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時の話題
2004-2〜3
2004-03-09
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今月の目次
◇印は《日々雑感》より転載
首相の靖国参拝は憲法違反(04/2/29) ◇警察の裏金疑惑(04/2/29〜3/6) ◇網野善彦さん(04/2/28) ◇国民保護法案批判(04/2/26) ◇組織動員(04/2/25) ◇戦争の真実を伝えるジャーナリズムを守れ!(04/2/15〜24) ◇天理市立小学校障害者差別発言事件(04/2/14〜21) ◇奈良県外教第28回学習会(04/2/11) ◇高校生の活躍(04/2/5) ◆外国人犯罪統計のトリック(04/2/3〜18)


【首相の靖国参拝は憲法違反】vol.186《日々雑感より》
◆小泉首相の靖国参拝訴訟で、大阪地裁は参拝を公的行為と認定した。憲法判断はしなかったが、三権分立が教科書通りに機能している日本だったら、明確に違憲判決がでただろう。それにしても「何で私が訴えられるのか分からない」という小泉首相の感想は極めて問題だ。こんなことでは6ヵ国協議で信を交わすことなどできないのは当然だ。(476、04/2/29)[→2月目次]

【警察の裏金疑惑】vol.185《日々雑感より》
◆警察の裏金疑惑は旭川に限らず警視庁をはじめ全国各地に蔓延しているのだろう。総計年300億円にも届くとの見方もある。さらに、関連団体もからませた許認可行政による何重もの収奪は、天下りによる退職金という公然たる横領をも準備しているという構図は、警察だけに限らないし、機密名目で大金が闇に消えているのは、警察より軍ではもっと巨額であるはずだ。地域住民に慕われたり、体を張って地道に奮闘する警官も多いはず。そうした警官たちを駒のように使うキャリア組の腐敗を徹底的に正さねば、この国の治安を根底から崩すことになるだろう。現職や元署長たちの勇気ある証言を無駄にしてはならない。(476、04/2/29)
◆福岡や静岡などでも勇気ある元・現警官による警察内部の公費横領の証言が相次いでいる、各地の警察におかれた調査委員会は、矮小化もみ消し委員会であってはならない。一気に膿を出してもらいたい。また警察におんぶに抱っこの傾向がつよいマスコミ各社も徹底追求のペンをしっかりと走らせてほしい。北海道新聞の長期追求姿勢に学んでほしいものだ。
http://www5.hokkaido-np.co.jp/syakai/housyouhi/document/(479、04/3/6)[→2月目次]


【網野善彦さん】vol.184《日々雑感より》
◆網野善彦さんがなくなった。網野史学ともいわれるように、農民以外の中世のさまざまな人々に光を与える歴史学を切りひらいてこられた業績は、日本史学はもとより賤民史研究にも新たな視点を与え続け、映画「もののけ姫」も彼の研究なくしては生まれなかっただろうと思う。近代史においてはつまらぬ歴史改竄派がばっこする歴史学だが、天皇や国号に関する彼の論考をもっとおし広げてもらいたかった。丁寧で意欲的な研究を長らく続けてこられたことに感謝と敬意を表します。合掌。(475、04/2/28)[→2月目次]

【国民保護法案批判】vol.183《日々雑感より》
◆国民保護法案は極めて反民主主義的な法案だ。国家総動員法に他ならない。地方自治体も縦の支配に組み込まれ、名前とは裏腹に、市民の諸権利を踏みにじり、戦争協力を強要する悪法だ。私権の制限は、地域社会にも、民間企業にも、家庭生活にも及び、「非国民」なる忌まわしい言葉が幅をきかすようになるだろう。「日の丸・君が代」の法制化、新ガイドライン、住基ネットの稼働、、有事法制、体制に従順ならしめる「こころのノート」の配布、強引な靖国参拝、そして一連の自衛隊海外派兵ときた流れは、教育基本法改悪を経て、9条改憲につながるのは明白だ。戦争美化の教科書登場、拉致問題を踏絵に利用した戦後補償問題のもみ消しと相まって、「戦争ができる国作り」つまり軍需産業という「人の命と引き換えのボロ儲け」が巧妙に仕組まれていると考えられるではないか。(474、04/2/26)[→2月目次]

【組織動員】vol.182《新掲示板より》
◆動員というのも考えもので、きっかけづくりになる面もあれば、中身が伴わなず質が問われる面もありますよね。昨夏、奈良教組の集会に先立ち実施された集会で「THE NEWSPAPER」の公演がありましたが、その冒頭、多数集まった人々に対して「熱心なのか、つきあいがいいのか!」とツッコミ、いきなり笑かしていましたが、ホントそうだと思います。僕はどんな集会でもなるべく前から3列目以内に座るようにしていますが、やはりその日も後ろから席が埋まっていくんですからね。後ろだからいけないとは一概に言えませんが、みんながみんな後ろの席を狙い合うなんて、情けない光景ですね。座席といえば、ずいぶん前ですが、橿原市立体育館で行われた奈同教(現奈人教)の研究大会で、やはり僕は一番前に座っていたんですが、その日、講師の露の新次さんが仰った言葉が忘れられません。落語家らしい張りのあるよく通った声で冒頭こう仰いました。「後ろの方の座席で寝ている人!こんな集会に来て、寝ているようでは、寝た子は起こせませんよ!」。(ようちゃんへの掲示板レス、04/2/25)
◆奈良の場合は教組に大きく二つの流れがありますが、どちらかな?どちらにせよ、個々の教員の中には、子どものことより自分個人の仕事が楽になることを一番に願うものが多々いますし、その後ろめたさを理屈で補強してくれる運動方針で、すっかり勘違いしてしまっているものたちまでいるような気がしています。解放教育にもそれは言えて、子どもたちのしんどい話には、あれこれ理由をつけて立ち入らないし、それを正当化する論理を準備する運動方針で、逆に偏向キャンペーンが張られたりすることは、これまで何度も経験してきたことですからね。またこの間、表だった対立は無かったように思いますが、各党派のビラには依然よく見受けられる論理ですし、天理市の障害者差別事件でも、そんな歪んだ組織の論理が持ち込まれそうな予感がしています。宝島社から出た「同和利権の真相」シリーズに対抗して解放出版社が「『同和利権の真相』の深層」という本を最近出しました。新聞の書評では、両者を批判するものもありますが、僕はやはり後者を推します。冒頭の宮崎學さんの文にも出てきますが、前者に党派の論理がいかに仕組まれているかを暴いています。
 まあ、そんな次元の話ではなく、現場の教員が本当に子どもと向き合い、社会にも目を向け、自らが個人として何らかの社会的実践をしようとしているか?という点が問題で、そういう姿勢を紡ぎ出していく、職場仲間や地域の人間的な相互作用もまた作り出していきたいですね。
 どのような労働組合もそうですが、時短や賃上げだけではなしに、仕事を通じて社会に貢献していくために企業や行政をどう動かしていくかが大切な存在価値ですね。企業の社会的責任とともに、個々の職業人の社会的責任もしっかり自覚しなきゃね。逃げ場を用意し、従順な労働者や兵士づくりに協力させるような党派の巧妙な論理を排除しながらね。(eatyhiroさんへの掲示板レス、04/2/25)[→2月目次]


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