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恐らくこの勝上献からも
富士山が見えるのであろうが、
先にも述べたようにこの日は見ることが出来ない。
それでも、先程の箱根の山々に加え、山中湖畔の大洞山、三国山、鉄砲木ノ頭方面、そして
丹沢山塊がうっすらと見えている。
また、下方には建長寺の建屋も見ることができる。
さらに先へと進む。
ここの標示板には、『 天園まで約2.1km 』、『 瑞泉寺まで約3.8km 』 とあり、
いよいよここから山道となって鎌倉アルプスを進むことになる。
なお、勝上献の裏手の高みには石祠が置かれている。 |
滑りやすい斜面を少し下ると、
道は山道らしくなり、ほとんど勾配のない歩きやすい道が続くようになる。
最初は背丈の高いササ藪が続くが、少し上り坂になる頃から周囲は樹林帯に変わる。
足下には岩が現れるようになるが、岩が登山道にゴロゴロしていると言う訳ではなく、土の中から岩盤が露出している状態である。
この辺は凝灰質砂岩が多いとのことだが、この露出している岩もそうなのであろうか。
歩かれてかなりすり減った岩には緑色の苔がついていてなかなか風情がある。
樹林帯が続くが、途中で左手の樹林が切れて横浜方面が見え、
ランドマークタワーが確認できる。青空が広がっていないのが大変残念である。 |
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そこからすぐに道の左手に苔生した岩が現れる。『 十王岩 』 である。時刻は 11時13分。
道を外れて岩に登ってみると、その岩の側面には 3体の像が彫られている。左から、如意輪観音・血盆菩薩・閻魔大王とのことで、
かつてこの石仏が夜毎 不気味な音をたてていたことから、『 喚き (わめき) 十王 』 とも呼ばれているようである。
この不気味な音というのは、山に吹き上げる強い風の音が泣き声のように山麓に響いていたためのようであるが、
建長寺が建てられている場所はかつて地獄谷と呼ばれる刑場だったため、そこで処刑された者の嘆き声だと恐れられていたとのことである。
石仏はかなり風化していて原形をとどめておらず、加えて苔生しているが、それが歴史を感じさせてなかなか良い。 |
また、
ここからは鎌倉市街と相模湾を見ることができ、鶴岡八幡宮の若宮大路も確認することができる。 |
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『 十王岩 』 を過ぎて暫く進むと、今度は道の左手に岩に掘られた洞穴が現れる。
この洞穴は 『 やぐら 』 と呼ばれているもので、この鎌倉地域において鎌倉時代の中期頃から室町時代の中頃にかけて作られた
横穴式墳墓とのことである。
最初の やぐらは中に何もなかったが、この後にいくつか見られる やぐらには、
中に供養塔・石仏も安置されたものもある。
実際、2つめに現れた やぐらには首がもがれた石仏が数体おかれていたのだった (写真。法王窟やぐらというらしい)。
なお、このやぐらのある岩の上には弘法大師の石像が置かれている。 |
道の方は小さなアップダウンがあるものの、
総じて平らであり、歩き易い。
周囲にはクスノキ、シイ、ヤブツバキ、シロダモ、ヤブニッケイなどの常緑樹が多いが、その中にコナラ、ヤマザクラなどの落葉樹が混ざっている。
また、途中、ロープが付けられた階段状の岩場の下りも現れるものの、山慣れた者ならロープは不要といったレベルである。
樹林の中、時々現れる苔生した露岩や、
波によって浸食されたような岩々などを楽しみながら進む。
アップダウンが続くが、それでも徐々に高度は上がっているようである。 |
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