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時の話題
2006-5
LAST UPDATE 2007-01-05
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先月
今月の目次
◇印は《
日々雑感
・
新掲示板
》より転載
◇
表情コミュニケーション
(06/5/27) ◇
好みの否定と期待・依存
(06/5/11) ◇
特別支援教育コーディネーター
(06/5/10〜12/5) ◇
領土領海問題と在日米軍
(06/5/8)
【表情コミュニケーション】vol.317《
日々雑感
より》
◆まもなく10ヶ月になる乳児の三男。微笑みかけると精一杯の笑顔で応えてくれる。たとえばアスペルガー症候群は表情や言葉のニュアンスを読み取る能力に劣るということを読んだり聞いたりするが、今朝、三男と微笑み合いながら、人間社会における表情や言葉のニュアンスの果たす役割を考えていた。自己の身体認識もまだ不十分な乳児が「微笑み返す」というのは、意識的に表情を作っているのではなく、本能的に他人の感情を読み取って同じ感情の表情をやはり本能的に作っているのだという説がある。他人の感情と自分の感情とを混同することは防衛反応の一種としてフロイトが指摘している。片思いの人と目が合った時に、あの人も自分に好意を持っているのではないかと思ったり、イライラしている時にたまたま目が合っただけなのに、相手が自分に敵意を持っているから自分はイライラさせられているのだと思ってしまったりというわけだ。しかしそれは、フラストレーション解決の心理的反応である以前に、本能的な能力ではないかと思うのだ。ニコニコしている人をみると何となく楽しくなり、痛みを訴える表情に接すると自分も何かしら痛みを覚えたような気がする。読書で十分なようにも思う教科学習でも、生身の人に教えてもらうと感覚的に身につくのもそうだし、無言の説教が成り立つのもこうした本能によるものなのではないか。「目は口ほどにものをいう」とは正にこのことだ。サブリミナル効果や政治家のパフォーマンスも、こうした人間の本能との関連で問い直してみたいと思う。家族やご近所、同僚や生徒との関係も生身の表情や言葉のニュアンスが重要な要素であることは経験的に理解しているつもりだが、それはこういうふうに説明できるのではないか。そして、人と接するということは、こうした表情や言葉のニュアンスが大切な要素として成り立っているということを常に明確に意識していきたいと思ったのだ。テキストだけでは味気ないし、受け手に誤解されかねないので顔文字をつかうという若者文化も、立派な人間関係能力であるといえよう。(
778
、06/5/27)
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【好みの否定と期待・依存】vol.316《
日々雑感
より》
◆「言下に否定される」というのは気分のいいものではない。お気に入りの焼鳥屋を先日紹介したのだが、どうだったかと聞くと、言下に否定されてしまった。互いに「好みの問題だろう」と折り合いをつけたが、好きなものをけなされるということはこんなにイヤな気持ちになるのかと、ずいぶん考え込んでしまった。単に間違いを指摘されたというのとは少し違う。熱烈な阪神ファンが阪神をけなす言葉にムカつくのに似ているかもしれない。しかし、「自分の好み」の否定は人格否定の匂いがするからだけだろうか?「この人はこういう反応をしてくれるだろう」という期待が裏切られた失望感が加わっているからこそ余計にキツイのではないだろうか?心の内では、深層心理学でいうところの合理化が始まる。相手の判断に、相手そのものに否を認めるための理由づけを始めてしまう。趣味にせよ、味覚にせよ、文学的見解や政治的意見にせよ、「好み」が加わるものを「言下に否定する」ことは不快感と人間否定を招きかねないことを自らの自戒としよう。また、期待は依存と密接な関係があると思うのだが、自分が他人にどのように依存しているか、依存されているか、冷静に把握することも大切であると気付かねばならない。こうして、考えてみると、自分がいかに不用意な言葉や態度を取っているか、考えこまざるをえない。夫婦・親子・生徒・同僚といった密接な人々との関係を振り返るとともに、ネット上のテキストコミュニケーションによる過度の期待や失望効果についても、考察をしなければなるまい。(
770
、06/5/11)
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【特別支援教育コーディネーター】vol.315《
日々雑感
より》
◆県教育研究所で、「特別支援教育コーディネーター養成講座(高等学校)」の初日。大阪教育大の竹田契一教授による講演と、参加者のグループ討議。20年ほど前の「教育相談」は学校への適応を指導することに重きがおかれ、79年に続く新たな隔離切り捨て施策だと批判があったが、大学でカウンセリング等を学んだうえで教員になったばかりのkurochanも強い違和感をもっていた。しかし、今は軽度発達障害、つまりアスペルガー症候群やADHD(注意欠陥多動性障害)・LD(学習障害)などの子どもが高率にいることが指摘され、個々人に応じた支援が叫ばれるようになっており、隔世の感だ。僕自身を含め、教員の理解はまだまだ遅れているが、実際直面している課題である。(
769
、06/5/10)
◆午後から、「特別支援教育コーディネーター養成講座」の一環として、「特別支援教育ボランティア養成講座」に参加した。愛媛大学の花熊暁教授による講演「軽度発達障害者の理解」がメインだ。LDやAD/HD、高機能PDD(高機能自閉症やアスペルガー症候群)についての理解と支援のヒントをたくさん得ることができた。「大人の度量を問う子どもたち」という表現には、閉会挨拶者と同様、kurochanもぐっときた。(
786
、06/6/17)
◆今年度から始まった奈良県教委の特別支援教育コーディネーター養成講座(高等学校)最終日の今日12月5日、大阪府立芦間高校の笠井教諭の実践報告を聴かせていただき、また分科会での実践交流を通して、実践レベルのいろいろなことを学び、たくさんのヒントを得た。修了証をいただいたわけだが、まだまだ研修を積み重ねていかなければならないし、実際の事例にコーディネーターとして関わる経験を積んでいかねばならない。(
887
、06/12/5)
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【領土領海問題と在日米軍】vol.314《
新掲示板
レスより》
◆領土領海の問題は、古今東西に繰り返されてきた問題ですね。歴史的経緯も解釈に差があるし、そこに経済的利害や国内外に対する政治的駆け引きが加わるからややこしいんですよね。この間も日刊双方で領土問題に絡めた政治的駆け引きがありましたが、在日米軍基地の存在や実態もまた歴然たる主権侵害だし、それを政治経済的に利用している側面もまた見逃せないということともつながる難しい課題ですね。何が「お人好し」かは、これまた難しい判断ですが、僕も海兵隊の移転費用の負担はあまりに理不尽だと思っています。(掲示板レス、06/5/8)
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