●赤星鉄馬氏●
ブラックバスを語る上で、この方を外すわけにはいきません。
日本で初めて、ブラックバスを芦ノ湖に移植放流された方です。
赤星氏の、私財をなげうってまでブラックバスを移植しようとした情熱のお陰で、
今私たちは、バスフィッシングを楽しめると言っても、過言ではないでしょう。
明治15年1月11日、東京に生まれる。
幼い頃は貧しい暮らしを体験したものの、後に父が財をなし、富豪となる。
明治34年東京中学を卒業後、18歳にしてアメリカに渡り、
ロレンスビル高等学校、ペンシルバニア大学を卒業する。
明治43年、27才帰国して結婚する。
その間、朝鮮にて牧場を作り経営する。
芦ノ湖にブラックバスを移植した当時は、大正銀行の頭取の職にあった。

富豪となり、銀行や牧場の経営者までたずさわった彼。
その彼が資財を投げうってまで、なぜブラックバスを移植しようと思ったか。
その理由は、「ただ釣りたいから」とか言う単純なものでは勿論無く、
日本の内水面全ての将来を、心から危惧しての事だったのです。

その移植の経緯は、こちら↓
〜移植の経緯〜
氏が没したのが昭和26年11月9日。その翌年の、
昭和27年から雑誌に掲載された『赤星遺稿』において、次のように書かれています。
「すでに植え付けられた『害魚』であるという観念に対して、

この魚の真価が全般的に確認される機会の相当に遅れたことを悲しみたく思う。

大衆の盲目を強いたのは誰か」
氏が没し、50年がたった今日、
氏の思い空しくその『真価』は、未だ大衆には見いだされてはいない。
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