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小さな空き地状の所に第 2ピットの標識を見る。
ここで、今朝ほど新しい山門の横にて挨拶を交わした人を追い抜く。
その第2ピットからほんの少し進むと、四合目。写真のような立派な標識が立っている。
時刻は 7時48分。ここは大泉所ダムからの登山ルートとの合流点にもなっている。
登山口の仲仙寺を含め、登山道は暫く伊那市の中だったのだが、この四合目の少し手前からは南箕輪村に入るようだ
(しかも、この経ヶ岳を含むこの地域は南箕輪村の飛び地)。
村は大泉所ダムからのルートに力を入れているようで、ダムへの道ならびに四合目から先の道はしっかり整備されている。 |
上で述べたように、
四合目から先は草やササで道が覆われていることもなく、しっかり見えている。
標識も四合目以降、南箕輪村作成の立派な標識が合目毎に付けられており、村の力の入れようを感じる。
ただ、これらのことは帰宅後 ネットで調べて知ったのであり、小生の持つ 1995年版のガイドブックには、
この大泉所ダムからのルートは載っていない。
ところで、ガイドブックにも四合目以降の記述がある。ということは本来 仲仙寺からのルート上に三合目までがあるはずであるが、
今は影も形もない。むしろ、大泉所ダムからのルート上に、
一合目から三合目が置かれているようである。 |  |
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道はカラマツの林の中を進む。カラマツは、まっすぐ天へと伸びているので、気持ちが良い。
日差しが時々強く差す。このまま青空が広がってくれればと思いながら緑の中を登っていく。
四合目から 5分ほど登った頃、左手の樹林越し、緑の山の向こうに雪を抱いた山が見えた。ただ、ガスと雲で、
うっすらとしか見えないのが残念。その時は山の名前が分からなかったが、帰宅後に写真を大きくして確かめたところ、
胸突ノ頭から下った胸突八丁と、将棊頭山との間にできた三角形の雪渓だと判明した。
となると、三角形の雪渓の左は将棊頭山、右は胸突八丁、そして茶臼山ということになる。 |
8時11分、五合目に到着。
ここにも伊那養護学校の標識があり、3ピットと書かれていた。やはりピットという単位は謎だ。
斜面の先には、青いビニールシートがかけられた三角形のテント状のものが見える。
が、道はそちらには行かず、標識のすぐ先で、左に折れる。
8時31分、六合目の岩場に到着。本日 最初の休憩を取る。
六合目からも登りは続く。
少し疲れてきたかなと思った時、黒い物が目に入った。ネズミかと思ったら、モグラらしい。
意外にすばしっこく、木の根などは飛び越える。慌ててカメラを構えたが、なかなか捕捉できず、
少々ピンボケとなってしまった。 |  |
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急登が続き、登り着いたところが七合目。時刻は 8時51分。
ここは蔵鹿ノ頭という名があるように、小ピークとなっていて、樹林越しに経ヶ岳らしき山も見える。但し、ガスが邪魔してハッキリしない。
七合目の標識には、八合目まで 40分とある。これまで四合目からそれぞれの合目の間は 20分から 30分程の表記がなされていたので、
これから手強い登りがあるに違いない。
七合目からは右に下る。感覚的にはまっすぐ行きたいところであり、右に曲がるのが意外に感じられる。
しかし、経ヶ岳らしき山は右の方に見える。 |
思った通り急登が待っていた。
カラマツ林の中の登りが続く。
息を整えながらゆっくりと登るようにする。暗い斜面の登りではなく、全体が明るいので、急登もそれほど苦にならない。
カラマツの枝にサルオガセが付いているのが所々で目に付く。しかし、
櫛形山などに比べたら、
本当に量が少ない。 |  |