1204年の十字軍によるコンスタンチノープル(現イスタンブール)略奪
(第4回十字軍)
1198年 ローマ教皇(イノケンテイウス3世)第4回十字軍の召集
ビザンテイン帝国(アレクシス3世)の要請もあった。
1199年 派遣の概要
総司令官:Thibaut of Champagne
ロジステイック:ヴェネテイア
(ヴェネテイアはビザンテイン帝国の利権を独占し,
ギリシャ人から敵視されていた)
目的地:エジプト(当時ムスリムの中心地)
1202年 十字軍のヴェネテイア出発時,ヴェネテイアへの支払不足し,
代償として十字軍はキリスト教国であるハンガリーの
ZARAの攻撃を約束
ローマ教王の反対にも拘らずZARAを占領
1203年 総司令官Thibaut of Champagneの死去による後継者 Boniface of Montferratは,
亡命中のビザンテイン帝国王位継承者
(後のアレクシス4世)
を担ぎ,イノケンテイウス3世の指示を無視し,
エジプトではなく,コンスタンテイノーブルを攻撃占拠。
アレクシス4世をビザンテイン帝国皇帝にする。
1204年 アレクシス4世がギリシャ人の反乱により殺害されたが,
(4月13日)反乱鎮圧を名目に十字軍とヴェネテイア総督が結託し,
3日間にわたりコンスタンテイノーブルを略奪する。
ビザンテイン時代の貴重な財宝がヨーロッパに
持ち去られたが,その多くがヴェネテイアで見出された。
ボードウイン(Baldwin of Flanders)を皇帝とする
ラテン帝国を樹立、ヴェネテイア人Thomas Morosiniを
大司教に任命(1204-1261)
ビザンテイン帝国はニカイアに亡命政権を樹立
1261年 ビザンテイン亡命政権コンスタンテイノーブルを奪回
(ジェノヴァの援助)
パレオゴス朝成立
1274年 第2回リョン公会議
1431年 バーゼル公会議
1438年 フェラーラ公会議
1439年 フィレンツエ公会議
両教会代表により合同を決定した公開勅旨が署名されたが,コンスタンテイノーブルとその周辺地域の修道士たちと大部分の住民によって直ちに非難され否決された。