

あなたが無に等しくみじめであったゆえ 我が被造物の花婿なる、私は、はるばるあなたのもとに身を屈めた、我が言葉にたいして 無学な(*3)子どもであったにもかかわらず。 どんな神聖な言葉にたいしても 何ら教育を受けてはおらず無頓着であったが、それでもなおこの一切の泥濘(ぬかるみ)の下に、あなたをよく調べると、我が聖なる名にたいする 高貴な火花が見えた。

 

*3主はそう望まれて、英語の代わりに「analphabet」というフランス語を使われました。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P219

 

では教えてほしい、まこと愛する者よ、どうして目を曇らせているのか? この嗣業は どんな極悪な笏にも 支配されなかった・・・私は 最も大切な友人たちには 辛い道を旅させてきた、そして時には、誰も道連れがなく孤独で寂しいままにしておくが、それは私が道連れとなって思いやりを示すことで 彼らが恩恵を受けるため・・・

 

我が最愛の友人たちは 私の好意を享受している。 彼らは 我が被造物の中の傑作、その色調はサファイアのように輝きを放ち その輝きが 我が教会と全宇宙を共に美しく飾る。 我が最愛の友人たちは それほど尊く大切なため、ああ・・・私の抱く好意は あまりに大きいゆえ、彼らが蹂躙されたり投石されたりするのを 私には拒めない ♡

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P177

 

32死者が裁かれる時(黙示録11・17−18)

‘43年8月5日

 イエズスは言われる。

「諸国のこの怒りはかく起るべきであって、わたしの怒りの前触れである。わたしの子供たちにとってそれは辛い受苦の時だが避けがたいことなのだ。なぜなら、わたしの時が到来する前に、地球上でについて、すべては成就していなければならないからだ。その時わたしは「そこまでだ」と言うだろう。そしてわたしは裁き主かつとしてまた、人間の罪と功績とを裁くために地上の王としての責任も引き受ける。

 あなたたちは、ヨハネの書物のなかに『死者を裁く時』という言葉を読むとき、死者とは、すでに、もしかしたら、何世紀にもわたって、そこに足を踏み入れる時のみ誰かは気づくであろう神秘の別の領域で時を過ごした人々のことを指していると考えなさい。そうだ。死とは、魂が地上とは異なる別の地帯に移住することを意味している。だがヨハネの言葉にはもっと深い意味がある。彼の語る死者たちは、肉によれば生者たちでありえても、見る目を持つ者には実は死者たちなのだ。

 彼らにはいかなる復活もありえないだろうから、この人々はまったくの死者たちなのだ。に対して死んでいる彼らは、は永遠の生命であるから、生命をすなわちを所有する幸福に未来永劫あずかることが出来ないだろう。

 

 同様に、単純な言葉が引き起こしうる最も広い意味をもって、ここでヨハネが、三名称で語る預言者たち、しもべたち、聖人たちとは、霊において生きるすべを弁えていたすべての人々をそれとなく仄(ほの)めかしている。

 何と多くの慎ましい老女たち、何と多くの可哀想な子供たち、何と多くの無学で素朴な人たち、何と多くの、字も読めず、隠れていて、群集のなかに埋没している女たち、すなわち預言者たち、奉仕者たち、聖人たちという言葉に含まれる女たち。彼女らを世に知らしめようとすれば、世は嘲笑うだろう。しかしまことに、まことにわたしはあなたたちに言う、わたしの目には、あなたたちを聖人とするもの、すなわち、わたしの言葉によって生きることを知り、信仰をもって、愛徳をもって、不断の希望をもって、わたしの意思を行うことを知る、肉によれば惨めなこの人たちのひとりこそ、わたしの意志を行う能力に欠けているあの傲慢な学者や大法螺吹き、わたし自身の聖職者たちよりもわたしの預言者、しもべ、聖人である、と。

 

 わたしがかつ裁き主として来臨するとき、わたしに祝福された人々に対して浮かべるわたしの微笑は、並の太陽より七倍も明るい一つの太陽に点火するだろうし、それでわたしの天空は光り輝くだろう。その間にも天使たちのコーラスは、わたしへの讃め歌を歌い、その時、愚かで見る目をもたぬ世に反対して、わたしにより、わたしのしもべたちはわたしの子供とするその数々の徳を宣言されるだろう。

 しかしそうでない人々、とりわけその行動によって地とそこに住む弱い人々を破滅に導いた人々は、わたしの爛々たる眼差しに射竦(いすく)められて深淵になだれ落ちるだろう。が存在するのは避けがたいことなのだが、のしもべと管理者となった者たちは永遠に呪われなければならないからだ」。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P40

‘87・1・24

 

ヴァッスーラ、ヴァッスーラ、小さな者よ 我が聖心に愛された人よ 怖れなくてよい、愛している。 娘よ、あなた一人の力で私を愛することができたか?

 

いいえ、イエス。

 

私を愛することを覚えたのは 私があなたに近づき 光を注いだからです、あなたを目覚めさせて 改心させた ♡ ヴァッスーラ どうしてあなたを愛するか分かるか?

 

いいえ、存じません、イエス。

 

では教えよう。あなたが無力、みじめで罪深いために愛している。 子どもたちは 私の弱点です、形造らせてくれるために愛しているのです ♡ ヴァッスーラ 来て 我が聖心の中に住みなさい その深淵に平和を見出すであろう そして 皆に抱く我が強烈な愛を感じるであろう、あなたは 彼らにたいする私の愛を伝えることができる、見よ、過ぎ去る日一日と、あなたは私に近づいている!

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P42

‘87・1・30

あなたに平和。 弱く感じる時は いつでも私のもとに来なさい 力を与える。 ヴァッスーラ どうしてあなたを選んだか分かるか?

 

いいえ、存じません、イエス。

 

では 教えよう。 あなたを選んだのは 無力だからです それに私が知っている誰よりもはるかに 最もみじめな者だがらです。 みじめさは私をひきつける あなたを慰められるからです。 あなたは無力で足りないところばかりです、どの言葉も完全には身についていない。

 

主よ、私がそんなにひどいのなら、どうして導きのために私を選ばれたのですか?

 

前にも言わなかったか? 子どもたちは私の弱点です、なぜなら 形造るのを許してくれるからです。

あなたは 自分一人の力では成長することのできない儚い花です、そのあなたを通して 私の愛を現すために選んだ。 私はあなたを荒野の真ん中に見つけ 目を楽しませてくれる我が花園に植え替え、私の光のもとで育つようにした。 あなたに求めるのは 愛だけ、私を愛し 忠実でありなさい、あなたには真心を求める、私の心を満たすために あなたの心で尽くせるだけの愛をすべてほしい。 私は愛に飢えている、愛の主だからです、ですから あなたに求めるのは 愛だけです。 誰かを愛したなら いのちあるどの瞬間もその人と過ごしたいという望みで燃えないだろうか?

 

はい、それはそうです。

 

そこで あなた自身をすべて私に与えることほど 自然なことがあるだろうか?

来なさい、私のもとに来なさい、私はあなたの父、私がいなかったら あなたは無力なことを知っている、一人にされたらみじめで、あなた一人では弱いのも知っている、あなたを形造らせなさい あなたを通して私のメッセージを伝えたい。 ああ 娘よ、どんなに学ぶべきことが多いか。

 

分かっています。私は、何も知らないのを分かっております。

 

ヴァッスーラ 愛している、それを疑わないように、あなたの質問に答えよう。 私は自ら選んで私の花嫁となった人びとだけでなく、私を知らない人びとのもとにも来て彼らを選ぶ、どの戸口もたずねては 戸を叩く。 私は戸を叩き 聞こえるのを願いながら 待っている、ヴァッスーラ、すべての霊魂が私を受け入れ 喜び迎えてくれるのを首を長くして待っている。 あなた方皆を愛しているのです。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P45

‘87・1・30

 

ああ 信仰うすい者たちよ あなた方は なんと私を知らないことか! 私が無限の富であるのを忘れたのか? どうして あなた方は私がこんな道具を用いるといって驚くのか? 私の力は偉大で限りがないのです

そして みじめな霊魂を通して 私の言葉を知らしめる。 ヴァッスーラ 多くの人は この導きが私から来ることを明かす印を 私に求めるであろう、しかし 私の与える印は あなたです。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P193

‘87・5・18

 

多くの霊魂をその鎖、悪の鎖から解放したい、私は道具としてあなたを使っている。 私のわざを誤解しないように、私の訴えはあなたにたいするだけのものではない、私の平和と愛の訴えは 人類全体に及ぶ!

 

そうです、主よ。けれど、このことを知っている友達の中には、「あなたは特別に恵まれているわね」と言う人たちもいて、とても居心地悪いのです。ひどく辛いのです。

 

辛く感じなさい 娘よ みじめさ故に選ばれたことを、徳があるからあなたを選んだのではない、前にもすでに言ったが、あなたには功徳がなく 主の口から出る言葉は 真実以外にない、しばしば来て 悔い改め ♡ 私のほかの子どもたちよりあなたを好意的に扱っているわけではないことを 覚えておきなさい ♡

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P38

‘87・11・10

 

「人類の上に私の種を蒔く時が来た、私のメッセージを推し進めなさい、あなたの引き受ける全てを助ける、みことばを知らせ、我が被造物にこの大きな愛を、限りない慈しみを 知らせなさい、 ♡ 私の支配は平和、愛と一致によるものとなろう、私は 無力でみじめな者、役立たずで言葉も出せないようなヴァッスーラを選んだ、 ♡ これも書くように(*)、

  次の分を仰しゃるのを聞いて、当惑と躊躇の思いで主のほうを見つめました。

 

そう、我が教会にたいする基本的な知識をなんら持たないため、白紙のカンバスのように、主である私が私だけのもので埋め尽くすことが自由にできた、書かれたものが全て私の口から出ていることが明らかとなるために、全てのわざは私によって成される、彼女を通して、私は彼女を通して話し、彼女を通して行動する ♡ 私は彼女を形造り、このメッセージを担うことができるように 私の全てのわざを注いだ、そしてそれはいずれ知られよう ♡ 私のメッセージを推し進めてくれるか? 私のためにそうしてくれるか? 思い出すように、私イエス、神の愛する子、全人類の救い主、そしてみことばが あなたを祝福している、あなたの仕事を祝福する ♡ 喜びに出会おうと 悲しみに出会おうと安心しているように、賛意を与える、いつも前を進み 導きながら ♡ 我が教会の一致は 私の栄光となろう! 血を流している私のからだの内奥にまであなたを導く、棘を指し示し、あなたはそれらを見分けるであろう ♡♡ 私の栄光のほかは関心を持たないように、私のわざを決して疑ってはならない、愛があなたの上に輝いている 愛する者よ、私を喜ばせるように努力しなさい、さあ、あなたの横に私はいる(I Am)」 ♡♡

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P13

‘99・2・2

 

全善なる神、恩寵の甘美なる霊、人類のまこと愛深い恋人よ、

あなたは以前も今も 私の欠点をすべてご存じです、

私のいたらなさも罪深さも、

こうしたあらゆる「ぞっとする害虫」にもかかわらず

それでもなお慈悲深く 私に接近して下さるとは。

 

光輝く顕現よ、讃美と誉れを あなたに捧げ

みじめで恥ずべき私を

たえず哀れんで下さいますようにと お頼みいたします。 キリエ エレイソン。

 

ああ、ヴァッスーラ、ただ私からだけ いのちを引き出せると知り 自らのひ弱さとみじめさに思いを留めているときは、私はいつでも歓喜する。 自らを罪人と認め 私にすっかり明け渡してはじめて 私より恵みを引き出せると認めるなら、そのときあなたのうちに進み入り 我が意思を成し遂げよう。 我が聖霊の息吹の恵みによって変容したなら、私は真に 我が意向をあなたのうちに成し遂げる。

私、イエスは、あなたを祝福する、一つでいなさい。 Ic

 

 

 

4.スウェーデンボルグ

 

 

啓示による黙示録解説209

 

「みじめで貧しい」は、彼らは真理と善とを欠いていることを意味している。

 

 

ああ、主よ、わたしはみじめで、貧しいのです、わたしを憶えてください(詩篇40・17、70・5)。

 

 

天界の秘義3468[2]

 

 それで真理の善の中に、または教義的な事柄に従った生命の中にいる者たちは、その者たちの合理的なものである内部の方面では再生しているが、しかしその者たちの自然的なものである外部の方面では未だ再生していないのである、なぜなら人間は自然的なものの方面で再生する以前に、合理的なものの方面で再生するからである(3286、3288番)、それは自然的なものは全く世の中に存在しており、そして自然的なものの中に、人間の思考と意志とがそれを面として基礎付けられているためである。これが人間が再生の間に彼の合理的なまたは内なる人と彼の自然的なまたは外なる人との間に争闘を認める理由であり、また彼の外なる人はその内なる人よりもはるか後に再生し、また同じく彼の内なる人よりもさらに大きな困難を伴って再生する理由となっている。なぜなら世に更に近づいており、身体に更に近づいているものは内なる人に服従するように容易に抑制されることは出来ないのであって、それはただ非常に長い時間の後で、またその人間がその中へ導き入れられる多くの新しい状態によってのみ―その状態は自己を承認し、主を承認する状態であり、すなわち、自分自身のみじめさと主の慈悲とを承認する状態であり、かくて試練の争闘から生まれてくる(自己)卑下の状態であるが、その状態によってのみ行われるのである。それがそうであるため、次にここでエソウと二人の妻について言われていることがつけ加えられており、それによりこのような事柄がその内意に意味されているのである。

 

 

 

5.アヴィラのテレサ

 

イエズスのテレジア(アヴィラのテレサ)自叙伝11章・11(P122)

 

 これらの苦労はみな価値があります。私は長年間それらを堪え忍んだ経験によって、よく知っております。それで私は、ついにこの祝された井戸から一滴の水を引き出すことの出来た時は、神のご恩寵とみなしておりました。これらの苦しみはたいへんつらいものです。私はそれをよく知っています。それらは、この世の多くの労苦よりも、ずっと勇気を要求します。しかし私は、はっきりと見ました。神はすでにこの世からでさえ、それらに必ずお報いになるということを、実際、主が私の霊魂にご自分を味わわせてくださったこれらの時間のうちのただ一時間だけでも、私が念祷に堅忍するために長い間忍んだ、あらゆる悩みを、支払ってあまりあることは確かです。主は、初心者に、また時としては目的に近づいている人々にも、こういう苦しみやその他の多くの誘惑を、たびたびお贈りになると私は確信しております。それは主を愛する人々を試すためであり、彼らに大いなる宝をお与えになる前に、主の杯を飲むことができるかどうか、主が十字架を担われるのをお助けできるかどうかをごらんになるためです。聖主が私どもをこの道を通してお導きになるのは、疑いもなく私たちの善益のためであり、私たちが、自分がどんなにつまらぬ者であるかをよく悟るためです。のちに私たちに与えられるであろうお恵みは、きわめて高い秩序に属するものなので、ルシフェルのような失落から私たちを守るため、主は、まず、それらを与えられる前に、私たちが自分のみじめさの深淵を経験によって、よく知ることを欲せられるのです。

 

 

 

 

6.ヨゼファ・メネンデス

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P106

 

“きょうは非常な慰めを受けた。それはおまえがわたしを決して離れなかったことと、それにおまえの小ささがわたしを喜ばせた。このように、おまえは常にわたしと一緒にいなければならない。おまえが自分自身をみじめで小さいと思うほど、わたしがおまえについて満足していると思いなさい”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P198

 

“おまえのみじめさについて悲しんではならない。わたしの聖心は憐れみの王座であり、この愛の淵に身を投じて来るならば、最もあわれな者こそ、最も好遇されるのだ。わたしはおまえが小さい哀れな者であるからこそ、おまえに目をとめた。わたしはおまえの力なのだ。さあ、これから他の霊魂を求めに行こう。だがその前に暫くわたしの聖心に寄り掛かって憩うがよい。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P335

 

(聖母)

私の娘よ、小さく惨めであることを知ってへりくだりなさい。でもみ主に信頼をおくのです。み主はあなたを愛し、決してお見捨てになりませんから。み主に光栄を帰し、深くお愛しして、沢山の霊魂をかちえることだけをあなたの野心としなさい。