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いくつかの話 2


1.戸井線


2.大間鉄道


3.寿都鉄道


4.ハマ線


5.芝山鉄道

2.大間鉄道(未成線)

・・・すでに連載した「南部縦貫鉄道を歩く」の当日の夕方、私はむつ市に宿を取りました。そして翌日は早起きして、下風呂まで直通で行けるバスに乗りました。バスの窓からちらちらと見える、大畑線跡も少し気にかけながら大畑を過ぎ、そこからは津軽海峡の向こうの戸井線と同じく未完に終わったという「大間線」の跡を見ようと目を凝らしました。
 でも、このまま下風呂までただ行ってしまうのもなんだか芸がない気がして、地図で「下風呂小学校」とあるのに目を付け、そのあたりからぶらぶらと歩いてみることにしました。なぜ小学校かというと、こんな海べりの集落の学校は、もしかすると懐かしい木造校舎であったりするかもしれない、という考えからです。

 けれども、結果から先に言うと、坂の上に立つ小学校は、ピカピカに新しいものでした。木造校舎なぞを期待していた身としては少しがっかりしたけれど、平日の朝の、子供らが登校している学校を見るだけでもなんとなくほのぼのとした気持ちになるものです。坂の途中の民家のわんこに挨拶して、元の海べりの道に戻りました。

 ぶらぶらと歩いて、もうすぐ下風呂温泉というあたりで、山側にある看板に目がいきました。正確には思い出せないのですが、確か「津波の来たときの避難先:下風呂小学校・この上」という内容でした。下風呂小学校は今見て来たばかりなのだから、この上にあるはずがない、どういうことだ?と考えるうち、ピンと来て、そこの階段を上り始めました。途中で2つに分かれて、左側を行くと家が何軒か並んでいるところに出ました。元に戻り、今度は右側を上って行くと、どう見ても学校の正門前の石段・・という印象の数段の石段にたどり着きました。その向こうは、少し広くなっています。つまり、何年か前までは、ここに下風呂小学校の校舎があったということではないだろうか、と思い、小さな発見にうれしくなりました(とはいうものの、本当かどうかはわからないので、間違っていたらごめんなさい)。その奥の開けたところにも踏み込みたかったのですが、工事関係の人の事務所という感じのプレハブのたてものがあり、平日のため人がいる様子なのであきらめました。


幅広の、いかにも学校の正門という風情の石段。

 その、海べりの道から左右に上って行く階段の間は、切り取ったようになっているのですが、そこにどう見てもトンネルにふたをしたらしいコンクリートの構造物を見つけました。『鉄道廃線跡を歩く 3』の大間鉄道の紹介にも写真がなかったものなので、大発見をしたような気持ちになりました。うろつくのが趣味だと、たまには特をします。徒労に終わることも多いですが・・・。

←トンネルをふさいだような跡がある構造物。