2023 年の 3月〜4月の日記
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4月 30日(火)曇
このところ日に日に気温の上昇が気になるところですが今日は曇っていたこともあって涼しく快適な気温です。
連休中は出かける予定もしないで家で過ごすこと、そして花壇の整備を主体にしようと考えていました。
昨年の夏には花壇の自動散水が可成りの機能発揮してくれて長期に自宅を離れて帰ってきても花壇全滅‥!!、なんて事態にはならず大変重宝しました。
しかしにわか仕立ての排水管、接続部が水圧に耐えきれず漏水・・と言う危険な配管でした。まだ幸いにも下水道本工事が終わって査定中なので水道料金は従来分の漏水分上乗せで済んでいました。
間もなく下水道料金が水道料金に掛かってきますから漏水事故だけは決して許されません。昨年は散水のジョーローはひと口で済まそうと苦労しました。
我が家の花壇は上段と下段に分かれていますのでジョーローはふたつで対処しました。
朝から配管の組み換え敷設を実施して一日がかりの工事は終りました。
電気配線などは好きでよくやりますが漏電なんて予測して防御できます。水漏れは予測不能なのでその分難しい工事でした。
4月 29日(月)晴れ
どちらかと言うと花壇の手入れの要はいつ植え替え時かな・・の判断だと思います。
現在の盛花を誇っている主役はどちらかと言うと春先の花が主体なのです。
元々寒さに強い花として早春から進められて花壇にある花ももとはと言えば寒さが好き‥ではないはずです。
ただ多少の寒さにも耐えられるものの霜などには弱くそんな予報のある時には囲いをしてあげたりしていました。
ですからそんな心配も無くなってむしろ強烈な日差しの当たるころになると日除けさえ欲しがるのではないかと思われるのです。
一見盛んに咲き誇っている花の根元付近をよく見るともうこのまま持ちこたえるのは限界・・というのが現状のようです。
一念発起してこの連休中に夏に強い花に植え替えることが肝要かと思います。
この気候では少し寂しくなるのは一時のこと、すぐにモリモリと夏の草花の本領を発揮してくれると思うのです。
4月 28日(日)晴れ
初夏を迎えてあちこちの木々の梢が私の望まない方向に繁殖したり伸びて欲しい方向が少し寂しかったり・・。
勝手に生えてきた木でも私の思わぬ方向に育ってしまっては困ります。ましてやお金を出して買ってきた木はもっと素直にしてほしい。
玄関先の樹はそこそこの大きさとそこそこの控えめな大きさを要求します。当初からあった楠はあまりにも大きくなる気配なので植栽後15年で切り倒しました。
そしてその跡地ではないですがやはり玄関先の樹として私の選んだのはアオダモの株樹でした。この木は野球のバットにする樹‥と言うことで成長は遅くそして控えめな緑陰‥と言うことで購入しました。
恐らくこの夏を迎えるのは3年目かもしれません。でも株樹が配置よく育ってくれれば風情ある藪の灌木感を醸し出してくれると思いました。
まだそれぞれは細い割にはしっかりと自分の育ちたい方向に幹を主張し始めました。
まだ今の内でしたら・・そっちに延びちゃだめだよ、と矯正できそうです。無粋かもしれませんが一本の杭を打ち込んで強制してみました。
4月 27日(土)曇
朝には小雨も降っていてこのところの日替わりの天気には驚くばかりです。
陽射しもなかったおかげで気温は低め、まあ一枚はおれば快適な活動気温です。
このところ歳のせいで疲労の回復やけがの治りも少し遅くなっていることを実感するこの頃でした。
そんななかちょいちょい整形外科のご厄介になることがあってそのときお医者さんに外科的処置はここまでとし院内の整体師さんのご意見も伺ってみてください。
そんなことから直接整体師さんから体を診てもらったことがありました。すでにカルテで私がまだスキーシーズン中での不具合での来院‥と言うことは分かったうえであなたご自身のケアーが足りなさすぎます、との指摘を受けました。
若いアスリートはもっと自身の体を使った後のケアーはもっと良くしています。それを長く続けることはスポーツ人生の延命にもつながりますよ。
藁にもすがる思いで取り寄せて使ってみました。まあ、中には信用ならないまがい物もありますが効果の上がることに期待しましょう。
4月 26日(金)晴れ
私の誕生日に合わせていつもこの時期に同じメンバーで月島の和子さん宅で呑み会。
今年は和子さんのご主人が亡くなり・・和子さん宅も月島から佃にお引越し、少し寂しい。
24日の予定でしたが朝から雨が決まっていましたので二日後の今日、恒例の呑み会をしに東京まで電車で出かけました。
外は晴れて五月晴れの気持ち良い日でしたが電車は冷房ガンガン運転。日中のオジサンおばさんしか乗らない電車をそんなに冷やすなよ。
呑み友達の和子さんは今度佃に越してしまったのでお住いの場所がわかりません。月島駅まで迎えに来てもらいましたが、今度のお宅は佃大橋通の反対側の佃です。
友人とお宅ですっかりごちそうになったうえ、和子さんごひいきのお店で打ち上げをして遅くに解散。ありがとうございました。
移動中に月島の街で古い交番を見つけて写真に収めました。昭和初期が残っていました。
4月 25日(木)晴れ
昨日一日降り続いた雨も朝には上がって日差しが出てきました。
天気予報では夏日になるかも‥と言っていましたが地域限定のようでした。
朝のうちは少し曇りがちでしたが機能の読み残りの小説があと少しなので読み切ってしまいました。
屋建て10時ころにはすっかり空は晴れ渡って気持ちいいお天気になりました。
我が家の気温は27度まで上がったでしょうか。まだ湿度が高くなかったので比較的しのぎ易かったようでした。
4月 24日(水)雨
今日私は82歳の誕生日を迎えました。shoheiは大リーグでの邦人ホームラン新記録をさらに更新中。
我が家の家系では女性をのぞいて男系では次兄と私が次いで長寿を更新しています。
まあ、医学の発達とお医者さんの忠告を自分勝手ながらも素直に聞き入れて最悪の状態は避けてきた・・おかげと思います。
私の勤務した会社は62歳が定年、ですから20年前の今日送別会の帰りに花束を抱えて家に帰ったことが昨日のように思い出されます。
当時、上司からは嘱託として会社で後輩の手助けをしてほしいという要望もお聞きしましたが私はもう少し人間として極めたいこともありますので・・と辞退してきました。
あれほど恐らく10年近くは定年退職後の設計を見据えての退社、いわゆるソフトランディングで離陸した旅でしたが大した成果も得られないあっという間の20年でした。
朝から雨、いつもは雪山で過ごすことの多かった誕生日でしたが静かに家で読書して過ごしました。これからは本当に晴耕雨読・・の人生が開けるのかな。
4月 23日(火)曇
天気予報ではこのところ気温は20℃に届かず寒い日が続くとか・・・。
昨日は寒かったですが今日は少し気温は上がってしのぎ易かったかと、でも20℃には届いたのかな。
先月、世界マスターズスキー大会をカナダに行って戦ってきました。3種目の成果はスーパー大回転で3位、大回転は4位、そしてスラロームは失格・・と言う結果でした。
最終戦に地元開催のFMC大回転競技に出場してこれは3位の成績。今回のすべての結果は今まで10年かかってやっと手にした自分でも快挙!と言う成績でした。
今までの大会は何処の国に行っても大会はあくまでよその国の大会・・と感じていました。しかしこの大会はwebの力を最大限に利用したことはより身近な大会にしてくれました。
私はカナダに行く前からカナダマスターズスキークラブに会員登録していていつも新鮮な情報が受け入れる環境にありました。
今回、先のWCM大会の公式ホームページも私のパソコンに配信されました。
4月 22日(月)曇・・ぐずつき気味
天気図を見てもかなり難しい気圧配置です。これでは気象予報もかなり難しいこの頃です。
私もボートに乗ったり山に行ったりしますので天気図を読むことはできます。しかし今頃の天気図は読めても予報までは難しい。
結局今日もぐずぐずした天気が続きました。この時期山に行っていて留守がちだったのでいわゆる事務仕事が山積しています。
まあ、天気がすぐれないので家の中の整理に集中できるのが救いです。
そんな折、昨年庭から自然に生えてきた名も知らない樹ですが・・秋には綺麗に紅葉するのです。いつから生えてきたかわかりませんが引っこ抜いてモミジの枯れた後に移植しました。
あらゆる樹木が若芽を伸ばす時期・・枯れてしまったかと思っていたところ新しい新芽が出てきました。さてこれからどう育てようかな。
4月 21日(日)曇
天気予報はあまり芳しくありません。私も今日は家の中で過ごすつもりなのに一向に雨は降りません。
結局一日雨は降らなかったようです。まあそれはともかく読書をして過ごしました。
先週の東京都スキーマスターズ大会で失敗して大腿部を打撲しました。
選手の中にいた医師に診てもらったところ骨、筋、関節・・などの損傷はなく大腿部の筋肉の打撲・・と言うことでした。
家に帰って念のために近所の整形外科に行ってみてもらってもそのような結果でした比較的治りも早く水曜日のクラス会の一泊旅行もできました。
大腿部の打撲はかなりの内出血をしたと思うのですが治るとともにその内出血痕は大腿部から移動し足の下部に・・そして今日は指先が真っ青です。
4月 20日(土)晴れ
風も収まって今日は晴れて暑くなるという予報でした。
我が家ではそれほどの高温にはならずしのぎ易い一日でした。
昨日今日と少し乾燥した風が吹きましたが花壇の給水もしっかり働いてくれたおかげで花も元気に咲いていました。
いつの間に咲き出したのか私の知らない花が立派に咲いていました。恐らく昨年の花の種から咲き出したのでしょうか。
学名・ノースポールギク・・、一年生。
4月 19日(金)晴れ
昨日の天気はどこへやら、今朝は雲もなく快晴の朝ですが風が強く吹いています。
気温が低ければ真冬の木枯らしくらい、気温が高いので湿度もなく快適な北風です。
小学校最後のクラス会のことはお知らせしました。その前にはクラス会のLINEグループがあって4人で運営していました。
今回13人のクラス会開催の中で今後一緒にお会いすることは無理かもしれませんがLINEグループに入っていただいて情報だけでもやり取りしましょうよ。
そんなわけで81歳のLINEグループ・・さて動き出せるでしょうか。今日で新たに4人増え、目標はあと2人です。
4月 18日(木)曇
小学校のクラス会、13人は3部屋に分かれて就寝しました。男子部屋の5人は11時に寝ました。
女子部屋の方では…一睡もしなかった・・とか深夜まで語り合ったとか。
朝食が終わってゆっくり宿を後にしました。体調のすぐれない方など地元の方二名を見送った後古里さん策をしました。
地元でボランティアとして活躍している名刹案内人の方にわたしたちでも知らなかった名所を巡って更に親交を深めました。
4月 17日(水)晴れ
大荒れお天気予報です。ありがたいことに外れたのかな。
特急”あずさ”が多摩川を渡るころは最高の天気になりました。
小学校の時の同級会、今回最後だよ・・。
81歳の男子5名、女子8名が参加してくれました。
4月 16日(火)晴れ
暖かく気持ちの良い寝覚めです。足の痛みは初期のような劇的改善とはいきませんが先ず先ずの進行でしょう。
天気の下り坂にしては朝から好天が続いています。ひとまず花壇で癒されましょう。
この時期になるともう朝の食事の終わるころから花壇には陽ざしが届くようになります。
花壇の周りには芝桜が好き勝手に繁殖して咲き誇れるような場所を作っておきました。
私道の下水工事をする間完成後にここをどうするのか検討していました。
そして工事も終わった後、築山・・にして芝桜の園にしようと決めたのが3月でした。
4月 15日(月)晴れ
予報では下り坂だと思っていたのに朝から良く晴れていました。
足の打撲の様子は衝撃の痛みそのものは無くなりました。あとは腫れ具合の減衰待ちでしょう。
朝食の終わった後なじみの整形外科病院を尋ねました。「あれ!?、まだ膝の具合が芳しくないのですか・・」「いえ!、面目ありません、今度は左足の打撲です」
「おや、ずいぶん腫れていますね」
「はい、スキー仲間のドクターが居て診てもらったところ骨、筋、関節には異状なく打撲損傷です」と言われていましたが。
お医者さんも確認のためレントゲンなど撮って確認しましたが「やはり、シップして自然治癒と言うことにしましょう」
4月 14日(日)晴れ
同じ宿の宿泊者の中に世界マスターズ大会などで同行してくれた選手でドクターが居ました。
世界大会に参加する仲間の中には体調不良やもちろん怪我をする人もいます。そんな時にはとても心強い味方です。
昨日、大会が終わって宿に帰着してからスキー仲間のドクターに打ち身した部位を見ていただいた結果、骨・筋・関節などには異状なく筋肉の打撲と診断され必要な手当てを受けました。
夕方には杖を使わないと歩けないほどに腫れていた部位が今朝にはかなり収まって杖なしで歩けるようになりました。朝食の席でドクターには御礼申し上げました。
いつも気心知れているドクター選手「もうご存じのことでしょうが48時間は禁酒ですよ!」あれ!、オレがこんな時でも呑むんじゃないかと・・。
7時半に皆さんはスキー場に向かって宿を出発。私も早いうちに高速道で帰ろうと上信越道E17の湯沢から乗りました。朝帰りの谷川岳の風景もいいものですね。
4月 13日(土)晴れ
ミツマタの宿「川津館」の朝、目を覚ますと大部屋には8人のスキー仲間が寝ていて目を覚ましました。
私たち3人の寝た後に夜中に新たなスキー仲間が到着した様子でした。でも皆さん顔見知りの仲間。
6時半に朝食を摂り7時半に宿の車でスキー場駐車場に到着。ミツマタスキー場のゴンドラ乗り場にはもう大勢のスキー客が長い行列を作って乗車待ちしていました。
ほどなくゴンドラへの乗車はピストン輸送なので8時には大会ゲレンデに到着。インスペクション前までまだ時間はたっぷりありますので2本ほどフリー滑走で足慣らししました。
大会は二本勝負の一本目、元気よくスタートしましたが中間地点であえ無く旗門に衝突して勢い余って素っ飛んでしまいました。競技を甘く見た痛いお灸・・の打撲で済みました。
しかし、お天気は最高で皆さん楽しめたのではないでしょうか。
4月 12日(金)晴れ
道の駅”かわば”で目覚ましで目が覚めてしまいました、すぐに止めてまた二度寝しました。
7時前もういい・・と言うまで寝て起きました、実に10時間も寝てしまいました。
お茶を飲み、やおら朝食を終えたのはもう9時近くでした。今日は一般道の国道17号を走って大会のあるミツマタまで景色を楽しみながら走りました。
三国峠、今の国道17号は普段すっかり走る車はいません。しかし今はみんなどの車も関越道の関越トンネルで新潟に走り抜けますがこのトンネルで事故があった場合この17号が主要道路になるのです。
その時のためだけにこんなに素晴らしい道路管理をしてしかも走りやすく安全な道路になっているんです。
そしてこの三国峠のいよいよどん詰まりは三国トンネルです。近年快適な新しいトンネルに交代しました。
4月 11日(木)晴れ
3月7日以来久しぶりにスキーを履いてゲレンデに立ちました。
この位空くと少し怖さが先に立ちます。緩斜面からソロリ〜・・。
1か月以上間を開けてとは言えいきなりスキーの競技会に出るのは無謀です。
天気も良く助けてくれました。しかしどうした!、リフト乗車券が戸惑ってしまったのかゲートをスムースに開けてくれません。
貴重な朝の時間インフォメーションに行って調査、「何の支障もありません・・」リフト係の方もこちらの誘導路から入ってください・・と恐縮気味でした。
もうこの時期は10時過ぎるとバーンが荒れてきます。今年最後の丸沼滑走はこれでおしまい。かたしな道の駅で昼ご飯を食べて次へ移動。
今夜お世話になる道の駅”かわば”静かに陽が暮れていきます。
4月 10日(水)晴れ
目覚ましで目を覚ましたのにアレ!?、寝過ごしてしまったかと思えるほどカーテン越しの光は明るいのです。
外の様子は昨日と打って変って快晴の朝を迎えました。気分よくリビングに降りましたがボケたように運転中のエアコンはすぐに止めました。
何時もの通り朝食を食べながらローカル各局と無線で話をしながらあちこちの桜の話題で持ちっきりでした。
車で通勤途上の彼らからは水溜りにも桜の花びらがまるで満開だよね・・・と話す様子に思わずそんな場面を想像します。
そしてそれぞれが職場の駐車場に到着する時分には私の朝食も終わります。これから私はスキーに出かけますから今度出られるのは月曜ですからね。
朝食の片附けをして、しばらく暖かな日差しを浴びながら花壇の花の終わったつぼみを切りそろえたりして・・さて、スキーにでも出かけるか。
今日は一向に急ぎません、今日の夕方までに群馬県片品村の道の駅に到着すればいい。久しぶりに春に変わった景色を見ながらの余裕運転でした。
正面に見える赤城山の右側を向かいますが山の雪はすっかり解けてなくなっているようです。
4月 9日(火)雨・・のち回復
天気予報では朝から雨、ゴミ捨てに行く8時半ころにはさらに強まって昼にかけてかなりの雨降りだそうです。
案の定、ゴミ捨ても終え朝食の片付けも終わるころには相当な音を伴って土砂降りの雨模様になりました。
昨日の水道配管からの漏水事故、市役所からおおよその計算価格が示されてきました。我が家の基本料から試算すると通常使用料よりオーバーした水量加算額は1.5倍になります。
まあ概算ですが通常月1800円くらいですが2700円くらいになりそうです。むかし敷地内で漏水があった時この事故では無料でした、しかし今回のミスでは冷たい対応です(笑)。
幸いにもまだ下水道料金は加算されていないので今までの水道使用量のみの計算だったのは不幸中の幸いでした。これからの時期、花の水遣り配管の管理はもっと厳重にしなくっちゃ。
今日は一日室内で過ごしました。10時過ぎると雨の降り具合が半端でなくなりました。こんな降り方をされてはスキー場の雪が心配になってしまいますね。
4月 8日(月)曇
何となく暖かな朝です。リビングに降りるとエアコンがタイマーで運転中、もういらないよな。
まあその時点で消せばいいことです。でもまだ気温の変化は激しいので、まだしばらくはセットしたままにしました。
朝、新聞を取ってこようと玄関を出た途端、烈しい水音。あれ!?雨の降ったあとなの・・?、いや!!花壇の水遣り配管の接続部が外れて水が奔出していました。
ありゃりゃ・・!、またやってしまった。昨年もそんなことがあったのでほとんど主要な部分は硬質塩ビ管に変えてしまったので安心していました。
今日はそことは別の軟質ビニル管とタイマー装置の接続部だった。さっそくホームセンターに行ってその部分の安心部品に交換したところでした。
ホームセンターの出入り口には季節の鉢植えの花が綺麗に咲き誇っています。以前テレビのコマーシャルでペット売り場のワンちゃんと目が合ってしまって購入した・・なんてのがありました。
今日はホームセンター入り口のダリアの鉢植えと目が合ってしまいました。それで1000円出して購入して来ちゃった、花壇の中の皆さん今度参入しますダリアですよろしく。
4月 7日(日)晴れ
朝寝坊したこともありましたがずいぶん暖かな朝になりました。
久しぶりに昨日はお酒を呑んだ翌朝の少しだるい感じの朝を迎えました。
朝のもろもろを終えたのち久しぶりのお日様の元スキーの手入れをしました。
カナダから帰ってから拭き掃除はしましたが本格的なワックス作業はしていませんでした。先日の黄砂も考慮してその対策用ワクシングも考えていました。
友人の開発したそれ用対策のワクシングはこの大会では私の期待をいつも裏切ることなく発揮してくれた。でも今年は楽しめればいい、ただ好天を望むのみです。
ワクシングをしながら花壇から漂う甘い花の香り・・。芝桜からでしょうか、今年もこれから綺麗に咲き誇ってくれそうです。
4月 6日(土)曇り
今日は貴重な晴れる日・・と気象庁は少なくとも二日前までは言ってたよね。どうした!!
朝には雨も降っているし昼近くになっても曇ったままの空は一向に改善しません。
つまり現代科学のしかも最新鋭のコンピューターを駆使しても気象庁は二日後の天気予報も当てられない‥と言う証明です。
でもすっかり暖かな日差しのもと、土手にブルーシートを敷いてのどかにお花見の宴を予想していた卓球仲間のお爺さん達の頭の中はそうたやすく書き換えられません。
間際になってお花見は中止して我が家でしょぼくれた単なる酒盛りに変更となってしまいました。
奇しくも私は禁酒明けの飲酒訓練期間中です。そしてビールも手術後初めての試飲?・・、結構ウメ〜ジャン・・。
仲間の持ってきた日本酒は岩手の地酒・・しかも原酒で19度もある濃厚な奴でした。まあほどほどで辞めておきましたがいい酒だった。
4月 5日(金)曇り
今日も朝から芳しくない天気でしかもうすら寒い陽気です。
家にこもっていてしなくてはいけない仕事をするにはまあそれなりに適していますが。
先日、カナダに行ったときすっかり顔見知りになった同年代・・そして同じレベルの仲間とかなり親しくなっていることに気がつきました。
残念ながら会話を楽しむことに関しては語学力不足で致し方ないところでした。しかし功を奏して名刺をお渡ししたところすぐにそのQRコードで私のホームページを見てくれました。
親しい友人のそのお仲間にも調子こいて名刺を配りましたが外国の人たちは名刺交換なんてあまりしないんでしょうか。珍しがって要求されたりしました。
すっかりなくなってしまったので新たにプリンターで100枚ほど印刷しました。
おかげで私のホームページもEnglish 対応にしなくてはならない羽目になってしまいましたが。
4月 4日(木)曇り
以外にも今日の天気予報では午後ころには陽ざしも出るかも・・。
昨日以来すっかり雨模様かと思っていただけに取りあえず雨だけは降らないでいてくれることに感謝の日です。
スキー・世界マスターズ、カナダ大会が終わってLINE上では反省会と今後の方針などでコメントが出てきました。
私も今回の参加については今までのおんぶにだっこ・・?ではなく自ら率先して纏めていかなくてはならない状況が発生していました。
最終的にはJAPAN team としてうまく纏まることが出来ましたがその経緯について備忘録としてまとめて報告しました。
午後から某電気機器量販店に行って来ました。このお店は屋上駐車場から店舗フロアーに降りる階段がまるで異次元の世界を想像していて楽しいです。
そして夕方の散歩道、見沼用水沿いの桜の花もやっと咲き誇ってきた感じです。奇しくも卓球仲間から今度の土曜日・・花見の宴・・なんてどう?とのお誘いも入りました。
4月 3日(水)曇りのち雨
昨日の好天はどこへやら、今日は朝から曇っていて今にも雨が降りそうです。
心臓手術から2週間、今日は術後の初めての検診です。そう言えば退院の日も雨だったような。
お医者さんの担当医受診予約は10時半です。しかしその前に血液検査の採取、心電図の測定、レントゲン撮影など事前の検査が目白押しに組まれています。
少し早めに出かけたにもかかわらずさほど大きくもない病院の駐車場は私の車を止める場所がありません。やむなくお隣の大型店舗の駐車場をお借りしました。
ここでの受診前の事前検査・・、私の興味のある数値はγ-GTP 値です。今まで低空飛行というか基準値を少し上回っていて節酒を進められていました。
今回の手術入院で2週間ほどお酒を呑んでいませんでした。結果、完璧に基準値以内に収まっています。ホント体って嘘をつかないものなんですね。
心電図を見てもよくわかりませんが専門医によると今のところ手術は成功したと思われる。更にこの後2か月、そして半年後にもケアーして様子を見たい・・。
4月 2日(火)晴れ
朝から気持ちよく晴れました。
気温は昨日ほどは上がりません。しかし午後には曇ってきて少し気温も涼しげになってきました。
少し早めの散歩に出かけました。見沼用水沿いの桜並木はどんな塩梅になっているのかと期待をもって出かけました。
かなり先始めてはいますがまだ一斉に開花とはいきません。今年の桜の傾向は何やら爛漫の見事さには至らないとも言われています。
この先の天気予報を見ると今度の土曜日には多少晴れ間も出るくらいであとのその前後は雨降りの予想が続きます。
どうやら早くももう太平洋高気圧が本州沿岸にまで張り出してきて梅雨時を思わせる前線が発生しそう・・。もう夏の準備でしょうか?。
4月 1日(月)雨のち晴れ・・再び雨
目覚めた早朝から雨が降っていて、しかもかなり激しく降っていました。オイオイ、天気予報ではそんなこと言ってなかったぞ。
しかしそのうちに止んで晴れてきました。そう、それでいいんだよ・・・と思っていたら昼過ぎからまた雨が降りだしてしまいました。
確かに上空にはこの時期にしては寒気があって南から吹き込む風とまともに絡んで荒れ模様になったようでした。
報道では場所によっては雹や霰が降ったりしてひとまず夏向けの支度で出かけた人たちを慌てさせたようです。
そんなわけで今日の日中、花壇の手入れでもしようと取り掛かりましたが中断してまた明日にすることにしました。
時折ゲリラ的に雨が降ったりしますので今日の散歩は一応見合わせた方が無難と判断しました。
3月 31日(日)晴れ
朝から晴れて気温も上がってきました。今日は恒例の私のホームページの更新をする日です。
こんな天気ですから外に出て活動したいところですが月に一度の仕事ですから我慢してPCに向かいます。
そう言えば私がこのホームページを開設したのが2004年の7月でした。ちょうど今年はその20年目ですから7月には内々ながらお祝いでもしようかと思います。
そしてここを訪れていただいた方は延べ23万4千人の方が居てその方々からのご支援あっての継続してこれたと感謝しかありません。
そして今まで海外からの閲覧も元日本人だけだったのにスキー大会で知り合ったアメリカ、オーストリアの選手なども増えEnglish版も必要になったことは嬉しい限りです。
午後には更新作業も終わってまだ暖かい時間に散歩に出かけることが出来ました。明日には開花しそうですね。
3月 30日(土)晴れ
朝からすっきりした青空・・と思っていたら徐々に晴れ間が広がり気温も上がってきました。
一日快適な空模様と気温に恵まれて玄関先のアオダモの樹も固い芽が一気にほころんで新芽が出てきました。
午後からの散歩はいつもの峯間用水沿いに降りて桜並木を歩きますがひょっとしてもう咲き始めているんじゃないかと期待しました。
おおむねの樹の枝先にある蕾は既に硬さはなくほのかな草色になりながらところどころの先端は更に桃色がかって見えます。
そしてやはり咲きかけた樹もありました。樹全体ではないのですが一枝だけというものなので明日にはすっかり咲いてしまいそうです。
3月 29日(金)雨のち晴れ
朝から風そして雨の強くなる日の予報でした。風は小型台風並みの20〜30mで強かった。雨もしっかり降りました。
しかし天気は午後から急速に回復して風も収まってきました。いつもの散歩する時間には気温も上がって快晴で快適です。
この雨の日に家から出なくてはならない仕事が3つもあります。その一、可燃ごみの回収日なので傘をさしてゴミ・ステーションの場所まで一般家庭ごみを出してきました。
その二、二か月に一度近所の診療所を尋ねて血圧の薬を処方してもらったり先日の手術の紹介状の手配など。手術も無事終わったことも報告してきました。
診療所の帰り道、食料品の補充で近所のスーパーに立ち寄り米、牛乳など買ってきましたがこの頃雨は最も強くなりましたね。
3時半過ぎには空も真っ青に晴れ渡って気温もどうやら暖かく散歩するのには最高の条件です。小一時間の散歩ですが最終第4コーナー付近に農家さんの開いている無人野菜販売所があって立ち寄ります。
どれでも100円で旬の野菜が手ごろな量で売っているので散歩ではいつも200円ほど握りしめていってよく買ってきます。
3月 28日(木)曇
昨日の晴れの天気は本当に一日だけだったんですね。早くも今日は朝から曇り・・小雨も。
ただし気温はそれほど低くなるようではありません。この天候不順が過ぎると暖かな日が続くといいます。
雨の本体は今日はまだ関西方面で関東地方では夜半過ぎから明日にかけてと言います。
今日の散歩は雨の降る前に早めに行ってこようと3時には我が家を出発しました。
見沼用水の掃除が終わったようで50q上流の行田取水堰のある利根川からの取水が始まりました。
まだ農作業が本格化しないため試験的な通水でしょうか。最盛期になれば満々と水をたたえて流れるところですがまだ寂しいくらいです。
今年は小雪で上流のダム湖の水位低下が懸念されています。今年は水不足になるのでしょうか。
3月 27日(水)晴れ
私が退院した日から久しぶりの晴れた日になりました・・・。つまり4日ぶりの晴れ間です。
洗濯も待ってましたとばかりだったので2巡もして終わらせることが出来ました。
しかし晴れたとはいえ昨日からの北寄りの冷たい風は今日の午前中いっぱいは吹き荒れていて体感温度は低く寒い感じがしました。
夕方近くになってやっと風も収まって散歩する時間にはほぼ風も止んで空の雲ものんびりと春の雲を連想させてくれました。
斜面輪を下りて見沼用水沿いの道に入るとそろそろ用水に通水する準備でしょうか業者さんが用水路にある不法投棄された粗大ごみなどを引き上げたり清掃をしていました。
そしてこの用水路沿いさいたま市から続く日本一を誇る総延長20qの桜並木の蕾もまだ固く開花予想は難しそうです。
しかし残念なことにこのお天気は今日1日だけ、また明日明後日と天気は雨模様と言います。
3月 26日(火)雨
昨日ほど寒くない朝の気温、しかし今日も朝から雨が降っています。
朝食の終わるころの気温は10℃くらいで比較的暖かい。しかしこれが今日の最高気温。
1日中雨降りの日になってしまいました。昨日から予測されていた天気だったのでこの際長編小説を読んでしまおうと読書の日としました。
650ページもある本だったので昨日のうちに半分以上読んでおきましたので今日は午後には読み切ってしまいました。
作者曰く、コロナ禍だった時期なのでどこにもいかずに本を書き続けていました・・・。確かにあの時期は私も何かやるにはいい時期だと思ってたしか私小説をまとめて製本したことを思い出しました。
昨年の桜の開花は平年より1週間早かったといいますが今年はまだ咲く気配もなく開花予想日も日ごとに遅れています。
そう言えば昨年は今頃にはシジュウカラが住宅の捜索に頻繁に通ってきていました。しかし毎日の冷たい雨で彼らもまだその時期では無いらしいです。
3月 25日(月)雨
朝から冷たい雨が降っています。予報では午後あたりからと言っていましたがもう目覚めた時には降っていました。
朝方の冷え込みはそう強くは感じなくむしろ暖かく感じましたが1日同じ10℃くらいでした。
いつもと同じ5時半に目覚ましが鳴って目覚めました。暖かな朝と感じましたがこの気温で日中も変わらなく推移していて結局寒い日となりました。
この気温と天気は明日もひき続きと言いますししかも夕方には北風も強まって4℃くらいまで下がると言っていました。
今年もそろそろスキーのシーズンから卓球のシーズンへの切り替えも近くなりました。
その前に今までの古くなったラバーを張り替える必要がありましたので卓球道後を扱う川口卓球ジムに出向きました。
以前はラバーは自分で貼り付けていましたがラバー糊が溶剤型から変更になって以来いつも専門業者さんにお願いしていました。
3月 24日(日)曇
目覚まし無しで目が覚めたのは6時10分過ぎのことでした。そうだ・・病院ではないから目覚ましをセットしておかなくっちゃ。
この時間にしては曇っている分外はあまり明るくはありません。そしてまだ寒気が居座っているようです。
旅行をして帰ってくるといつも思うのですが食事の準備をして食事をするというルーチンが少し狂っていて面倒な気持ちになります。
まあ、2日もすればもういつもの慣れで苦痛さはまったく消え失せてしまいます。それほど上げ膳据え膳の気楽さに慣れた報復です。
そして病院での食事の味付けは塩分で言ったら私の料理の半分以下です。味付けも素材からの旨味を引き出す工夫をしなくてはと反省します。
庭につながる通路は自然に生えてきた木が延びてきます。昨秋にはそのうち大きくなり過ぎた杉の木を伐採して日当たりがよくなりました。
前からそこにびわの木があることは知っていましたがもう待っていましたとばかりに枝葉を早々に伸ばしています。
3月 23日(土)曇
病院での最後の就寝、昨夜は本を読んで10時まで起きていてからでした。
それでも朝には6時前には自然と目が覚めました。今日は退院の日、少し興奮してるの。
病院の朝食は8時です。終わったら着替えてすぐにでも帰っていい…というような話でしたのでそのつもりでルンルン気分で支度を終えました。
朝のうちは曇り空でしたが食事の終わるころには雨が降り出してきてしまいました。私は入院に際してバス2台の乗り継ぎできていましたのでマズイナ・・と思いました。
しかし実際には退院手続きは意外と会計を含め担当者の連携があまり良くなく実際に病院を出たのは10時半過ぎでした。
幸いにもこのころには雨も小ぶりから止み始めていましたのでバスの乗り降りには全く支障はありませんでした。
ところで退院療養計画書・・なるものが担当者さんから渡されて”4月20日迄禁酒”とあります。いきなり破るわけには参りません。
3月 22日(金)晴れ
目が覚めると気分的に爽やかな気持ちがしました。
手術の後の煩わしい装置がいくつか外されただけなのかな・・?。
そうだけとは言い切れないようです。朝一番で何時もの通り看護師さんが血圧や体温など測ってきますが脈拍数は以前のような数値を示していました。
そうなんです、私の脈拍数は正常な時は1分間に55〜60が普通でした。
それが12月20日から急に100近くになってしまって…今回の処置になったのです。
手術の後の爽快感をやっと味わうことができました。病院の外は今日もお天気が続いて気持ちよさそうです。
心電図、レントゲン、血液検査、血圧その他もろもろの検査。午後には主治医も私の部屋に来てくれてすべて順調です、明日は予定通り退院ですね。
3月 21日(木)晴れ
朝からすっきり晴れて遠くの秩父連山もくっきり見えます。
昼飯無しの予定通りの手術、あっという間のことでした。
手術そのものの苦痛はありませんでしたがその後の安静と排尿管などの取り外しまでのおよそ8時間が少しつらかったようです。
排尿管を取り外したのが夜中の11時、それから朝の6時まで完全な熟睡でした。
目が覚めて血圧測定、採決の後デイルームまで来て昨夜の続きの日記を書いています。
頭スッキリ!、体中点滴の管以外は全く不自由や痛いところもない。この点滴も最後だと言います。
恐らく朝食のころには終わっていると思います。お騒がせしました、元気に生還しました。
3月 20日(水)晴れのち曇り
今日は祭日ですが私の明日の手術のため準備もあって午後2時までに入院手続きをするように。
そして一通りの手続きも終わって4人部屋の入口のベットが割り振られました。
心臓の不整脈は以前から指摘されていました。特に自覚症状もなく気にしていませんでしたが毎日の健康自己チェックで変だと気が付いてお医者さんに相談したのが始まりでした。
いわゆる高齢になって特にひどくなると血栓ができて悪さをするのでこの処置として一般的にカテーテル治療によるものと言います。
それまでの間は血栓のできにくい様に薬を処方されていました。海外から帰って私も一休みしたかったのとお医者さんの都合が合致して今回の日程になりました。
明日の手術には4人が順番待ちと言います。その3番目に私が充てられているとのことで約2時間の宇宙遊泳を余儀なくされています。
随分病院食というのは粗食です。そして感染症にも今は気を付ける大切な時期とも言います。
3月 19日(火)曇りのち晴れ
朝の気温は”寒い・・・”ってほどではないですが暫く暖かな朝に慣れてしまったせいでしょう、寒い!
しかも今朝は時間がたってもお日様は顔を出しません。1日中エアコンは付けっぱなしになってしまいました。
3泊4日の入院ではありますが明日のために身辺の整理整頓をしていました。
ほとんどの入院に必要な物は貸し出してくれるのでそれの他と言えばほとんど我が儘なPCだとかスマホだとか読書のためのタブレットなのであまりかさばりません。
曇り空なので気温も上がりませんが1日エアコンは付けっぱなしで過ごしたことになってしまいました。
夕方になって雲も途切れ陽ざしが出てきました。我が家の庭に初代からいる”いろは紅葉”も芽吹く季節になりました。
少し気温は暖かくなりましたが、それも一瞬、明日はまた列島を低気圧と寒気が覆う・・といいます。
3月 18日(月)晴れ
夜半未明から風が強まりました時々目を覚ますような強風の音です
そんな中地震としてはごく弱いものですが震度2位で眠りも浅かったのでまた目覚めてしまいました。
寝室は3階に有って屋根の上部の端に近いせいでしょうか強風による風切り音が耳ざわりになることがありまさしく昨夜はそんな日でした。
普段はまったく外界の音を感じさせない静かな寝室ですがこういった自然の音にはかなり小心者です。
玄関先の鯉のぼりも終日狂ったように泳ぎ回っていて忙しそうです。
3月 17日(日)晴れ
今日の散歩はついに上着無しで過ごしました。4月中旬並みの気温とか
それでもさすがに日が暮れると気温は下がってきました。
花壇の花たちも気温の上昇につれすくすくと育って水分を欲しがります。
昨年から夏季の散水は自動散水装置でしのいできました。そしてその機能は期待に十分応えてくれました。
ただ、その手前の手動散水や蛇口、そのほかの取水口についてはまだ検討事項でした。
ホームセンターに行ってそのための材料を購入してきてしっかりした排水設計を実現しました。
一見シッカリしているようですがまだ安心はできません。いつどこから噴水状に水があふれ出るかまだ予断はできません。
3月 16日(土)晴れ
日に日に気温が上がって今日はついに20度を超えました。
朝のうち我が家の庭の姫コブシの蕾もほころび始めました。
既に朝から気温は緩んでいましたが時間と共に暖かさも加速して上がり始めました。
陽が沈むころになってもさほど気温は下がりません。
姫コブシの花も今日の暖かさで一気に咲きそろってしまいました。
3月 15日(金)晴れ
更に昨日より暖かな天気になりました。
車の走行距離も実質20万qを超えいよいよ来月は10回目の車検を迎えます。
近所のガソリンスタンドに走行距離3万5千qごとのエンジンオイル交換に行って来ました。
今回は来月の車検を控えてのオイル交換なので他のオイル状況も全て点検するので私も工場に入りたい‥と申し入れました。
店員さんも快く応じてくれて私もジャッキアップした車の下に入って今まで気になっていた不協和音の原因など究明しました。
あちこちとマフラー外皮の腐食が進み破れているところも見受けられます。しかしマフラー本体は腐食は進むもののまだ機能的には十分持ちこたえ車検に耐えうるものと思いました。
車体とマフラーの隔壁が外れてエンジンの振動に共鳴しているのも確認できたのでこれは外しておきました。
3月 14日(木)晴れ
風邪もなく暖かな善い日になりました。昨年の今日は東京では桜の開花宣言が出されたとか。
しかし、今日はその桜もまだ固いつぼみの中。地球温暖化と言われますがそう簡単に沸騰してほしくない。
一年ぶり、外国のスキー大会に出て毎年同じクラスで戦う選手同士もう少し会話が出来て意思疎通ができたならどんなにもっと楽しかったでしょう。
折角英文の名刺も作って私のホームページも紹介しているのにそこでもなかなか意思は伝わりません。
20歳代のころ中国の方がお話はさっぱりでしたが筆談では何となく意味の伝わった感激を知りました。
カナダから帰ってから私のホームページも国際化に向け少しは努力しなくてはならないと感じ始めました。
少しでもその意思を伝えるためには先ず表現して見なくては。
3月 13日(水)晴れ
昨日と打って変わってよく晴れました。しかしその低気圧の移動に伴う風は台風一過並み。
湾岸を通った低気圧の移動に伴う残り風は昼過ぎても冷たい北風を伴っていました。
心臓手術を一週間前に控えて最終判断の検査のため「かわぐち心臓・呼吸器病院」を訪れました。相変わらずの受付の混雑はその名医を知らしめるように頼る人が多いのです。
医師の診断の前のうちに私は血液検査と血液造影剤を注入されてMRIの検査もしておかなくてはなりません。
全てが終わってもうお昼近くになりその結果が医師にデータが届いたのちの受診です。結果はすべての数値は来週の手術をすることに支障はきたさない‥と言うものでした。
もう午後一時近くになりましたが病院から解放されました。あまり心配はしていませんが徐々に池の鯉もまな板に乗る覚悟を徐々に募らせているところです。
3月 12日(火)雨
出来るだけお日様にあたって時差ボケ解消に努めたいときにあいにく今日は雨降りです。
カナダに行った時も3日間は雪降りや食事が合わず体調調節に時間を掛けました。
一日うちの中で過ごしましたがちょうど今日は注文した額縁が届きましたので早速絵の架け替えをしました。
おかげで少し部屋の雰囲気が変わった感じがしました。
さらにネットで注文しておいたマッサージ機も届きました。持ち運びにはこのままでもいいのですが寝室からの移動ではスマホやボトルなど多いので袋を作ろう・・。
いらない手ぬぐいを裁断しミシンで少し縫えば携帯用にも便利な持ち運び袋が完成しました。
3月 11日(月)晴れ
昨日は成田には3時過ぎに到着しましたが入国審査や荷物の引き受けその他もろもろで我が家に帰着したのは7時過ぎになりました。
もうこうなってしまった以上時差ぼけは時間をかけて調整していく以外ないとあきらめて就寝したのは12時ころでした。
朝の自然の目覚めは6時ちょっとすぎでした。お〜、意外と二週間前の私の生活スタイルに近い時間じゃないの?
寝不足の頭フラフラの感じもありません。早速朝食・・・、まだ冷蔵庫には食材がありません。納豆、みそ汁などあり合わせの物で朝食、オレってこんなおいしい飯を毎日食っていたんだと歓喜(笑)
そのあと大量の洗濯ものをぶっこんでこのお天気に間に合わせようとしました。整形外科に行き何とか膝は二週間持った報告をして更にヒルアロン酸の注射をしてもらいました。
この二週間、海外にいても皆さんとの会話をはじめ支障なく連絡も取れました。コロナの3年間で通信のセキュリティーはさらに強化されていて昨年は海外からの通信に苦慮しました。
私のホームページはじめセキュリティーに対しての設定も強化されました。同時に海外の選手間とも親密さを増すことなので英文表記なども考えていかなくてはならないかな。
そうなるとまだまだしなくてはいけない課題も見えてきて三途の川もまだ遠くにいてくれよ‥と思います。
3月 10日(日)晴れ
忠実に毎日更新してきた日記ですがいきなりさぼってはいないのに一日どこかに行ってしまいました。
そんなことを究明する間もなく帰国し夜中になったので日記を書いています。
とにかく今日は早朝に起きてカルガリーの空港までタクシーバスの旅、バンクーバーまでトランジットして4時間の乗り換え時間に空港ロビーで過ごしました。
お昼過ぎに東京成田行きに乗り換えて窓を閉め切った機内で何時間過ごしたのでしょう・・、たしか二食は機内食は食べましたが夕方成田着。
荷物の引き受け・・時間がかかりました。空港内ヤマトでスキーの発送・・。
今夜は食べるものがありません、湯豆腐と鮭焼きを温めた奴で日本酒。ああ、疲れましたのでまた明日・・・。
3月 8日(金)晴れ
今日はキンバリーのホテルをチェックアウトする日です。朝食の後ロビーで手続き。
業者さんが手配してくれたタクシーバスは9時半の予定時間ちょうどに到着しました。
運転手さんはカルガリーからここまで送ってくれた髭もじゃの同じ人だったので一安心しました。日中だったこともあって5時間は要したでしょう。
途中の景色は来るときはよく見えなかったんですが大きな風景の圧巻には驚くばかりでした。考えてみれば緯度的には北海道より上の樺太付近でしょう。
天気がいいのに外気温はマイナス15℃くらい。河を流れる水には氷結板も一緒に流れていていかにも厳寒地と思わせてくれます。
ロッキー山地を離れて緩やかな山並みになってくると牧畜も盛んな様子で雪の中盛んに放牧牛が雪下の草を食む光景が続きます。
この辺から不覚にも睡魔に襲われて居眠りしてしまいました。気が付けばカルガリーの街中です。高層の建物は見られません。トヨタ、三菱・・などの看板も目立ちます。
ホテルの部屋からは1qほど先のカルガリー空港の管制塔が見え航空機の着陸するのが見える至近です。
3月 7日(木)晴れ
今朝も朝から完璧な晴れマスターズBは大回転競技2本。
2本とも完璧なコースをそれぞれ使って楽しかった。
もうこれまで何度も対戦してきた仲間というか戦友たち、すっかり顔なじみになってきてお互いの健闘をたたえ合います。
そしてアメリカのKnut、オーストリアのPeater、アメリカのPaule、そして日本の吉田、藤森が常に上位独占の状態です。
しかしKnut、Peaterが圧倒的の強さ。残る3人が日替わりで3位を占める・・と言う位置づけです。
今日もレストランで夕飯を食べているとオーストリアのPeaterも奥様同伴でお隣の席に座っての食事会でした。
昨年のゲストリングではお世話になった御礼も述べ来年は再びフランスで元気にお会いしましょうとお別れしました。
カナダ最後の夕飯、荷物も半分まとめましたが明日は9時半に出発となります。
3月 5日(火)晴れ
このところカナダでの天気は日替わりで目まぐるしいのですが今日は快晴。
気温も低く新しい手袋も何のその指先が冷たい。
朝から心配していたリフトの運行も順調なようで初めてこのスキー場の山頂からの眺めを楽しみました。
アメリカ大陸から続くカナダまでのロッキー山脈が一望のうちに目の中に収めることができたのは感激する景色でした。
この山頂から麓までのスーパー大回転のコースインペクションは視界の良さに押されて頭の中にすっきり覚え込むことができました。
大会は楽しめました思い切って走り切りました。疲れました、すぐに宿に帰って風呂に入って昼食を食べ寝てしまいました。
3時に目を覚ましてメールで結果を知り驚きました。みんな大男の中で私のような小男がまさかメダルをもらえるとは思ってもいなかったので物凄く嬉しくなりました。
表彰式で係りのお姉さんにメダルを首にかけてもらい良い香りの香水の抱擁も感激したところでした。
3月 4日(月)雪
気力体力十分になりました。しかし今日も朝食はご飯とみそ汁でいつもの調子です。
リフトも順調に動いて今日のスーパー大回転に掛けようとスタート位置に到着しました。
女子Cはこの日スラローム競技で問題はなさそうですが男子Bのスーパー大回転の視界が問題ありそうです。
案の定、運営委員から今日のスーパー大回転は中止!の決断が下されました。
女子のスラロームは日本の切久保さんが金メダル・・しかもコースラップでジャパン・チームの誉となりました。
そのほか女子・坂井さんも銅メダルで今日の表彰を頂きました。
会場は昨日と違う別棟でしたが中々風情のある山小屋風・・?み屋風・・?の趣のあるレストランでした。
バーカウンターも中々風情があって好まれそうでした。
まだ早い夕方JAPANチーム皆さんが勢ぞろいして楽しい会談をしました。こんな機会も必要だと言うチームキャプテンの計らいでした。
3月 3日(日)晴れ
体調がすぐれない朝、まずそこは日本食から体調を整えようとしました。
今日、私の出番はありませんので一日身体を休めることに専念しました。
トリクルクルージン・ロッジの部屋にはガスコンロや電子レンジが完備していていつでも自由に使えます。
今日は五目ご飯とみそ汁、野菜をたっぷりで朝飯を済ませました。何となく落ち着いたそしておいしい朝食でした。
食事の後キリリと冷え込んだ気持ちのいい天気でしたが少し厚着をして付近を散歩しました。
スキー場全体が見渡せるところまでくると左端に女子スーパー大回転会場、そして中央には男子Aのスラローム会場が見えます。
そしてホテル全体の見える場所までくると4階建ての異様な大きさを誇るトリクルクルージン・ホテルです。
そして今日は一日ベッドの中でゆっくり休養に勤めました。
3月 2日(土)雪
日本の天気で言えば昨日の夕方の快晴を見ると今日も素晴らしい天気と思いがち。
あの天気は何だったの・・?。今朝は起床時にはその続きの晴れ・・と思いました。
食事を終えてリフト運行時間の8時半、リフトは動きません。9時過ぎても動きません、雪も激しく降っています。
40分も遅れて動きましたが待機先頭にまだポールを担いだ役員がいました。案の定、リフトから見る大会バーンにセットされていません。
大会の始まるのは全て1時間遅れで進行すると言います。私のスタートは80歳代3番スタート。
雪はますます降りしきり視界も時々ままならなく・・でもスラロームですからこんな時も大会は続行しました。
無我夢中でゴールはしましたが・・どうやら「旗門普通過」勧告。スラロームの競技をはじめてこんなこと初めて!。
ちなみにバーンは降雪により私にとっては魔が差した状態だったようです。
3月 1日(金)曇り〜晴れ
カナダの山奥、キンバリーに世界からマスターズの選手を受け入れての一大イベントです。
今日の予定は各コースを整備して選手たちに大会バーンをオープンして堪能してもらうはず・・。
この2〜3日真冬に逆戻りしての降雪に悩みました。しかし今日は朝から時々晴れ間も見えて天候回復の兆しが見えてきました。
朝食を終えてイザ!、しかし肝心なメインリフトが動いていません。どうやら故障で回復のめどが立っていないと言うのです。
止む無くその間脇にあるTバーリフトで暫く足慣らしをしました。おや、ここの裏山から私の泊まるロッジがよく見渡せます。
夕方から世界マスターズ大会開催に向けて地元での各国まとまってのパレードが始まりました。このころになって神業がかった天気の激変がありました。
上部を覆う雲が一斉になくなって真っ青な空が出現しました。みんな唖然としてその空を見上げて明日からの戦いを自分なりに示唆したところでした。
パレードの先導は昔ながらのカナダを思い浮かべるイギリスからの移民・・そして勇敢な武将の象徴のバブパイプ奏者先導でした。私の競技は初戦、スラロームです。
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