わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである

ルカ12・49

 

 

わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない(マタイ10・34−35)

 

 

 

 

1.聖書

2.スウェーデンボルグ

3.ヴァッスーラ

4.ヨゼファ・メネンデス

 

 

 

 

1.聖書

 

 

マタイ10・34−39

 

わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族が敵となる。

わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。

 

 

 

ルカ12・49−53

 

「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。しかし、わたしには受けねばならない洗礼(バプテスマ)がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。

父は子と、子は父と、

母は娘と、娘は母と、

しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、

対立して分かれる。」

 

 

 

ルカ14・26−27

 

もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、私の弟子ではありえない。

 

 

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

 

黙示録講解504ホ(31)

 

ルカ伝には―

 

主は、御自分は地に火を投じるために来たのであり、それにすでに火が点じられているなら御自分は何を望むであろうか、と言われた(12・49)。

 

このことは善と悪との間の、真理と誤謬との間の敵意と争闘とを意味している、なぜなら主が世に来られる以前には教会には誤謬と悪以外には何一つなく、従ってそうしたものと真理と善との間には何一つ争闘は存在しなかったのであるが、しかし真理と善とが主によりベールをはがされた時、その時は争闘が存在することが可能となり、そうしたものの間の争闘がなくては改良も在り得ないのであり、それ故このことが主が『火がすでに燃えていることを望まれたこと』により意味されていることである。このことがこれらの言葉の意味であることは以下の言葉から認めることが出来よう―

 

わたしは分離を与えるために来たのである、今から後は一つの家の中で五人の者は分離されるであろう、父は子に反抗し、子は父に反抗して分離されるであろう、母はその娘に反抗し、娘は母に反抗して分離されるであろう(ルカ12・51−53)。

 

『父は息子に、息子は父に反抗する』は、誤謬は真理に、真理は誤謬に反抗することを意味し、『母は娘に、娘は母に反抗する』は誤謬の欲念が真理の情愛[真理に対する情愛]に、真理の情愛が誤謬の欲念[誤謬に対する情愛]に、真理の情愛が誤謬の欲念[誤謬に対する欲念]に反抗することを意味し、『一つの家の中に』は、一人の人間のもとで、を意味している。

 

 

 

 

3.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P175

‘89・5・15 激しい迫害を受けて

 

主よ?

 

♡ 私です、私は地上に平和をもたらしに来たのではない: 平和ではなく、剣を持って来た・・・(マタイ福音書10・34−35) 愛をもって宣教しなさい 私の天使よ、愛のために、助けを与える。 私は、イエス・キリスト あなたを愛する者 ♡

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P8

‘90・10・20

 

ヴァッスーラ、婚姻の祝いの諺(*)を思い出させよう ♡ 娘よ、多くの者が呼ばれているが、選ばれるのはわずかです。 信仰は私の与える恵み、信仰を持つのも 与えている恵みによる。 今の時代は 恵みと慈悲の時代。 今の時代はあなた方の上に 我が聖霊が降り注がれる時代。 今の時代は我が聖霊が あなた方を重い背教から引き上げ、婚姻を結ぶ時代です。 時代の悲惨さは もうあなたから剥げ落ちるであろう。 私自身の手でその弔い布を脱がせ 婚姻衣装をまとわせるであろうから。 私の悦びを感じなさい 我がヴァッスーラ! この来たるべき出来事を すでに歓んでいるのを感じなさい! 我が聖霊は地上を訪れ 火をもたらそう、もうすでに燃え上がっているならとどんなに願うか! 今や我が聖霊が婚姻を結ぶ時: 今こそあなた方の平和の君は 地上の隅々に 僕たち、ご自分の天使たち、預言者たちを送られ ご自分の宴に そして王国に友人たちを招いて 天からのマンナを与えようとされる時 ♡ 私の再臨を宣言するために我が使者たちを 真の正しさのうちに はるばるその戸口まで送っている、しかし彼らの多くはこの者たちを ペテン師として扱い 信じなかった、ほかの者たちは私からの名誉の前に 人の名誉をおいた。 あなたを招いたのに私を拒み、懇願したのに顧みようとせず、私のあらゆる嘆願を無視して 愛の差し出すものを拒絶した、それゆえあなたの社会が拒んだ者たちで 我が家を満たし 彼らに我が王国を与え あなた方皆を混乱させよう、私は彼らに視力を返してやり 癒そう、彼らを中に入れるために 戸を広く開ける。 我が使いたちは通りやおおやけの広場で 声をあげて呼ばわり、街角ごとに出逢う亡骸が招かれる、そして私について知らされたことない人びとが私を見る、私について聞いたことない人びとは聴いて理解しよう。 私を探し求めたことない人びとによって 私は見い出され、あなたに我が聖なる顔を顕したと同じように、娘よ、私にたずねたことない人びとにも 私自身を顕そう。 私の霊を あなたは要らないと言う! 私の手にする我が心も 欲しがらない! 起る前に、今こう伝える、実際起った時に 私は在りて在る者 を信じるように:

我が王国はあなたから取り上げられ あなたが卑劣で愚かな民と呼んで、社会から締め出した人びとに与えられる そして単純な頭と呼ばれている人びとによって 我が家は建て直され 復興し、この者たちこそ、その愛をもって我が家の廃墟と荒れ果てたすべてを修復させる者たち、彼らを牧し 慰めるのは我が聖霊・・・高慢な者たちの砦はじきに塵の山となって崩れ落ちる・・・義は支配しよう。 この羊飼いたちのために、その改心のために祈りなさい。 祝福されるように、我が子よ、もうすぐ戻って来る、間もなく顔と顔を合わせて私を見るであろう。 私は在る

 

*マタイ福音書22・1−14.

 

 

 

 

4.ヨゼファ・メネンデス

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P469

 

人々を愛に燃やし世を燃やすこと。これこそ私の望みのすべてである。悲しいことに人々は愛の炎をはらいのける。だがわたしは勝利を得る。そして人々はわたしの民となり、わたしは彼らの王となる。わたしと一緒に苦しんでおくれ。わたしが世に知られ、人々がわたしのところに来るように。苦しみは愛に勝利を与える。