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途中の灌木帯に苦労しつつも、緩やかな雪の斜面を登っていくと、先の方に頂上祠が見えてきた。日留賀岳頂上に到着である。
当然、頂上には誰も居ない。時刻は 11時12分。
小山氏宅から 5時間近くを要したことになる。雪があったとは言え、手書きの地図には登り 4時間と書かれているのでガッカリである。
狭い頂上には、祠の他、祠の手前に 2等三角点、そして天皇御即位記念の碑が立てられている。
その記念碑の土台に腰掛けて昼食をとる。
余談であるが、記念碑には碑の建立のために寄付をされた方々の名が刻まれていたが、
ざっと見ると君島姓が多いことに気が付く。
ネットで那須塩原市の名字ランキングを調べると、君島姓は 第6位だったので、
この辺では多い姓なのであろう (ちなみに 1位は 室井姓)。 |
周囲に遮るものがないだけにここからの展望は素晴らしい。
しかし、やはり気温が高いからか、遠くの山は霞み気味でよく見えない。
南西の七ヶ岳はよく見えているが、その左方にあるはずの会津駒ヶ岳方面は、
うっすらと白い山並みが見えるだけである。 | |
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遠くの山々は霞んでしまっていてあまりハッキリとは見えないが、近辺にある山々はよく見える。
この日留賀岳から北北西へと続く尾根の先にある山は鹿又岳 (写真 中央 やや左のピーク)。
その鹿又岳のずっと左側、写真の一番左に見える山は男鹿岳であろう。
また、鹿又岳の後方に連なる白き山々は、恐らく裏那須と呼ばれる大倉山、三倉山ではないかと思われる。 |
鹿又岳の下部、
そしてその右方に目を向ければ、塩那スカイラインが山腹を横切っているのがよく見える。
その塩那スカイラインが山腹を横切っている白き山の後方、
間に尾根を一つ挟んで やや黒さが目立つ尾根が続いているのが見える。
その尾根上、写真 右方のピークが大長山 (と言っても、国土地理院の地図にはその名は載っておらず、1,866m峰となっているが)。
その尾根を左に辿ると、一旦下った稜線が再び盛り上がったピークが大佐飛山。
但し、手前の白き 1,870m峰に邪魔されて、頂上部分が僅かに見えるだけである。 | |
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この大佐飛山、大長山と続く尾根を右の方に辿れば、写真のように 西村山 (写真 当該尾根の左端)、
そして黒滝山が続く。
大佐飛山は栃木百名山にも選ばれており、手付かずの自然が残る自然の宝庫らしいのだが、登山道などは整備されておらず、
ササヤブが煩いことから、残雪期限定の山と言われているようである。
そして、その残雪期には この日留賀岳を上回る雪の廊下が続くとのことで、一度はトライしたい山である。
ルートとしては、黒滝山の東側から、百村山、サル山、山藤山、黒滝山へと至り、
そこから今見えている尾根を辿るのである。
歩行距離も長く、しかも残雪期限定のため、かなりの時間を要することから、横浜出発の日帰りは無理そうだが、
車中泊も考慮に入れ 何とかトライしたいものである。 |
頂上を 30分弱程独占した後、
11時39分に下山を開始する。
下山にあたり、折角なので、今度は正規の登山道を通らずに雪の回廊を下り続けることにする。そのため、安全を考え 10本爪アイゼンを装着する。
台形の上底部分を緩やかに下る。
先に述べたように、この部分は樹林と残雪が結構多く、ルートを選ぶのに少々苦労する。油断をすると踏み抜きも起こる。
アイゼンを付けているので、木々を傷つけないようにして進み、台形のもう一方の端へと進む。
ここからは雪の下り廊下が待っている。
やはりアイゼンを装着していると、安心して下っていける。 | |