イスカリオテのユダ

 

“霊”に対する冒涜は赦されない(マタイ12・31)

ユダヤ民族シニョレッジ

 

 

 

 

1.甘やかされた息子

2.恥知らず、傲慢

3.嘘つき

4.偽善

5.新たなカイン

6.異端者の始祖

7.神殺し

8.主は最後までできるだけのことをされた

9.聖母もユダのために祈られた

10.主はすべてご存じだった

11.わたしのパンを食べている者が、私に逆らった

12.ユダヤ教会を表象

13.現世における地位

14.サタン

15.ユダはあなたたちの生きている諌め

16.聖母から司祭へ

17.最も大きな罪は、神の慈悲を諦めること

18.主との最初の出会い

19.マリア・ワルトルタ

 

 

 

 

詩篇41・10

 

わたしの信頼していた仲間

わたしのパンを食べる者が

威張ってわたしを足げにします。

 

 

 

オバデヤ書7

 

お前と同盟していたすべてのものが

お前を国境まで追いやる。

お前の盟友がお前を欺き、征服する。

お前のパンを食べていた者が

お前の足もとに罠を仕掛ける。

それでも、お前は悟らない。

 

 

 

マタイ7・15−20

 

「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」

 

 

 

マタイ18・6−7

 

しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす者は不幸である。

 

 

 

マタイ26・24

 

だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。

 

 

 

ヨハネ6・60−71

 

 ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば・・・。命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」

 このために、弟子たちの多くの者が離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。シモン・ぺトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれの所へ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」すると、イエスは言われた。「あなたがた十二人は、わたしが選んだのではないか。ところが、その中の一人は悪魔だ。」イスカリオテのシモンの子ユダのことを言われたのである。このユダは、十二人の一人でありながら、イエスを裏切ろうとしていた。

 

 

 

ヨハネ12・3−6

 

その時、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足を拭った。家は香油の香りでいっぱいになった。弟子の一人で、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。自分が盗人であり、金入れを預かっていて、その中身をごまかしていたからである。

 

 

 

ヨハネ13・18

 

わたしは、あなたがた皆について、こう言っているのではない。わたしは、どのような人々を選び出したか分かっている。しかし、『わたしのパンを食べている者が、わたしに逆らった』という聖書の言葉は実現しなければならない。

 

 

 

ヨハネ13・29

 

ある者は、ユダが金入れを預かっていたので、「祭りに必要な物を買いなさい」とか、貧しい人に何か施すようにと、イエスが言われたのだと思っていた。

 

 

 

 

1.甘やかされた息子

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P328

 

ユダの母マリア:

「父親が―神が夫を許しますように―息子をすっかり甘やかし、どうしようもないものにしてしまいました。(中略)

“私の息子に警戒して。貪欲で心が狭く、淫蕩で傲慢な落ち着きのない者です”などと母の口から言わなければならないなんて、耐えがたいことです。しかし、ユダはそういう人間です。」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P

 

「でも、あの人の母は善い人ですよ。それに父親も悪人ではなかったと聞いています」

「そうです。だが父親の心に傲慢心が潜んでいたので、我が子を早く母親から引き離して、エルサレムに送りました。父親譲りの傲慢はそこで成長しました。傲慢心を治すところは、決して神殿ではありません」と、イエズスが答える。

 

 

 

 

2.恥知らず、傲慢

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P125

 

恥知らずのユダは、

「それは全然違う」と答える。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P195

 

「私について来る者の中で、私に正しくないと言ったのは、おまえが初めてだ」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P23

 

お前は、私が誘惑されて、罪に落ちたことはないかと聞いたが、私がたとえ誘惑されても、それに負けることはないと、お前には理解できなかった。“みことば”にとって誘惑はふさわしくないし、“人間”ならば罪を犯さずに生きることは不可能だと、お前は思っていた。しかし、人は誘惑されても、その誘惑に負けたいと思う人だけが罪を犯すのだ。

(中略)

 

もはやそれを理解するに値しない人間になっているにしても、私はもう一度、お前に繰り返そう。追い返された誘惑が姿を消さなかったのは、お前に責任があるのであって、私ではない。お前はそれを徹底的に追い返さなかったからだ。お前はその行為をしなかったとしても、その考えを引きずっていた。今日はこうだが明日・・・明日は本当の罪に落ちる。だから、あの時、誘惑の試みに陥らないよう、御父の助けを請えと教えた。

 

 神の子である私はすでにサタンに打ち勝っていたが、それでも御父の助けを請うた。私はへりくだって神の助けを願ったが、お前はそうしなかった。神に救いも、予防も願ったことがない傲慢な男だ。ユダ、だからますます深みに沈む。

 

 

 

3.嘘つき

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P65

 

ユダ:「人を馬鹿にすることは簡単だね。私がうそもつかず、かなりうまくあしらったのが分かったろう!」

フィリッポ:「うそは言わなかったが、今うそをついたよ」

(中略)

アルフェオのユダはそのことが気に入らないようで、

「私にとって、それでも、うそをつくことだと思う」と言う。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス−たそがれの日々/P66

 

しかし目的が間違っていなくても、自分で考えていることと反対のことを言うのは何時も非難されるべきことです。神がメシアを守るために、そんなことを必要とされるとでも思っているのですか。

 よい目的であっても絶対に嘘を言ってはいけない。そういうことをしていると、心はうそを考えることに慣れて、唇はこれを外に表わす。ユダ、不誠実は何時でも避けるべきです。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス−たそがれの日々/P176

 

 『うそつき!』とおまえに言いました。うそがどんなに悪いかまだ分からない子供なら、二度とうそをつくなと教えるだけだが、大人でしかも真理そのものの弟子である男のうそはゆるせない。

私は一晩中おまえを待ち続け、火打ち金の載っていたテーブルを濡らして泣き、それから星の光の下で心を込めておまえに呼びかけました。

 

 

 

 

4.偽善

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P195

 

「私が何を望んでいるか?おまえのために人間になったことが無駄であったと言わなくていいようにとだけ望んでいる。しかし、おまえはもう他の父を持っている。他の国の者で、他のことばを話している・・・ああ、我が父よ、あなたの子、私の兄弟であるこの男によって、神殿がこれ以上汚されないようにするには、どうすればよいのでしょうか?」

 

 イエズスは御父に向かって、顔色は青ざめ、涙とともに祈る。ユダも土色になって、黙って少し後に下がる。イエズスは頭を垂れ、苦しみにあえぐように道を続ける。するとそのとき、ユダは面相が変わり、軽蔑と脅迫を露に見せる。今まで優しく謙遜に、偽善の面をつけていたのが急にこわばった醜い残酷な顔に変わる。真に悪魔的な憎みが、その黒い顔に火のように表れ、イエズスの背中に集中する。それから肩をいからせ、怒った足で小石を蹴るが、ユダはここで自分の怒りを抑えたようである。体を元のように整え、もう取り消せない決意をした人のように、また歩き出す。

 

 

 

 

5.新たなカイン

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P20

 

新たなカインであるお前は、神が“復讐する者”だけであると思い、コラ、ダタン、アビラムとその従者の身の上に起ったことが、自分の身にも起るのではないかと恐れている。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P19

 

 お前は、だれの前にいると思うのか。お前は、もう私のたとえ話が理解できないと言った、私の言葉がもう分からないと言った不幸な男だ。お前には、もう自分自身さえ分からなくなっている。善と悪の区別さえ、つけられなくなっている。誘惑の時、サタンの言いなりになったために、サタンは色々な方法で、お前を愚かにしてしまった。それでも、以前は私が何ものであるか、“存在する者”であることを信じていた。しかし、その記憶はお前の中から消えてしまったのではない。他人の行為とその考えを知るために、神が人間の証言を必要とされないくらいのことは、覚えているだろう。お前は私が神であることを信じないほど堕落しきってはいない。そこに最大の罪がある。私が神であることを信じているからこそ、私の憤りをそれほどまでに恐れるのだ。お前は、人間ではなく神と戦っているのだと知って、恐れおののいている。

 

 

 

 

6.異端者の始祖

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P20

 

のちに来るであろう多くの人々の、異端者の始祖であるお前は、私の最大の苦しみのもとなのだ。私が苦しみを感じないなどと言うな。

 

 

 

マリア・ワルトルタ35・8/天使館第1巻P307

 

わたしは友情に感じやすく、ユダの裏切りには、精神的に十字架上の刑ほどに苦しんだのです。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P29

 

「苦しまないでいられようか。これ以上、辛いことはない。ヨハネ、忘れるな、これは永遠に私の最大の苦しみとして残る!お前には、まだこの意味がよく分かっていない・・・私の最大の苦しみ・・・」

 

 

 

 

7.神殺し

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P17

 

お前と同じような罪を犯す者は、十万、百万の七十倍もあるだろう。彼らは、自分の自由意志によって、悪魔に加担し、神を侮辱し、父母を虐げ、人を殺し、嘘をつき、姦通し、淫乱に走り、聖なるものを汚し、最後に神を殺すに至る。これらの者は、近い日に、実際にキリストを殺し、未来の時には、その心の中で、霊的にキリストを殺す者である。

 

 

 

 

8.主は最後までできるだけのことをされた

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P20

 

私が何ものであるかを知りながら、なお、私に刃向かう。“呪われた者よ”と片づけるべきであろうが、そうすれば、私は救い主ではなくなる。お前は、私から追い出されるのを望んでいるが、そうならないように私はできるだけのことはした。とは言っても、そのためにお前の行為が正当化されるとは思うな。繰り返し言うが、お前には選択の自由があった。ノーベの時から、繰り返し、そう言ってきた。あの晴れわたった朝、地獄から這い出たように、豚の汚水にまみれてきた淫らなお前を、私はサンダルの先で蹴飛ばして追い出すこともできた。だが、そうしなかった。全身に広がる吐き気を抑えて、お前が私のもとに来る前にも何度か繰り返し言ったように“ただ、お前のためにだけ”あのように話した。しかしお前は、どこまでも自分の滅びから引き返そうとしなかった。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P25

 

 真の人間であり、あらゆる人間らしい反応も感じ、しかも、神の目でものを見る私にとって、かくも淫乱に満ち、嘘つき、泥棒、裏切者となったお前を見ることが、どんなに耐え難いか分かるか。お前がそばにいるのを耐え忍ぶために、あらゆる努力を払い、自分を抑え、お前に対する使命を最後まで果たそうと、私は努めている。お前が金庫を破って金を取る、いや、それ以上の裏切者だと分かったら、他の人なら、ねじ伏せて打ちたたいただろうが、私はそうせず、変わらぬ同情をもって話しかけた。

 外を見てごらん、もう夏ではない。窓からは夕方の微風が入って来た。それでも激しい労働のあとのように、私は汗を流している。お前が私にとって、どれほど重く辛い存在であるかに気づいているか。言え、お前は何者か。私に追い出されたいのか。いや、そうであっても、私は追い出したりしない。溺れそうになっている者を助けないのは、人殺しと同じだ。お前は二つの力、私とサタンの間に立っている。私が離れたら、サタンだけがお前に残る。そうすれば、どうしてお前を救えよう。だが、それでもお前は私を見捨てるだろう・・・すでに考えにおいて、私を見捨てているのだから・・・それでも私はお前をそばに置く、“さなぎ”のようなお前を。私を愛する意志もないお前の体、善に向かって身動きもしないお前を、そばに留めているのは、たとえ、そんな空しい“さなぎ”であっても、なおお前の心を呼び戻し、罪を避けさせたいと思うからだ。

・・・ユダ、私に話すことはないのか。先生である私に一言も言えないのか。私に頼みたいことはないのか。今さら私に向かって『ゆる

してください』と言えとは要求していない。私は今まで何回となく、お前をゆるしてきたが、効果はなかった。“ゆるす”という言葉は、お前にとって、単に音に過ぎないのだと知っている。痛悔する心の動きではない。

 私が望むのは“心の動き”だけである。もうそれもできないほど死んでしまったのか。私を恐れているのか? ああ、せめて私を恐れていてくれたら・・・だが、お前は私を恐れていない。もし恐れていたら、誘惑と罪について、あの日、言ったことを繰り返そう。

『特に重大な罪を犯したあとでも、人が本当の痛悔の念をもって、神の足元に走り寄り、神を信頼して償いを約束し、ゆるしてくださいと請い願うなら、神は彼をゆるし、償いを通して彼は自分の霊魂を救うことができる』と。

 ユダ、お前は私を愛していないが、私が望むのはその愛なのだ。今、この時、限りない私の愛に向かって頼みたいことはないのか?」

「何もない。いや一つだけあります・・・・ヨハネに、このことを話すなと命令してください。私があなたたちの中で一番の恥じ知らずなら、その私に、どうして償いができますか・・・」

 顎を上げて、ユダがこう言いきった時、イエズスは答えた。

「言いたいのはそれだけか? ヨハネは人に話すまい。少なくともお前自身は、自分の滅びのことが他に漏れないように生活せよ。私の方から頼むことはそれだけだ。あの金貨を集めて、ヨハンナの袋に戻せ。お前がその袋の口を開いた時の道具を使って、私が何とかして元のように扉を閉じよう」

ユダがふてくされた態度で金貨を集めている間、イエズスは疲れたように扉の開いた金庫にもたれかかっている。部屋の中は薄暗くなっていたが、散らばった金貨を集めるユダを見ながら、声を殺してイエズスが泣いているのが見えないほどではない。

 そのころやっと、ユダに後悔の色が見える。彼は顔を覆い、涙声で言う。

「私は呪われた者だ!この世の恥辱だ・・・」

「お前は永遠の不幸者だ。だが、もし望めば、今からでも幸せになる機会はある・・・・」

「今、起ったことについて、だれにも言わないと約束してください! 私の方は誓って、自分自身を贖います・・・」と、呻きながら言う。

「自分自身を贖うだと? それはできない。お前を贖うことができるのは、私だけだ。先ほど、お前の口で語ったあのものを抑えられるのは、私だけだ。へりくだって『主よ、私をお救いください』と言いなさい、そうすれば、私はお前を支配するその暴君から解放してやろう。その一言を、私は母の接吻よりも切に待っているのだ・・・・分からないのか・・・・」

 ユダは泣くが、その言葉は言わない。

「行け、ここから出て屋上に上がれ。好きな所へ行ってよいが、取り乱した様子だけは見せるな。さあ、行け。私は気をつけているから、だれにも分かるまい・・・・明日からも金の管理をするがよい」

 ユダは一言も言い返さずに出て行く。一人残ったイエズスは、机のそばの腰掛けに力なく腰を下ろし、頭を両腕に伏せて、悲痛な呻きを漏らす。

何分か経って、静かにヨハネが姿を見せ、入口に立ってその様子を見ると、イエズスに走り寄って肩を抱く。

「泣かないでください、先生。あの不幸な男の代りに私がなお一層あなたを愛して仕えます・・・」

イエズスを立たせて接吻し、神の流した涙を味わってから自分も泣く。

 

 

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P28

 

イエズスの返答は疲れた頬に流れた一筋の涙である。

「ああ・・・彼は後悔しなかった・・・」

(中略)

「恐ろしいこと!そうだ・・・ヨハネ、ヨハネ・・・」

イエズスは愛弟子を抱いてその肩に頭を預け、苦しみのあまり身を震わせて泣く。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P167

 

「ユダ、どんなことでも最後の瞬間まで変えることができる。私に人間として最後の涙を流させるのですか・・・ユダ、友よ、考え直してくれ。天は私の祈りを聞いておられる。それなのにあなたは・・・私の祈りを無駄にしたいのですか。あなたのために祈っているこの私が何者か、よく考えなさい。イスラエルのメシア、御父の子です。ユダ、私の言うことを聞きなさい、わずかでもまだ時があるうちに・・・」

 

「いやです、聞きたくありません!」

イエズスは顔を覆い、草原の端に膝を折って、かすかに肩を震わせ、声もなく泣く。

 

(中略)

『私をゆるしてください。それだけを望みます』とさえ言えばよい。そう言えば、私はあなたを救い上げよう」

 イエズスは立ち上がって、両腕でユダを抱く。神なるイエズスの涙はユダの毛髪の中に散ったが、それでもユダには、その言葉が言えない。口は閉ざされたままである。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P92

 

「(前略)ユダ、先刻のような経験をさせてくださったのは、慈悲なる神の、あなたの心への呼びかけでした。まだ遅くはない・・・ユダ、もう死の日も近い、あなたのこの先生に、あなたが善い道に立ち戻ったという大きな喜びを与えてくれませんか」

「あなたは、まだ私を許してくださるのですか、イエズス?」

「それができないなら、このような話はしません。あなたは私のことをよく分かっていないが、私はあなたのことをすべて知っています。あなたは巨大な水蛸に捕まった人間に似ています。しかし、自分で望めば、そこから自由になれます。(後略)」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P93

 

「それでは、私をそういう人間と同じように扱ってください。何一つ自分でできない白痴のように扱い、私が自分で分からないうちに治してください」

「それは正しいことではない。“あなたには意志の力がある”善が何か、悪が何かも知っています。治りたいという自分の意志を働かせなければ、私の治療も役に立ちません」

「ではそれも与えてください」

「与える? 強制的に、あなたに善意を持たせようとするのですか? そんなことをすれば、意志の力はどうなるのですか? 自由なものとして造られた人間の自我はどうなるのですか? 相手の言いなりになりたいのですか?」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P95

 

 私はあなたを救うために、何一つ惜しまず、嫌悪も、幻滅も、心痛も、怒りも、すべてを乗り越えました。この世の医薬の力ではもうなす術がないと知った病の子の父や母のように、子供の命を救うために、天により頼みました。私はあなたを救うために奇跡をさえ請い願い、もはや足元から崩れ落ちようとする深淵から、あなたを救い上げたまえと願いました。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P96

 

ユダ、ごらん、今、我々は川の方へ下っています。夜明け前、まだ皆が寝ている間に我々は川を渡ります。あなたは、ボズラ、アルベラ、アエラ、どこでも好きな所に行くがよい。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P97

 

 我々はこのように限りなくあなたを愛しています。また天において、あなたを愛してくださる父と聖霊は、あなたを絶えず眺め、あなた自身を贖いの宝石にするために、深淵から救い上げて偉大な収穫にしようとして、あなた自身の承諾を待っておられます。その上、この地上では、私とあなたの母と、私の母の三人が、ユダよ、あなたの救いを待ち望んでいます。どうか、我々を幸せにして、喜ばせてくれ! 真実の愛をもって、あなたを愛している者のことを思ってくれ!

 

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P98

 

 私は今夜、夜通しであなたのために祈ります。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P165

 

「(前略)ユダ、もう一度言うが、あなたはここを去って他の地に行きなさい。遠くへ行きなさい・・・」

それから、また言い続ける。

「エルサレムには行くな。あなたは病気なのです。(後略)」

(中略)「・・・ああユダ、不幸な私の友よ。私が頼むのは自分のためではない。あなた自身のためにそうするように頼んでいるのです。(後略)」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P167

 

「ユダ、どんなことでも最後の瞬間まで変えることができる。私に人間として最後の涙を流させるのですか・・・ユダ、友よ、考え直してくれ。天は私の祈りを聞いておられる。それなのにあなたは・・・私の祈りを無駄にしたいのですか。あなたのために祈っているこの私が何者か、よく考えなさい。イスラエルのメシア、御父の子です。ユダ、私の言うことを聞きなさい、わずかでもまだ時があるうちに・・・」

 

「いやです、聞きたくありません!」

イエズスは顔を覆い、草原の端に膝を折って、かすかに肩を震わせ、声もなく泣く。

 

(中略)

『私をゆるしてください。それだけを望みます』とさえ言えばよい。そう言えば、私はあなたを救い上げよう」

 イエズスは立ち上がって、両腕でユダを抱く。神なるイエズスの涙はユダの毛髪の中に散ったが、それでもユダには、その言葉が言えない。口は閉ざされたままである。

 

 

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P169

 

「ああ父よ、あの男を救うために、なお、し残したことがあったでしょうか? あの罪を防ごうとするのは、私の命のためではなく、ひたすら彼の魂のためであることを、あなたはご存じです。父よ、どうぞ、お願いいたします。闇の時を早めてください。生贄の時を早めてください。贖われることを拒む友人のそばにいるほど、辛いことはありません。これほど残酷なことがあるでしょうか」

 イエズスは、敷きつめた美しい三つ葉の上に腰を下ろし、腕で胸を抱き、頭を垂れる。

「ああ私は、彼の後悔の涙をついに見ることはできない・・・この孤独・・・悲しさ・・・だが天は私を慰めるために何もしてはくださらないだろう。私は独りでこの苦しみに耐えなければならない、この耐え難い苦しみに」

 イエズスは静まり返った野原に座って泣く。

 

 

 

 

9.聖母もユダのために祈られた

 

 

聖母マリアの詩下P329

 

聖母マリア:

「お気の毒なお母さん!私がどう考えているか、お知りになりたいのですか。まあ、そうですね。ユダは、ヨハネのような明るい心の持ち主でもないし、アンドレアのように柔和な人でもないし、固い決心ですっかり変わったマテオのような人でもありません。移り気の・・・そうです、そのとおりです。でも、あなたと私の二人でユダのためによく祈りましょう。泣かないで。あなたはわが子を誇りたいという母の愛のために、事実を必要以上にゆがめて見ているのかもしれません・・・」

 

 

 

 

10.主はすべてご存じだった

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P170

 

 そのことは、私がみことばとして、しかも人間としてこの世に来た時から知ってはいました。神殿であの男に出会った時から分かっていました・・・(中略)

人間となった神には幻想はありません・・・

 

 

 

マリア・ワルトルタ35・9/天使館第1巻P308

 

わたしはといえば、ユダヤ人の恨みやユダの敵意を買うとわかっていても、言うべきことがあれば歯に衣を着せずに言いました。わたしはユダを従わせるためには金銭で足りるだろうとわかっていたし、そうすることもわたしにはできました。贖い主であるわたしにはできないが、金持ちのわたしにはそれができた。パンを増やしたわたしには、もし望みさえすれば金銭を幾らでも増やすことができました。しかしわたしは人間的満足を得させるために来たのではなかったのです。誰に対しても。ましてやわたしが召し出した者に。わたしは犠牲、離脱、貞潔な生活、慎ましい地位を説いた。もし、どんなにしても自分のものにしようとして、ある者に、その心身の官能主義を満足させる金銭を与えるなら、わたしはといえるでしょうか? 義人といえるでしょうか?

 

 

 

 

11.わたしのパンを食べている者が、私に逆らった

 

 

ヨハネ13・18

 

わたしは、あなたがた皆について、こう言っているのではない。わたしは、どのような人々を選び出したか分かっている。しかし、『わたしのパンを食べている者が、わたしに逆らった』という聖書の言葉は実現しなければならない。

 

 

 

詩篇41・10

 

わたしの信頼していた仲間

わたしのパンを食べる者が

威張ってわたしを足げにします。

 

 

 

詩篇55・13−15

 

わたしを嘲る者が敵であれば

それに耐えもしよう。

わたしを憎む者が尊大にふるまうのであれば

彼を避けて隠れもしよう。

だが、それはお前なのだ。

わたしと同じ人間、わたしの友、知り合った仲。

楽しく、親しく交わり

神殿の群集の中を共に行き来したものだった。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P189

 

「しかも、一番恵まれた者がその恩ある者に打ちかかろうとしています。『私のパンを私と共に食べた者が、私に向かって踵を上げた』のです」

 

 

 

 

12.ユダヤ教会を表象

 

 

天界の秘義4751[3]

 

ユダヤ民族は最初からこのような性質を持っていたのであり、それで旧約聖書の聖言から明白なように、何か内なるものが彼らに明らかに開かされることは不可能であったのであり、彼らはこうした最悪の種類の自己愛の中に根を張っていたため、もし貪欲により内なるものから遥かに遠くに遠ざけられて、そのことにより暗闇の中に留め置かれない限り、内的な諸真理と諸善を汚し、かくして他の凡ての者にもまさってそれらを冒涜するのである、なぜなら彼らは承認しない限り、冒涜することは出来ないからである(1008、1010、1059、2051、3398、3402、3489、3898、4289、4601番)。主がヨハネ伝で彼らについて『あなたらはあなたらの父、悪魔から出ており、あなたらの父の欲望を為そうと欲している。彼は始めから人殺しであった』(8・44)と言われ、ユダヤ教会を表象したユダ イスカリオテについては、『わたしはあなたら十二人を選ばなかったか、だのにあなたらの一人は悪魔である』(ヨハネ6・70)と言われたのはこうした理由によっているのである。ユダが主を売ったことにおいてユダによってもまた、『さあ、我々はヨセフを売ろうではないか』と言ったユダによりここに表象されていることに似たことが表象されているのである。

 

 

 

黙示録講解433ヘ

 

かの国民の性質はいかようなものであったかもまたイスカリオテのユダについて言われていることにより記されている、なぜなら彼はユダヤ国民をその教会の点で表象したからである。なぜなら主の十二人の弟子たちは全般的に主の教会を表象し、彼らの各々の者は教会の何らかの普遍的な本質的なものを表象し、イスカリオテのユダはユダヤ人のもとに在ったようなその普遍的な本質的なものを表象したからである。

 

 

 

黙示録講解740ロ[]

 

主はイスカリオテのユダを以下のように呼ばれている―

 

悪魔(ヨハネ6・70)

そして悪魔が彼の心の中へ入ったと言われている(ヨハネ13・2)。

そして彼はそのぶどう酒に浸したパンを取った後で悪魔(サタン)は彼の中に入った(ヨハネ13・27、ルカ22・3)。

 

そのように言われているのはイスカリオテ・ユダは悪から誤謬の中にいたユダヤ人を表象したためであり、それで悪から彼は『悪魔』と呼ばれ、誤謬から『悪鬼』と呼ばれている。それゆえ『悪魔は彼の心の中へ入った』と言われており、『心[心情]の中へ入ること』は彼の意志のものである愛の中へ入ることを意味している。また『彼がそのぶどう酒に浸したパンを食べた後で悪鬼は彼の中へ入った』と言われており、『ぶどう酒に浸したパンとともにか彼の中へ入る』ことは腹の中へ入ることを意味しており、腹の中へ入ることは思考の中へ入ることを意味しており、悪から発した誤謬は思考に属している。

 

 

 

 

13.現世における地位

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスの受難/P11

 

ラザロ:「まさか! 敵はいるにはいるが、それにしてもあなたを売るなどと! 一体、だれが」

主:「私の弟子の一人です。私にだれよりも一番幻滅を感じ、待つことにも疲れ、自分自身にとって危険なものでしかないと知って、その人を排除したがっています。そうすれば、己がもっと評価される人物になると考えている。実際、彼は善人の世界からも、悪人の世界からも軽蔑されるに他ありません。彼がねらっていたのは現世における地位でした。それも初めは神殿に求め、後にはイスラエルの王を通して手に入れようと計ったが、いまはその望みも失い、神殿で新たにローマ人らに期待している・・・。だが、たとえローマが忠実な下僕たちにふさわしい報いを与えたとしても、下劣な密告者は軽蔑してかかとで踏みにじるに違いない。彼は私に倦んでいます。期待しながらも善人を装うという重荷にもうこれ以上耐えられない。もともとが悪人である者にとって“善人のふりをすること”は、圧しつぶされるほどの重荷になります。しばらくは耐えられるかもしれないが、そのうちたまらなくなり、自由になるためにそれを振りほどこうとします。自由!? と悪人たちが錯覚し、彼もまたそう考えているが、それは本当の自由ではありません。

 “神のものであること、これこそ自由です。神にそむくことは足を絞めつける鎖、おもりと鞭の奴隷で、建築に使われる奴隷、船漕ぎに使われる奴隷でさえもそれは耐えられない”」

 

 

 

 

14.サタン

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスの受難/P12

 

神は私において肉体となられ、サタンはケリオットのユダにおいて肉体となったのです。神の御託身が一つしかないと同様に、ルチフェル(サタン)は“自分の国にいるままの形で、一人だけにいる”なぜなら、サタンは神の子を殺す人においてのみ肉体となったからです。私がここであなた(ラザロ)と話している間に、ユダは衆議会で私の殺害を相談し、その任務を買って出ているのです。だが、それはユダではなく、サタンです。

 

 

 

 

15.ユダはあなたたちの生きている諌め

 

 

マリア・ヴァルトルタ

83・6

 

「彼は辛抱しなければなりません。ペトロは、また一人の当事者に定められており、ユダはペトロがその上に彼の部分を織り上げる、麻の粗布のようなもの、もしあなたがそう言いたければペトロがそこで他のどんなものよりも大きくなる学校です。ヨハネに対していい人であること、ヨハネのような霊魂たちを理解することは、頭の働きの鈍い人でも持てる徳です。しかし、ユダのような者に対していい人であること、また、ユダの霊魂のような霊魂たちを理解することができること、またその霊魂たちのための医師、祭司であることは難しい。ユダはあなたたちの生きている諌めです。」

「わたしたちの?」

「そうです。あなたたちの。師は地球上では永遠ではない。一番固いパンを食し、一番酢ぱい葡萄酒を飲み干して後、去って行くであろうから。だが、あなたたちはわたしを引き継いでいくために残ります・・・そして知らなければなりません。この世は師と共に終わらないのだから。この世はキリストの再臨まで、人に対する最後の審判までずっと続いていきます。まことにあなたに言いますが、一人のヨハネ、一人のペトロ、一人のシモン、一人のヤコブ、アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、トマに対して、少なくともそれぞれ七倍のユダがそこにはいます。もしかしたらもっともっと!・・・」

 

 

 

 

16.聖母から司祭へ

 

 

聖母から司祭へ1995.8.5

 

 このフリーメーソンは教会の内部に入り込み、イエズスが一致の中心と基礎にした教会を権力の中枢にしました。それは罪悪の奥義の一面をなすものであり、うろたえる事はありません。

 教会が、その誕生以来、今にいたるまで、そのことをわきまえています。実際に使徒団の中にも、サタンが入り込んで、十二使徒の一人、ユダをそそのかして裏切り者になるように仕向けました。

 このあなたがたの時代に、罪悪の奥義は、全くすさまじい勢いで姿を表しつつあります。

 

 

 

17.最も大きな罪は、神の慈悲を諦めること

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/340.3−4/5巻中 P207

 

「最も大きな罪は、神の慈悲を諦めることです・・・ユダ、私は言った、『人の子に対するどんな罪も赦されるだろう』と。人の子は赦し、救い、癒し、魂を天国へ導くために来ました。なぜあなたは天国を失いたいのですか? ユダ! ユダ! 私を見なさい! 私の目から発する愛であなたの魂を洗いなさい・・・」。

「私を見て、むかつきませんか?」。

「ああ・・・でも、愛はむかつきよりも強い。ユダ、かわいそうな癩病人、イスラエル一の癩病人、ここに来て、あなたに健康を与えることのできる人から健康を引き出しなさい・・・」。

「それを私にください、先生」。

「いいや。それはいけない。あなたの中には真の痛悔や強固な意志がない。私の愛と、あなたの過去の召命にしがみつく、かすかな努力だけです。痛悔の欠片(かけら)はある。けれども、それはまったく人間的なものだ。それはまるきり悪いわけではない。いや、それは善への最初の一歩だ。それを養い、成長させ、超自然的な痛悔へと結びつけ、私への本当の愛に変化させなさい。私のところに来たときのあなたに、本当に立ち戻りなさい。少なくともそこまでは! 一時的で消極的な、感情的興奮にとどめるのではなく、あなたを善に引きつける真の積極的な意識に高めなさい。ユダ、私は待とう。待つことができます。祈ろう。あなたに愛想を尽かした天使の代わりになろう。私の憐れみ、忍耐、愛は完全です。だから、天使の憐れみ、忍耐、愛よりも大きい。そして、私はあなたのそばにいることができます。あなたの心の中で発酵している、むかつくような悪臭の中で。あなたを助けるために・・・」。

 ユダは感動している。本当に感動している。見せかけではない。感情で唇も声も震え、顔を青くして尋ねる、「私がしたことを本当にご存じなのですか?」。

「私は何でも知っています。ユダ、言ってほしいのか? それとも恥をかかせないでおこうか?」。

「ま・・・まさか・・・」。

「それでは、ここ数日前に戻って、疑う使徒に真実を話そう。今朝、あなたは数回嘘をついた。金に関して、あなたが夜を過ごした場所について。昨夜、あなたは、感情、憎しみ、自責を、情欲で抑えこもうとした。あなたは・・・」。

「やめてください! やめてください! お願いですから、もう言わないでください! 私はあなたの前から逃げ出したい! 」。

「それよりは、私の膝にすがって、赦しを願うべきでしょう」。

「はい! 赦してください! 先生! 赦してください! 助けてください! 私の力では及ばないのです。何もかも、私よりも強いのです」。

「あなたがイエズスに対して抱くべき愛を除いては・・・いいから、ここへ来なさい。あなたが誘惑に逆らうのを助け、あなたをそこから救うことができるように」。そして、ユダの腕を抱きしめ、漆黒の髪に静かに涙を落とす。

 

 

 

 

18.主との最初の出会い

 

 

マリア・ワルトルタ/神に出会った人々1巻/P66

 

「望みは何ですか」

「先夜、あなたの話を聞きました・・・神殿で。あなたを町中捜し回りました。あなたの親戚だと言っている人に、あなたがここにおられると聞いて来ました」

「なぜ、私を捜しているのですか」

「許していただけるものなら、あなたに従いたいのです。あなたには“まこと”のことばがあるから」

「私について来るというのですか。そう言うが、私がどこに向かっているか知っているのですか」

「いいえ、先生。でも、栄光へ向かっていくに違いない」

「そうです。だが、この世のものではない栄光に向かっています。天に住み、徳と犠牲によって得られる栄光です。それにしても、どうして私についてきたいのですか」と、あらためて問いかける。

「あなたの栄光にあずかるために」

「天の栄光ですか」

「そうです、天の栄光」

「皆が皆、そこまでたどりつけるわけではない。なぜならマンモンは天に憧れる人々を他の人々よりも試みるからです。“強い意志のある人だけが耐えきれます”私に従うことは、私たちの中に住む敵に対する絶えざる戦い、敵意に満ちた世間やサタンという敵に対する絶えざる戦いを意味しているのに、なぜ私について来たいのですか」

「あなたに魅せられた私たちの心がそれを望んでいるのです。あなたは聖なるもので、力あるものです。私たちはあなたの友達になりたい」

「友達?!」

 イエズスは黙り込み、ため息をつく。ややあって、それまでずっと話していた人を、そしていまマントのフードをとり、無帽の頭があらわれた人をじっと見つめる。ケリオットのユダである。

「並みの人よりも口が立つあなたはどなたですか」

「私はシモンのユダ、ケリオットの人です。だが神殿に仕えています。私はユダヤ人の王を期待し、夢見ています。あなたのことばに王の調子を感じたし、あなたの振る舞いも王のそれです。私をお連れください」

「あなたを連れていく? いま? すぐ? それはできません」

「先生、なぜ?」

「険しい道を選ぶ前に、自分の気もちをよく調べた方がいいからです」

「それじゃ、私のことばを真実ではないと思われるのですか」

「まあ、そうですね! あなたの望みは信じるが、あなたの根気は信じられない。よく考えなさい、ユダ。いまから私はここを去り、五旬祭のとき戻ってきます。神殿にあなたがいれば、また会えるはずです。自分自身の気持ちを十分確かめなさい。」

 

 

 

19.マリア・ワルトルタ

 

マリア・ワルトルタ/イエズスの受難/P292

 

ユダは、マリアの足元にひれ伏して、わびたならば、“あわれみの母”に負傷者のように迎えられたに違いない

 

イエズスが言われる。

「あまりにも大ぜいの人々が、ユダの罪はそれほどのものではないと思っている。のみならず、ユダなしに贖いが行なわれ得なかったので、かえってその貢献のために神のみ前に弁護されているとまで言う人々もいるほどである。しかし、私はまことに言う。もし地獄が、そのすべての苦しみを含めてまだ存在していなかったならば、ユダのために造られたはずである。ユダは、すべての罪人と滅びた人々の中で最も大なる罪人で、根こそぎ滅びた人だからである。

 

 

 

 人が意識せずして罪を犯すとき、私はゆるす。ペトロをごらん。ペトロは私を拒んだ。なぜ? 正確には自分さえ分からない理由によって。ペトロは卑怯な人間か? いいえ、私のペトロは卑怯者ではなかった。兵士の一隊と神殿の番兵たちから私を守るために、あえてマルコスを傷つけ、危うく自分が殺されそうになった。その後、ペトロは逃げたけれどもそうするつもりはなかった。それから、私を否んだ。そうすることを望んではいなかったのに。ペトロは後に十字架の道、私の血まみれの道に残り、十字架の死に至るまで、その道を歩き続けた。一生涯、私のことをよく証し、その不屈の信仰のために殺された。私はペトロを弁護する。それは自分の人間性の最後の迷いであったし、霊的意志力がその時不在だったのである。人間性の重さに圧倒されてその意志が眠っていたが、いったん目覚めると、罪の中に残るのを望まず完全さを目指したのである。私はペトロをすぐ赦した。