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展覧会の紹介

(敬称略) 

富士フォトサロン新人賞2002
発表展
2003年3月14日(金)〜19日(水)
富士フォトサロン札幌
(中央区北2西4、札幌三井ビル別館)

 あまりにも時代とシンクロしているように感じられて驚嘆せずにはいられない表現というものが、この世には存在する。
 たとえば、95年に放送されたアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」は、阪神大震災やオウム真理教事件で呼び覚まされた不安感に加え、自分探しに迷う若者たちの姿を反映していたし、「天国のドア」あたりでひとつの頂点をかたちづくる松任谷由実のアルバムはバブル期の「多幸症」(四方田犬彦)とみごとに同調していたのではないか。

 昨年10月から、東京、名古屋、大阪、札幌の4会場を巡回していた「富士フォトサロン札幌新人賞」の作品のうち、岡田敦の「Platibe」に、筆者は驚嘆した。
 なぜかはうまく言えないが、ここに展示されている街の風景は、たしかに現代のものなのだ。豊かさと背中あわせの閉塞感、漠然とした不安、全身にしみこんでいる疲れ。写真は、そういった感情の直接的な説明でないにもかかわらず、それらの、ことばにしづらい感情岡田敦「Platibe」の展示風景を、たしかに表現しえているように思う。

 写真に附されているキャプションには、新潟県での長期にわたる女性監禁事件や、西鉄バスの乗っ取り・殺害など、近年のわたしたちを震撼した事件についての、主観を交えない短い説明が書かれている。
 また、詩とも、夜中のひとりごとともつかないテキストのパネルもついている。
 もちろん写真は、それらの文章と、直接の関係はない。
 でも、わたしたちは、それらの事件について見聞きしたときに感じる不安や薄ら寒さと共通するなにかを、写真に感じるし、このような写真とテキストの組み合わせの表現は、これまでありそうでなかったタイプの表現だと思う。

 都会の街路にレンズを向けさえすれば、「現代」を切り取った写真になるかといえば、かならずしもそうではないだろう。
 「Platibe」には、薄明かりの中でとらえられた被写体が多い。
 早朝? のプラットフォーム。透明なカプセルの中に入った子どものマネキン。UFOキャッチャー。大勢の人が渡る横断歩道。
 そこには、人間らしい感情のさざめきはない。
 筆者がとくに舌を巻いたのは、上の会場写真にもチラッとうつっているが、青い熱帯魚と、道行く人々の姿をいっしょに写しこんだ4枚組だ。4枚のうち1枚は、父親らしき人に背負われてねむる子どもの姿をとらえている。このうまさは、出来のいいミュージッククリップを見ているようなリズム感をともなっている。ただし、このひとつなぎの映像に、陽気な、あるいはアップテンポな音楽は、そぐわないだろう。似合うのは、たぶん、沈黙だ。
 聞けば、大阪の地下街に、中央に水槽が置いてあるところが実際にあって、まるで都市空間のなかを魚が泳いでいるような光景を見られるらしい(作者は、1979年札幌生まれ、大阪芸大在学中)。それにしても、センスいいなー。

 あと2点特徴を挙げれば、この4枚組にも見られるような、全体に「青」系の色が多くつかわれ、まるで海の底のような幻想的な雰囲気をかもし出していること。もうひとつは、被写体に子どもがたびたび登場することである。
 どの子も、たとえば土門拳の作品に登場するようなたくましく元気な子どもではない。疲れてベビーカーで眠り込んだり、不安そうにこちらを見ている子が多い。
 「不安な事件が起きて、将来この子たちが大きくなったとき、日本はどうなるんだろう。それを、見た人に少しでいいから考えてほしかった」
というような意味のことを作者は話してくれた。
 「いったいこの国をどうしたいのか」
と子どもたちが大きなひとみで問いかけている相手は、あなたなのだ。

 うまく書けなかったのがざんねんだけど、写真展を見逃した方には、ちかく「窓社」から発売予定の同題の写真集をぜひ手にとってほしいと思う。「時代とのシンクロ」という筆者が言っている意味をわかってくれるのではないかと思うのだ。
 
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