主に仕える

 

用・役立ち仁慈仁慈の業ヨハネ

キリストと共に治める天使の喜び

内なる礼拝

 

 

 

1.聖書

2.スウェーデンボルグ

 

 

 

 

1.聖書

 

 

ヨハネ12・26

 

わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。

 

 

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

 

天界の秘義7038

 

「彼らがわたしに仕えるために」。 これは、天界へ、そこから用を遂行するために高揚されることを意味していることは『エホバ』または主に『仕えること』の意義から明白であり、それが用を遂行することであり、そしてそのことが、主が来られることによって救われはしたが、主が来られる以前には低地にいて、その後天界へ挙げられ(6854、6914番)、そのことによって用を遂行する状態へ入ったところの霊的な教会の者たちについて言われているため、それで『彼らがわたしに仕えるために』により天界へ、そこから用を遂行するために高揚されることが意味されているのである。『主に仕えること』は用を遂行することを意味していることは、真の礼拝は用を遂行し、かくて仁慈を実践することにあるためである。主に仕えることは単に礼拝所に足繁く訪れ、そこで説教を聞き、祈ることから成っており、それで充分だと信じている者は非常に誤っているのである。主を拝することそのことは用〔役に立つこと〕を遂行することであり、世における人間の生活の間では用は各々の者がその地位における義務を正しく遂行し、かくて心から自分の国に、社会に、隣人に仕え、友に誠実に振舞い、各人の性格に応じて慎重に親切な務めを果すことに在るのである。これらの用は主として仁慈の業であり、そのことによって主が主として拝されるのである。礼拝所に足繁く訪れ、説教を聞き、祈りを唱えることもまた必要ではあるが、前に掲げた用を伴わないなら、それらには何ら益が無いのである、なぜならそれらは生命のものではなくて、その生命がいかようなものでなくてはならないかを教えるからである。天界の天使たちは用から、また用に応じて、幸福をすべて得ており、かくて彼らには用が天界である。

 

 

 

天界の秘義7038〔2〕

 

 幸福は神的秩序から用に従って発していることは、巨大人の中に在る物に相応している人間の中に在る物から認めることが出来よう、例えば外なる感覚から、即ち、視覚、聴覚、味覚、臭覚、触覚から認めることが出来るが、それらは多くの章の終わりに示したように、相応しているものである。それ故これらの感覚はその遂行している用に正確に順応して歓喜を得ており、もっとも歓ばしいものは結婚愛の感覚であるが、それはその最大の用のためである、なぜならそこから人類が繁殖し、人類から天界が繁殖するからである。味覚の歓喜がそれに続いているのは、それが身体の栄養に役立ち、そのことによって身体の健康に役立ち、身体の健康に心の健全な活動が順応しているからである。臭覚の歓喜はそれに劣っているのは、それが単に休養に役立ち、そこからまた健康にも役立っているためである。聴覚と視覚との歓喜が最後の位置にあるのは、それらが用に役立つ物を単に取り上げて、知的な部分に仕えはするものの、意志の部分にはさほど仕えはしないためである。

 

 

 

天界の秘義7038〔3〕

 

 こうした、またそれに似た他の事実から、用に応じて幸福が天界で主から与えられており、また用を通して主は主として拝されることが明らかとなるであろう。このことからヨハネは食卓で主の胸にもたれかかり、主は彼を他の者以上に愛されたのであるが、しかしこれは彼自身のためではなくて、彼が仁慈の実践を、即ち、用を表象したためであったのである。(ヨハネがこの用を表象したことについては、創世記18章、22章の序言と3934番を参照されたい)。