パトグラフィーW 三島由紀夫 投稿者:大森嘉彦 投稿日:2025/07/06(Sun) 07:41 No.448
パトグラフィーW 三島由紀夫
参考資料のうち、肝心の仮面の告白が紛失していたため、多少正確さを欠く内容である事をお許し下さい。
三島は、大変気難しく癇癪持ちだったお婆さんの教育方針で、児童の間、女の子として育てられ、友達として女の子ばかりが、三島の遊び相手として与えられ、うるさい事を嫌うお婆さんの機嫌を損ねない様に、音の立たないおままごとの様な遊びばかりを、強制されました。男の子では無く、女の子として過ごしてきた三島の恋愛対象は、男性になって行きました。先にも触れた、児童の年齢、特に5歳位の年齢は、その人の人格を決定づける、人間にとって大変センシティブな年齢で、この頃に刷り込まれた記憶や生活様式は一生を左右します。
三島は若い頃脆弱な身体つきだったこともあり、男性的な男性、つまり、筋骨隆々な男性を恋愛対象としました。脆弱な自分に対照的な男性を求め、自分のレゾンデートルとして、その様な身体になる事を求め、ボディービル等で鍛え上げ、遂に憧れの対象に自らなってしまいました。自分の愛する対象に自分がなってしまったのです。
作品、仮面の告白は、自伝的な小説です。しかし、現在と違い、特に日本で同性愛は、かなり社会的な圧迫があったので、これは告白だけど、仮面だよと言うタイトルにしたわけです。
確か豊穣の海だと思いますが、それの執筆以降三島は、急速に政治活動に接近していきます。
やがて、楯の会を主宰し、天皇を中心とする政治様式を主張し、東京、市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部で、面会中の総監を拿捕し自由を奪い、自衛隊員に向けて演説後、割腹による自害を果たしますが、これは、三島の仮面の告白を読んでみると、三島にとって、実は天皇はどうでもよかったように思えます。主たるものは、天皇の為に自害する私であり、性的な嗜好であった、聖セバスチャンの様に、誰かの為に殉教する事自体に価値を見出していたのでは無いかと私には思えます。愛する部下の介錯を受けて、自害するのは三島にとって、仮面の具現化であり、究極の自己愛だったのだと思います。
三島の愛する対象は、汚穢や(汲み取り屋)の若者であり、花電車の運転手であり、背後に悲哀を感じる男性であって、性的嗜好を聖セバスチャンに求める様な性癖は、三島を特異な方向へと誘いました。 愛する対象は、悲哀を感じる男性だとは口が裂けても言えず、自伝的小説、仮面の告白を書き、フィクショナルな世界に自らを託しましたが、飽き足らず、楯の会に行ってしまったのではないでしょうか?
天皇や政治活動なんかどうでもよかったのかも知れません。三島由紀夫が最も重要だった事は、究極の男性(三島の部下)に愛される事と、己の死に様に於いて、究極の悲哀を自ら感じて死ぬ事だったのだろうと私には思えます。
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