古 代

 

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出雲八重書

 2世紀の中ごろ、一度は日の巫女(ひのみこ)によって邪馬台(やまと)を追放され、魏の帯方郡(現・韓国)に渡ったスサの王ソミンは、再度渡来して上陸した地点で、夜中にすすり泣く老夫婦と若い娘を見つける。娘の姉たちは次々に大蛇によって蛇聟(へびむこ)にさせられ、今度はこの娘の番だという。話を聞くと、ここはスサの王を追放した日の巫女の邪馬台の宿敵であるクナトの国であることが判明する。そして大蛇というのも、製鉄の利権をほしいままにしようとする邪馬台の軍勢であることを知ったソミン王は、この国に味方して邪馬台と戦うことを決意。


出雲大戦

 西暦二四六年、出雲の国の六代目のオオクナトの主を継いだオオアナムチと、その育ての親でもあるスサの王ソミンの娘スセリ姫との婚礼の夕方に、船団が杵築の浜に着いたという知らせが国庁のある意宇の里にもたらされた。船はかつてクナト(狗奴)と称していた出雲と、長い間宿敵関係にあった九州のヤマト(邪馬台)からであった。だが、そのヤマトからの降伏の軍使であるはずのホヒは急に出雲に帰順したいと願い出た。ヤマトの後ろ盾ともなっていた魏が滅亡したので、ヤマトを見限ったのだと言う。だがその後、再びヤマトからの軍使が来た。今度は居丈高の本物の軍使で、ヤマトに強く降伏を勧告した。だがその新たな軍使であるワカヒコは、オオアナムチの側近であるタケミナカタの妹に求婚し、無気味に陣を張って動かなかった。そのワカヒコの死体が、ある日神道(しんじ)の海(宍道湖)に浮かぶ。軍使が死んだということになれば、ヤマトとの一大決戦は避けられない。ヤマトと出雲の決戦の日が迫る。


出雲神宝

 崇神天皇の御世、出雲国造家の神宝引渡しを受けるため大倭(やまと)の朝廷から勅使として出雲に遣わされたタケモロスミは、出雲へ着くや否や謎の敵の襲来を受ける。それを切り抜けて国造家に到着した時に、出雲の国造イヒイリネが神路(しんじ)の海で死体となって発見されたという知らせがあった。たちまち国造の長男ウガツクヌから国造殺しの嫌疑をかけられたタケモロスミは、神宝を引き渡したくない国造家の陰謀かとにらみ、自分を襲撃した謎の敵が怪しいとにらむが……。謎を解くカギは入ると祟りがあるといわれる宮山の中にありそうだと、タケモロスミは汚名をはらすために宮山へと向かう。はたして国造殺しの真犯人は……???

両面宿儺

    時に西暦5世紀。
   
飛騨は「日玉の国」であり、超太国には世界の神都であったと語ってくれた爺は、死に際に幼い宿儺(すくな)にその名の由来を告げた。日玉の国の危機に現れて救ってくれる守り神、両面宿儺になれと爺は宿儺に言った。

  十年後、宿儺が村長になっていた頃に、国難が訪れた。難波の朝廷が日玉の国も、その支配下に入れと要請して来たのだ。決断を迫られた宿儺は、何者かに谷間の洞窟へ連れて行かれた。

  そこに集まっていたのは……。

The GENESIS
 Chapter 18 to 19

 羊飼いの老人エイブは、天から来た人たちから間もなく背筋も凍るような恐怖が、この町に迫りつつあると聞かされる。そのころ、星の間では、魔の手が銀河の彼方から伸びてきて、まさしく恐怖の戦いが繰り広げられようとしていた。突然狂ってしまった町には、エイブの甥のロトがいる。ロトだけは救うと、天から来た人は約束してくれたが……。

ジウスドラの船

 大学生のセムの父が、突然御神示が下ったとか言い出した。どんどん神懸かりになっていく父。しかも、その御神示によると、間もなく地球規模の大天変地異が起こってへたをすると人類が滅亡するので、神の至上命令として山の上に救世の基地を建設し、一人でも多くの人の魂を目覚めさせて救えとのことだった。最初は父の妄想と思っていたセムも、大学の教授から、科学的側面からも人類は非常に危ないと聞き、ますます頭が混乱して夜のネオンの町へ……。

養老美泉

 秦嶋麻呂の父親が、官の漆を盗んだということで捕らえられた。ところが刑部省は嶋麻呂に、父の身代わりになって奴(ぬ)となるなら父の罪を許すから、そのように自ら申し出るように言い渡す。訳が分からなくなった嶋麻呂は、同族で唐生まれの朝元(ちょうげん)という若者から、刑部省からの奇妙なお達しのからくりを聞く。

護るべきもの

恵美押勝の乱で敗走した押勝の配下の三人の勇者。彼らはそれぞれの境遇の中で息抜き、やがては女帝と道鏡の政権のからくりを見抜く。そして、この国で本当に護るべきものは何か……、それに向かって勇気を出して行動に挑む。

人間・キリスト

この作品は、イエス・キリストの生涯を小説で綴るものです。長編ですので、左のタイトルをクリックして目次ページをご覧下さい。

                  

コラム

 古代史の面白さはその謎解きにあるでしょう。史料が無限大にある近世や近代と違って史料が限られており、その限られた史料の空白を埋めるのが古代史の解明ですが、史学家がそれを史料に基づく実証でやらなければならないのに対して、小説家は自由な観点から空想で古代史を描くことができます。
 私の古代についての理解の構造は、安本美典氏の影響によるところ大です。つまり、邪馬台国=高天原であって、場所は九州。すなわち卑弥呼=天照大神となり、年代は2世紀。その子孫の神武天皇が九州から畿内へ移って大和朝廷を開いたのは紀元前660年などではなく、3世紀の初頭のことと考えます。それに続く八代の天皇は世襲制ではなくて各豪族の長(おさ)が持ち回りで天皇(当時は「大王=おおきみ」といいました)をやったと思われます。天皇家が世襲制となったのは第十代崇神天皇が大陸から騎馬民族を率いてやって来てからでしょう。しかし、現日本人はあくまで農耕民族であるということは、今でも宮中に水田があって、陛下がお田植などをされていることからも分かります。崇神天皇以降も例えば神功皇后の三韓征伐(征伐という言い方には語弊がありますが、このとき日本は大敗して王朝は滅亡し、征服王朝、すなわちマッカーサーとして日本へ来たのが応神天皇と考えられます。4世紀末から5世紀初頭にかけてのことです。このあたりの事情は、高句麗好太王(広開土王)碑文の内容と一致します)の後、白村江の戦いの後など皇統は断絶しています。しかし、実際にはこのように血統的にはズタズタの天皇家が、なぜ「万世一系」と称しているのかというところに問題があります。中国のように前の王朝を滅ぼして別の王朝を建てた人は、国号も改めて、自らを新しい王朝の太祖とするのが自然でしょう。そのあたりに日本という民族の不思議さと古代史の謎を解くカギが隠されていると思います。

        

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