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詩
投稿者:
大森嘉彦
投稿日:2025/06/27(Fri) 03:51
詩
出典 太宰治 人間失格挿入文 ギイシャルルクロオの詩
荒っぽい歓びを求めなければ、大きな悲しみはやって来ないものなのだ。行く手を遮るじゃまな石を、ひきがえるはよけて通る。
記憶で書来ました、ここでは文献があっても記憶で書きますので、細部表現は正確でないかも知れません。
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詩
投稿者:
大森嘉彦
投稿日:2025/06/25(Wed) 23:44
詩
出典 性格 相場均著 臨床心理学者
作品 小嶋謙四郎 臨床心理学者
題名 静かな椅子
残夢
T
リノリウムの剥げかけている廊下を
ペちゃり ぺちゃり
素足を鳴らして
頭でっかちの顔色の蒼い少年が
とおっていく
ふとっちょの女が
ながし目をする
朝
かたい寝台のうえで
ぼくは ねがえりを うつ
黄ばんだ毛布が
獣の肌のように匂う
窓際の空を映して
青い瞳のように澄んでいる
白い花瓶に
裸にされた夢が
逃げ込もうとあせっているのだろうか
U
リノリウムの汚れている廊下を
ツェルツェ(白衣)の行列が めぐる
回診だ
もうじき ぼくの部屋にも来るだろう
冬
窓硝子が凍える
夢は
石ころとなって 川底に沈む
魚となる
石ころ
からから鳴る 河原に
冬蝿のように
眼をしょぼつかせながら
痩せた足を
踏んまえているのかもしれない
V
ぼくの
残夢
蒼空
僕の部屋の窓からは
背伸びしても見えない
遠い 遠いところへ
いってしまうのではないでしょうか
神さま
あなたの瞳のように
ちかよりがたい
蒼空
鉄屑の山に
赤錆びてたんぽぽが咲いてる
僕の白い手のなかでは
断れた電球の
憂鬱な顔
U
蒼空
神さま
あなたのおきわすれた青い消しゴムで
僕は 何を
消したらいいのか
雨に流され
風化して尖ってくる
みちばたの石ころ
ささくれだつ 退屈に
ひっかかってくるのは
あなたの濡れ衣装ばかり
雲に
足をひたせば
涙が逆流してくる
V
神さま死ぬばかり 苦しい
このよれよれの青い毛布に
くるまっている
骨のとびでた
幸福
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パトグラフィーV 川端康成
投稿者:
大森嘉彦
投稿日:2025/06/25(Wed) 08:21
パトグラフィーV 川端康成
川端は、大変な孤独の人でした。まだ幼い頃に母親を亡くし、次々に肉親を亡くしていって、極めて孤独な人生を送りました。彼の文学の母体は、この圧倒的な孤独にありますが、彼は、孤高で、大変人格面で優れていたとも言われている様です。
川端には、心理学で言う口唇期固着があります。口唇期固着と言うのは、乳房を求めてやまない愛情への飢えであり、甘えです。口唇性格と言う用語が精神医学にはありますが、口唇期固着がある人の性格の事で、長くなるので割愛します。
彼はガス自殺をしました。自殺の原因は、政治嫌いの川端の師弟である、三島由紀夫が、川端を批判し、楯の会を作った事が、原因だったとされます。
七十年台には、都市ガスには一酸化炭素が含まれ、酸欠死ではなく、中毒死になる為、比較的楽に死ねる方法とされていました。自殺の現場で、川端の仕事部屋がある葉山マリーナは、風光明媚な場所にあり、部屋に充満させて、景色を眺めながら、ゆっくり意識が遠のくのを待つのに相応しい場所でしたが、彼の自殺は、ガスのホースを咥えると言う、普通はやらない著しい苦痛を伴う手段を取っています。これは中毒死する前に酸欠死をしてしまう。また、ガスの勢いは大変強いので、高齢の川端には、大変な苦痛を伴う死でした。この形態を、心理学的に考察すると、死に於いてさえ、極めて強い母なるものへの飢えがあったと考えられます。ホースを咥える事は、母の乳首を咥えることの象徴と出来るため、死に及んでさえ、老人の川端は、最期の時でさえ、母を求めながら死んでいった訳です。
彼の文学は美と幻視や人間の孤独を描いたものか、エッセイが占めます。ノーベル賞を取ってからは、専らエッセイを書くようになっていました。川端の死は、三島由紀夫はトリガーに過ぎず、根本は文筆活動における創作能力の枯渇にあったと思えます。
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言語と聖書
投稿者:
大森嘉彦
投稿日:2025/06/24(Tue) 18:23
言語と聖書
言語は、極めてデジタル的に出来ています。モザイクに似て、部分的に読むと、意味が分かりにくく、俯瞰してみると、意味合いが、良く伝わります。デジタル信号は0と1により、全ての領域を構成します。言語は文字と言う単位を単語と言う構成に組み合わせて、意味合いを持たせて、それらを組み合わせて、構文にします。これらを見てわかることは、言語はアナログ的な構造ではないと言う事です。コンパクトディスクの走りの頃、良く謳い文句に、デジタル信号は、アナログの様に、ノイズが入りにくく、音が良い等と言われました。この表現は厳格には正しくないのですが、アナログプレーヤーに比べると、コンパクトディスクはアナログ程取り扱いがセンシティブではありません。
デジタル信号はゼロとイチですが、一般のコンパクトディスク盤は、完全な0と1にはなっていません。理由は主には、ディスクのポリカーボネートの問題と、コンパクトディスクのアルミ膜の帯磁、工場で貰ってくる電源ノイズです。デジタル信号は、本当はとてもノイズに弱いので、買ってきたコンパクトディスクは音が悪いと言う事なのです。
デジタルの世界では、信号が基本0と1の為、しっかりノイズ対策を取ったパソコンで取り込み、前途した事への対策を取って、コンパクトディスクを新たに焼けば、デジタル復調と言って、音の悪かったコンパクトディスクを、マスターの音に戻す事が可能です。
この事は、御言葉、と言うより、グランドナラティブである聖書の理解と関係があるような気がします。センテンスを拾っても、それは意味が有りますが、筆記者は、その部分を伝えたかったのかと言う疑問の中で、前後のセンテンスとの連結、新約と旧約との連動性まで読み解かないと、私は理解してますとは言えない気がします。そして何より同じ事が、書いてあっても、違う人には違った意味で捉えられてると言う言語のデジタル性、連続したアナログ的な括りが言語には無い事と、新約ですら2000年も前に書いた文章の筆記者が、語る言葉の主旋律を何処に見出すかで、結果が大きく違います。聖書は大海原の様です。迷子にならない為には、正しい羅針盤が必要です。その為にも説教は重要なものです。
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思索
投稿者:
大森嘉彦
投稿日:2025/06/24(Tue) 09:09
思索
動物にも心はあります。でも、思索は人間にしか出来ません。人間に限定された機能によって、私達は思いを内省し、真実に近づこうと、努力します。
これが思索ですが、何故人間だけ思索するのでしょうか?思索は時に苦しいものです。それは天地創造に似てるかも知れません。何も無い中で、思考と言う構造を創造するので、模倣と違い、苦しみを伴うのです。動物の心には、構造が、多分ありません。神が、我々に苦しみを伴う思索と言う能力を与えたのは、興味深い事です。アインシュタインとオッペンハイマーがいなければ、核分裂は未だ発見されず、兵隊同士が殺し合う、オールドスタイルの戦争が今でも主流だった筈です。思想や宗教、音楽や美術も、思索を源泉とした人間に与えられた権能です。我々はキリスト者として、また、現代に生きるクリスチャンとして、我々に与えられたミッションを、暗中模索のなか、思索していかなければならないと考えます。