使徒パウロの足跡をたどる巡礼

今回の訪問は,ギリシャ,シリヤ,マルタの6日間の巡礼の最初の訪問地。

アテネでの日程には,アクロポリスの反対に位置するアレオパゴス(Areos Pagos)の丘にある競技場での礼拝がある。

使徒言行録17章ではパウロのアテネでの宣教の様子が記録されているが,アレオパゴスについて次のように記されている。

22節 パウロは,アレオパゴスの真中に立って言った。・・…

34節  …・しかし,彼について行って信仰に入った者も何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員デイオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。」

抗議の祈祷集会を行った修道院の名前は,先述の通り「デイオニシオ」であるが,この人物については次のような記録がある。

「デイオニシオ Dionysius アレオパゴスの議員,アテネでパウロの伝道によってキリスト者となった。アレオパゴスは古代アテネで最も権威ある法廷であった。奇妙な言い伝えによって,この議員は3世紀のパリの初代司教デイオニシオス,ないしはドニと同一人物とされた.彼はフランスの守護聖人であり,彼の名を冠した修道院が建てられている。そこにはフランスの王たちが多く葬られている。彼はモンマントルで殉教したが,切り落とされた自分の首を抱えて歩き,現在彼の修道院の建っている場所にきて倒れたと言う。もう一人のデイオニシオスがいるが,これは5世紀の神秘家で,1,2の人物とも一緒にされて,もともとのアレオパゴス議員は神秘主義神学の中でも,フランス史においても,怪しげな位置を与えられることになっている。」

マルタ

パウロが,ローマに護送された時のルートは,次の通りである。

エルサレムー(陸路)シドン(現ベイルート)ー(海路)ミラ(トルコ)-クレタ島-マルタ島―シラクサ(シチリア)―プテオリ(イタリア)―(陸路)ローマ

マルタ島に関しては,暴風で流されてたどり着いたが、使徒言行録281節「わたしたちが助かったとき,この島がマルタと呼ばれていることが分った。」2節「島の住民は大変親切にしてくれた。降る雨と寒さをしのぐためにたき火をたいて,わたしたち一同をもてなしてくれたのである。」とある。

シリヤではダマスカスに立ち寄り1967年より1974年までイスラエル占領下であったゴラン高原にあるクネイトラ(Quneitra)の町で平和の呼びかけを行う予定。

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