ローマ法王が歴史的謝罪

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mdf39059.jpg (20885 バイト)54,ローマ法王はギリシャ正教教会,信者の多数が反対するなかで1054年キリスト教が東西に分裂して以来,始めてギリシャのアテネを訪問した。

今回は,これに関する新聞記事を引用しながらローマカソリックとギリシャ正教の対立,断絶前後の経緯,ローマ法王ヨハネ・パウロU世その他関連事項について各種資料に基づき解説します。(資料の出典はこのページの末尾に記載)

 


アテネ
4日発日経新聞記事

ローマ法王が歴史的謝罪  東西分裂後初ギリシャ訪問

ローマ法王ヨハネ・パウロU世80)は4,使徒パウロの足跡をたどる巡礼の最初の訪問先ギリシャに到着した。東方正教会の影響下にあるギリシャを法王が訪問したのは,1054年の東西教会分裂以来初めて。

法王はギリシャ正教の最高指導者フリストドウロス大司教との会談で,1204年の十字軍によるコンスタンチノープル(現イスタンブール)略奪などを挙げて「正教会の兄弟姉妹に対するカトリック教との罪に許しを請いたい」と謝罪。教義や典礼を巡る千年近く続いた東西対立が和解に向けて大きく前進した。

ただ法王訪問を巡りギリシャ正教の保守派が連日,抗議デモを繰り返すなどしこりはなを根深い。法王はこうした反発への配慮からアテネ空港に到着した際,恒例の「大地へのせっぷん」は行わなかったほか,現地のカトリック教徒を対象にしたミサの規模縮小を余儀なくされた。5日午後,シリヤに向かう。

ギリシャ正教保守派の抗議

430AP電(Japan Times

400名のギリシャ正教の修道僧と信徒は27日夕刻から28日早朝にかけてオリンポス山の麓にある16世紀に建てられた聖デイオニシオ修道院で1,291年間で初めてのローマ法王ギリシャ訪問に対する抗議の祈祷を持った。アトス山麓にある修道院長フリストドウロス(Christodoulos-日経新聞にある同姓の大司教とは異なる人物と思われるーもこれに参加した。(アトスの修道院群は今日も尚ギリシャ正教の聖地として栄えている。)

参考資料

http://www.britannica.com/history&humanities
日本大百科事典                               小学館
新キリスト教辞典                               いのちのことば社
キリスト教史(中世キリスト教の発展)M.D.ノウルズ他          平凡社
聖書人名辞典              ピーター・カルヴォコレッシ著  教文館
                       佐柳文男訳          
西ヨーロッパ世界の形成(世界の歴史10巻)佐藤彰一・池上俊一   中央公論社
ルネッサンスの歴史 上・下 モンタネッリ・ジェルヴァーゾ著      中公文庫
                    藤沢道郎訳
ローマの歴史          モンタネッリ著藤沢道郎訳        中公文庫
中東キリスト教の歴史  中東教会協議会編          日本基督教団出版局
                村山盛忠・小田原録訳
コンスタンテイノーブルの陥落    塩野七生               新潮文庫

 

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