●移植の経緯●
富豪となり、銀行や牧場の経営者までたずさわった彼。
その彼が資財を投げうってまで、なぜブラックバスを移植しようと思ったか。
その理由は、「ただ釣りたいから」とか言う単純なものでは勿論無く、
日本の内水面全ての将来を、心から危惧しての事だったのです。

氏が没したのが昭和26年11月9日。その翌年の、
昭和27年から雑誌に掲載された『赤星遺稿』において、次のように書かれています。
「何ら保護の手心の加えられない、乱獲一方にのみ落ち入る魚族は
必ず減少、もしくは滅亡する。
こういうことは当然すぎる以上の自明の理である。

さらに、近代工業の発達にともなって、河口区域は各種の化学工場の為に占拠され、
おびただしい薬品、汚水が放出される結果、年々遡上魚は著しく減少しつつある。
田園にも洗浄工場、製紙工場、発電所のダムなどが出来る。砂礫は盛んに採取される。
堤防がだんだん改修されて、コンクリートで固められていく。
こうして魚類の生息場所はしだいに甚だしく狭められていっている。
しかるに、政府当局を始め、釣魚家方面においても、
それに対するなんらの顧慮が払われていない。

現状に則した自然繁殖でけでは、とうてい乱獲には拮抗できるものではない。
当然、将来のために、今のうちからある種の魚に対しては適当な保護が必要だ。
そして絶滅を防ぎ繁殖を続けていかなければならないのではないか、
ということを痛切に考え出した。」
そこで赤星氏は保護増殖すべき魚の選定条件を設定して
「アユ」「ヤマメ」「コイ」「フナ」などの多くの魚を検討した。
が、それぞれの「特有の美点」を見いだしながらも
最終的には、満足のいく魚を発見できなかったとしています。そこで
「以上のような魚が日本にいないのとすればどうするか、
いきおう好適魚を他に求めてみるよりほかに途はない。」
そして、中国の「ケツギョ」や「ブラックバス」などを、比較研究した結果、
「魚自体が大型に成育する」
「釣って面白く、食べて美味しい(味が日本人好み)」
「産業的にも価値があって、長期保存も可能な魚である」
このような結果を基に、最終的に「ブラックバス」に答えを見いだしました。
そして、緻密な計画と周到な用意と配慮がなされた上で、
【芦ノ湖】に移植された訳です。
〜なぜ芦ノ湖だったのか〜
移植の経緯について『赤星遺稿』は、こう続きます。
「私自身としては、その主要な目的は食べて旨く、釣って面白い魚を
多くの釣魚家とともに長く楽しみたいと言うこともあるが、
同時に、これが、水産方面はもとより副業的に見ても必ず利益がある。
やがてはそれが多少とも国家に貢献し、裨益する事だという信念と自負が有ればこそ、
相当な費用も投じ、苦心して招致したのである。」
移植は個人的欲求を満たす為だけものではなく、
当時貧しかった村民達、そして国家にも必ずや貢献できると信じ、
移植に至ったという事は、決して忘れてはならない事だと思います。
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