地獄の火地獄の光

わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである(ルカ12・49)

あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす(ヨハネ2・17)

 

 

 

 

1.スウェーデンボルグ

2.マリア・ワルトルタ

 

 

 

詩篇66・10―12

 

神よ、あなたは我らを試みられた。

銀を火で練るように我らを試された。

あなたは我らを網に追い込み

我らの腰に枷をはめ
人が我らを駆り立てることを許された。

我らは火の中、水の中を通ったが

あなたは我らを導き出して

豊かな所に置かれた。

 

 

 

 

 

1.スウェーデンボルグ

 

天界の秘義1296

 

『火』は欲念の刑罰であり、『剣』は誤謬の刑罰である。

 

 

天界の秘義1861[]

 

 これらの記事では『火』は欲念を、『煙』は最後のときを遍く支配する誤謬を意味している。これらの事柄はヨハネによりその内的な視覚が開かれたとき、丁度それらのものが他生の中で現れるままに見られたのである。同じようなものがまた霊たちによりまた死後霊魂たちにより見られるのである。ここから地獄の火の何であるかを認めることができよう、すなわち、それは憎悪、復しゅう、残酷、またはそれと同一の、自己愛以外の何物でもないのである、なぜならそうしたものにこうしたものがなるからである。このような性質の人間は、その身体の生命の間では、外側ではいかように見えようとも、もし天使たちによりめんみつに点検されるなら、その天使たちの目にはそれ以外のものとしては見えないのである、すなわち、その者の憎悪は火のたいまつとして、そこから派生してくる誤謬は煙の炉として現れるのである。

 

 

天界の秘義2177〔4〕

 

 絶えず祭壇の上に燃やし続けられねばならない火は、愛を、即ち、絶える時のない、永遠の主の慈悲を表象したのである。

 

 

天界の秘義6832〔7〕

 

神的善そのものがまた表象されるようにと、祭壇には絶えず火を点じなくてはならないことが命じられた―

 

 祭壇には火を燃やし、消してはならない、祭司は毎朝その上で木片に火をつけなくてはならない。火を絶えず祭壇の上に燃やして、消してはならない(レビ6・12、13)。

 

火が神的愛を表象していることは古代人には非常に良く知られていたことは以下の事実から非常に明白である、即ち、この表象的なものは古代教会から偶像を礼拝している遠隔の諸国民へすらも拡がり、彼らは不断の聖火を制定して、そのためにヴェスタ修道女と呼ばれた処女たちを任命したことが知られているのである。

 

 

天界の秘義6832〔8〕

 

 その対立した意義では、『火と焔』は、復讐、残忍、憎悪、姦淫を求める愛といった汚れた愛を意味し、全般的には自己と世を求める愛から発した欲念を意味していることはまた聖言の多くの記事からも明白であって、そこからはただ以下のものを引用するのみで充分である―

 

見よ、彼らは切り株のようになり、火が彼らを燃やした。彼らはその魂を焔の手から救い出さない、(身を)温める炭もなく、前に坐る火もない(イザヤ47・14)。

 

見よ、わたしはお前の中に火を燃やそう、それはお前の中で凡ゆる緑の木を、凡ゆる枯れ木を焼き尽くすであろう、甚だしい焔の焔は消えはしない、そのため南から北まで顔はことごとく燃え上がるであろう(エゼキエル20・47)。

 

『火』と『焔』により、教会の善と真理とをことごとく消滅させ、そこからその剥奪された状態が生れてくるところの、悪と誤謬の欲念が意味されているのである。

 

 

天界の秘義6832〔9〕

 

 ルカ伝には―

 

 その富んだ人間はアブラハムに言った、父アブラハムよ、私を憐れんで、ラザロを遣わし、その指先を水につけて、私の舌を冷やさせて下さい、私はこの焔の中で苦しみ悶えています(ルカ16・24)。

 

 人間の生命の火は元素の火とは異なった起原から発していることを知らない者は、『地獄の火』により世に在るような火が意味されているとしか考えることは出来ないが、聖言ではそうした火は意味されてはおらず、愛から発出している火が意味され、かくて人間のものであって、太陽としての主から発出している火が意味されているのである。この火は、(その火に)反したものの中にいる者たちへ入ると、欲念の火に変化するのであり、その欲念とは、前に言ったように、復讐と憎悪と残酷を求める愛であり、自己と世への愛から発しているのである。これが地獄にいる者らを責め苛む火である、なぜなら彼らの欲念がほしいままにされると、彼らは、各々他よりも卓越しようと欲し、他からその者に属しているものを秘かな、または公然とした術策により取り上げようと欲しているため、互に他に襲い掛かり、また凄惨な、言語に絶した方法で互に他を苦しめ合うからである。それが双方の側の実情であるため、そこから恐るべき憎悪が発生し、またそこから残忍な行為が遂行され、特に魔法により、また幻想により遂行されるが、その技術は無数であって、世には全く知られてはいないのである。

 

 

天界の秘義6832〔10〕

 

 霊的なものを信じない者らは、特に自然を礼拝する者らは、生物の中にあって、内なる生命そのものを作っている熱はこの世の熱以外の起原から発生していることを決して信じるようになることは出来ない、なぜなら彼らは天界の火が太陽としての主から発出しており、この火は純粋な愛であることを知ることは出来ないし、ましてそのことを承認することは出来ないからである。従って彼らは聖言の中に存在する無数の事柄を知ることは出来ないのであり―そこには他のいかような火も意味されてはいないのである―またこの火を受ける器官である人間の中の無数のものを知ることは出来ないのである。

 

 

天界の秘義6834

 

神的愛の神的善は他生における太陽の火そのものであり、その火は、もしそれが途中で和らげられないままに誰かに、最内部の天界の天使にさえも、万が一注ぐとするなら、彼は一切の知覚を失って、死滅してしまうほどにも強烈である。そうしたものが主の神的愛の熱である。しかし主は世におられて、その人間的な本質を神的な本質に結合された時、主はこの愛の火をその人間的なもの〔人間性〕の中に受けられて、その愛の火を、御自身を律法の神的なものとされた時、人間的なものの中で真理に結合されたのである。それでこのことが神的な真理が自然的なものの中で神的な善に結合したことにより意味されているものである。

 

 

 

啓示による黙示録解説282

 

『舌』は、器官としては、教義を意味しているが、しかし言葉としては、また宗教を意味している。『舌』は教義を意味していることを知っている者は、地獄の富んだ男がアブラハムに言った言葉の意味を理解することができよう―

 

 かれが焔の中で苦しめられないように、ラザロがその指先を水につけて、かれの舌を冷やしてくれるようん、かれをつかわすように(ルカ16・24)。

 

『水』は真理を、『舌』は教義を意味しており、その誤謬のために、彼は苦しんだのであって、焔によって苦しんだのではなかったのである、なぜなら地獄ではたれ一人焔の中にはおらず、そこの焔は誤謬の愛の外観であり、火は悪の愛の外観であるからである。

 

2.マリア・ワルトルタ

 

聖母マリア/マリア・ヴァルトルタによるマドンナの生涯/上巻/天使館/P15

 

 だがなぜ、なぜ、ああ、わたしの民よ、あなたはわたしが与えた王国から出て、なぜ完全のあなたのから逃れて、君主であるサタンの王国の鎖と野蛮を選んだのか? そのようにしてあなたは、であり、救い主であるいと高き者に報いるのか? それでいてあなたは、地から湧き上がり天から舞い降りる火が、を否認しサタンとその使者たちを受け入れた、倣岸で、に背く人種を焼き尽くすのを見て驚くのか?