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京都で行われた母親の着物学院のショーに平安時代の十二単のモデルとして出演することになった現代の女子高生美千子は、学校では生物部の部長で、蝶の成長過程の観察が研究テーマ。ところがショーの最中に舞台装置から転落して気を失い、気がつくと同じくショーに下人役で出演していたクラスメートの隆浩とともに見慣れぬ山の中にいた。やっと見つけた建物は尼寺。だが尼僧たちの話す言葉が全く理解できない。逃げ出して登った山から見た景色は、平安時代の平安京以外の何者でもなかった。やがて尼僧の兄である大納言という老人が、美千子を自分の娘にすると言って自分の屋敷に引き取る。現代の小市民の一女子高生が、平安時代の貴族の娘に……。ところが、この大納言、蜂を飼うのが趣味で、それに誘発されて蝶の成長の観察という自分の研究テーマへの意欲が、平安時代において再燃した美千子だった。 |
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平安末期、伊勢平太と遠藤持遠は武士としての若い同僚である佐藤義清の芸術論の押し売りに閉口し、歌の道に命をかける覚悟があるのかと問い詰めた。そんな折、持遠に長子が誕生。だがその直後、「覚悟」を決めた佐藤義清は職も妻子も捨てて、歌の道に専念すべく出家した。時がたって西行と名乗っていたかつての佐藤義清が久々に遠藤持遠を訪ねた際、昔出家した時に生まれたばかりだった持遠の長子に会った。その長子はすでに成人し、盛遠と名乗っていたが、この時西行に自分が道ならぬ恋をしていることを告げた。西行はそこで覚悟を説く。だが、盛遠はその言葉をとり違えて、とんでもないことを……。西行が次に伊勢平太と会った時には、平太はすでに入道相国として権力の頂点にいた。 |
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歴史上の在原業平の後半生を描くちょっとした長編ですので、左のタイトルをクリックして目次ページをご覧下さい。 |
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古典「源氏物語」の翻訳ではなく、実際の平安王朝に光源氏なる人物が実在したらという想定で書かれた現代文学の歴史小説の長編です。長編ですので、左のタイトルをクリックして目次ページをご覧下さい。 |
平安時代の貴族といえば、毎日舟遊びをし、管弦を催して優雅に暮らしていたというイメージをほとんどの人が持っていることであろう。しかしその実、彼らは皆官吏、つまり公務員であり、六位以下は国家公務員や地方公務員、五位以上の殿上人といっても貴族というより特別職国家公務員というのが正確なようです。現代と違うのは、それが世襲制であるということくらいでしょう。つまり彼らとて「遊び」に明け暮れていたわけではなく、れっきとした「公務」があって、それに忙殺されていたのです。朝はまだ暗いうちから宮中へ「出勤」です。そして宮中では書類の山に埋もれ、長々と続く会議、そして年中行事と実に多忙でした。一方、庶民はというとそれこそどん底の生活で、当時の平安京は道路が公衆トイレでしたし、庶民は死んでも埋葬は許されておらず、郊外に一応は死体の捨て場所があるものの、路上に死体が放置されていることも珍しくなく、ひとたび疫病の流行や飢饉があると鴨川の流れが死体の山で堰き止められたこともしばしばでした。町中の砂ほこり、糞尿の臭い、死体の山とそれに群がる烏や犬……、これらが平安京の実態だったのです。筆者このページで後に公開予定の「新史・源氏物語」のあしかけ4年間に渡る執筆期間に平安時代に正面から取り組んできたお蔭で、そのことが次第に分かるようになりました。 |