鎌倉アルプス ( 大平山:159.2m ) 2015.11.11 登山



【PHOTO & 記録 鎌倉アルプス 5】

この茶屋も素通りし、左手に休憩所への道を見て先へと進む。
道は山道らしくなり、すぐに岩場が見えてくる。
この岩場に立てば、鎌倉の街並み、箱根、そして 丹沢の山々を眺めることができる。

岩場を過ぎると道は大きく (と言ってもこのコースにしてはという意味) 下るようになり、 下った所で獅子舞の谷、鎌倉宮への道を右に分ける。

周囲には照葉樹に混ざって杉の木が目立つようになるが、 それも長くは続かず、再び周囲には常緑樹が多く見られるようになる。
写真のような見事な木が見られるようになるが、クスノキであろう。

暫く平坦な道が続いた後、道は苔生した岩の間を下るようになり、 その後下りが続くようになる。

なお、この苔生した岩の間を下る手前にて右の斜面に取り付くと、 天台山 (てんだいせん) の三角点と石祠があるとのことであるが、事前に下調べをしなかったため、 全く知らずに通り過ぎてしまった。

岩の間を通り、緩やかに下っていくと、途中に 『 貝吹地蔵 』 と書かれた石柱が現れる。 道を外れ、石柱の横を通って少し登ってみると、岩と落ち葉に囲まれた中にお地蔵様が鎮座されておられた (写真)
新田義貞の鎌倉攻めにより自害した北条得宗の首を、新田勢に渡すまいと持って逃げた家来が、 この貝吹地蔵の吹く貝に導かれて無事に首を埋めることができたという伝説があるとのこと。

下りが一応終わると、ほぼ道は平らになるが、 ここからは緩やかに高度を下げていくという感じになる。
やがて、『 瑞泉寺山内 北条御一門云々 』 と彫られた石柱が現れるが、 その側面に 『 文政十二年 』 と彫られていたので、 そう古いものではないようだ (文政十二年は 1829年)
右側の斜面を見上げれば、瑞泉寺の徧界一覧亭の建物が見える。

その石柱から少し進むと、 道の左手に再び やぐらが現れる。
岩を削ってはあるものの天井のないものから、洞穴の中に供養塔らしきものが入っているものもある (写真)
この中に供養塔がある やぐらは、『 奥津城 (おくつき) やぐら 』 と呼ばれているようである。 『 奥津城 』 とは墓の意味で、鎌倉武士の墓所といわれている。

この やぐら群を過ぎると、すぐに樹林帯を抜け出すことになり、 やがて崖に突き当たって道は右に曲がることになる。
そこには 『 瑞泉寺 約0.4km 』 と書かれた標識が置かれている。時刻は 12時15分。

標識に従って右に曲がっていくと、周囲には柵など人為的なものが現れるようになり、その先で展望が開け、 先程通って来た大平山方面を見ることが出来るようになる。
写真に写っている高みは、地図上の大平山であろう。その高みの左にゴルフ場のクラブハウスが見えているので、 鎌倉最高峰の大平山はその左方なのであろう。

その場所から少し進むと、右に道が分かれるが、 瑞泉寺へはこの右の道へと入ることになる。
傍らの標識には 『 瑞泉寺 約0.3km 』 とある。

緩やかに下っていくと、 途中から足下が岩盤となった、川床のような道を下ることになる。
それ程 傾斜はないが、足下が滑りやすいので要注意である。
本日は登山靴ではないこともあって慎重に下って行く。

やがて、尾根の左右下方に人家の屋根が見えるようになり、 道の方は花壇用の おしゃれブロックのようなコンクリート製の丸太を打ち込んだものに変わる。



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