昭和58年度に、専能寺門徒全世帯に配布、ご記入後ご提出頂きました「門徒誓約書」の更新作業に入ります。

先の平成21年総会で総代会世話役の皆様には口頭にてご案内しておりました。

詳細決まり次第、専能寺に登録されている門徒全世帯に対し配布いたします。

今一度、門徒としての自覚を新たにして頂きたいと思います。


 
専能寺の「お寺としての活動」をよく理解いただいているご門徒の皆様には必要のない説明ですが…

 ◇専能寺は「墓地管理会社」ではありません。

 ◇お寺とは、本来「死んでからお世話になるところ」ではありません。

 ◇専能寺は、生きている間に念仏のみ教えを聴聞する「念仏の道場」なのです。


 目的地の定まらない私

  ◇宗教は、目的をしっかり定めた生き方(人生)を説き示します。つまり、私自身が

   ○「人生の目的をどこに定めて」 ○「どう生きたのか?」が問われているのです。

 ・ 生まれた時には、お宮参りで神社の鳥居をくぐり氏子として「初参り」をし…

 ・ 結婚式はチャペルのベルを鳴らしてクリスチャンとして誓いを述べて…

 ・ 死んだ時には戒名を授かり仏弟子としての名乗りのもと仏式に葬儀を出して引導を渡してもらう…

 ◇はたして、そのような人生を生き抜かれた故人をどこに見送っているのでしょうか?

 専能寺の活動

 ◇初参式(誕生のお祝いのお参り)〜

    こども会活動(小中学生を対象とし年3回の集い)、

    壮年会活動30歳〜65歳までの壮年会+65歳以上の会員から正信会)

    婦人会活動(世代ごと・さくら・あゆみ・めぐみ・若草・四つの会)

    講演会(過去に開催された例、青木新門氏講演会丸山浩路氏講演会冨田富士也氏講演会

    結婚式や上棟式等…、

  〜葬儀(人生最期の報恩のお参り)まで

  生きている間中関わりを持つことが出来るのが「お寺」なのです。


 宗教が違えば目的地が違う

 
◇神道では死後どこへ?→黄泉の国(地面のした?)

 ◇キリスト教では天国へ召されます。(善人として神の世界に生まれ変わる?)

 ◇仏教では、浄土(仏国土)への往生を勧めます。(=地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上界からの解脱)


 ほってはおけないのが仏さま

 ◇生き方が定まらないから何処に逝ったのかわからない→だから不安になるのではないでしょうか?

 ◇「宗教に人生を合わせる」のではなく、「人生に宗教を合わせている」私がいます。

 ◇そのように、自分自身の人生にもかかわらず目的地を知らず、知ろうともしない私がいます。

 ◇目的地(安心)が定まらない、そんな迷いの人生とも気付かない私を「みてられないのがアミダさま」

 ◇「死んだらホトケ」本当ですか?仏となる種まきをしなかった人が何故仏となることが出来るの?

 ◇死んだらホトケとなるならば、例えばキリスト教徒の方々やイスラム教徒の方々は嬉しいかな?

 ◇宗教が違う→目的地が違う→生き方が違う→「何時」「何処で」「どうなって」安心するのかが違ってくる筈です。


 貴方(私)は死後どこへ?

 ◇例えば…葬儀は、故人にとって人生最期の仏さまへ対する報恩行であると共に、
  遺族親族はじめお集まりの方々に対して仏法を聴聞いただく「仏縁の場」なのです。

 ◇生きている間中お寺との縁を持たないで、死んだ時ばかりお世話になるというのでは、
  そのお亡くなりになられた方にとって、お寺とは一体どんな存在だったのか?と心配になります。
 
 ◇また、遺族にとって一番の心配事は、
  「死んだ家族はどこに逝ったのか?」ということではないかと思いますが…


 安心の人生に出会う→お寺の活動

 
◇不安の人生から→安心の人生を恵まれること→「救われる」といいます。

 ◇「死んでから救われる」のでは間に合わないのです。

 ◇生きている今救われるから安心して人生を生き抜くことが出来るのです。

 ◇安心の人生に救われるためにお寺は様々な活動を展開しているのです。

 ◇人生の目的地を定め、何のために、どう生きるのか…



不完全につき修正予定(不定期更新)

専能寺『門徒誓約書』 再提出について