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展覧会の紹介
モダニズム/新しさとは何だったのか アメリカ現代美術展 | 2004年2月6日−3月24日 道立帯広美術館 (帯広市緑ヶ丘公園) |
筆者は、アメリカ現代美術の実作をそれほど多くは見ていないので、滞在わずか3時間というとんぼ返りで帯広に行ってきた。 道内で、これらの作品に接することができるというのは、たいへん貴重な機会だった。 会場は、前半がおもに抽象表現主義とミニマルアート、後半がポップアートとネオダダという構成になっている。 作品はすべて、会場の帯広をふくむ国内の美術館が所蔵するもの。 よくぞ帯広だけの美術展のためにここまで集めたものだと思う一方で、ものたりなさものこる。 出品作家は、 ジョセフ・アルバースの17人だが、一見して抽象表現主義の作家が少ないことに気がつく。 ゴーキーがいるのに、ポロックもニューマンもロスコもない。 まあ、このへんは、川村記念美術館で見られるからいいと言えないこともないけど、戦後アメリカ美術を概観するには欠かせないのではないでしょうか。 すくなくても筆者が見たこの3人の作品は、今回のどの出品作よりも感動的だった。 で、今回の出品作が、はたして彼らのうちの優品なのかどうか、筆者には確信が持てないのだ。 ホックニーの、写真を張り合わせた作品なんて、新明史子の似た作品のほうがはるかに気が利いているように思うし、信号機みたいな鮮烈な色彩の組み合わせによるケリーの絵よりも、杉山留美子のほうがはるかに深い精神性をやどしているように、筆者には思える。 世界的にはそうではないんだろうけど、筆者がそう思ってるんだから、それはそれでいいと思う。 まあ、ホックニーの「グランドキャニオン」は、アンセル・アダムズ的なものへのアンチテーゼという意味があるんだろうけど。 そういうわけだから、あとはヨタ話。 ウォーホルのキャンベルスープを見て考えたこと。 これを見てカッコいいと思っちゃうこと自体に、日本人の抜きがたい西洋崇拝があるんじゃないだろうか。 これが、カップヌードルやママプリンだったらどうだろうか。 あるいは、マリリン・モンローじゃなくて、吉永小百合や富士純子だったら。 でも、ようするにウォーホルがやったことというのは、そういう日常的なものをアートにして見せたことだった。 図録ではわからないが、アルバースの正方形は、近くで見るとそうとう揺らいでいる。 どんなにシンプルな抽象画でも、人間が筆で描いている以上、ぜったいに「味」のようなものが出てしまう。 それを読み取ってしまうのが、はたしてまっとうなことなのかどうなのか、わからない。 それにしても具象画がすくない。 筆者に言わせると、ポップアートは「具象画」ではない。 記号やイメージを描いているのであって、実在するモティーフを描いているのではないのだ。 トム・ウェッセルマンの「モニカと透明なカーテン」も、具象画ではない。 人がドローイングするとき、暗い部分をさっさっとかるく塗りつぶすことがある。モニカの右腕の下にある黒い線は、まさにそれだ。ウェッセルマンは、実際のモニカを描いたというより、モニカを描いた絵を描いたと言ったほうが正しいように思われる。 個人的にすきだったのがフランシス。「サーキュラーズブルー」は、青の重なり具合が美しい。 |
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