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 展覧会の紹介 

南郷100丁目〜召還する郊外〜 2004年3月16−21日
スカイホール
(中央区南1西3、大丸藤井セントラル7階 地図)
柿崎熙展−林縁から 2004年3月1−31日
ギャラリーどらーる
(中央区北4西17、HOTEL DORAL) 地図D

 ふたつまとめて紹介、というか、論評することにします。
 どちらも「郊外」という「場所」なしには、生まれなかった展覧会だと思うからです。

 なお、ものごとをみるときには、たいていの場合、悲観的な見方と楽観的な見方があります。
 あるいは、暗い見方と明るい見方。
 どちらもたいせつな見方だと思うので
「この大変な時代にノーテンキなやつだぜ、バカヤロー」
「根暗すぎだぞ」
みたいな罵倒は、筆者はしないようにしています。
 したがって、このテキストは、どちらかの展覧会に優劣をつけているのではありません。


 柿崎さんは、長年道内の画家の企画展を月単位でひらいてきたギャラリーどらーるにとって、初の立体の作家です。
 立体といっても、すべて壁掛けのタイプで、小さな木彫を壁面にちりばめるかたちで展開しています。
 会場の大きさによって、その個数を調整できるので、一種のインスタレーションといえなくもありません。

 カツラなどの木を、葉や種や木の実をおもわせる形に削り、白のアクリリックを繰り返し塗って仕上げています。
 また、たいてい2枚の羽のようなものが付いているので、ますます植物の種子が風に飛んでいるさまを連想させます。真っ白な本体とちがって羽にはきらびやかな着彩がほどこされています。赤、紫、青…。金箔さえもつかわれています。このふたつの部分の対照もおもしろいです。

 作者は、札幌の隣町の石狩市・花川地区に住んでいます。
 石狩は、かつてはサケ漁、灯台、石狩川河口−というイメージの町でしたが、1960年代から急速に札幌のベッドタウン化が進みました。
 役場庁舎(いまは市庁舎)も、石狩川河口の近くから、あたらしい住宅街の花川地区に移転したほどです。
 花川地区には、防風林がのこされており、柿崎さんはそこでバードウオッチングや植物観察をたのしんでいるそうです。
 その体験が、「林縁から」シリーズに生かされているのでしょう。

 札幌は、石狩市など周辺の市町村もふくめると、人口200万にせまろうという大都会です。
 ただ、これは、住んでいる人間のひいき目かもしれないのですが、ほかの大都市にくらべると、まだ自然がのこされているほうだと思います。
 近代の芸術を生んだ大きな要因のひとつが、大都市と近郊の差異だというのが、筆者の持論です。さわがしくごみごみした都市に住んでいて、自然や田園をあこがれるという図式こそが、ロマン派的な発想の根っこにあるのではないかと思います。
 パリとバルビゾン、ニューヨークとハドソン川上流域…。鉄道は、見た目の落差の大きなふたつの場所を、結びつける役割をはたしました。大都会で働き、自然の中でやすらう…。
 大自然のなかで、文明から受けるストレスなく暮らしている人ばかりの国では、現代美術はそだたないでしょう。
 一方で、都会があまりにも膨脹し、東京あたりでは日々の暮らしで自然の存在を感知することがむずかしくなってきているのではないでしょうか。エアコンと地下道の発達などが、環境を完璧に人工化しています。
 それにくらべると、札幌は、西と南を高い山にかこまれていることもあるし、冬は雪がふって人々の生活に影響をあたえるので、自然というものを実感せずにくらすわけにはいきません。
 柿崎さんの作品は、単に、北海道の大自然から生まれた生命の讃歌というよりも、自然と都会がとなりあった場所でこそつくられたものだというべきでしょう。
 自然がすぐとなりにある都会。それが札幌や石狩であり、北海道らしいと思うのです。


 ただし、そう手ばなしでよろこんでばかりもいられません。札幌のマチは変容しています。

 石狩市に行くには、地下鉄南北線の麻生駅からバスに乗って一般的です。新琴似の商店街・住宅地を通り、中央バス自動車学校をすぎたあたりから、とつぜん広い空き地がひろがります。
 そこをしばらく走って、市の境界を超えると、石狩の市街になります。
 この空き地は、市街化調整区域のため、家が建てられないのです。ただし、資材置き場や運動場や町工場などはあります。新興住宅地と、資材置き場。いかにも「郊外」というのにふさわしい光景です。
 札幌のマチを一変させたのは1972年の冬季オリンピックだというのは衆目の一致するところですが、その後もしばらくは牧歌的なところがのこっていたように思います。いまや空き地や資材置き場と化している新琴似の郊外も、すくなくても1980年代初頭まではほとんどが畑や牧草地でした。
 新琴似だけではありません。現在はごみ処理場が大半を占めている厚別区の厚別町山本地区は一面に水田がひろがっていました。北区の篠路町拓北の南部、白石区の東米里、清田区の里塚といった地区も、多くは農地でした。
 現在、札幌市内である程度農地がまとまってのこっているのは、東区丘珠の玉ネギ畑と、南区の白川・砥山地区の観光果樹園くらいでしょうか。80年代初頭に農地だった地帯のうち、北区・屯田や清田区の里塚、平岡などは住宅地として開発がすすんでいますが、新琴似のように、いまなお市街化調整区域のままになっている地域も広大なのです。
 その結果、札幌には、都市でも田園・自然でもない、中途半端な地帯がたくさんできています。


 「南郷100丁目−召還する「郊外」−」の会場でくばられたリーフレットには、つぎのようなテキストが書かれています。
 本展は、20世紀以後の代表的な社会メディアとしての「写真」「映像」を展示することで「美術」という枠を越えて、より広い意味で現代社会のリアリティーを直視することを目的としている。
 現代日本文化が先鋭的なかたちで現れてくる「郊外」はすでに「都市部/中心の従属」という立場を変容させて、私たちの核(コア)となりつつある。
 様々な社会的問題は「郊外」の(荒廃した?)(精神性?)現状を基盤として立ち現れている。
 私達は「郊外」という場を「入口」として、逆にその社会的問題の過程をたどっていくことで新しい視点(視線)を探って行こうと試みているのである。

                         古幡靖・仙北慎次・小池晋
 神戸の連続殺傷事件(いわゆる酒鬼薔薇事件)などが大都市郊外のニュータウンだったことなどから「郊外」は急速に注目されるようになってきました。
 大都市でも田園でもない中途半端な地域。でも、そこで生まれ、生活している人が多くなり、人々の精神にも大きな影響をおよぼしています。
 表現の分野でも、島田雅彦やホンマタカシ、川本三郎ら、郊外に着目する人が増えています。

 ずばり、札幌の「郊外」にレンズを向けてきたのが、仙北さんです。
 4×5のカメラで撮られた風景写真は、雑然とした家庭菜園、川の改修工事現場、不法投棄されたごみなど、ふつうの人ならぜったいに撮りそうもないところばかりです。
 しかし、曇天ですみずみまで行き渡った光の調子や、構図は、さすがにプロらしく、決まっています。言ってしまえば、どの写真も、醜いのに美しいのです。
 現代日本が自然を破壊してきたさまを撮る柴田敏雄の写真が、それにもかかわらず美しいのと、共通しているといえるかもしれません。

 床に置かれた細長い長方形のビニールシートの中に水をたたえた作品は、古幡さんの「Floating Touch」です。
 塩が積み上げられて、水をせき止めています。水面には、人の指紋がうかんでいます。
 この作品の原型は、1997年のサッポロアートアニュアルでグランプリを得た同題の作品です。
 当時は、透明な時計皿数個に入った水の上に作者の指紋が浮かんでいるもので、「浮遊する現代人のアイデンティティ」を的確に表現した作品として高く評価されました(2000−01年にひらかれた「北の創造者たち展」で、札幌芸術の森のなかに復元されている旧有島武郎邸における発表で、リメークしています)。
 今回は、来場者がじぶんの指紋を浮かべることができる、参加型の作品になりました。
 都市の人間のアイデンティティが無名のまま、数すらわからないままに浮遊しているというのは、或る意味で、旧作よりも現代的といえるかもしれません。

 なお、会場の北東の隅では、アニメ映画のビデオが放映され(あえて作品名は秘す。必要以上に著作権にうるさいので)、通路の奥のモニターには民放テレビが垂れ流し状態になっていましたが、これも古幡さんの「作品」なのでしょう。
 はっきりと意図はわかりませんが、前者は、わたしたちの「郊外型の生活」を侵蝕している「アメリカ的なもの」の暗喩といえるかもしれません。

 このふたりとは区切られた空間で映像作品を発表しているのが小池晋さんです。
 暗い空間の中央に、渦巻状に吊り下げられた薄い半透明の布に、白のラインがさまざまに生成しては明滅するという映像を投影しています。
 この布の真ん中に入って映像を体験するとおもしろいです。
 布は薄くて軽いので、むしろ開放感、浮遊感があるのですが、光のラインが伸びてくるとそれに束縛されているような圧迫感をおぼえるのです。
 浮遊していて、自由なのに、実体のあるかないかわからないようなものによって拘束されているような感覚。それは「郊外」にふさわしいものではないでしょうか。


 札幌市白石区南郷通は、21丁目までしかありません。
 したがって「南郷100丁目」は、架空の住所です。(しかも、住所表記としては「南郷」ではなく「南郷通」が正しい)
 南郷通には地下鉄東西線が走っていて、「南郷7丁目」「南郷13丁目」「南郷18丁目」のつぎは「大谷地」なので、筆者のような地図おたくでなくても、この展覧会に来た人はみな、「南郷100丁目」が架空の郊外をあらわしたことばだということがわかると思います。
 ただ、最後に、どうでもいい話。
 たぶん出品者3人のうちだれも意識していないでしょうが、ここで「100」という数字を持ち出したのはおもしろいと思いました。
 というのは、東西に細長い白石地区は、JR函館線から豊平区との境界に向かって順に、平和通、本通、本郷通、南郷通、栄通とならんでいるのですが、国道12号をはさんでのびている本通の14丁目に「白石神社」があり、この近くは「100番地」といわれ、そばを流れる月寒川を「百番川」とよんでいたそうなのです。
 明治初期、白石に開拓に入った人々が、札幌寄りを1番地とし、札幌から遠い神社を100番地としたのですね。
 なお、本通も南郷通も、21丁目までありますが、月寒川を超えた15−21丁目通は、もともと大谷地の一部分で、昭和に入っても湿地帯のままでした。(あまりに条件が悪く、白石開拓に入っていなかった)
 そういうことがあるので、南郷の端を「100」とするのは、歴史をふまえていると言えなくもないのです。
 柿崎さんは、1946年生まれ。韓国との美術交流にも努めています。
 21世紀に入ってからの発表活動はつぎのとおり。
 個展
 2003年 「林縁から」(ポルトギャラリー、札幌)
 グループ展
 2003年 Pacific Art Rim (コンチネンタルギャラリー、札幌/市立小樽美術館ギャラリー。04年に米でも開催予定)
 北海道立体表現展(道立近代美術館)
 02年 水脈の肖像(道立近代美術館/冨貴堂ギャラリー、旭川/北海道東海大学芸術工学館ギャラリー)
 01年 造形を奏でる6つの響き(コンチネンタルギャラリー、札幌)
 北海道立体表現展(道立近代美術館)

■「水脈の肖像」展(02年)
 古幡靖(1963−)
 武蔵野美術大学附属武蔵野美術学園油絵科卒、ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ大学院芸術学部修士課程修了

 仙北慎次(1962−)
 2000年には横浜美術館の「現代写真U〜反記憶〜」に出品

 小池晋(1974−)
 クラブパーティー、ファッションショーなどで映像表現活動。
 古幡さんと小池さんのふたりは、さっぽろ雪まつりの大雪像に映像をうつす「SNOW PROJECT」に毎年参加しています
■04年2月のSNOW PROJECT
■01年
■02年
■03年

■古幡さんが大活躍だった「北の創造者たち展」(00−01年、画像多数)
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