【戦争ができる国作りのための情報操作】vol.172《
日々雑感より》
◆今年はとみに情報操作に敏感になる必要がありそうだ。「戦争ができる国作りが着々と進められている」からだ。一連の有事法制立法化であり、教基法改悪の動きであり、憲法違反の小泉靖国参拝であり、それを中韓の「反発」からしか批判しないマスコミのていたらくであり、イラク派兵や北朝鮮をめぐる情報操作であり、基本的人権を保古にすることが主目的なのに国民保護などという欺瞞に満ちた法案であり、防衛庁の戦争賛美アニメ教材であり、改憲そのものの動きであり、そうした流れを加速させた先の総選挙を反省しない政党であり、有権者でありマスコミなのだから。(454、04/1/13)[→1月目次]
【子どもの人権に関して活躍している友人】vol.171 《掲示板より》
◆子どもの人権に関して活躍している友人がいます。
高校時代の生徒会の先輩なんですが、40年あまり前にあった名張毒ワイン事件で唯一生き残った妊婦の被害者の子どもです。彼の父親はその事件をきっかけに環境問題に取り組み始め、ゴルフ場の農薬問題で政府に抗議に出向いたことで有名になった方です。
その友人は、そんな家庭的背景もあったからでしょうが、社会的問題に関して、自分のできることをすぐに実践に移すということを高校生にしてすでに身につけていました。学校での人権学習に不足を感じ、実際に隣保館に行って学ぼうと呼びかけたり、養護学校との交流を始めたり、カンボジア難民支援のために募金活動を展開したりと、とても精力的でした。教員たちも、彼を優れた人格者として見つめていたようです。
しかし、彼は常に「縁の下」的存在でした。自分一人で頑張るんではなしに、できるだけ仲間を誘い、それぞれに役割を持たせてみんなで取り組むという組織人でもありました。例えば、カンボジア難民支援では、全校生徒に、余ったろうそくを自宅から持ってくるように呼びかけ、美術部の生徒にそれを溶かしてろうそくを新たに作るように持ちかけ、校内で開いたクリスマス会で、そのろうそくのチャリティー販売をして、ユニセフに10万円を寄付したのです。
彼は、いわゆる受験偏差値では、東大や京大に行く学力があったようですが、在日朝鮮人問題に取り組むために、まず言語を習得したいと、朝鮮語が勉強できる大学に進学します。結局、人権の視点が希薄な大学当局と対立し、ユニセフ関西支部を作ります。ボランティアに頼っていた日本ユニセフはあまり機動力が無く、彼はそんな日本ユニセフを引っぱる形で、日本の子どもの権利条約批准にも大活躍しました。一方で、自立障害者の生活介護のスタッフをしていたり、NPO組織と広く連帯していたり、全同教で特別講演をしたり、様々な活動をしていました。同時に、世界各地を回り、少年兵や児童売春、飢餓や難民の問題などに取り組み、平易で具体的な講演活動もこなしますが、やがてユニセフをやめます。国連という看板を背負っていると、活動しやすい反面、具体的な企業追求がなかなかできないというのがその理由です。開発教育の視点や、人権抑圧軍事政権などを経済的に支える日本企業を実名を上げて攻撃できないのが悔しいと言っていました。
今は国際子ども権利センター代表として、世界の子どもたちの人権擁護のために様々なプロジェクトに取り組んでいるようです。文字通りグローバルに活躍している彼ですが、地域の活動にもしっかり参加しているようで、気さくなお兄さんなんですよ。
僕は、彼の影響も随分と受けましたが、一つ一つの課題への取り組みにしても、大きな視野と視点にしても、やはりはるかに及びません。
「Thik global,Act local」でやっていきたいですね。(掲示板:なずなさんへのレス、04/1/11)[→1月目次]
【イラン大震災と阪神淡路大震災】vol.170《
日々雑感・掲示板より》
◆クイズ111問に出題したが、イラン辺りの冬は結構厳しく、今回の大震災で家や財や、そして家族や親族を失った方々の心身に、冬の寒さが追い撃ちをかけているだろうと思う。元より地震の多いイランにおける、これまでの防災対策が問われてもいるが、革命後のイランを打倒するためイラクのフセインを利用して手段を選ばずイランを追い詰めてきた米国政府の世界戦略の責任も無視できまい。在日イラン人の苦悩にも思いを致したい。(453、04/1/7)
◆阪神淡路大震災の時、テレビを観ているだけでは辛くて、週末を利用し、長田で炊き出しをしたり、リュックを担いでテントを訪問して回ったりしましたが、「お腹を壊しているのに硬くて冷たい食べ物しかない」「アトピー用離乳食がない」「老人用おむつがない」「上着があっても下着がない」「洗濯する水がない」「救援物資が体育館や避難所に積み上げられたままで届かない」「自立のめどがたたない」「指示待ちの自衛隊車輌が邪魔」等々様々な問題が見えてきました。被災者の自立や自尊心と支援者の意識の問題、立場を越えた人と人との連帯のいろんな具体例を通して、それぞれの立場で繋がりあえることの大切さと素晴らしさを学びました。(掲示板:なずなさんへのレス、04/1/6)
◆9年前のこの日のことは忘れない。刻々と増え続ける被災者数を虚しく数えながら絶句しながらテレビを観ていた。頭の中だけで物を思っていることに耐えきれず、数日後には三田回りで現地に入った。長田の公園での炊き出しに集まって来た人々が、スチロール製のカップで僕等が炊いたおかゆを食べながら、淡々と惨劇を語っていた。道を塞ぐ自衛隊車輌より、物資を配る暴力団員の方がニーズに応えていた。(456、04/1/17)[→1月目次]
※兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)・・・・kurochan発行の学級通信「笑顔」に掲載(95/2/7筆)[00/12/19加筆]
【2004年年頭のkurochan宣言】vol.169《
日々雑感・巻頭言より》
◆2004年の新年は、自衛隊のイラク派兵や小泉首相の靖国参拝など、極めて気分の悪い始まりとなった。歴史に学び、真に平和な世界の構築に参画するとは思えず、正に日本国憲法前文とは正反対の日本政府の姿勢に、そして選挙を通じてそんな政治家たちを支える有権者の民度に、暗たんたる思いがする。行政改革に逆行して建設される道路を、爆音マフラーで苛立ちを巻き散らして走る迷惑ドライバー。財政逼迫が聞いてあきれる議員視察に、中小企業を追い詰め悪徳サラ金と結託する銀行や、社会の階層化と軍需産業再生のために選別と従順の教育を目論むかのような文科省と塾産業。健やかで大らかな人間讃歌を、不器用でも大声で歌ってやる!2004年、年頭のkurochan宣言だ。(451、04/1/2)
◆今年は一体どんな年になるのか?安心して暮らせる世の中がだんだんと崩れていくような不安が国内外に広がっています。一市民として、民主社会の一メンバーとして、それぞれの立場から声を上げていくことがいっそう大切になるだろうと思います。「生きることが楽しくなる」ように、楽しく、したたかに、笑顔で闘い続けたいものです。今年も宜しくお願い致します。(04/1/10巻頭言)[→1月目次]